学位論文要旨



No 121907
著者(漢字) 小島,慎司
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,シンジ
標題(和) 近代国家の確立と制度体の自由 : モーリス・オーリウ『公法原理』第2版における修道会教育規制法律への批判の分析
標題(洋)
報告番号 121907
報告番号 甲21907
学位授与日 2006.10.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第196号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 長谷部,恭男
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 大串,和雄
 東京大学 教授 荒木,尚志
内容要旨 要旨を表示する

設問・問題意識・構成

 本論文の課題は,第三共和政フランスの公法学者M・オーリウ(Maurice HAURIOU)の『公法原理』第2版(1916年)が,カトリック修道会の私教育を規制した1901年7月1日法(許可制),1904年7月7日法(全面禁止)を,いかなる法的構成と根拠により批判したかを解明することである。

 テクストの制約から自由に本論文の問題意識を現在の日本語で述べれば,それは,「国家」と異なる「社会」の領域で公共的活動を行う私人の自由の法的構成を探究することにある。「教育の自由」に限らず,プレス,集会,結社,学問の自由を見渡せば,かかる自由は現在の日本の有力学説がその法的構成に鎬を削る場だといえよう。これらの自由は,その目的が自己利益の保護に尽きず「国家からの自由」「防禦権」には回収しづらく,かかる自由が"人権"論に占める位置を,法的議論の様式を保ちつつ解明する作業は必ずしも容易ではないためである。本論文の設問は,検討の誠実さを保つために限定的であるが,それを現在の日本で解くのは,以上の場に一石を投じることを目的とするからである。

 本論文は3部からなる。「第1部 設問」は,冒頭の設問を,当時の法の仕組み,社会的文脈,『公法原理』第2版のテクスト全体のなかに位置づけて,解明すべき部分を特定する(第1章)。「第2部 分析」は,第1部で煎じ詰められた課題を検討する本論文の本体である(第2章,第3章,第4章)。「第3部 解答」では,第2部の検討を受けて,本論文の設問に答えを与える(第5章)。

本論の概要 第1部 設問

 『公法原理』でオーリウが1901年法,1904年法を批判したのは両法が「教育の自由」を侵害したからである。この消息を敷衍して理解する第1章の要旨は次の3点である。第一に,両法が,無許可修道会,さらには修道会一般への所属が学校経営・教育資格についての欠格事由であると定めたのに対して,オーリウは経営・教育資格の保有を「教育の自由」と把握し,両法をそれに対する侵害として批判した。第二に,オーリウは,その同時代人と同じく,1901年法,1904年法の制定の背後に,反教権主義の潮流を見出していた。カトリック教育の問題は,その特定領域に尽きず,世俗の政府機構による公的活動の独占の可否という国家論上の問いに繋がり,当時の社会事情に照らしても重大な問題であった。第三に,はたしてオーリウは,「教育の自由」を単に「教育の自由」と呼んで満足するのではなく,一定の概念により原理的な国家論と連絡を付けている。その概念が「政治的自由」である。彼は,個人の自由を,主に私生活のための自由(市民的自由)と,担い手を公生活に参与せしめるための自由(政治的自由)に分類し,後者に,プレス,集会,結社,教育の自由を数える。その「政治的自由」は,政府機構の措置に対してadherer/collaborerする自由であると把握されている。第1章では,この議論の特徴をA・エスマン,L・デュギ,モンテスキュー,ダイシーとも比較しつつ浮かび上がらせている。

 以上に徴すれば,本論文の設問は,「政治的自由」="adherer/collaborerする自由"がなぜ国家の制定法(1901年法,1904年法)を覆すだけの根拠となるかという問いに煎じ詰められる。第2部では,この問いを検討する。

第2部 分析

 「政治的自由」="adherer/collaborerする自由"の特徴を把握するために,第2部では"自由"の法的構成(第2章),"adherer/collaborer"概念の内包(第3章,第4章)を検討する。

 オーリウも日本公法学と同じくドイツのG・イェリネックの読み手である。そこで,イェリネック説との異同に着目することで,我々にはオーリウ説への接近の道が開ける。

 両者に共通するのは,国家と個人の関係を権利義務関係でなく,地位関係と把握するところである。既存の研究の示すように,イェリネックにとり自由は自由人という地位であり,権利ではない。オーリウも同様である。自由は能力(権利能力)であり,その能力を前提として「取得された権利」とは区別される。

 これに対して両者の差異は,その地位,能力の構成の仕方に表れる。イェリネックに従えば,自由人の地位を与えるのは主権国家である。国家は共通意思・利益を有する社団であり,個人公権はその国家の共通意思・利益と重なる範囲で意思・利益が個別化された場合に認められるに過ぎないからである。オーリウはこの点を以てイェリネックが「消極的」に過ぎると批判する。個人の自由はそれ自体固有の存立根拠を有する。国家は,多様な経験的意思・利益を有する個人に「代表=表象」される「観念」として,その単一性が肯定されるに過ぎないというわけである。

 ここで問題となるのが,代表=表象である。表象とは,手で触れられない観念を経験的な事物を以て表現する(例,一角獣を絵で描く)ことである。経験的に実在しない国家も,経験的に実在する個体を通してならば表現しうるというのが,オーリウ説である。しかも,政府機構の外にある私人でさえも自らの意思・利益を以てその観念的な国家を代表=表象する。こうした議論は――勿論認識論的には複雑であるが――予め国家を共通意思・利益の主体として出発させるイェリネック説への批判を形成する。政府機構の外の私人が公益的な活動を行う「政治的自由」は,こうして主題化される。

 第3章,第4章では,「政治的自由」が政府機構の措置に"adherer/collaborerする"自由だとされる場合の,adhesion/collaboration概念に着目する。これらの概念が従来のフランス公法研究でも公権力無答責克服の手立てとなったことは指摘されてきたが,本論文の角度からは自主法こそがその手立ての背後にあると見える。第3章では,Cadot判決(1889年)の分析に即してそのことを示す。

 ある官吏が突然罷免されたとしたら,その罷免に伴う損害賠償請求が可能なように思える。しかし,罷免行為が制定法上全く制約されていない場合も――現にCadot判決前後の市町村では制定法上の制約が欠けていた――賠償請求は可能なのか。かかる場合にコンセイユ・デタ判例は,責任否定から肯定に変化した。

 adhesion/collaborationはこうした責任を基礎づけるために用いられた。論告担当官の1人は,官吏関係を公法上の契約と構成しその契約違反を問うことで制定法の不備を補おうとした(G・テシエ)。オーリウの議論もこれに似ているが,問題となったのは契約への違反ではなく,端的に自主法への違反だと考えた。adhesion/collaborationはその自主法を創造する行為を指すとされたのである。

 もっとも,以上の検討を経てもadhesion/collaboration概念それ自体は我々と縁遠いものと見える。しかし,オーリウはこの概念を合同行為(Vereinbarung/Gesammtakt)と対比して精錬させているので,その差異を見極めれば,身近に捉えられる。第4章では団体法上の諸事象を素材に立ち入った分析をしているが,その中軸は合同行為との差異にある。

 現在の日本では,合同行為概念を立てる意義が消極に解されることがある。要するに,法文に誰のいかなる意思表示が必要と定めてあるかが問題であって,共通意思・利益という比喩的な前提を置くのは無用と思えるためである。オーリウと同時代の独仏にもかかる批判説は存在した(A・グライツマン,G・ブザン)。

 しかし,合同行為論が主題化したのは,既存の客観法に依存しないで自主立法を説明することであった(H・トリーペル)。オーリウの議論の魅力は,この主題を引き継ぎつつも,当事者間に共通意思・利益が存在しないという批判説を摂取したことにある。すなわち,団体の自主法の存立根拠は,共通意思・利益ではなく,命令者とadherents/collaborateursの行為の要式性にある。オーリウのadhesion/collaborationは,共通意思・利益の不在を前提に団体の自主法が生まれることを示す概念であったのである。

第3部 解答

 以上の検討を踏まえて本論文の設問に解答を与えるのが,第5章である。

 第1章で設問を煎じ詰めた結果,「教育の自由」は「政治的自由」="adherer/collaborerする自由"であり,「政治的自由」が制定法律(1901年法,1904年法)を破るのはなぜかが解くべき問いであるとされた。予め国家の共通意思・利益を設定し,それと重なる範囲で個人の"自由"が保護されるという考えに,オーリウは立たなかった。むしろ,個人の自由それ自体が観念的な公共体を代表=表象するものであり,そうであればこそ保護されると考えた(第2章)。

 では,その観念的な公共体とは何か。"adhesion/collaboration"が示しているように,それは,自主法を備えた法共同体(中間団体)である。マルセイユ市官吏法が市と官吏の間の自主法として生まれたのは,その一例である。この自主法は共通意思・利益を存立根拠としない(第3章,第4章)。ゆえに,個人が政府機構の措置に対してadherer/collaborerする「政治的自由」というのも――第2章の検討からして国家が共通意思・利益の独占者として現れないのだから――政府機構も巻き込んだ特殊な法共同体の自主立法に参与する自由であると判断しうる。

 以上のことから,オーリウは,「政治的自由」とかかわる自主的な特殊法を以て制定法律に対抗したことが判る。ゆえに,オーリウが1901年法,1904年法を批判した根拠は,「教育の自由」とかかわる,私教育関係法とも呼ぶべき自主法にあることになる。

 本論文の設問と解答が我々に与える1つの示唆は,議会万能の第三共和政下で制定法律に対抗して"人権"保障を求めたオーリウ説が中間団体の自由という形式を採ったことである。この"人権"論が――その自然さにも拘らず――現代日本の標準的な人権論と異なることに徴すれば,また,戦前の日本で「制度」論,「社会法」論の時局迎合発言に徴すれば,本論文の議論の射程は必ずしも短くないと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

1.本論文の概要

 本論文は、19世紀フランス公法学の集大成者の1人として学説史にその名を刻むとともに、その豊饒な社会構想によって今なお触発力を保ち続けている、第三共和制期フランスの公法学者モーリス・オーリウについての、文献学的研究である。

 この、文献学的研究に意識的に集中している点にこそ、後述するように、本論文の最も顕著な特色が存する。それは、方法的自覚をもってテクストに向き合う姿勢の希薄な、公法学の現状への批判の意図がそこにはこめられているからであり、しかも、モーリス・オーリウは、そうした文献学的な研究にとってきわめて厄介な対象であって、これまで充分に成功した事例は内外を通じてほとんど存在しないからである。

 この最後の点については、本論に入る前に、若干付言しておく必要がある。第1に、オーリウは、たとえば教科書を改訂するたびに、巻頭にその間の研究の進展を示す独立の新論文を掲げると同時に、これにあわせて改訂前の本論の構成・内容を根柢から書き改めて、全く別個の本へと脱皮させてゆくというスタイルの学者であって、同じ教科書のシリーズでもすべての版を手元に置く必要がある、という事情がある。まさかそのようなことになっているとは思わず、主著の最終改訂版を揃えているだけのライブラリーが(東京大学図書館を含めて)ほとんどである現状では、オーリウの専門的研究を志して自ら内外に散在する原典を収集しようとしない限り、およそ語るに足るオーリウ理解には、到達できない構造になっている。これが、オーリウ研究の独特の閉鎖性の要因にもなっている。

 第2に、オーリウの仕事は、最晩年の著作「制度と創設の理論」にみられるように、法哲学者・社会哲学者をも魅了する理論的なアクロバシーが印象的である一方で、その理論的なスケールの大きさは、コンセイユ・デタの判例研究の膨大な蓄積に裏打ちされているのであって、フランス行政法の法技術的な理解なしには、判例行政法学ともいうべきオーリウ学説を把握することができないという事情がある。そこに、フランス公法学史上最も構想豊かな法理論家の1人であると同時に、フランス公法学史上最初の判例評釈者(アレティスト)でもあるオーリウを研究するためには、哲学・神学から法学まで、それもローマ法学からコンセイユ・デタ判例までを、すべてを見渡せる学殖が必要になるが、それは決して容易に得られるものではない。

 第3に、オーリウの観念体系を理解するためには、彼が強く意識し換骨奪胎しようとしたドイツ法学およびドイツ経由のローマ法学を下敷きにして読まなければならず、フランス語・フランス法学の知識では足りない、という事情がある。一見オーリウ・オリジナルの珍奇な用語も、実は、慎重かつ巧妙に遂行された本歌取りにほかならない。そのことに気がつけば、オーリウの難解なテクストの霧も自ずから晴れてこよう。もちろん、フランス法固有の文脈を知らなければ、やはりオーリウを読むことができない。そのため、「翻訳」には細心の注意が必要であるが、これは容易なことではなく、むしろ、その場限りで行われた訳語選択がオーリウ伝説を再生産してきたのが、実情である。

 以上のような事情から、オーリウ学説は、その影響力の大きさにもかかわらず、その実、専らつまみ食いの対象として消費されるか、霧の如き学説として伝説化するか、のいずれかの形でのみ享受されてきたのであり、また、本格的な文献研究を志した先行業績においても、その力点には偏りが生じ、その上澄みの抽象理論から裾野をなす判例研究まで、その有機的な全体が明らかにされるということはなかった。これに対して、著者小島氏の研究は、解読の対象となるテクストと本論で直接検討される素材や視角を思い切って限定することによって、その限りにおいて、オーリウ学説の有機的な全体を解明することを企図している。

 対象となるテクストは、制度理論の名で知られるオーリウの一般理論を集大成した、盛期の代表作『公法原理』第2版(1916年)――この場合も、初版とは、全く別の書物に書き改められている――であり、検討の素材は、1905年12月9日の政教分離法の前段階において、カトリック修道会構成員による私教育活動を規制した、1901年7月1日法および1904年7月7日法であり、これらの法律を、オーリウが、いかなる法的構成と根拠をもって批判したかという点に、検討の視角が限定されている。「国家」と区別された「社会」の領域で、国家的公益とも私的利益とも異なる水準において、公共的活動を行う私人の自由を、法的にいかに構成すべきかは、現代人権論の喫緊の課題であるが、著者は、如上の作業を通じて、オーリウがこのアクチュアルな問題といち早く格闘していた姿を描き出し、これを当時の独仏法学の文脈のなかに位置付けるとともに、オーリウ自身の一般理論や判例研究との連絡をつけることにより、問題の所在を浮き彫りにしてゆく。視角は意図的に限定されているが、それが学説の核心に迫る切り口であるために、却ってオーリウ学説の有機的な全体が明るみに出るのである。

 以下、著者の研究遂行の手続を、その構成に従って、順を追って紹介する。

2.本論文の構成

 本論文は、「設問」「分析」「解答」の3部形式によって、構成されている。

 第一部「設問」では、著者の方法的な自己限定のありようが呈示され、厳密な文献学的な解読作業への禁欲が宣言される。分析対象は、前述の通り、『公法原理』第2版であり、ここでは特に、オーリウが1901年法および1904年法を、「教育の自由」を侵害するものとして批判したことに、着目する。この批判は、彼が、その同時代人と同様に、両法の背景に当時の反教権主義の潮流を見いだしていたという事実、さらには、彼にとっての「教育の自由」が、より原理的な国家論を踏まえて、「政治的自由」として把握されていたという事実に留意することによって、一層よく理解される。そこにいう「政治的自由」とは、プレス、集会、結社の自由のように、政府機構(gouvernement)の措置に対してadherer/collaborerする自由という水準で語られるのであり、オーリウは、かかる「政治的自由」としての「教育の自由」が、国家の制定法たる1901年法・1904年法を覆すだけの根拠となることを主張しているのである。著者は、この「政治的自由」論の特徴を、エスマン、デュギ、モンテスキュー、ダイシー等の議論との比較検討を通じて明らかにするとともに、それが何故制定法の正当性を批判する根拠となり得るのかという問いを、本論の主題として設定する。

 第2部「分析」では、オーリウのいう「政治的自由」、つまりadherer/collaborer する自由の特質を把握するため、彼のいう「自由」の法的構成、およびadhesion/collaborationの内容が検討される。

 「自由・代表・国家」と題する第2章では、まず、オーリウのいわゆる代表説による個人の自由の法的構成の特質が明らかにされる。その際、オーリウが、当時のドイツで最も強力な国家理論だったG・イェリネックの徹底した読み手であり、他方、日本の伝統的な公法学もまたイェリネックの熱心な読者であった点に鑑み、著者は、このイェリネック説との異同に着目することで、オーリウの自由論を、日本の公法学説にとって受容可能な定式によって、読み解いてゆく。

 両者に共通するのは、国家と個人の関係を個別の法関係(権利義務関係)としてではなく、地位関係として把握する点である。個別の自由権ではなく自由人としての地位に着目したイェリネックと同様、オーリウにとっても、自由は能力(権利能力)であって、その能力を前提として「取得された権利」それ自体とは区別される。

 他方、オーリウとイェリネックの差異は、地位および能力の構成の仕方に表れている。イェリネックの場合には、あくまで主役は主権国家であり、共通意思・利益を示す社団としての国家の存在が予め想定される。自由人の地位が相対するのはかかる主権国家であり、個人の公権も、国家の共通意思・利益と重なる範囲において、消極的に規定されるに止まる。これに対して、オーリウにおいては、個人の自由はそれ自体、固有の存立根拠を有しており、国家も、多様な経験的意思・利益を有する個人に「代表=表象」される「観念」として、その単一性が肯定されるにとどまる。ここでいう代表=表象とは、手で触れることのできない観念を経験的な事物をもって表現することである。経験的に実在しない国家も、経験的に実在する個体を通してならば表現することができる。

 主権的な社団法人としての国家を予め想定し、その共通意思・利益との関連のみを「機関」概念によって明らかにするイェリネックにおいては、国家の機関地位にある人間は自らの意思や利益をもち得ないが、代表概念に執着するオーリウの国家論においては、政府機構の外にある私人も、自らの意思・利益をもって、観念的な国家を代表=表象することができる。そこにおける観念としての公共体は、イェリネックの如く国家には回収されず、自己利益よりも高い水準で私人によって表象される公論の場である。こうした議論は、イェリネック国家論への批判を形成するとともに、政府機構の外にある私人が公益的活動を行う「政治的自由」を主題化するための基礎となる。

 続いて、「官吏・協約・自主法」と題する第3章、「合同行為・附合・自主法」と題する第4章では、政府機構の措置にadherer/collaborer する自由たる「政治的自由」の内容を把握するため、そこでいうadhesion/collaboration概念が分析される。

 これらの概念は、リーディング・ケースである有名なCadot判決において、フランス公法学が公権力無答責の理論を克服するために用いた道具立てとして、つとに知られてきたが、著者は、まず第3章で、これを基礎づけたのはこの概念装置の背後にある自主法の存在であり、adhesion/collaborationはその自主法を創造する行為を指す概念であったことを、オーリウの判例評釈に言及しながら示している。そして、公務員法関係に関する彼の学説の検討を通じて、制定法の不備がある場合には、adhesion/collaborationを通じてそれを補う自主法が創造されうるとまで、オーリウが考えていたことが、指摘される。

 この議論は、既存の客観法に依存することなく自主法が創造されうることを説明しようとする点では、ドイツにおける団体法上の合同行為論に類似しており、事実、オーリウは、ドイツの合同行為概念との異同を、慎重に検討している。そこで、第4章では、オーリウの団体法論が検討される。彼は、団体設立の説明をめぐって合同行為の観念と協約の観念の是非を争ったドイツにおける論争を意識し、共通利益・意思を想定する点で合同行為論を批判しつつも、トリーペルによる国際法の基礎付けにみられるように、既存の客観法に依存せずに自主法を説明しようとする合同行為論の狙いは、正当なものと評価した。

 共通意思・利益の存在を前提とすることなく、adhesion/collaborationによって形成された団体は、社団ではなく制度体(institution)と呼ばれる。この点でのオーリウの議論の特色は、団体の自主法の存立根拠は、当事者に共通する意思・利益ではなく(そうした意思・利益は必ずしも存在しない)、当初の命令者の命令にadherer/collaborerする者の行為の要式性にある、と考えられたところにある。その背後には、要式契約をめぐるローマ法上の議論が控えている。著者は、こうした文脈を踏まえて、これまでフランス語からの直訳で「同調」「協働」と表現されることの多かったオーリウのadhesion/collaborationの概念に対し、「附合」「協約」の訳を与えている。

 第3部「解答」では、以上の検討を踏まえて、本論文の設問に解答が与えられる。第1部での検討によれば、「教育の自由」は、被治者が政府機構の措置に対してadherer/collaborer する自由たる「政治的自由」である。それが、制定法によって破られることがなく、逆にそれを批判する根拠となりうるのは、観念的な公共体の代表=表象は、むしろ個人の自由それ自体に根拠をもつからである。そして、そこでいう観念的公共体とは、政府機構と私人の間のadhesion/collaboration によって成立する、自主法を備えた制度体としての法共同体(中間団体)にほかならない。これがオーリウの制度理論の眼目である。この点、「教育の自由」は、教育の場において存立する、政府機構をも巻き込んだ形で存立する特殊な法共同体の、自主法(特殊法)の創造に参与する自由にほかならず、それを否定するものであったからこそ、1901年、1904年法は批判されなくてはならなかった。議会万能の第三共和政フランスにおいて、オーリウが「人権」を擁護するために訴えかけたのは、こうして構成される中間団体の自由であった。

 以上が本論文の要旨である。

3.本論文の評価

 本論文の長所としては、次の点を挙げることができる。

 第1に、本論文の顕著な特徴は、学問に要求される「方法」と「形式」に対する意識の高さである。著者が採用するアプローチは、オーリウが想定してもいなかった現代の我々が直面する問題に、オーリウであればいかに答えたかを彼の学説の合理的再構成を通じて導き出そうとするものではない。あくまで、オーリウ自身の「問題」を解明し、彼がそれをどのような道具立てを用いて解こうとしたかを、彼が生きた時代の文脈のなかで読み解くことに集中する文献学的なアプローチである。無論、著者自身、そうしたオーリウとの格闘のなかで、いくつか刮目すべき問題を発見したのは明らかであるが、そうした議論を本論のなかに直接もちこむことは、慎重に回避されている。こうした強固な方法意識は、論文形式においては、何よりその構成の美しさに反映されており、また、本文中で必要な箇所では必ず訳文を付した原テクストを逐一引用して読者に検証を可能にする、という叙述方法が、論文全体を通して徹底されているところにも現れている。

第2に、本論文の構成は、『公法原理』第2版を中心とする初期のオーリウが、修道会構成員による教育の自由を制約する1901年法および1904年法を批判するにあたって、いかなる法的構成を用いたかという、限定された局所的問題を設定した上で、それに解答を与えるというものであるが、この問題設定は、オーリウ学説のいわばスウィートスポットを衝いたもので、オーリウ研究の観点からみた場合、きわめて適切なものであるといえる。そうした設問をおいた結果、本論文では、こうした問題を解明する途上において、「政治的自由」「代表」「附合」「協働」「制度体」など、オーリウの使用する広範な領域にわたる概念群が全体としていかに共鳴し合っているか、その構造が次々に明らかにされてゆく。オーリウの憲法理論に接したことのあるものは、眼から鱗が落ちるような思いがするであろうし、Cadot判決というフランス行政法の重要判例の独自の解読は、行政法学者にも示唆するところが多い。また、そうした論旨の展開が、本論文全体にも有機的な統一性を与えていることも、評価に値する。オーリウの用いる一語一語の含意が解明される手際には、謎解きとしての関心を呼び起こすものがある。

第3に、本論文は、こうした方法的な禁欲を自らに課すことによって、却って、オーリウの置かれた政治的・社会的文脈、彼が念頭に置いた具体的事件や事例、彼が参照した当時の内外の判例や学説を明るみに出すことに成功した。それは、オーリウと我々との距離を浮き彫りにすると同時に、逆説的にも、我々にとっても共感し、理解し得るオーリウ像を恢復する結果を導いた。このようにして恢復されたオーリウの学説からは、公共財としての憲法上の権利、憲法による制度体(中間団体)保障論、国家の制定法とは異なる公害防止協定その他のいわゆる自主法等、現代公法学上の諸問題を検討する上で重要な示唆を、読者は得ることができる。今日においても随所で引照される一方、その難解さの故に敬遠されることの多い「読まれざる古典」オーリウの学説を、日本の実定法学説にとって充分に理解可能な議論であることを示したことを、本論文の際立った功績として挙げることができる。

 第4に、著者の文体は平明であり、複雑で陰影に富む問題や論理を読者に分かりやすく伝える能力を示している。解答しようとする問題を一つ一つ、順を追って定式化し、解決した後に残る次の問題を新たに定式化する議論の進め方、焦点となるオーリウの用語に性急に訳語を当てはめず、「本歌取り」の現場にまでさかのぼった論証を経た後にはじめて訳語を定める慎重さは、こうした能力のあらわれということができる。

 もっとも、本論文にも短所がないわけではない。第一に、著者が方法的な禁欲を貫くあまり、著者の問題設定がどのような意味でオーリウ研究の急所を衝いたことになるのか、オーリウの学説が現代公法学の諸課題にとってどのような意義を有しているのか、オーリウの発見した団体法上の問題がその後、たとえば労働法制や公務員法制においてどのように実現され、あるいは実現されなかったのか、等々の論点への見通しが読者にはつきにくく、オーリウに関心をもたない読者へのアピール力に欠けるという、いわば演出上の難点がある。第二に、オーリウ自身が直接対質の相手に選んだイェリネックほかのドイツ学説との対比が明らかにされた反面で、フランス憲法学の本流といい得るジャコバン型国家理念とオーリウの学説との対比が充分には明確になっていないうらみもないではなく、専らジャコバン型理念との関連を強く意識する日本のフランス憲法研究者を読者として想定した場合、不満が残るであろう。しかし、これらは、如上の方法的禁欲のゆえに到達し得た新たな地平を1つの階梯として、著者が立ち向かうべき今後の課題であるというに過ぎず、本論文それ自体の学術的価値を大きく損なうものではない。

 以上みてきた通り、教育の自由に関するオーリウの議論を、彼の公法学説全体の中に位置づけることでその意義を解明した本論文は、非常にすぐれた学問的成果であり、著者が自立した研究者として高度な能力を持つことを証明しているとともに、憲法学の発展への貢献がきわめて大きい。よって本論文は、博士(法学)の学位を授与するにふさわしい、特に優秀なものと認める。

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