学位論文要旨



No 121909
著者(漢字) 宇野,良子
著者(英字)
著者(カナ) ウノ,リョウコ
標題(和) 視点の追跡と共有 : 接続助詞「から」を含む複文の認知言語学的分析
標題(洋) Detecting and Sharing Perspectives Using Causals : A Case of Japanese Causals
報告番号 121909
報告番号 甲21909
学位授与日 2006.10.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第685号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大堀,壽夫
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 西村,義樹
 駿河台大学 助教授 本多,啓
内容要旨 要旨を表示する

 日本語の接続助詞の中でも、理由節を導く「から」は外界の出来事の記述を表す文と推論関係を表す文の両方で用いることができる。例えば(1)は話者の外部で起きていることを表し、(2)は話者の内部の推論関係を表している。

(1) 大風が吹いたから木が倒れた。

(2) 明かりがついているから彼は部屋にいる。

私たちは自己の外と内という異なる二つの領域の認識を言語はどのようにつないでいるのかを探ることは言語学だけではなく、広く人間の認知の解明に役立つと考える。本研究は「から」を接続助詞とする複文(カラ文)の分析を通じてこの問題に取り組む。

 私たちは先行研究を踏まえ、(1)と(2)のような例文の関係を認知言語学アプローチで研究する。この二つのカラ文をつなぐ用例を指摘し、カラの意味の広がりがどのようなものか解明したい。更に背後に在る話者の認識のあり方を考察したい。

(第一章)

 先行研究において、永野(1954)が「ので」は客観的関係を、「から」は主観的関係を表すとした。その後南(1974,1993)の分析を発展させ、田窪(1987)は永野の指摘した二種類の関係は後に接続語の違いというより、因果関係の二種でありどちらも(1)(2)で示したように「から」で表されるのだと指摘した。問題はその二種の「から」は何の違いなのかということに移った。田窪はこの二種の「から」の違いを統語的な観点から捉え、B類接続語とC類接続語の違いだとした。では意味的にはどのような二種類なのか。このことに本質的説明を与えているのが認知言語学におけるSweetserの研究である。Sweetserは推論関係や発話行為が物理世界(実質的領域)に見立てられることがしばしばある、と論じた。そして本来実質的領域にある力関係が推論関係にあてはめられたのが(2)のような認識的読みであるとする。(1)は実質的読みと呼ばれる。更に(3)のように発話を可能にするものと発話行為の間にこの関係があてはめられることがある。これは発話行為的読みである。

(3) 冷蔵庫の中にジュースがあるから飲んでね。

さて、私たちは(1)と(2)(3)をつなぐのはどのような認知のあり方かということを問う。

Sweetserの理論は(1)(2)(3)の間に断絶があることを予測する。そこに連続を見出そうとした先行研究として話者の関与度スケールを提案したMaat & Degand (2001)がある。またこれまでの先行研究はメンタルスペース理論を推し進めることで(1)(2)の間の関係をよりシステマティックに見ることができることを示唆している。

 本稿では第二章では既存の研究を応用することで、第三・四章ではそれとは異なる方法で実質的読みと認識的読みの関係を追及し、最後に第五章で二つの研究方法を二つの話者の関与度スケールを用いて統合した。結果、先行研究で見られなかったようなカラ文の意味の広がりを示すことができた。そしてカラ文の意味拡張には、因果関係を報告する際の視点の構造と因果関係の背後にある「関連付け」の完全さの度合いの二つが関わっていることを示した。第六章では展望を述べた。

(第二章)

 本章ではメンタルスペース理論を応用して、「視点構造」に注目することで、意味と形の結びつきを実質的読みと認識的読みに関して描き、二つの読みの違いを明確にした。視点構造とは話者や主語の視点(指示の中心)の位置と視点配置の場となるメンタルスペースの構成のことである。

 Cutrer (1994)の分析を応用し、カラ節の視点を、カラ節内の時制と認識的モダリティの指示の中心から解明した。カラ節内の「た」意味解釈が主節の時制辞に依存するか否かを見ることによって、(4)のような通常の実質的読みにおいてはカラ節の視点は主節にあり、(5)のような認識的読みにおいては発話の場にあることが分かる。

(4) 子供が泣いたからお母さんはおもちゃを買った。(通常の実質的読み)

(5) 明かりがついていたから彼は部屋にいた。(認識的読み)

更に以下のような特殊な実質的読み(SAC)ではカラ節の時制は主節と共有されている。

(6) (子供が泣くことがお母さんがおもちゃを買うことに先行する解釈)

子供が泣くからお母さんはおもちゃを買った。(SAC-1)

(7) 危ないことをするから怪我をした。(SAC-2)

私たちは(6)については主節主語の、(7)については話者の視点からの原因事態へのアクセスが特殊であることを指摘した。(6)のような例文については岩崎(1994)の優れた先行研究があるが、(4)や(5)などとの関連は捉えられていない。私たちは視点構造に着目することで(4)から(7)までの例文の意味的側面を同一の平面上で扱うことができると示した。

 最終的には各例文に関して視点構造を介してどのような接続のタイプ(統語的側面)をとるかが決まることを論じた。つまり、視点構造が意味と形を仲介するのだ。

 VanValin(2004)は機能文法の立場から複文の意味と形の結び付きの理論の構築を目指している。それに対して、本章での分析は複文の特に節レベルの意味と形の関連をどのように解明していったらよいかについて「視点構造」への注目という新しい観点を提示した。

(第三章)

 第二章でSACの存在を指摘したことで実質的読みと認識的読みにも幅があることを示した。

 第三章では、Sweetserの分類にはあてはまらないような中間例があることを指摘した。(8)のような例である。この文は事態間の関係を表しながらも話者の認知状態に関わるという点で、実質的読みと認識的読みの両方の特徴を持ちつつも、どちらにも分類されない。

 私たちはこのような中間例は連想関係の個別的現われを報告するものであると分析した。そして「静的カラ文」と名づけた。一方因果法則に基づく通常のカラ文は対比のために「動的カラ文」と呼んでいる。以下の(8)は静的理由文の例であり、その背後にある連想関係は(9)のように表すことができる。静的理由文は因果関係を表さず、並列的であるという特徴が持つ。

(8) 秋だからしみじみする。(静的カラ文)

(9) 秋はしみじみするものだ。(連想関係)

静的カラ文か動的カラ文かということは話者の知識のあり方による。以下の例文は前件と後件の間に因果関係を見出せるかどうかにより、どちらにでも読める。

(10) 秋だから葉が色づく。(静的カラ文・動的カラ文)

因果法則は二つの事態や状況の完全な関係付け(contingency)に基づく。一方、連想関係の背後にあるのは不完全な関係づけであることが多い。完全な関係付けは話者ではなく外部世界に属するものと見做される。不完全な関係づけはそのような関係付けを行った話者の存在を示唆する。静的カラ文はこの点で動的カラ文より話者の関与度が高いといえる。

(第四章)

 現在の認知言語学の枠組みでは、発話の場における静的カラ文の特徴を分析をするのに十分な道具立てがない。この章では「ジョイント・アテンション」や「志向性の一致」という概念を導入し、静的カラ文の発話の場における特徴を考察した。

(8)のような静的カラ文を発話するのと、その背後にある(9)のような連想を発話するのにどのような違いがあるだろうか。その違いは以下の(11)と(12)の関係に対応していると分析した。

(11) 雪!

(12) 私は雪に感動した。

(11)や(8)のような文は話者の志向性の向けられている先を提示している。発話によって聞き手も同じところに志向性を向けることができ、間主観的な状態が成立する。一方(9)や(12)において聞き手は、ある志向性を持っている話者に対して志向性を向ける。従って、間主観的な状態は成立しない。情報伝達のために言語を用いるときは第二章で用いたような視点構造の追跡が行われる。動的カラ文は主にこの用途に用いられる。一方、静的カラ文は志向性の一致のために用いられることが多く、その際には視点構造は追跡されるのではなく共有される。

(第五章)

 第五章ではMaat & Degand(2001)の話者関与度スケールを応用し、前章までの研究を統合する。第二章で見たようなカラ文はMaat & Degand(2001)の話者関与度スケールによって分類することができる。これは話者が関係の報告にどれだけ関わっているかを計量する。

 一方、第三・四章で扱ったカラ文を扱うことのできる第二の話者関与度スケールを私たちは提案する。これは報告される関係の構成にどれだけ関与するかを見るものである。この二つの軸を用いてカラ文の意味の広がりを捉えることができる。この分析からでてくるのは放射状カテゴリーとしてのカラ文である。この枠組みを用いると、これまでは扱うことの出来なかった「主観的な」関係を「客観的」に報告するカラ文や「客観的関係」を「主観的」に報告するカラ文を分析することができる。またノデ文とカラ文の振る舞いの違いについても説明することができる。

以上の分析はカラ文のように極めて客観的に扱うことの可能な因果関係を表すための形式でさえ、話者がその関係(因果関係)とどう関わるかというプロセスを反映することを示している。

(第六章)

 第六章では議論のまとめをする。その上で、本稿のカラ文の分析に基づいて一人称的観点からの文法理論を提案し、それが言語学や関連領域の研究で今後どのように発展させることができるかを検討する。

審査要旨 要旨を表示する

 宇野良子氏の博士論文Detecting and Sharing Perspectives Using Causals: A Case of Japanese Causals(視点の追跡と共有--接続助詞「から」を含む複文の認知言語学的分析)は日本語における理由の表現、とりわけ接続助詞「から」によって表される関係に注目し、そこに潜む認知プロセスのダイナミズムを解明したものである。とりわけ、因果関係の把握において外在的理解と話者の主観的視点に依拠した理解の相違を実証的に論じた功績は大である。論文は全6章から構成されている。

 第1章では、日本語における接続構造を外在的な関係を表すものと話者の主観に依拠したものとに分けた上で、「から」が両方の捉え方を表しうる形式であることを示し、同時に永野、南、田窪ら日本語学者による先行研究のサーヴェイを行っている。第2章-第3章では、メンタル・スペース理論を応用して視点構造を捉え、スペース配置の相違として二種類の「から」構文を分析している。ここではSweetserによって描き出された、実質的読みと認識的読みの類型をさらに精緻化し、中間例の存在を指摘している。同時に、認知プロセスの相違に対応する統語的特徴も、田窪らの研究を発展させ、Role and Reference Grammar(RRG)の枠組みをも参照しつつ明らかにしている。第4章-第5章では、これまでの分析で問題となる例について、静的理由文と動的理由文という区分を新たに導入し、モデルを提供している。そこでは言語使用者の志向性に注目し、因果性の把握についての関与のありようを分析している。第6章は、結論にあてられている。

 本論文の学術的意義については、以下の審査結果が得られた。

1. 日常言語において因果性を表す形式は多様であるが、その背後にある因果性の認知プロセスもまた、一様ではない。Sweetserは「実質的」、「認識的」、「発話行為的」という三領域を立てて因果性の捉え方の相違を分析した。いっぽう、日本語学の伝統においても、「ノデ・カラ論争」という形で、因果性を表す形式がもつ機能についての分析が以前からなされてきた。本研究はこれらの先行研究をふまえた上で、メンタル・スペース理論を応用して、より妥当性の高い分析を行うことに成功した。Sweetserによる領域間の関係の分析は、メタファー写像による不連続な結びつきという観点に立っているが、本研究では実質的領域と認識的領域の類似性および相違をより一般的な観点からとらえている。外在的理解と話者の主観的視点に依拠した理解という区別は、スペース配置の相違として捉えられている。後者においては、因果性を把握する媒介として話者が存在する。因果性の標識としてのカラの特殊性は、この両方のスペース配置を許容する点にある。この点は、「ノデ・カラ論争」にも新たな洞察を提供するものである。

2. 上記の主張を行うにあたり、本研究は複文におけるテンス・モダリティの解釈の分析に基づいた論証を行った。類型論的妥当性をめざす文法理論の中では、形式と意味との相関が言語の一般的特性とされる。特に複文の分析では、Interclausal Semantic Hierarchyが接続の構造上のタイプ(連接レベルと依存関係というパラメータによって規定される)と相関するという仮説が出されている。本論文では、南や田窪の先行研究によって指摘された点をさらに深め、カラによる接続構造における相対テンスの解釈、および認識的モダリティの分布にもとづいて、一見同じに思われるカラ接続が、実は解釈に対応して異なる構造をもっていることを示した。この点は日本語の具体的分析として有意義であるばかりでなく、機能的類型論のテーゼを支持する論拠が新たに提示されたという点でも重要である。

 以上二点については、審査員の間でも強い支持が得られた。

3. 本論文の後半部分を占める、因果性の把握における静的(static)対動的(dynamic)読みの存在は、これまで指摘のほとんどなされていなかった現象であり、この点についても高い評価が与えられた。ただし、実質的読みと認識的読みの連続性、および静的なカラ文の存在は、デリケートな判断を要する部分があり、より明示的な論証が求められるという指摘もなされた。とはいえ、静的なカラ文においてはメトニミー的な判断や、場合によってはアド・ホックな連想関係にもとづく因果性の把握が主であり、その点で世界の構造よりも話者の認識状態に依拠した因果性を含む度合いが強いという指摘は、大いに魅力的な議論であった。こうした現象を分析するために提案された、話者の志向性という概念、およびそうした志向性に対話の相手が同調し、話し手が構築したメンタル・スペースの配置を聞き手がトレースすることで静的な因果性が理解される、という提案は既存の言語理論の枠を越えた意義をもつ。この点については、ヒトの進化研究や自閉症研究などと連携した学際的な研究の必要性が審査員により指摘された。

 最後に、本論文は「一人称的観点からの文法理論」の構想を示している。これは言語使用において話者の主観性が根源的に関わっている、というアポリアに基づいて言語理論を再構築しようとする発想であり、今後の発展が期待される。

 以上、本論文は因果関係の把握の言語化という認知意味論における重要課題に日本語を軸にすえて取り組み、従来なされなかった貴重な観察、分析、理論化を提示したものである。全体として学術的価値が高く、この分野における優れた研究成果として高く評価すべきものと判定する。よって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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