学位論文要旨



No 121886
著者(漢字) アデリーン チュア セ メイ
著者(英字) Adeline Chua Seak May
著者(カナ) アデリーン チュア セ メイ
標題(和) 生物学的りん除去プロセスに関与する細菌群集のFISH-MAR法を用いた生態生理学的研究
標題(洋) Ecophysiological study of bacterial groups involved in Enhanced Biological Phosphorus Removal Processes by using FISH-MAR technique
報告番号 121886
報告番号 甲21886
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第240号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 助教授 黄,光偉
 東京大学 助教授 佐藤,弘泰
 東京大学 講師 栗栖,太
内容要旨 要旨を表示する

 生物学的リン除去プロセスは、微生物の力を借りてリンを除去する技術であり、多くの自治体において採用されている生物学的リン除去の効率や安定性に影響を与える因子を解明し、さらに良好なリン除去技術を確立するために、生物学的リン除去に関する詳細な知見が必要である。しかし、多くの研究がなされているにもかかわらず、生物学的リン除去に関わる微生物学的な因子は十分には解明されていない。今日では、培養によらない分子生物学的手法が発展してきたことにより、生物学的リン除去に関与する2種類の細菌を、同定したり、あるいは定量したりすることが可能になった。それら二種の細菌とは、リン除去に寄与するポリリン酸蓄積細菌(PAO)と、炭素源についてPAOと競合関係にあり、リン除去に寄与しないグリコーゲン蓄積細菌(GAO)である。しかし、PAOとGAOの生理生態は、両細菌群とも純菌系では培養できないために、よくわかっていない。

 本研究では、生物学的リン除去に関連する細菌群の生理生態を明らかにするために、in situ蛍光遺伝子プローブ法(FISH法)と、マイクロオートラジオグラフィ法(MAR法)を導入した。これらは、複合群集中の細菌を培養を経ずに同定でき、また、それら細菌の活性や基質利用特性を調べることができる新しい技術である。本研究では、最もよく知られているPAOであるCandidatus Accumulibacter phosphatis (以下、Accumulibacterとよぶ)、 および、やはり最もよく知られているGAOであるGB 近縁と言われる -Proteobacteria群に属する(以下GB bacteria) のそれぞれについて、FISH-MAR法により、嫌気条件下での嫌気条件での基質摂取特性について検討した。

 本研究では、最初に、実験室で運転された生物学的リン除去プロセスに対してFISH-MAR法を適用した。馴致された汚泥において全細菌中でAccumulibacterが占めた割合は、基質が酢酸とグルタミン酸からなる場合は30%、酢酸とプロピオン酸の場合は18%、また、酢酸のみの場合は25%だった。酢酸基質で、かつ、長い水理学的滞留時間(48時間)で運転され、リン除去を行わない生物学的リン除去汚泥は、α-proteobacteriaに属する四連球菌様の微生物(TFO)が優占していた。FISH-MAR法を用いることで、AccumulibacterとTFOが生物学的リン除去プロセスに導入された有機基質を嫌気条件下で摂取・利用していることが、明確に示された。FISH-MAR法を用いることで、一つ一つの細菌細胞のレベルで、分離培養されていない細菌の活性を明らかにすることができ、この方法が生理生態を解明するために非常に有用であることがわかった。

 ついで、六つの実規模、および一つのパイロットスケールの生物学的リン除去プロセス中のAccumulibacterとGB bacteriaの生理生態を調べるために、FISH-MAR法を適用した。FISH法により、これらのPAOおよびGAOは調査した処理プロセスに広く存在していることがわかった。これらの細菌が全細菌に占めた割合は、Accumulibacterについては7〜17%、また、GB bacteriaについては4〜9%だった。FISH-MAR法により調べたところ、実処理場のAccumulibacterは、幅広い基質を利用することがわかった。すなわち、酢酸やプロピオン酸のような低級脂肪酸だけでなく、リンゴ酸やピルビン酸、アスパラギン酸、グルタミン酸、アミノ酸混合物も利用した。GB bacteria もAccumulibacterに似たような性質を持っていた。これらのGAOは、酢酸、プロピオン酸、アミノ酸混合物、および、グルコースを同化した。AccumulibacterもGB bacteriaも、グリシン、セリン、グリセロール、パルミチン酸、オレイン酸、エタノールのような有機物は利用しなかった。この実験において、実処理場汚泥の嫌気性発酵の能力を評価したところ、無視できる程度であった。そこで、ここでMAR法で陽性として検出された場合、その基質は直接摂取・同化されたと判断された。

 実規模の生物学的リン除去プロセスにおいてわずかにしか存在しない揮発性脂肪酸を共に利用することから、AccumulibacterとGB bacteriaが炭素源をめぐって競合関係にあることが確認された。その一方、Accumulibacter はGB bacteriaよりも効率よくグルタミン酸やアスパラギン酸を利用できることがわかった。また、GBがグルコースを有機基質として利用できるのに対し、Accumulibacterはグルコースは摂取しなかった。アスパラギン酸、グルタミン酸、グルコースについては両者の利用性は異なっており、この違いが実規模生物学的リン除去プロセス中でこれらの細菌群が共存できる理由であると考えられる。また、MAR陽性細菌をおおまかに定量したところ、放射性標識された酢酸、プロピオン酸、アミノ酸混合物を嫌気的に摂取した細菌のうち、AccumulibacterとGB bacteriaは50%にも満たないことがわかった。すなわち他の、未だ同定されていない細菌が生物学的リン除去プロセスにおける嫌気条件での有機基質摂取において競合に関わっている。

 FISH-MARに加え、実規模生物学的リン除去プロセス中のこれら未知の細菌を同定するために、DNAを対象とした安定同位体標識法を導入した。SIP法により、β-Proteobacteria, Cytophaga-Flavobacterium-Bacteroidetes, and δ-Proteobacteriaのそれぞれの群の細菌が実規模生物学的リン除去プロセスでの嫌気的酢酸摂取に関与している可能性があることがわかった。Accumulibacterは、DNA-SIP法でも嫌気条件で酢酸を利用する細菌の候補としてあげられたが、GB bacteriaは検出されなかった。DNA-SIP法の限界として、標識炭素の導入の程度や、標識炭素により標識されたDNAの量が、実規模生物学的リン除去プロセスのような非常に多様な細菌群からなる系を解析する際に問題となることがわかった。FISH-MAR法、およびSIP法それぞれの限界が示され、その欠点を補うようにいかにこれらの手法を組み合わせればよいか、議論した。

 本研究では、実規模プラント中に存在するAccumulibacterとGB bacteriaを対象としてFISH-MAR法を適用し、これら細菌群の生理生態について詳しい検討を行った。AccumulibacterおよびGB bacteriaの双方が利用することのできる、あるいはできない基質の種類について、新しい知見がもたらされ、これら細菌群の有機基質に関する競合関係についてもわかってきた。本研究では、実規模下水処理場を対象としたことで、生物学的リン除去プロセス中の細菌群集に関してより現実的な知見をえることができた。最後に、FISH-MAR法は、生物学的リン除去に関与する細菌群集の生理生態を探るために、最もよい技術の一つであることがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「Ecophysiological study of bacterial groups involved in Enhanced Biological Phosphorus Removal Processes by using FISH-MAR technique(生物学的りん除去プロセスに関与する細菌群集のFISH-MAR法を用いた生態生理学的研究)」と題し、排水からの生物学的りん除去プロセスに関する基礎研究として位置づけられる。生物学的リン除去プロセスは、微生物の力を借りて排水中からリンを除去する技術であり、すでに多くの実施設が世界各地で稼働している。そのような技術的にはほぼ実用化されている技術にもかかわらず、生物学的リン除去の効率や安定性に影響を与える微生物学的な因子は十分には解明されていない。一方、今日では、培養によらない分子生物学的手法が発展してきたことにより、生物学的リン除去に関与することが知られている2種類の細菌を、同定したり、あるいは定量したりすることが可能になった。それら二種の細菌とは、リン除去に寄与するポリリン酸蓄積細菌(PAO)と、炭素源についてPAOと競合関係にあり、リン除去に寄与しないグリコーゲン蓄積細菌(GAO)である。しかし、PAOとGAOの生理生態は、両細菌群とも純粋培養系では培養できないために、よくわかっていない。本研究では、生物学的リン除去に関連する細菌群の生理生態を明らかにするために、in situ蛍光遺伝子プローブ法(FISH法)と、マイクロオートラジオグラフィ法(MAR法)を導入した。これらは、複合群集中の細菌を培養を経ずに同定でき、また、それら細菌の活性や基質利用特性を調べることができる新しい技術である。本研究は、最もよく知られているPAOであるCandidatus Accumulibacter phosphatis (以下、Accumulibacterとよぶ), および、やはり最もよく知られているGAOであるGB 近縁と言われる γ-Proteobacteria群に属する(以下GB bacteria) のそれぞれについて、FISH-MAR法により、嫌気条件下での嫌気条件での基質摂取特性について検討したものである。

 本論文は8章からなる。

 第1章は「Introduction」であり、本研究の背景、問題意識、目的および範囲を述べている。

 第2章は「Literature Review」であり、本研究の前提となる既存の知見についての文献レビューの結果をまとめている。とくに、りん除去の成否に影響を与える2つの主要細菌群、AccumulibacterとGB bacteria、および、本研究の実験手法の中核となるFISH法とMAR法に関する既存の知見を解説している。

 第3章は「Materials and Methods」であり、本研究を通じて共通して用いた実験手法、分析手法を記述している。

 第4章は「Application of FISH-MAR technique on laboratory-scale EBPR systems」と題し、実験室内で運転した生物学的りん除去プロセスに対しMAR-FISH法を適用し、この実験系で出現したAccumulibacterが、嫌気条件下で、酢酸に加えてアスパラギン酸やグルタミン酸を摂取できることを確認し、この方法の有効性を示した。また、りん除去が悪化した系で出現した未同定バクテリア α-Proteobacterial Tetrad Forming Organismsの嫌気条件での基質接種特性がAccumulibacterに類似していることも示した。

 第5章は「Investigation of fermentation ability of full-scale EBPR activated sludge」であり、MAR-FISH法を適用する回分実験において発酵

この実験において、実処理場汚泥の嫌気性発酵の能力を評価したところ、無視できる程度であった。そこで、ここでMAR法で陽性として検出された場合、その基質は直接摂取・同化されたと判断された。

 第6章は「Ecophysiological study of polyphosphate accumulating organisms (PAOs) and glycogen accumulating organisms (GAOs) in full-scale EBPR systems」と題し、本論文の中核となる章である。ここでは、六つの実規模および一つのパイロットスケールの生物学的リン除去プロセス中のAccumulibacterとGB bacteriaの生理生態を調べるために、FISH-MAR法を適用した。FISH法により、これらのPAOおよびGAOは調査した処理プロセスに広く存在していることがわかった。これらの細菌が全細菌に占めた割合は、Accumulibacterについては7〜17%、また、GB bacteriaについては4〜9%だった。FISH-MAR法により調べたところ、実処理場のAccumulibacterは、酢酸やプロピオン酸のような低級脂肪酸だけでなく、リンゴ酸やピルビン酸、アスパラギン酸、グルタミン酸、アミノ酸混合物も利用した。GB bacteria もAccumulibacterに似たような基質利用特性を持っていた。すなわち、実規模の生物学的リン除去プロセスにおいてAccumulibacterとGB bacteriaが炭素源をめぐって競合関係にあることが確認された。一方、両者の基質利用の速度は基質により異なっているようであり、この違いが実規模生物学的リン除去プロセス中で両細菌群が共存できる理由であると考えられる。また、MAR陽性細菌をおおまかに定量したところ、放射性標識された酢酸、プロピオン酸、アミノ酸混合物を嫌気的に摂取した細菌のうち、AccumulibacterとGB bacteriaは50%にも満たないことがわかった。すなわち他の、未だ同定されていない細菌が生物学的リン除去プロセスにおける嫌気条件での有機基質摂取において競合に関わっていることも示された。

 第7章は「Identification of bacteria capable of anaerobic acetate uptake in full-scale EBPR process by using DNA-SIP」であり、FISH-MARに加え、実規模生物学的リン除去プロセス中のこれら未知の細菌を同定するために、DNAを対象とした安定同位体標識法(SIP法)を導入した。SIP法により、β-Proteobacteria, Cytophaga-Flavobacterium-Bacteroidetes, およびδ-Proteobacteria のそれぞれの群の細菌が実規模生物学的リン除去プロセスでの嫌気的酢酸摂取に関与している可能性があることがわかった。Accumulibacterは、DNA-SIP法でも嫌気条件で酢酸を利用する細菌の候補としてあげられたが、GB bacteriaは検出されなかった。DNA-SIP法の限界として、標識炭素の導入の程度や、標識炭素により標識されたDNAの量が、実規模生物学的リン除去プロセスのような非常に多様な細菌群からなる系を解析する際に問題となることがわかった。

第8章は「Conclusions and Recommendations」であり、以上の研究から得られた成果をまとめ、今後の展望について記している。

 以上、本論文は、下水処理プラント中で生物学的りん除去の成否に関わる細菌群であるAccumulibacterとGB bacteriaを対象としてFISH-MAR法を適用し、これら細菌群の生理生態について詳しい検討を行った結果として、AccumulibacterおよびGB bacteriaの基質利用特性について新しい知見をもたらし、さらにこれら細菌群の有機基質に関する競合関係についても新たな視点を提供した。その成果は、環境浄化技術としての生物学的りん除去プロセスの発展とに重要な基礎を与えており、環境学の発展に大きく寄与するものである。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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