学位論文要旨



No 121900
著者(漢字) 中澤,佳陽子
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,カヨコ
標題(和) フセヴォロド・イヴァーノフの『クレムリン』と『ウ』 : 「新しい人間」についての2つの小説
標題(洋)
報告番号 121900
報告番号 甲21900
学位授与日 2006.10.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第563号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷見,一雄
 東京大学 教授 金澤,美知子
 東京大学 教授 沼野,充義
 総合文化研究科 助教授 安岡,治子
 山形大学 助教授 中村,唯史
内容要旨 要旨を表示する

フセヴォロド・ヴャチェスラーヴォヴィッチ・イヴァーノフの長編小説『クレムリン』(1930)と『ウ』(1933)は、イデオロギー統制という政治的な原因により1980年代になるまで出版されなかった作品である。そのため、従来イヴァーノフは、中編小説『パルチザンたち』(1921)、『装甲列車14-69号』(1922)等の初期作品によってのみ評価されることが多かった。本論文では、未だ本格的な研究のない『クレムリン』と『ウ』を分析し、1920年代前半に書かれた初期作品とは異なる作品世界を明らかにし、文学史上のイヴァーノフの位置を再検討することを課題とした。また、作者がつながりのあるものとして構想したこの2つの長編小説の共通点を明らかにすることも課題とした。

第一章ではまず、イヴァーノフの生涯の概略を述べ、彼の初期作品がどのようなものであったかを説明し、イヴァーノフがそこからいかに作風の転換を図ったかを説明した。

イヴァーノフの初期作品は、自身が生活していたロシアのアジア地方(シベリア)における革命を描いたものが多い。そして、イヴァーノフは革命の中に自然の荒々しい力の発露を認め、その力を描いた。また、自分の熟知している方言を盛り込んで独特の文体を作り上げた。イヴァーノフのこの文体は、文学史上「装飾的散文」と呼ばれている、文体に意匠を凝らした散文として位置づけられる。

「装飾的散文」は1920年代前半に隆盛を見たものの、その後文壇の人々から、地方における独特の風俗を装飾的な文体で描くことよりも、より普遍性を持った文学を創造するべきだという要請がよせられる。そして、この要請の中には、19世紀文学や前世代の象徴主義等の伝統から学ぶべきだという主張も含まれていた。イヴァーノフはこのような要請を背後に、1920年代後半から作風の転換を図り、人間の心理という問題を中心に扱うようになる。1925年から1927年にかけて執筆された短編を集めた作品集『秘中の秘』は、『クレムリン』、『ウ』の前段階といえる作品であり、このような作風の転換がはっきりと読み取れる。

イヴァーノフは『秘中の秘』で、人間の無意識を描く際に象徴という手法を用いている。作品において個人の心理を中心に扱ったこと、また、無意識を描く際に象徴という手法を用いたことは、イヴァーノフが「伝統から学べ」という周囲の要請に応えて、19世紀文学や象徴主義の伝統に回帰したことが考えられる。ただし、イヴァーノフは作品において伝統への回帰を行ったばかりでなく、同時代的なものも積極的に取り込んだと考えられる。『秘中の秘』では、個人の生(本能)が社会の法とぶつかり、法を侵犯してしまう状況が描かれているが、このような状況を描く際に、イヴァーノフはフロイトの自我論を援用したと考えられる。イヴァーノフが作品を掲載していた雑誌で、1920年代半ばにフロイトの自我論をめぐって議論が交わされた。また、息子の回想から、1920年代にイヴァーノフがフロイトを読んでいたことが明らかになっている。

また、個人の心理の問題はイヴァーノフにとって、それ自体が重要であったというよりは、個と集団という時代の焦眉のテーマの中で扱うという企図があったと考えられる。この点を第二章で考察した。この章では、『秘中の秘』の中に、一種の「全一」の思想が表現されている作品があることを指摘した。1920年代後半は第一次五カ年計画が企図され、実行に移された時代である。イヴァーノフが作品の中で「全一」の思想を表現したのは、個と集団の問題が先鋭化した時代であったからこそ、と考えられる。後の1940年代頃に書かれたものであるが、イヴァーノフが個人主義を否定し、全体主義を肯定する趣旨の文章を残していることからも、作家がこの問題に強い関心を持っていたことが分かる。

また、『秘中の秘』の分析によって、イヴァーノフがフョードロフ、ソロヴィヨフ、ベルクソンの思想の影響を受け、作品において「全一」態を達成する「新しい人間」という思想を表現していることを指摘した。回想や日記によって、イヴァーノフがこれらの思想家の著作を読んでいたことが明らかになっている。ことに、死に抗う精神の象徴としてフョードロフが語った寺院のイメージは、1920年代後半のイヴァーノフの作品に繰り返し登場しており、イヴァーノフが不死の思想に強く惹かれたことが考えられる。

「新しい人間」というテーマと、それを表す象徴という手法は、『秘中の秘』でこのように登場し、『クレムリン』、『ウ』へと引き継がれることとなる。この点を第三章、第四章、第五章で明らかにした。

第三章では、『クレムリン』における2種類の「騎士」のイメージを分析することによって、作品の中で、「全一」態を達成する「新しい人間」というテーマが表現されていることを指摘した。『クレムリン』には聖ゲオルギーの竜退治という紋章と、そのヴァリエーションとして、熊に乗った人間の紋章という2つの紋章が登場する。2つの紋章のうち、聖ゲオルギーの紋章はエゴイスティックな個人の自我を象徴し、熊の紋章は共同体的愛を象徴している。また、この2つの紋章がヴァリエーションという関係に置かれていることは、個人のエゴイスティックな本能を変形、もしくは転換することにより一種の「全一」態が達成されるという思想を象徴的に示している。また、このような「全一」態を達成するロシアの「新しい人間」は、西欧の「新しい人間」のヴァリエーションであるということも、2つの紋章によって示されている。

第四章では『ウ』における2種類の「王冠」のイメージを分析することにより、同様のテーマが表現されていることを明らかにした。『ウ』では「アメリカの皇帝」の王冠、そしてその相似物である救世主キリスト寺院のドームという2種類の「王冠」が登場する。このうち、「アメリカの皇帝」の王冠はエゴイスティックな個人の自我を、救世主キリスト寺院のドームは個人を超えた共同体としての精神を象徴している。

この章ではさらに、叙述の形態から、『ウ』において「集団的創造」という理念が扱われていることを述べた。『ウ』はイヴァーノフが「集団的創造」の理念に関心を示した時期に執筆されている。イヴァーノフの庇護者的存在であったゴーリキーは集団で「歴史」を創造するという理念の下、『工場の歴史』や『内戦の歴史』といった本を出版した。これらの本の創作のあり方は、工場の労働者や内戦の参加者たち自身に書かせ、職業作家達が編集し、作品を「芸術化」するというものであった。このようなゴーリキー主導の「歴史」の本の執筆事業に、イヴァーノフは参加し、「集団的創造」について肯定的な発言をしている。

『ウ』では「作者の介入」とでも呼ぶべき部分で、知識人である職業作家(「編者」と呼ばれている)と、非知識人であるエゴール・エゴールイッチという登場人物が共同で作品を創造している状況が描かれている。この2人の「作家」は時には一体化し、時には争いながら、作品を物語っている。また、『ウ』では、先行する文学、哲学等のテキストの引用から成る注釈が冒頭に置かれている。これは、作品が作家個人によって生み出されたというよりは過去の集団的英知によって生まれたものであるということを示していると考えられ、やはり「集団的創造」の理念と関係があると思われる。

第五章では、『ウ』における2枚の服のイメージを分析した。『ウ』では、チェルパーノフが着ているポケットのたくさんついた自転車着と、彼がアメリカの大富豪の服と間違えて探し求める古い服、という2枚の服が登場する。このうち自転車着の方は表層の自我を、アメリカの大富豪の服と間違えて探し求める服の方は深層自我を象徴している。この服探しのプロットは、「エゴイズムを追及した後に共同体の原理に回帰する」という思想、また、性愛の浄化という思想を象徴的に表現している。

そして、第四章、第五章で行った2つの王冠の分析、2枚の服の分析、そして作品中の幾つかのエピソードから、『ウ』でも『クレムリン』同様、「全一」態を達成するロシアの「新しい人間」は、西欧の「新しい人間」のヴァリエーションであるという思想が表現されていることを指摘した。

結論としては、次のことが挙げられる。まず、『クレムリン』と『ウ』にはテーマ上、手法上で大きな共通点がある。2作品は、作品の中に2つのイメージを配置し、1つにエゴイスティックな個人の自我を象徴させ、もう1つに共同体的精神を象徴させるという手法において、共通している。

また、『クレムリン』と『ウ』では共に、性の本能を浄化して「全一」態を達成するという思想が表現されている。同時に、このような「全一」態を達成するロシアの「新しい人間」は、西欧の「新しい人間」のヴァリエーションである、という思想も2作品で共通して表現されている。

『クレムリン』と『ウ』が初期作品とはどのように異なるか、という問題に関しては次の点が挙げられる。人間の深層心理に焦点をあて、人間の精神世界を象徴によって表現した、という点で、この2作品は初期作品と比較し、象徴主義の伝統に近づいていると言える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文で取り上げられたロシアの作家フセヴォロド・イヴァーノフ(1895-1963)は,ソ連時代初期の1920年代に,サンクト・ペテルブルグで結成された文学グループ「セラピオン兄弟」の一員となり,当時流行していた「装飾的散文」の代表的作家として名声を獲得した。しかし,その後のイヴァーノフにはめぼしい創作活動がなく,半ば忘れられた存在となっていたが,没後の1980年代以降,生前には政治的理由により未刊のままとなっていた優れた二つの実験的長編小説『クレムリン』(1930),『ウ』(1932-1933)の存在が明らかになり,次々に刊行されるに至った。中澤氏は本論文において,主にこれらの作品におけるイメージの分析を手がかりとして,この作家の従来よく知られていなかった初期とは異なる作家像を明らかにしようとした。

 序章においては両作品の成立過程および先行研究の検討が簡潔的確になされ,次に,両作品が技法上多くの共通点を持つこと,および,初期とは異なり,思想的・哲学的傾向の深化が見られることの立証が,本論文の主な課題であるとされる。続く第1章および第2章では,初期作品と両長編をつなぐ意味を持つ短編集『秘中の秘』(1927)が特に取り上げられる。初期作品との主要な相違点として,人間の心理・無意識を扱うという意味での作風の転換,その際の手法としての「象徴」の採用,個人主義とそれを克服する「新しい人間」というテーマの登場があげられ,そこに当時広く読まれていたフロイト,ベルクソン,ロシアのヴラジーミル・ソロヴィヨフ,フョードロフの思想的影響を見ようとしている。

 続く第3章では以上の論点をもとに『クレムリン』における2種類の紋章に表されている「騎士」のイメージが多角的に分析され,個人主義とそれを超克しようとする「新しい人間」というテーマが見出されるという主張がなされる。『ウ』を論じた第4章,第5章でも,2種類の王冠のイメージ,2種類の衣服のイメージがそれぞれ綿密周到に分析され,そこに同様のテーマが表現されていると同時に,当時ゴーリキイ等が提唱していた芸術の「集団的創造」の理念が扱われていると指摘される。

 審査では,ほぼ信頼に値する刊本がまだ10数年の歴史しか持たず,先行研究が非常に少ないうえに,テキスト読解上の問題も多く残る作品を対象として,幅広く周到な基礎調査を粘り強く行った点と,1920年代のロシアの思想状況の的確な理解を有効な補助線として活用し,両作品の一見「不可解な」作品構成および細部に関して非常に説得的な解釈を与えた点が高く評価された。他方,当時の文学的状況に関する目配りがやや不足しており,イメージの分析に集中するあまり作品の全体的な理念の把握にも不満がある等の批判もなされたが,本論文がもたらした多大な功績は審査委員会が一致して認めるところであった。

 以上により,本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位授与に値するものとの結論に達した。

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