学位論文要旨



No 121894
著者(漢字) 畠山,類
著者(英字)
著者(カナ) ハタケヤマ,ルイ
標題(和) ニシン科魚類の初期生活史特性とその適応的意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 121894
報告番号 甲21894
学位授与日 2006.10.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3076号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 助教授 河村,知彦
内容要旨 要旨を表示する

 ニシン科魚類は,世界に216種が知られる下位硬骨魚類の一群であり,その分布は熱帯から亜寒帯までの広い海域にわたる.本科魚類では,低緯度海域に生息する種と高緯度海域に生息する種で,資源量や加入量変動様式が異なることが知られている.熱帯性のキビナゴSpratelloides gracilisでは,資源量が小さく経年的な加入変動の幅が数倍程度と安定しているのに対して,亜寒帯性のニシンClupea pallasiiでは,資源量が大きく,数年おきに卓越年級群が発生して加入量が数桁の幅で大変動する.ニシン科魚類の起源は,低緯度海域にあると考えられている.低緯度海域に生息していたニシン科魚類の祖先種のうち,低緯度海域に留まった種がキビナゴなどへと分化し,高緯度海域へ進出した種がニシンへと分化したと考えられる.ニシンの加入量が大変動することは,高緯度海域へ進出し,その環境に適応したことと結びついていると考えられる.

 本研究では,魚類の生活史の中で最も死亡率の高い仔魚期に着目し,ニシン科魚類がどのような特性を持つことで広い海域に進出することができたのか,進出の過程で生息海域にどのように適応して種により異なる資源量や加入量変動様式を持つに至ったのかを理解することを目的とした.そのために,第1に,仔魚期の成長速度,継続期間,飢餓耐性をアジ科,サバ科魚類と比較することで,ニシン科魚類の特性を明らかにした.第2に,ニシン科内で異なる海域に生息するキビナゴ,コノシロ,ニシンについて,形態と器官の発達過程を比較してそれぞれの種の特性を明らかにした.

1.ニシン科魚類における成長・発達過程の特性 -サバ科,アジ科魚類との比較-

仔魚期の成長速度と継続期間

 ニシン科,アジ科,サバ科魚類各2種の仔魚期における成長速度を比較した.最も速かったのはサバ科のサワラ Scomberomorus niphonius(孵化後18日,13.5±4.0 mg)で,それに続いてマサバScomber japonicus(孵化後23日,40.5±28.7 mg),キビナゴ(孵化後25日,7.5 mg),シマアジPseudocaranx dentax(孵化後40日,25.0±6.3 mg,),マアジTrachurus japonicus(孵化後40日,8.6±1.9 mg),ニシン(孵化後40日,5.0±1.1 mg)の順となり,ニシンは最も遅かった.仔魚期の継続期間が最も短いのは,サワラの18日間で,続いてマサバ(23日間),キビナゴ(25日間),シマアジ(30日間),マアジ(40日間),ニシン(55日間)の順となった.サバ科魚類に比べてニシン科魚類は仔魚期の成長が遅く,継続期間が長かった.また,ニシン科魚類内では種により大きく異なることがわかった.

仔魚期の飢餓耐性

 ニシン,シマアジ,マアジ,サワラの屈曲期仔魚において,回復可能な飢餓の臨界点(point of no return,PNR)に至るまでの時間を比較したところ,ニシン(9.5日)が最も長く,次いでサワラ(4.0日),シマアジ(2.0日)とマアジ(2.0日)の順となった.PNRまでの期間は,低水温ほど,また体が大きいほど長くなるので,飼育水温と体乾重量で標準化して比較したところ,やはりニシン屈曲期仔魚におけるPNRまでの時間は他種よりも長く,ニシン仔魚の飢餓耐性が他種に比べて高いことが明らかとなった.既に報告のあるニシン目魚類の北米産カタクチイワシEngraulis mordax,ニシン科のBrevoortia tyrannus,B.patronus前屈曲期仔魚,Alosa sapidissima後期仔魚が無給餌条件下において全数死亡に至るまでの時間を,本研究で得られた結果と比較すると,いずれもニシンに近い値であった.これらのことから,ニシンで見られた飢餓耐性の高さは,ニシン目魚類の仔魚に共通する特性と考えられた.

 蛋白質合成能の指標となる核酸比(RNA/DNA)を,PNRに達したニシン,シマアジ,サワラ仔魚で比較したところ,ニシンとシマアジは,サワラよりも値が低かった.PNRにおいて核酸比がより低いニシン,シマアジ仔魚は,飢餓条件下において蛋白質合成に費やすエネルギー消費速度がより遅く,ニシンとシマアジのPNRまでの期間を長くする要因となると考えられた.

仔魚期における鰓の発達,赤血球密度,栄養物質の蓄積

 ニシン科のキビナゴ,コノシロKonosirus punctatus,ニシン仔魚の赤血球密度はいずれも,シマアジ,マアジ,サワラ,マサバよりも著しく低かった.キビナゴ,コノシロ,ニシンの仔魚における一次鰓弁の分化時期は,変態完了時の体長を基準として器官分化の相対的な位置を示すOntogenetic Index(OL)がアジ科,サバ科魚類よりも大きい,即ちより変態完了に近いことがわかった.ニシン科魚類3種の仔魚において,赤血球や鰓の発達が遅いことは,酸素要求量が少なく,単位時間あたりに消費するエネルギー量が少ないことを示しており,ニシン科仔魚の飢餓耐性が高いことの要因と考えられた.

 キビナゴ,コノシロ,ニシンの仔魚では,シマアジ,マアジ,サワラ,マサバの仔魚よりも,肝臓にグリコーゲンが多量に蓄積されていることがPAS染色で確認できた.キビナゴ,コノシロ,ニシンの仔魚の体腔には,アジ科,サバ科魚類には見られない好酸性物質が認められた.この物質は,アルシアンブルーとPASに反応しなかったこと,エオシンに好染したことから,カライワシ類レプトセファルスに見られるような多糖類ではなく,蛋白質であると推測された.ニシン仔魚ではこの物質が飢餓の進行に伴って体腔から消失したことから,飢餓時に利用されると考えられた.ニシン科魚類仔魚が肝臓や体腔に栄養物質を蓄積していることも,仔魚の飢餓耐性を高めていると考えられた.

2.ニシン科魚類3種における成長・発達過程の特性

 仔魚期初期のキビナゴは,同じ発達段階のニシンよりも視精度が高かった.単位体長あたりの体側遊離感丘数は,ニシン仔魚よりもコノシロ仔魚で多かった.眼と遊離感丘は捕食者を感知するための主要な感覚器であることから,これらが発達しているキビナゴやコノシロは捕食者からの逃避能力がニシンよりも高いと考えられた.

 摂餌開始時において,ニシン(8.1±0.2 mm NL)はキビナゴ(4.0±0.2 mm NL)とコノシロ(5.4±0.5 mm NL)に比べて体長が大きかった.卵黄と餌による混合栄養期の継続期間は,ニシンが2.0日と他2種の0.5日よりも長かった.摂餌開始時により大型で混合栄養期が長いニシンは,キビナゴやコノシロに比べて仔魚期初期における飢餓耐性が高いと考えられた.体側赤色筋の階層化,網膜の双錐体と桿体の分化,鼻腔隔皮の分化,胃腺と幽門垂の分化のうちいずれかの変化が起こった時を変態開始時とすると,変態開始時の体長は,キビナゴ(15.3 mm SL),コノシロ(16.7 mm SL),ニシン(17.3 mm SL)で近似していた.一方,各鰭条が定数に達して変態を完了する体長は,ニシン(27.4 mm SL)がキビナゴ(18.8 mm SL)とコノシロ(18.7 mm SL)よりも大きかった.既往の知見によって仔魚期の成長速度を比較したところ,ニシンはキビナゴとコノシロよりも遅かった.このことから,ニシンの変態期の継続期間はキビナゴやコノシロよりも長いことがわかった.仔魚期の成長速度や変態速度が遅いニシンは,単位時間あたりのエネルギー消費が少なく,貧栄養な環境下でも成育できると考えられた.

 以上の結果から,ニシン科魚類の仔魚は,低い代謝速度と多くの栄養物質の蓄積によって飢餓耐性を高め,それによって,アジ科,サバ科魚類の仔魚が生存できないような餌生物密度が低い,あるいは餌生物密度が予測不能に変動する海域にも進出して生息することができたと考えられる.

 キビナゴとコノシロは,捕食者の摂餌活動が盛んになる春〜夏季に仔魚期をおくる.キビナゴとコノシロの仔魚が高い逃避能力を持つことは,捕食圧の高い環境下で生残するための適応と考えられる.一方,ニシンは,動物プランクトンが大増殖する春季ブルームより以前の餌生物の少ない時期に仔魚期をおくる.ニシン仔魚が貧栄養な海域でも生息できる特性を持つことは,餌生物の少ない時期に生残するための適応と考えられる.ブルーム前の時期に仔魚期を過ごし,餌生物量が爆発的に増加するブルームに稚魚期を一致させて,初冬までの短い成長期に急速に成長することは,ニシン当歳魚の生残に不可欠である.しかし,ブルームの時期は,経年的に大きく変動する.カタクチイワシE. japonicusでは,変態可能な発達段階に達しても餌生物が少ない条件下では発達が抑制されて仔魚期の継続期間が延長される.ニシンにおいても,変態可能な発達段階に達した後にブルームに遭遇すると直ちに変態を完了させるが,餌生物密度が低いままであればブルームに遭遇するまで高い飢餓耐性を持つ仔魚期を延長することができると考えられる.ニシンは,日本周辺海域のニシン科魚類で最も産卵数が多く,寿命が長い.孵化した多数の仔魚が生き残ってブルームに到達した年には,亜寒帯海域の高い生産力を利用して急速に成長し,個体数と生物量を著しく増加させて卓越年級群を形成する.ニシンは,亜寒帯海域へ進出する過程で,数年に一度の割合で卓越年級群を発生させる特性を獲得することによって爆発的な資源量を形成することができるようになったと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 ニシン科魚類は、世界に216種が知られる低位硬骨魚類の一群である。サバ科やアジ科魚類が熱帯域から温帯域を生息域としているのに対して、ニシン科魚類は熱帯〜亜寒帯まで広い水域で生活史を完結する種が存在する。本研究では、ニシン科魚類がどのような生態的特性が、祖先種の生息水域と考えられる低緯度水域から高緯度水域への進出を可能にしたかを、サバ科およびアジ科魚類との対比で明らかにする。一方、ニシン科内においては、低緯度海域に生息するキビナゴSpratelloides gracilisの資源量が低水準で安定しているのに対して、高緯度海域に生息するニシンClupea pallasiiで資源量水準が高くかつ大変動する。このような緯度による資源量変動様式の違いの要因を、ニシン科魚類の生態的特性の種間比較によって明らかにすることを目的とした。

1.ニシン科魚類における成長・発達過程の特性 -サバ科、アジ科魚類との比較-

 ニシン科、アジ科、サバ科魚類各2種の仔魚期における成長速度を比較したところ、最も速かったサバ科のサワラ Scomberomorus niphoniusでは、摂餌開始から25日間で乾燥体重が6300倍に増加した。マサバScomber japonicusも成長が速く、孵化後5日からの18日間で乾燥体重が1400倍に増加した。これに対してニシン科のニシンでは孵化直後から40日間の乾燥体重増加は110倍にとどまった。アジ科魚類はサバ科とニシン科の中間的な速度を示した。仔魚期間が最も短いのはサワラの18日間で、最も長いのがニシンの55日間であった。サバ科魚類に比べてニシン科魚類は仔魚期の成長が遅く、継続期間が長かった。

 ニシン、シマアジ、マアジ、サワラの屈曲期仔魚において、回復可能な飢餓の臨界点(PNR)に至るまでの時間を比較したところ、ニシン(9.5日)が最も長く、次いでサワラ(4.0日)、シマアジ(2.0日)とマアジ(2.0日)の順となった。飼育水温と乾重体量で標準化してもニシン仔魚のPNRまでの時間は他種よりも長く、ニシン仔魚の飢餓耐性が高いことがわかった。

 ニシン科魚類仔魚の赤血球密度は3種とも、サバ科やアジ科魚類より著しく低かった。ニシン科3種仔魚において、一次鰓弁は変態完了により近い段階で分化することがわかった。赤血球や鰓の発達が遅いことは酸素要求量が少ないこと、したがってエネルギー消費速度が遅いことを示しており、ニシン科仔魚の高い飢餓耐性の要因と考えられた。ニシン科3種仔魚が、シマアジやサワラ仔魚より多くのグリコーゲンを肝臓に蓄積していること、アジ科、サバ科魚類には見られない好酸性物質を体腔に蓄えていることが明らかになり、これら栄養物質の蓄積がニシン科魚類仔魚の飢餓耐性を高めていると考えられた。

2.ニシン科魚類3種間における成長・発達特性の比較

 ニシン仔魚に比べると、キビナゴは視精度が高く、コノシロ仔魚は体側遊離感丘密度が高かった。これらの感覚器が発達しているキビナゴやコノシロは捕食者からの逃避能力がニシンよりも高いと考えられた。摂餌開始時の体長はニシンがキビナゴやコノシロより大きかった。また、混合栄養期の継続期間はニシンが2.0日と他2種の0.5日よりも長かった。摂餌開始時により大型で混合栄養期が長いニシンは、キビナゴやコノシロに比べて仔魚期初期における飢餓耐性が高いと考えられた。変態開始時の体長は3魚種で類似していたが、変態完了時の体長はニシン(27.4 mm SL)がキビナゴ(18.8 mm SL)とコノシロ(18.7 mm SL)よりも大きかった。仔魚期の成長速度や変態速度が遅いニシンは、エネルギー消費速度が遅く栄養要求が少ないために、貧栄養な環境下でも成育できると考えられた。

 以上の結果から、ニシン科魚類の仔魚は低い代謝速度と栄養物質の蓄積によって飢餓耐性を高め、アジ科やサバ科の仔魚が生存できないような餌生物密度が低い、あるいは餌生物密度が予測不能に大きく変動する海域に進出して生息することができたと考えられた。

 キビナゴとコノシロは生物生産力が高く捕食圧も高い春〜夏季に仔魚期を過ごすため、仔魚が高い逃避能力を持つことで生残確率を高めていると考えられる。一方ニシンは、生物生産力が低く捕食圧も低い冬季に仔魚期をおくるので、飢餓耐性を高めて生残確率を高めていると考えられる。ニシン仔魚は、春季のプランクトン大増殖前の冬季に仔魚期を過ごし、生活史の中で成長がもっと速い稚魚期をプランクトン大増殖期に一致させることで、亜寒帯水域における短い成長期に急速に成長することを可能にしていると考えられた。また、亜寒帯水域の高い生産力を最大限に利用することによって、ニシンは莫大な資源量を形成できると考えられた。しかし、ニシンの亜寒帯水域への適応にも関わらず、予測不能に大きく変動する亜寒帯水域の海洋環境のために資源への新規加入の失敗は避けられず、ニシンは大規模な資源変動を行うと判断された。

 サバ科・アジ科魚類との初期生態特性の比較によって、ニシン科魚類が亜寒帯水域まで生息域を広げることを可能にし、現生のニシン科魚類が熱帯から亜寒帯水域にどのように適応しているかを明らかにした本研究の結果は、魚類の資源生態学として重要な意義をもつと評価され、審査委員一同は本論文が学位(農学)に値するものと判断した。

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