No | 121889 | |
著者(漢字) | 岩村,英之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イワムラ,ヒデユキ | |
標題(和) | 通貨統合の政治経済分析 | |
標題(洋) | Political Economic Analysis of Monetary Integration | |
報告番号 | 121889 | |
報告番号 | 甲21889 | |
学位授与日 | 2006.09.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(国際協力学) | |
学位記番号 | 博創域第243号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 国際協力学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文の目的は,欧州のような主権国家間の通貨統合の「政治経済的な意義」を,主として理論モデルを用いた分析によって明らかにすることである.このアプローチが意義を持つ背景には,これまでの通貨統合理論すなわち「最適通貨圏の理論」が経済的側面のみに注目し,結果としてユーロの誕生を予測できなかったという事実がある. 最適通貨圏の理論は,「単一の通貨が流通することが最適な範囲はどのようなものか」というMundellの問題提起によって幕を開けたが,現実の通貨圏が国家とほぼ一致していた当時の状況下では,それは「国家は最適通貨圏なのか」という問いと同値であった.これは,通貨統合の可能性を探っていた欧州諸国に対して,「経済合理性」という視点を与えることとなった.おのずとこの理論を用いて欧州統合の経済合理性を検討する試みが数多く成されたが,そうした試みの大部分は欧州通貨統合に「不合格」の判定を下し,共通通貨の実現可能性に強い疑問を呈したのである.しかし,そうした判定にもかかわらず,1999年にはフランス・ドイツなど欧州11ヶ国の通貨価値は恒久的に固定され,事実上ユーロが誕生したのである.欧州通貨統合において,最適通貨圏の理論がとらえきれなかったものは何か.本論文は,最適通貨圏の理論がユーロの予見に失敗した要因を,通貨統合のこれまで十分に考察されることのなかった側面に求める立場を採用する. 第2章では,最適通貨圏の理論とそれに基づく実証研究を概観し,通貨統合研究の2つの発展可能性について論じた.すなわち,第1の方向は,通貨統合の「便益」とその発生メカニズムに焦点を当てるものである.これは,既存研究の大部分が通貨統合の「費用」に関わるものであり,便益に焦点を当てるものが限定的であったことによる.第2の方向は,通貨統合と政治の関係に焦点を当てるものである.最適通貨圏の理論は,通貨統合の意義をあくまで経済的側面から捉えようとする.しかし,通貨統合は金融政策をめぐる国際政治において「結託」という側面を持つため,政治的力関係の変化を引き起こす可能性がある.通貨統合を政治的な側面からとらえ直すことは,こうした新たな意義の解明につながると考えられる. 第3章では,最適通貨圏の理論の第1の方向への拡張を試みた.すなわち,「通貨統合を経済プロセスの中で見る」という視点は踏襲しつつも,対象を費用から便益へとシフトするのである.そこでは,通貨統合の費用と便益を同時に扱い得る分析モデルを構築し,特に,貿易取引に伴う通貨交換費用-取引費用-の節約がもたらす便益に焦点を当て,通貨統合の積極的評価の可能性を探った. モデルを用いた分析により,第1に,取引費用の節約による便益の発生メカニズムを明らかにした.すなわち,取引費用の節約は,財の生産に投入可能な労働量を増やし消費可能性を拡大する.ところで,労働量の増加は,同時に分業可能性を拡大することで平均生産性を上昇させる.したがって,取引費用の節約は単なる労働量の増加以上の効果を持つ.加えて,通貨の数が減少することは,統合に参加しない国の取引費用をも節約するため,この便益は通貨同盟の外にも波及する.第2に,この便益の大きさに影響を持つパラメータとして,「固定的取引費用」および「生産要素間の代替の弾力性」を導出した.これらは,新たな「最適通貨圏の基準」となり得るものである.第3に,参加国が通貨統合から「確実に」純便益を享受できる可能性を示した.すなわち,生産要素間の代替弾力性が十分に1に近い場合には,取引費用やショックの非対称性の大きさにかかわらず,通貨統合の便益はその費用を上回ることができるのである.この結果は,通貨統合の便益を考察することが,これまでの欧州通貨統合に対する控えめな評価を大きく変える可能性を示唆するものである.また,このとき同時に通貨統合は同盟外の国にも純便益をもたらす可能性が高い.したがって通貨統合は正の公共財的性質を持つため,市場は通貨同盟の大きさを社会的に最適な水準に誘導できない.最適通貨圏の理論に基づいた研究の多くが「より小さな欧州通貨同盟」を推奨しているのに対し,本章はむしろ現実の通貨同盟のサイズが過小となってしまう可能性を示している. 第4章から第6章は,最適通貨圏の理論の第2の方向への拡張として,政治と経済とが相互作用するような状況(政治経済モデル)の中で通貨統合の効果を分析し,その政治経済的な意義を検討した. まず第4章で,欧州通貨統合に政治経済的観点からアプローチする一連の研究を,「政治と経済の相互作用」および「欧州通貨統合の政治的要因」をどう考えるかという観点から整理した.結果として,政治経済研究が大きく2つの類型に分類することになる.すなわち,(1)通貨統合が合意へと至る政治過程に注目するものと,通貨統合そのものの政治過程ではなく,(2)通貨統合によって影響を受ける政策過程全般(たとえば外交政策や貿易政策)に注目するものである.前者は,通貨統合をめぐる政治的合意形成を可能とした制度的・経済的条件を抽出し,これを「政治的要因」とする.一方,後者は,通貨統合が様々な政策分野における政策決定過程に及ぼす変化に注目し,そこから生じる経済厚生の改善・悪化を「政治経済的」便益・費用とする.そして,この政治経済的便益・費用の大きさを決定するパラメータを明らかにし,通貨統合の政治経済的便益が費用を上回るような条件を導出する.この条件が「政治的要因」である. 本論文は後者のアプローチを採用し,便益・費用の観点から通貨統合を分析する.その理由は,政治プロセスを考慮に入れつつも,あくまで「便益・費用」という観点を採用するならば,「経済的」費用・便益を扱う最適通貨圏の理論との融合可能性が残されるためである.そして,このアプローチに基づく仮説として,「通貨統合は金融政策をめぐる国際政治において統合参加国の交渉力を拡大する」という仮説に注目する. 続く第5章では,この仮説の背後にあるメカニズムを分析するために,「金融政策の政治経済モデル」を構築した.このモデルは,3ヶ国(アメリカ,フランス,ドイツ)の金融政策の国際的連関を記述するマクロ経済モデルと,各国金融当局による金融政策をめぐる交渉を記述する国際政治モデルから構成される.そして,経済プロセスと政治プロセスとが相互作用する様子を記述する.経済プロセスの記述には3国マンデル=フレミング・モデルを,政治プロセスの記述にはナッシュの交渉モデルをそれぞれ用いた. 通貨統合を行わない場合,3国はそれぞれ単独の交渉主体として金融政策交渉に臨む.一方,フランスとドイツが通貨統合を行う場合,金融政策交渉は2段階の交渉として定式化される.すなわち,第1の交渉はアメリカとEUとの交渉であり(第1レベルの国家間交渉),第2の交渉はEUとして得た利得のフランス・ドイツ間の分配を決めるものである(第2レベルの国家間交渉).このモデルにおいて,通貨統合はフランスとドイツの結託という側面を持ち,金融政策交渉における対米交渉力の増強という利益を生み出す.一方,フランス・ドイツ間に経済規模の非対称性が存在する場合,同時に同盟「内」の交渉力の配分が変化するため,たとえ対米交渉で利益を得たとしても,両国が同時にその恩恵にあずかる保証はない.モデルを実際に動かすことで,通貨統合がフランス・ドイツそしてアメリカに与える効果を分析するのが,第6章のシミュレーションである. 第6章では,金融政策の政治経済モデルを実際に動かすことで,通貨統合による交渉力配分の変化,および各国の経済厚生の変化を見た.また,いくつかのパラメータ値を変えてモデルの解を再計算し,通貨統合の効果がパラメータからどのような影響を受けるかを調べた.ここでターゲットとしたパラメータは,欧州の域内貿易依存度,フランス・ドイツの開放度,欧州経済のアメリカ経済に対する相対規模,そしてフランス・ドイツの経済規模の非対称性である.結果として,これまでほとんど論じられることのなかった通貨統合の政治経済的な意義が明らかになった.すなわち第1に,通貨統合は,国際間の金融政策交渉において統合参加国の交渉力を拡大し,交渉結果をより有利な方向に誘導する.その裏として,通貨統合は第三国の交渉力を必ず縮小し,また経済厚生を悪化させる.第2に,参加国間の規模の非対称性は,統合の成立可能性を著しく損なう.なぜなら,小国と中規模国とでは「結託」から得られる利益の大きさが異なる.小国は非常に大きな利益を得るが,中規模国の利益は限定的である.したがって,同盟内交渉においては小国の立場は不利化し,対米交渉から得られる大きな利益も同盟内交渉で吸い取られてしまう可能性がある.第3に,こうした非対称性によるジレンマも,欧州経済の規模が十分に大きいときには克服される.すなわち,統合経済の規模が大きいときには,統合が「世界の」交渉力配分に与えるインパクトも拡大し,欧州としての利益も拡大する.したがって,中規模国に吸い取られてもなお十分な利益が小国に残るのである.政治経済モデルにおいても,第3章と同じように,大きいサイズの通貨同盟にはある種の合理性があることが確かめられた. 第7章でそれまでの分析結果と議論をまとめ,理論分析の結果から現実の通貨統合にいかなる示唆を与え得るかを考察した.本研究の結果が,欧州通貨統合の政治経済的観点からの合理化可能性,そして欧州通貨統合が北米や東アジアの通貨統合を誘発する可能性を示唆することを論じ,今後の展望とした. | |
審査要旨 | 本論文は、欧州で成立したような主権国家間の通貨統合の「政治経済的な意義」を、理論モデルを用いた分析によって明らかにしている。本論文の貢献は、「最適通貨圏の理論」が経済的側面のみに注目してきたのに対して、国際政治と国際経済とが相互作用する政治経済的状況の中で通貨統合の意義を再検討し、金融政策における交渉力拡大という新たな効果を分析した点にある。 最初に、政治経済的観点から通貨統合にアプローチする研究が整理され、本論文の仮説が提示される。欧州通貨統合の政治経済的側面に注目した研究は、主に政治学・国際関係論において蓄積されてきたが、それらが大きく2つの類型に分かれることが示された。すなわち、(1)通貨統合が合意へと至る政治過程に注目するものと、(2)通貨統合によって影響を受ける政治過程全般(たとえば金融政策や貿易政策をめぐる政治過程)に注目するものである。政治経済的観点から欧州通貨統合研究は雑然としていて、統一的視点からの整理はほとんどなされていなかったが、通貨統合研究の重要な発展可能性のひとつであることは多くの研究者の共通認識であった。本論文はこれらを整理することで、特に第2のアプローチが最適通貨圏の理論との融合可能性を持つこと、それにもかかわらず理論化が相対的にはるかに不足していることを指摘し、政治経済分析の今後の展望を提示することに成功している。 続いて、第2のアプローチによって提示される仮説の中で、特に「通貨統合は金融政策をめぐる国際政治において統合参加国の交渉力を拡大することで、参加国の経済厚生を改善する」という仮説が注目される。本論文では、この仮説を検討するための「金融政策の国際政治経済モデル」が構築された。モデルは、金融政策の国際的連関を記述する経済モデルと、金融政策をめぐる各国当局間の交渉を記述するモデルを組み合わせたものである。経済モデルとしてマンデル=フレミング・モデルを、交渉モデルとしてナッシュ交渉解を採用している。モデルの特徴は、金融政策の決定を金融当局間の「交渉」の結果として定式化することで、国際政治を明示的に導入していることである。これによって、金融政策をめぐる国際政治と国際経済の相互作用を追うことが可能となり、したがって交渉力と通貨統合の関係を把握することが可能となっている。 金融政策の国際的連関を記述するモデルは経済学においても多数提示されているが、それらはほとんど金融政策の決定を非協力ゲームとして定式化しているため、国際間の政治的な力関係を扱う余地はない。また、国際政治学や国際関係論におけるモデルは、ほとんどの場合数学的定式化がなされておらず、またなされていたとしても経済モデルの部分が捨象されてしまうことが多い。本論文のモデルは、両者をある程度単純化することで統合された数理的モデルを構築し、政治と経済の相互作用を記述することに成功している。 最後に、このモデルを用いたシミュレーション分析によって、本論文は通貨統合の政治経済的意義の存在を明らかにしている。すなわち、通貨統合は交渉の結果を統合参加国にとって有利化し、ほとんどのケースで統合参加国の交渉力を改善することが数量的に確認された。また、これらの効果は、統合参加国の域内貿易依存度が高いほど、そして統合される経済の規模が大きいほど、より強く現れるとの結果も得られた。一方で、統合参加国間の経済規模に非対称性が存在するとき、通貨統合は通貨同盟内の交渉力を変化させるため、必ずしも全ての参加国が統合の利益を享受できない可能性があることが示された。しかし、統合に対するこうした障害も、同盟全体の経済規模が拡大することで克服可能となるとの結果も得られている。 これらの結果は、経済的観点からの判定では合理化することが困難な欧州通貨統合が、政治経済的観点からは合理化できる可能性を示唆している。また、第三国への影響に関する結果は、欧州通貨統合が欧州以外の地域における通貨統合を刺激する可能性も示唆するものである。これは、現在議論が活発化しつつある東アジア地域での共通通貨の成立可能性にも即座に適用可能であり、今後の通貨統合研究の展望を示したという評価を本論文に与えることを可能とするものである。 「第三国への対抗手段としての通貨統合」という政治経済的な便益に関する仮説は、政治学・国際関係論・経済史の研究においては頻繁に議論されてきたが、経済学の理論研究において取り上げられることは極めて稀であり、モデル化に至ってはほとんど皆無であった。本論文の最大の貢献は、こうした経済学以外の分野における議論を踏まえた上で、仮説の妥当性を経済理論に立脚した数学モデルによって検討し、積極的評価を与えた点にある。実際に本論文は、経済学から見れば通貨統合の新たな意義を示したことが、政治学・国際関係論・経済史から見ればその仮説に理論的定式化を行ったことがそれぞれ評価され、両分野においてその価値を認められるであろう。この点で、本論文は「学融合」への第1段階と評価することが可能であり、「国際協力学」の名に相応しいものとなっている。 もとより、本論文にはいくつかの改善すべき点も存在する。第一に、「貨幣」の扱い方について不十分な感が残ることは否めない。本論文は、通貨統合の「金融政策の統一」という側面に焦点を当てているが、「貨幣の統一」という側面も同様に重要であり、両側面からの評価を合わせてはじめて通貨統合の総合的評価は可能となるであろう。第二に、政治経済的効果の発生メカニズムの追求においても、政治的要因からの分析において改善の余地がある。とはいえ、既述の通り、これまで政治学、経済学それぞれの分野から多様な主張がなされるにとどまっていた通貨統合の政治経済的な意義について、経済理論に基づいた政治経済モデルを構築し、理論的な見通しを与えたことは高く評価すべきである。以上により、審査委員会は、著者が博士(国際協力学)の学位を取得するに相応しい水準にあるという結論に到達した。 | |
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