学位論文要旨



No 121904
著者(漢字) 平林,敏行
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,トシユキ
標題(和) サル下部側頭葉神経細胞の異なる部分特徴配置に対するスパイク相関解析
標題(洋) Spike correlation analysis of macaque inferotemporal neurons for different feature configurations
報告番号 121904
報告番号 甲21904
学位授与日 2006.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2771号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 助教授 坂井,克之
 東京大学 講師 辻本,哲宏
 東京大学 講師 笠井,清登
内容要旨 要旨を表示する

 複数の部分図形同士が組み合わされて、一つのまとまった全体図形として認識されるに至る過程は、視覚対象の認識における重要な過程である。これまでに、多くの脳画像研究および単一神経細胞記録の研究により、高次の視覚関連領野がこの過程に関与することが示唆されている。ヒトの紡錘状回やサルの下部側頭葉には、複雑な既知図形に対して選択的に応答する神経細胞が存在することが知られている。さらに、下部側頭葉の神経細胞は、多くの複雑な図形に対して、そのうちの一部の部分図形のみを取り出しても、元の全体図形と同程度に応答することが知られている。しかし、限られた種類の部分図形であっても、それらが組み合わされると、膨大な数の全体図形が生じる。このように膨大な数の全体図形が、それを構成する部分図形の配置情報を含めて、下部側頭葉においてどのように表象されているかという問題は、その重要性にも関わらず、いまだに解明されていない。そのような図形の表象方法の一つの仮説として、部分図形を表象する神経細胞同士が互いに相関発火することによって機能的細胞集合を形成し、部分図形の組み合わせとしての全体図形が表象される、という相関発火符号化仮説が提唱されている。下部側頭葉における相関発火については、これまでにいくつかの報告があるが、複数の部分図形の空間配置が相関発火にどのような影響を与えるか、あるいはそのような相関発火が、図形呈示後に、その呈示図形の認識に関与し得るほど十分早く現れるかどうかを調べた研究はこれまでに例がない。そこで本研究では、複数の部分図形の組み合わせからなる全体図形の例として顔刺激を使用し、下部側頭葉における神経細胞同士の相関発火が、部分図形の配置に依存して動的に変化する、という仮説を検証した。顔の部分図形である目、鼻、口を各40種類ずつ用意し、それらを組み合わせて合計64,000種類の顔刺激を作成し、部分図形が顔の配置に並べられた顔刺激と、同じ部分図形が空間的にランダムに並べられた非顔刺激とで、刺激呈示中における下部側頭葉単一神経細胞同士の相関発火を比較した。

方法

 2頭のマカクザルに120種類の顔の部分図形(目、鼻、口、各40種類)を用いた遅延見本合わせ課題を訓練した。この課題の十分な(各部分図形につき、少なくとも600回以上呈示)訓練の後、顔・非顔刺激識別課題を訓練した。顔・非顔刺激に対する神経細胞の応答は、この課題を遂行中に調べた。この課題では、画面中央の固視点上に顔または非顔刺激が1秒間呈示され、0.5秒間の遅延期間の後、画面の左右に2つの白丸が呈示されると、顔刺激であれば右、非顔刺激であれば左のボタンを押せば正解とした。サルはこの課題を遂行中、固視点から1〜1.4°の範囲を固視することが要求された。サルはこの他に、固視課題を行うよう訓練された。この課題では、サルは固視点から1〜1.4°の範囲を固視することが要求され、その間に5つの異なる部分図形が350msの間、600ms間隔で連続的に呈示された。この課題は、120種類の部分図形に対する神経細胞の応答を短時間で調べるために用いられた。顔刺激と非顔刺激は、それぞれ4つの部分図形(各部分図形の大きさは2.3°×2.3°以下)を顔の配置もしくはランダムに、半径約3°以内の範囲に、互いに重ならないように並べて作成された(図1)。全ての動物実験は、動物実験に関する国際基準及び東京大学医学部が定める基準に従って行われた。

 4本の近接した電極が1本にまとめられたTetrode電極を用いて細胞外電位記録を行うことにより、下部側頭葉から、隣接した複数の神経細胞の活動を同時に記録した。記録中は、2つの単一神経細胞の活動を同時に分離し、記録中の神経細胞対に対する最適刺激を決定した。神経活動は、同時に磁気テープにも記録し、細胞外電位記録終了後に、波形情報を用いて、複数の単一神経細胞の活動に分離した。神経細胞対の最適顔刺激・非顔刺激は、共に同一の部分図形の組み合わせが、互いに異なる空間配置で並べられたものとし(図1)、それらの部分図形は、記録中の神経細胞対が、共になるべく強い反応を示すように決定した。

 神経細胞間の機能的結合は、スパイク列間の相互相関を算出することによって評価した。解析には、サルが正答した試行(正答率99.7±0.4%(平均値±標準誤差))のデータのみを使用した。記録された神経細胞対が、共に最適顔刺激・非顔刺激の両方に対して有意に応答し、神経細胞あたりのスパイク数がどちらの刺激に対しても共に600以上で、かつ、神経細胞対で合計1,600以上であった場合のみ、相互相関解析を行った。スパイク列同士の相互相関ヒストグラムを算出した後、1試行分ずらしたスパイク列から算出したshift predictorを差し引くことにより、刺激呈示にロックした発火頻度の共変によって生じる相互相関成分を差し引いた上で、機能的結合の評価を行った。最適顔刺激と非顔刺激の間で、相互相関解析に用いたスパイク数に有意差は無かった(p > 0.3, 対応のあるt検定)。

結果

 2頭のマカクザルから行った計48回の細胞外電位記録により、最適顔刺激・非顔刺激に対して共に有意に応答する神経細胞が計134個記録された。このうち、50個の神経細胞からなる30対の神経細胞対が、最適顔刺激・非顔刺激の少なくともどちらかに対して有意な相関発火を示した。このうち多くの神経細胞対が、非顔刺激よりも、それと同じ部分図形からなる顔刺激に対して、より強い相関発火を示した(図2B)。神経細胞群全体で、顔刺激呈示時の相関発火強度は、非顔刺激呈示時に比べて有意に強かった(p < 0.003, 対応のあるt検定)。この顔優位性相関発火は、2頭のサルで共に有意に見られた。また、相関発火強度の測定方法を変えた場合でも、結果は同様であった。次に、最適顔刺激・非顔刺激に対する発火頻度を比較したところ、これらの刺激間で発火頻度には有意差が見られなかった(p > 0.8, 対応のあるt検定)。

次に、顔優位性相関発火が、神経細胞群全体で顔・非顔刺激の識別に有効な信号となりうるかを評価するために、顔・非顔刺激に対する相関発火強度を、それぞれ解析対象となった全ての神経細胞対群でまとめ、顔・非顔刺激間の識別能を信号検出理論に基づいて検証した。その結果、相関発火強度は、神経細胞対群全体で顔・非顔刺激の識別に有効な信号となりうることが示された(p < 0.001, 並べ替え検定)。一方、同じ神経細胞群について、発火頻度を用いて同様の解析を行った結果、発火頻度は神経細胞群全体において、顔・非顔刺激の識別に有効な信号ではないことが示された(p > 0.2, 並べ替え検定)。

 次に、相関発火の経時変化を調べた結果、相関発火の顔優位性は、刺激呈示開始から300ms以内に現れることが示された(p < 0.04, 対応のあるt検定)。このことから、本研究で示された顔優位性相関発火は、呈示された顔刺激の認識に関与していると考えるのに十分な速さで現れることが示唆された。

考察および結論

 本研究では、サルの下部側頭葉において、部分図形を顔の配置に並べた刺激を呈示した際の相関発火強度が、同じ部分図形をランダムに並べた刺激を呈示した場合に比べて有意に強いことが示された。本研究の結果から、全体図形における複数の部分図形の空間配置は、下部側頭葉における神経細胞群の相関発火の強さに反映されることが示唆された。

 これまでに、一連の心理物理学実験により、部分図形が顔の配置に並べられた場合に、ランダムに並べられた場合に比べて、より速く、かつ正確に部分図形が認識される(顔優位性効果)ことが知られている。本研究で見られた顔優位性相関発火は、このような顔優位性効果に関与している可能性が示唆される。

 下部側頭葉における相関発火については、これまでにいくつかの報告があるが、呈示された複雑な視覚対象に依存して、相関発火がダイナミックに変化することを示した研究はなかった。本研究により、視覚刺激弁別課題を遂行中のサルの下部側頭葉神経細胞群が、呈示された全体図形中の部分図形の空間配置に依存して、ダイナミックな相関発火を示すことが示唆された。また、本研究は認知処理を実行中の下部側頭葉局所神経回路内の機能的結合、及びその動的変化の解明に、スパイク相関解析が有用な道具となりうることを示唆するものである。

Fig.1 同じ部分図形からなる顔刺激と非顔刺激の例

図2 部分図形の配置によって異なる相関発火を示した神経細胞対の例

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、複数の部分図形の組み合わせからなる全体図形の認識に関わる下部側頭葉局所神経回路の動的構造を明らかにするために、マカクザル下部側頭葉の複数の神経細胞から活動を同時記録し、部分図形を顔の配置に並べた場合とランダムに並べた場合とで、神経細胞の応答及び神経細胞間の相関発火の強さを比較したものであり、下記の結果を得ている。

1. マカクザル下部側頭葉のある神経細胞群は、部分図形を顔の配置に並べた場合、同じ部分図形をランダムに並べた場合に比べて有意に強い相関発火を示した。また、その際、個々の神経細胞の発火頻度は、異なる配置間で有意な差が見られなかった。

2. 部分図形の異なる空間配置に対する個々の神経細胞対の相関発火を神経細胞群全体でまとめ、信号検出理論に基づいて、相関発火の配置識別信号としての有効性を検証した結果、異なる配置間の相関発火の相違は、神経細胞群全体で、それらの配置の識別に有効な信号となりうることが示された。一方、発火頻度を用いて同様の検証を行ったところ、発火頻度は神経細胞群全体で、配置間の識別に有効な信号ではないことが示された。

3. 相関発火強度の経時変化を調べた結果、顔優位性の相関発火は、刺激呈示から300 ms以内に現れることが示された。このことから、顔優位性相関発火は、呈示された顔刺激の認識に関与すると考えるのに十分早い時間に現れることが示唆された。

以上、本論文は、マカクザル下部側頭葉のある神経細胞群において、複数の神経細胞から同時記録を行い、神経細胞間の相関発火が、全体図形中の部分図形の空間配置によって動的に変化し、神経細胞群全体で、部分図形の配置間の識別に有効な信号となりえ、かつ、呈示された視覚対象の認識に関与すると考えるのに十分早い時間に現れることを示した。本論文は、視覚対象の形状認識をつかさどる高次の視覚領野である下部側頭葉における神経細胞間の相関発火の、図形呈示による動的変化を明らかにした最初の知見であり、視覚対象の認識機構の解明に、重要な貢献をもたらすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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