学位論文要旨



No 121885
著者(漢字) 刀根,令子
著者(英字)
著者(カナ) トネ,リョウコ
標題(和) 住環境選好に関わる居住者の価値観と主観的評価の研究
標題(洋)
報告番号 121885
報告番号 甲21885
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第239号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 助教授 貞広,幸雄
 東京大学 助教授 河端,瑞貴
 東京大学 助教授 石川,徹
内容要旨 要旨を表示する

■ 住環境価値観と一般的価値観、物理的要素と社会・心理的要素 これまでの住環境評価研究では、家の間取りや街の利便性など、評価の客体の側に重きが置かれていた。しかしこれは計画者・設計者の視点であり、居住者の評価を的確に捉えるという点において限界がある。住環境評価には、評価される客体としての住環境、評価する主体の日常的行動(行動パターン等)、心理的基準(価値観、主観等)、それ以外には世帯の状況、これまでの住環境やその他一般に関する経験などが関わっていると考えられる。その中でも評価の主体の心理的要因と、実際の住環境選択との関係を分析するのが本研究の目的である。最終的には居住者の「内側」から見た住環境評価の構造を明らかにしたい。評価主体の心理的要因として特に価値観と主観的評価を取り上げる。

 本研究では2種類の価値観を想定しており、住環境選好場面を想定した価値観を「住環境価値観」、特別な場面や状況を想定しない価値観を「一般的価値観」と呼び、これらが住環境選好、評価に対してどのような影響を与える可能性があるのかを検証した。また、住環境に関する評価には、物理的要素に対する評価と、社会・心理的要素に対する評価とが存在すると考えられる。本研究では、後者を特に、評価者の主観を反映する範囲や度合いがより大きいという意味で「主観的評価」と呼び、物理的要素への評価と区別する。このように「住環境価値観-一般的価値観」、「物理的要素への評価-社会・心理的要素への評価(「主観的評価」)」という二つの軸によって研究全体の概念的枠組みを構成している。

 一般的価値観や主観的評価を含み、住宅の選択がどのような過程で行われているかについて、以下のモデル(Fig.1)を想定して分析を進めている。この全体の構造をいくつかの部分に分け、それぞれの部分に対応する分析を行うという方針で分析を進め、このモデルが住環境評価の過程を表現するのに妥当であるかを検証することも論文全体の目的の一つである。

■ 住環境要素の選好階層構造から抽出する住環境価値観

 まず、住環境の物理的要素の情報から住環境価値観を抽出する分析を行った。住居の住み替えという場面における住環境要素の選好の階層構造を調べた。2003年の「住宅需要実態調査」(国土交通省)のデータを用いて、住環境要素の選好の階層構造を調べた。住み替えによって良くなった項目を優先項目、悪くなった項目を妥協項目として、統計的に有意な項目の組み合わせを調べた。住環境要素間の階層構造を図式化して表現した(Fig.2)。「A←B」はAを実現するためにはBを妥協しなければならないという関係を示し、図中の数字はAの実現のためBを妥協する確率である。上記の過程を世帯人数によってサンプルを分割したグループごとに行った結果、世帯人数によって選好階層構造が異なり、また、1人世帯で通勤通学利便が、3人世帯以上で広さが最優先されるなど、世帯人数により優先項目が異なることが分かった。住居費は全ての世帯人数において圧倒的に妥協されやすい要素であることが分かった。「広さを妥協して通勤通学を優先する」、「通勤通学を妥協して広さを妥協する」という広さと通勤通学利便性の二つの階層関係が、住環境選択の際の代表的な選好パターンの一部として抽出された。

 このように、物理的住環境の情報からいくつかの住環境価値観を抽出することができた。しかし選好の理由を推測する情報がごく限られているなど、選択された環境の物理的な情報のみから価値観という選択者の内的要因について解釈するのは限界がある。物理的要素のみの分析による価値観抽出の限界を踏まえ、選択者や居住者の一般的価値観、「主観的評価」を新たな変数として用いた分析を行った。

■ 住環境選好に関わる居住者の主観的評価

 首都圏で近年住宅を購入した人を対象とした質問調査を行い、そのデータを用いて一般的価値観や主観的評価に関する分析を行った。調査票には、特定の状況を想定しない一般的な価値観を測定する尺度や、あえて主観的で曖昧な住環境項目に対する住環境選択時の重視度や居住後の満足度評価を測定する質問項目を設定しており、主にこれらの項目に対する回答データを分析した。

 住環境選択時の主観的重視項目から因子分析により、「穏やかで美しい街重視因子」、「メディア・ブランドイメージ重視因子」、「情緒性重視因子」の3つの因子を抽出した。また、住環境選択後の主観的満足項目から因子分析により、「個人的満足感」、「街の評価」、「メンタルヘルス」、「ブランドイメージ」の4因子を抽出した。また主観的重視項目のうち価値観が関わるのは、一般的に多くの人に好ましいと思われるような項目ではなく、街のメディア・ブランドイメージや街の情緒的な雰囲気などの個人によって好みが分かれると思われる項目であることも示唆された。社会・心理的要素に対する評価はこれまでの住環境評価研究においては特に注目されていなかったが、今後の研究や調査においては、住環境選択者の重視ポイントや居住者による住環境評価を測定する際に、主観的評価の存在を想定して測定する必要性が示されたといえる。

■ 住環境履歴と一般的価値観

 将来の住環境選択において、これまでに経験したことのある環境に似た環境を好むのか、異なる環境を好むのかという、選好の大きな二つの方向性を検証した。経験してきた環境と似た環境を好む選好をストレート型選好、経験してきた環境と異なる逆の環境を好む場合をクロス型選好と呼ぶ。本研究で分析を行った自然志向に関してはクロス型の選好(子どもの頃に交通の便のよい都会型環境を経験した人が、今回の住環境選択では自然環境のよい場所を選ぶという関係)の方がより強くみられたため、クロス型の選好について分析を進めた。

 構造方程式モデリング(SEM)の手法を用いて自然環境重視志向がどのような過程で形成されるかを分析したところ、自然環境重視志向の形成には審美価値観、社会価値観が関わっており、子供のころの交通の便のよさが、審美価値観や社会価値観の形成に関与し、これらの価値観が自然環境重視志向の形成を促すという関係であった。

 住環境志向の形成に関して、住環境履歴がそのまま直接将来の住環境志向を形成する関係よりも、審美価値観や社会価値観を一旦経由する関係の方が説明力が強いことが分かった。審美価値観や社会価値観と、住環境選好の際に重視された具体的な項目との関係から解釈すると、審美価値観や社会価値観が住環境志向の形成に関与する背景には、地域改善のための地域社会志向の存在、地域の自然の少なさを「望ましくない弊害」と捉える認識が存在する可能性が考えられる。

 この分析の結果により、住環境選好の基準となる住環境価値観の形成に一般的価値観が作用する部分があるということが分かり、住環境選好モデルの中に一般的価値観の要素を組み込むことの意義が明らかになった。選択者の内的な要素も考慮することによって、選好の理由や背景を解釈できる可能性が拡大するといえる。

■ 主観的評価の空間的分布と地域ブランドイメージの生成要因

 次に、住環境に対する主観的評価の空間的分布に関する分析を行い、その中で路線イメージの分析を行った。回答者の位置(ポイント)をGIS上にプロットし、東京23区の9つの鉄道路線沿線エリア(バッファ)に含まれる回答者の評価値を比較した。その結果、メディア・ブランドイメージ重視因子やブランド満足感因子の得点においてエリア間に有意な差が見られた。したがって地域のブランドイメージに対する評価は特に空間的分布にも現れやすい要素であると考えられる。

 この地域に対するブランド満足感がどういった要因により生成されるのかを分析したところ、物理的要素に関連しては、おしゃれなレストランや百貨店など高級感のある商業施設への満足度評価が高いことや、景観や都市計画に対する評価が高いことなどが要因としてあげられる。また、ブランドイメージ評価の形成には、物理的要因だけではなく居住者の住環境選択時のメディア・ブランドイメージ重視志向の高さも影響力の強い要因であるとわかった。住環境選好に際してメディア・ブランドイメージを重視して居住地を選択する人は、マスメディア等の情報を参考に、ブランドイメージの高い街に集まってくる傾向があるのではないかと考えられる。

■本研究の主な成果と意義

 住環境価値観に関しては、複数の住環境要素のトレードオフを検討することにより、住環境価値観を物理的情報から抽出することができた。既存研究では単独の住環境要素に対する志向を取り扱うものが多いが、このように複数の住環境要素の関係を考慮することの有効性が示された。

 主観的評価などの比較的曖昧な対象に対する評価から、住環境の重視度や満足度に関する因子を抽出することができた。主観的評価については住環境評価研究の分野であまり着目されてこなかったが、本研究により抽出された因子には空間的な分布にも顕在化するものがあり、住環境評価の過程に関わる要素として考慮すべきといえる。今後の研究において、住環境評価者の主観性を考慮した分析を行う必要性が示されたといえる。

 また、個別世帯に適する住環境を予測、提案するという点から考えると、価値観などある程度普遍性の高い変数を利用することにより、詳細な物理的条件との対応の情報を得ずとも、個別世帯に適した住環境を予測することが可能になるのではないかと考えられる。この住環境予測モデルの構築に関して、本研究において得られた知見は基礎となる有益な情報といえ、こういった意味でも評価者の価値観や主観的評価といった心理的要因を考慮することは、住環境評価研究にとって有効な手段の一つであると考えられる。

Fig.1 住環境選好モデル

Fig.2 世帯人数別住環境要素階層図

審査要旨 要旨を表示する

 これまでの住環境評価研究では、家の間取りや街の利便性など、評価の客体の側に重きが置かれていたが、居住者の評価を的確に捉えるという点で限界がある。本研究では評価主体の心理的要因として特に価値観と主観的評価を取り上げ住環境選好との関係を分析した。

 本研究では、住環境選好場面を想定した住環境価値観と、特別な場面や状況を想定しない日常生活全般に関わる一般的価値観という二種類の価値観の、住環境選好状況における作用を解明することを目的として分析を行った。また住環境に関する志向や評価には、物理的対象だけでなく主観的対象への志向や評価も存在すると考え、「住環境価値観-一般的価値観」、「物理的要素への評価-主観的要素への評価(主観的評価)」という二つの軸によって研究全体の概念的枠組みを構成している。

 住環境価値観の分析として、住環境の物理的要素の情報から住環境価値観を抽出する分析を行った。2003年の「住宅需要実態調査」(国土交通省)のデータを用いて、住居の住み替え場面における住環境要素の選好の階層構造を調べた。住替えによって良くなった項目を優先項目、悪くなった項目を妥協項目として、その関係が出現する確率に関して統計的に有意な項目の組み合わせを調べ、住環境要素間の階層構造を図式化して表現した。その結果、「広さを妥協して通勤通学を優先する」、「通勤通学を妥協して広さを優先する」という広さと通勤通学利便性の二つの階層関係が、住環境選択の際の代表的な選好パターンの一部として抽出された。

 このように、住環境の物理的要素の情報からもいくつかの住環境価値観、志向を抽出することができるが、価値観という選択者の内的要因について解釈するのは限界があることも事実である。この限界を踏まえ、選択者や居住者の一般的価値観、主観的評価を新たな変数として用いた分析を行った。

 まず、首都圏で近年住宅を購入した人を対象とした質問調査を行い、そのデータを用いて一般的価値観や主観的評価に関する分析を行った。調査票の中には、一般的価値観を測定する尺度や、住環境の主観的要素に対する住環境選択時の重視度や居住後の満足度評価を測定する質問項目を設定しており、主にこれらの項目に対する回答データを分析した。

 住環境選択時の主観的重視項目から因子分析により、「穏やかで美しい街重視」、「メディア・ブランドイメージ重視」、「情緒性重視」の3つの因子を抽出した。また、住環境選択後の主観的満足項目から因子分析により、「個人的満足感」、「街の評価」、「メンタルヘルス」、「ブランドイメージ」の4因子を抽出した。

 また、住環境履歴と将来の住環境志向との関連を分析した。本研究で分析を行った自然環境重視志向に関しては経験してきた環境と異なる逆の環境を好むクロス型の選好の方がより強くみられたため、クロス型の選好について分析を進めた。構造方程式モデリング(SEM)の手法を用いて自然環境重視志向がどのような過程で形成されるかを分析したところ、自然重視志向の形成には審美、社会価値観が関わっており、子供のころの交通の便のよさが、審美、社会価値観の形成に関与し、これらの価値観が自然環境重視志向の形成を促すという関係であった。

 将来の住環境志向の形成に関して、住環境履歴が直接将来の住環境志向を形成するという関係よりも、審美、社会価値観を介して間接的に形成する関係の方がより説明しやすいことが分かった。

 次に、住環境に対する心理的評価の空間分布に関する分析を行い、その中で路線イメージの分析を行った。回答者の位置をGIS上にプロットし、東京23区の9つの鉄道路線沿線バッファに含まれる回答者の評価を比較した。その結果ブランドイメージに関する得点においてエリア間に有意な差が見られた。

 地域ブランドイメージ評価がどういった要因により生成されるのかを分析したところ、高級感のある商業施設や、景観や都市計画に対する評価が高いこと、交通の便のよさなどに加え、居住者のメディア・ブランドイメージ重視志向の高さが影響力の強い要因であるとわかった。

 本研究の成果と意義をまとめると、(1)複数の住環境要素のトレードオフを検討することにより、住環境価値観を物理的要素の情報から抽出することができ、複数の住環境要素の関係を考慮することの有効性が示された。また、(2)主観的評価については住環境評価研究の分野であまり着目されてこなかったが、本研究により抽出された因子には空間的分布に顕在化するものもあり、住環境評価の過程に関わる要素として考慮すべきである。(3)個別世帯に適する住環境を予測、提案するという点から考えると、本研究において得られた心理的要因に関する知見は基礎となる有益な情報といえ、評価者の価値観や主観的評価を考慮することは、住環境評価研究にとって有効な手段の一つであると考えられる。

 なお、本論文第2章の一部には、浅見泰司との共同研究が含まれているが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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