学位論文要旨



No 121884
著者(漢字) 片岡,裕介
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ユウスケ
標題(和) 不確実性を伴う空間情報分析方法の開発 : 健康関連情報を用いた空間分析とその可能性
標題(洋)
報告番号 121884
報告番号 甲21884
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第238号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 助教授 貞広,幸雄
 東京大学 助教授 石川,徹
内容要旨 要旨を表示する

 地域空間に存在する無数の事象は,我々の意識の有無を問わず多面的な様相を帯びている.しかも,現代のように高度に複雑化した社会環境の中にあっては,その要因の多さや情報の不確実性といった問題のために,事象解明に要する的確な状況理解はなおさら困難であることが多い.このような地域事象のなかには,人間の日常生活を脅かすものとして看過できないものもあり,その一つの現れが本研究で特に分析対象として扱う健康関連情報である.

 情報の稀少性という観点からみると,健康関連情報は時として機微な個人情報であり,このことからも一般の統計データと比べて大きく事情が異なる.翻って分析に供するデータとしてみれば,健康関連情報は非常に限定された趣旨にもとづいて作成されているものであったり,内容が状況を把握するのに適切な観測でないものであったりするという実情が理解される.すなわち,多くの健康関連情報が空間情報として整備が図られてこなかったこと,そして情報の取得が特に困難であったことが,健康事象の多くが空間分析の対象と見なされて来なかった一因であると推察される.

 空間情報の構築に必要な技術や費やす労力を考えると,近い将来に健康空間情報としてデータの整備が著しく進展することは予想に難く,現存のデータを用いた新たな空間分析方法が重要であるとの認識を得る.つまりは,重大な不備や特殊性といった不確実性を伴った空間情報のための,新たな分析方法の整備が急務であるということになる.ここで本研究の対象とするものは,第一に,各地域に含まれているデータ点の位置および数が不明であるために生じる,観測値の母集団の不確実性である.第二に,地域の需要量を決定付ける要因が過去の発生地点であるときの,需要と供給という観点からみた需要量の不確実性である.

 本研究の目的は,主に以下の二点にある.一つには,不確実性を伴った健康関連情報に現れる地域事象において,潜在的な空間的特徴を厳密に記述するための空間分析方法を開発することである.もう一つには,本研究で新たに提案された方法を,極めて高い水準で実効性が要求される医療分野の現象へ適用し,その空間的側面への意識を喚起することである.

 本論文は,第1章から第6章に至る全6章をもって構成される.第1章では,本論文における序論として,研究の背景および目的について述べる.続く第2章では,本研究を通して空間分析の対象となる健康関連情報にふれ,空間情報としての視点から健康関連情報を取り巻く状況および問題点などについて言及し,本研究の位置付けを明確にする.第1章および第2章での問題提起を受けて,その後の第3章,第4章および第5章の各章では,本研究で新たに提案される分析方法に関する内容となる.最後に第6章で,本研究で得られた成果を総括し,本論文の結論を述べる.

 以下に,本研究で新たに提案される方法について扱った,各章の内容について示す.

 第3章では,感染症に代表される周期的に流行する地域事象があったときに,各地域における観測値の集計単位が必ずしも一定ではないという条件下で,地域間を比較するために最低限必要となる各地域のリスク人口の推定方法について論じる.ここで言う「リスク人口」とは,人間単位で発生する流行事象があるときに,地域のなかで潜在的に生じるおそれのある人の集合を指す.これは実際の地域人口とは数値的には異なるものの,各地域で比例するかたちで地域人口に対応する.そして,その「リスク人口」の中から実際に発生する確率を,ここでは「発生率」と呼ぶ.そこで,各地域のリスク人口と流行事象の各シーズンの発生率からなる二項分布から,最尤法を用いたリスク人口推定モデルを提案する.

 適用事例として,3シーズンにわたるインフルエンザの定点報告数を対象とし,報告数に対するリスク人口,および発生率となる罹患率の推定値を得た.ここでは,流行に多大な影響を及ぼす地域特性として人口密度に注目し,人口密度を基準として全対象地域を分類したうえで,各々の地域グループおいてリスク人口の推定モデルを適用する方法を用いた.実証分析における結果より,人口密度の高い地域の感染率が高いという現状の理解を裏付ける結果や,特に人口規模の大きい都道府県においては,現状の定点の設置状況が基準を下回ることを示唆する結果を得た.また,得られたリスク人口を用いたインフルエンザの流行状況地図を作製し,流行過程における地理的な相関が確認された.

 第4章では,地域内の需要点と供給点の各々の点分布の空間的な関係性に着目し,需要点の空間パターンとして表される地域内の需要量に対して,供給点周辺で生じる「供給効果」を地域全体で最大化する方法を提案している.ここで最大密度被覆法と呼ばれるこの方法では,確証的でなく不確実性を伴う需要点の点分布にもとづいて,まず地域の需要量がノンパラメトリックに推定される.さらに,その推定された地域の潜在的な需要量に対して,供給点との位置関係により決定される効果の程度をもって,各供給点周辺で重み付けした「供給効果」を定式化し,それを地域全体で最大化するときの供給点の分布を得る.

 適用事例として,心停止状態への救急措置として有効とされ,社会的にも注目を浴びているAED(自動体外式除細動器)の最適配置問題への適用をおこなう.青森県弘前市を対象地域として,過去に起こった心停止発生地点から地域における潜在的な装置の需要量を推定した.その結果,市の中心部に需要が高いとされる地域が拡がっていることが確認された.さらに,地域の需要量に対して,生存退院率にもとづく救命確率を加味した「供給効果」を最大化するAEDの最適配置地点を示した.また,設置数の増加に従って「供給効果」はほぼ線型に増加することから,少なくとも現実的な設置数の範囲においては,需要がほぼ同等に高い地域に装置が割り当てられることが示された.

 第5章では,第4章で提起された課題を受ける形で,地域の現状をより反映するべく諸条件を加味した最大密度被覆法の応用について論じる.ここで設定される条件とは,次の2つとなる.まずは,必要な供給点の一部が既に配置されている場合に,残りの供給点の分布を得る方法である.次に,予め供給点の候補となる点分布が複数与えられている場合であり,すなわち最大密度被覆法の離散配置問題への応用法となる.第5章においては,第4章と同じく各地点における需要量を,最近隣の供給点に割り当てることができない状況を設定することにより,離散配置問題の解法としても有効であると考えられる.

 適用事例として,地域状況を加味したAEDの配置分析をおこなう.上述の2つの条件は,地域に既にAEDの設置地点がある状況,そしてAEDを都市施設などへ併設する状況にそれぞれ対応する.まず,現状のAEDの既設地点は,市の中心部からみて地域の需要量が急激に低下した場所,あるいは需要量が高い中心部にあっても,そのなかでは相対的に低いとされる場所に多く設置されていることが分かった.さらに,追加される装置の最適配置地点を求めた結果より,装置の既設地点と追加された最適配置地点の分布様態には大きな差異が認められた.既設地点の方は先述の通り,需要密度が大きく低下する市街地の周縁部にも分布する傾向があるが,最適配置地点については,第4章の結果と同様に市の中心部に集中する傾向があることが示された. また,AEDを併設するのに適切な施設種類として,コンビニエンスストアと郵便局をその候補とし両者の比較を行った.その結果,「供給効果」が高い地点から順にAEDの設置を行った場合には,コンビニエンスストアがAEDの併設施設としてより適切であると判断された.また,30地点に装置を設置する場合において,最適配置地点からコンビニエンスストアに設置することで,1割程度の「供給効果」の減少が生じるという結果を得た.

 以上の本研究における成果をふまえて,第6章で本論文の結論を述べる.

 健康関連分野をはじめとして,都市や地域における現象を扱う諸分野において,空間分析の重要性が増すことは必至であり,更なる検討が切に望まれる.殊に,供試データとなる空間情報の整備および構築に関わる方法,ならびに本研究の課題であるように,不備のある情報から有益な知見を導き出す「柔軟な」分析方法の開発が期待されるものと思慮される.

 本研究は,不確実性を伴う空間情報のための分析方法の開発を目的とし,空間情報として相応しくない情報から空間パターンを見出すための分析方法,そして不確実な要因を抱える空間情報に表出する空間パターンを用いた分析方法を提案し,その解法について示した.また各々の方法については,健康関連情報を通して現実の地域空間へ適用し,実証的にも有意義な結果を得るに至った.ただ反面,必ずしも精度が保証されない情報を用いた分析においては,他の重要な要因が捨象されることで過度な抽象化を招くおそれもあり,データとしての適切性の吟味のみに止まらず,結果解釈に至るまでその事情については留意されるべきである.

審査要旨 要旨を表示する

 地域事象のなかには人間の日常生活を脅かすものとして看過できないものもあり、それを表す情報の一つが健康関連情報である。本研究では、空間分析をおこなう上で不備な点を抱えている健康関連情報を用いたときに、その空間的側面から捉えられるパターンに着眼することで、問題解決の有効な手掛かりを見出す分析方法の開発を目的としている。

 第1章では、本論文における序論として、研究の背景および目的について述べる。続く第2章では、本研究を通して空間分析の対象となる健康関連情報にふれ、空間情報としての視点から健康関連情報を取り巻く状況および問題点などについて言及し、本研究の位置付けを明確にしている。その後の第3章、第4章および第5章の各章は、本研究で新たに提案される分析方法に関する内容となる。最後に第6章で、本研究で得られた成果を総括し、本論文の結論を述べている。

 以下に、本論文で提案される方法について扱った各章の内容について述べる。

 第3章では、周期的に流行する地域事象があったときに、各地域における観測値の集計単位が必ずしも一定ではないという条件下で、地域間を比較するために最低限必要となる各地域のリスク人口の推定方法について論じている。ここで言う「リスク人口」とは、人間単位で発生する流行事象に対して、地域のなかで潜在的に生じるおそれのある人の集合を指す。そして、その「リスク人口」の中から実際に発生する確率を、ここでは「発生率」と呼んでいる。そこで、各地域のリスク人口と流行事象の各シーズンの発生率からなる二項分布から、最尤法を用いたリスク人口推定モデルを提案している。

 適用事例として、3シーズンにわたるインフルエンザの定点報告数を対象とし、リスク人口、および発生率となる罹患率の推定値を得た。ここでは、人口密度を基準として全対象地域を分類したうえで、各々の地域グループおいてリスク人口推定モデルを適用する方法を用いた。実証分析における結果より、人口密度の高い地域の感染率が高いという現状の理解を裏付ける結果や、特に人口規模の大きい都道府県において、現状の定点の設置状況が基準を下回ることを示唆する結果を得た。

 第4章では、地域内において需要点の空間パターンとして表される需要量に対して、供給点周辺で生じる「供給効果」を地域全体で最大化する方法を提案している。本章で最大密度被覆法と呼ばれるこの方法では、不確実性を伴う需要点の点分布にもとづいて、まず地域の需要量がノンパラメトリックに推定される。さらに、その潜在的な需要量に対して、供給点との位置関係により各供給点周辺で重み付けした「供給効果」を定式化し、それを地域全体で最大化するときの供給点の分布を得ている。

 適用事例として、心停止状態への救急措置として有効とされる、AED(自動体外式除細動器)の最適配置問題への適用をおこなっている。青森県弘前市を対象地域として、過去に起こった心停止発生地点から、地域における装置の潜在的な需要量を推定した。さらに、地域の需要量に対して、生存退院率にもとづく救命確率を加味した「供給効果」を最大化するAEDの最適配置地点とともに、そのときの救命確率の地理的分布を示した地域地図を作製した。

 第5章では、第4章で提起された課題を受ける形で、地域の諸条件を加味した最大密度被覆法の応用について論じている。ここで設定される条件とは、次の2種類となる。まずは、必要な供給点の一部が既に配置されている場合に対して、残りの供給点の分布を得る方法である。次に、予め供給点の候補となる点分布が複数与えられている場合であり、すなわち最大密度被覆法の離散配置問題への応用法となる。

 適用事例として、第4章と同じくAEDの配置分析をおこなっている。ここで、上述の2種類の条件は、AEDの既設地点がある状況、そしてAEDを都市施設へ併設する状況にそれぞれ対応する。まず、AEDの既設地点と追加された装置の配置地点の分布様態の差異が明らかとなった。 また、AEDを併設するのに適切な施設種類の候補を挙げ、各々の「供給効果」にもとづいて比較するとともに、第4章で得られた結果との比較についても行った。

 本研究では、空間情報として相応しくない情報から空間的パターンを見出すための分析方法、ならびに不確実性を伴う位置情報にもとづき表現される空間的パターンを用いた有力な分析方法の提案およびその解法について示した。また、健康関連情報を用いて各々の方法を地域空間へ適用し、実証的にも有意義な結果を得るに至った。

 なお、本論文第2章は浅見泰司・多田有希・小坂健の各氏との共同研究、本論文第3、4章は浅見泰司・浅利靖・郡山一明の各氏との共同研究がふくまれているが、いずれも論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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