学位論文要旨



No 121916
著者(漢字) ベツィナ サイモン
著者(英字) BEZZINA Saimon
著者(カナ) ベツィナ サイモン
標題(和) クレジット・デリバティブ及び擬似証券化の法的側面
標題(洋)
報告番号 121916
報告番号 甲21916
学位授与日 2006.11.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第198号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神田,秀樹
 東京大学 教授 江頭,憲治郎
 東京大学 教授 中里,実
 東京大学 教授 高見澤,磨
 東京大学 教授 荒木,尚志
内容要旨 要旨を表示する

クレジット・デリバティブ(Credit Derivatives)及び擬似証券化(Synthetic Securitisations)は,現代の金融の主要部分を支える基礎の一つとなっている。一方には,これらのテクニックが金融システムを不安定化させている,との主張がある。クレジット・デリバティブは『金融の大量破壊兵器』だというウォーレン・ビュフェット氏のコメントは,批判者によるそれの中で最も厳しい部類に属するものとして際立っている。しかし他方には,これらのテクニックは現代の金融システムに不可欠でありかつ安全である,との主張もある。他のすべての金融上のテクニックと同様に,システムを危機に曝すのはその濫用と不正使用のみである,と。本稿は,以上の議論につきバランスの取れた見通しを示そうと試みるものである。

本稿では,クレジット・デリバティブ及び擬似証券化に関する6つの論点を,深い分析の対象として選択している。すなわち,

情報の非対称性及び投資家保護に関する問題

伝統的な概念(concepts)及びテクニックとの関連での新金融テクニックの使用

ISDA雛型文書(documentation)に関連する決済に関する問題

モラル・ハザード問題

インサイダー取引及び市場濫用行為(market abuse)問題

クレジット・イベントとしてのローンのリストラクチャリング

これら6つのテーマを取り上げた主たる理由の第一は,これらテーマを検討することによって,クレジット・デリバティブや擬似証券化がどの程度安全なものであるかということにつき,多くの視点からのバランスの取れた見通しが与えられるからである。例えば,モラル・ハザードが生じる場合,損失に直面するのは,多くの場合プロテクション販売者側であることから,モラル・ハザード問題はプロテクション販売者の観点から検討される。他方,現物で決済される(physically settled)スワップの場合には,プロテクション購入者は,もし参照債務を引き渡すことができなければプロテクションの便益を失うのであるが,これはプロテクション購入者の決済に関する側面の一つである。情報の非対称性は,プロテクション購入者であるか販売者であるかを問わず,投資家に関係することであり,また現代的なテクニックとともに伝統的なテクニックを用いる擬似証券化の仕組みの完全性は,最終的な投資家のみならず,アレンジャー及び格付機関(rating agencies)とも関係する。

これらのテーマを取り上げた別の理由として,それらが,法的な論稿が乏しい論点を含んでいるということがある。これらテーマは,現在その専門技術(technology)のいわば最先端にあるので,新たな領域を探求する機会を提供するものであると同時に,この法領域のさらなる安定化に寄与する新たな解決策を提供するものでもある。なお,多くの書物でこの主題につき入門的になされる説明とか,繰り返し議論されてきた側面や論点は,この論文では省略している。このことは,本稿の実質部分が「オリジナル」なものでなければならないという要求を満たすためになされていることである。

これらのテーマを選択したことに大きく関係するもう一つの重要な要素は,日本法が,そのテーマの重要な部分を占めているということにある。外国法や外国判例を取り扱う場合にも,日本の会社を含むケースに焦点を当てている。この新しい金融テクニックのクロス・ボーダー的でかつ多法域横断的な性格は,いかに強調しても強調し足りないものである。

第一章では,この金融テクニックとの関係で現れる情報の非対称の問題について論ずる。主として,この情報の非対称性を減少させることを目的としている日本の諸法の適用に焦点があてられ,銀行法や証券取引法,金融商品販売法の諸規定に関する議論が行われる。この章では,これら各法の諸規定は金融システムに組み込まれており,他の規定および諸法に影響を持つであろうという事実を強調する。

第二章は,擬似証券化のスキームにおいて,伝統的テクニックとして,約定担保権(security interest)が利用されることを取り扱う。テクニックを現代的ではなく伝統的なものたらしめているものは,そのテクニックの背後にある概念だけではなく,そのテクニックに適用されるルールでもある。この章では,証券化スキームにおける約定担保権の基礎として,容易に確定される事実(readily-determinable facts)に基づくルールを支持し,擬似証券化のスキームにどのような影響を与えるかという観点から,現在の日本及びイングランドのルールを検討する。

第三章では,モラル・ハザードの問題が検討される。保険のような伝統的な金融上のテクニックは,「損失」概念によってモラル・ハザードを減少させるというセーフティ・ネットを有していた。この章では,ISDAに依拠したクレジット・デフォールト・スワップで採用されているセーフティ・ネットを考察し,そのセーフティ・ネットが破綻する事例を検討する。また,これらセーフティ・ネットをより効果的ならしめるために何がなされるべきかという点についての提案も行う。その際,大和銀行を当事者とした事案をモデルとして用いる。

第四章は,日本法人である野村證券が関係した,イングランドの裁判所におけるある判決に基づいている。主要な論点は,ここでも「伝統的」な証券(instrument)-当該事件では交換社債(exchangeable bond)であった-がクレジット・デフォールト・スワップに対して有する効果,であった。争点は,そのスワップの決済として交換社債を引き渡すことの当否であった。というのも,スワップ社債契約も,これら2つのテクニックを同時に用いることを想定して作成されていなかったからである。主たる議論は,「偶発性がないもの」(Non-Contingent)との要件がプロテクション販売者の保護のために含まれていたことにあるが,裁判所の判決は,そのプロテクションを損なわしめるものだった。

第五章では,クレジット・デリバティブの利用が,インサイダー取引及び市場濫用行為の観点から検討される。この点に関して生じる主要な問題の一つは社債発行の際,引受人のエクスポージャーが予めヘッジされるということにある。モラル・ハザード問題と市場濫用行為及びインサイダー取引規制の枠組みとの関係の検討が,この章の主要な目的である。

第六章では,クレジット・イベントとしてのリストラクチャリングに関する問題,及び,ISDAによって採用されている解決策が検討される。これは,ISDAの雛型文書において非常に長きに亘って盛んに議論されてきた事項であり,そして多くの解決策が提案され採用されてきたが,それら議論は錯綜している。そこで,この章においてはさらなる進展を必要とするいくつかの領域を特定する。この章ではまた,この事項がクロス・ボーダーな性格を有することが強調される。各法域の個々の市場や法の特徴に応じて,異なる法域では異なる解決策が採用されてきた。さらに,そういった法の相違から,各法域で異なる問題が生じている。この章では,これらの側面が検討される。

クレジット・デリバティブは,擬似証券化のスキームと不可分に結びついている。クレジット・デリバティブは,擬似証券化スキームにおいてリスク移転のために用いられるのみならず,あるスキームにおいては,ISDA雛型文書に依拠したクレジット・デフォールト・スワップにより,「擬似証券化」機能が果たされている。すなわち,そのような場合には,擬似証券化がクレジット・デリバティブである。一例として「擬似シングル・トランシュCDO」を挙げることができる。このスキームは,「シングル・トランシュCDO」として言及されるにも拘らず,基本的には,クレジット・エクスポージャーあるいは他の資産を組み合わせたポートフォリオを参照するクレジット・デフォールト・スワップである。ISDA雛型文書に関連して生起する問題は,明らかに,このタイプのCDOの場合,およびクレジット・デリバティブがローンのエクスポージャーのヘッジのような他の目的に用いられる場合の,双方について妥当する。クレジット・デリバティブと擬似証券化がこのように非常に密接に連関しているとの見地から,本稿ではクレジット・デリバティブと擬似証券化の双方につき焦点をあてる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、クレジット・デリバティブ(credit derivatives)すなわち債務者の信用リスクを取引するデリバティブ(金融派生商品)の法的問題を、いくつかの個別論点に焦点を当てて論じたものである。「擬似証券化」(synthetic securitization)とは、クレジット・デリバティブに用いられる手法の一つで、その信用リスクが問題とされる債権(参照債務)を「証券化」の手法を用いて投資家に売却するが、債務者の信用が危うくなる事態(クレジット・イベント)が発生するか否かにより投資家が受け取る金額が変動するものであり、多くの法的問題が含まれているので、表題の一部とされている。

 本論文は、序論のほか、6つの章からなる。

 序論においては、クレジット・デリバティブについては、一方では「金融の大量破壊兵器」等と批判され、他方では「現代の金融システムに不可欠で安全なもの」と評価される等、際立って評価が分かれているが、他の金融上の手法と同様にシステムを危機に曝すのはその濫用・不正使用であるとの立場から、バランスのとれた見通しを示すことが目的であると、本論文の目的を示した上で、本論文がとりあげる6つの論点は、多様な視点からクレジット・デリバティブおよび擬似証券化がどの程度安全なものかを示すために適したものである旨が述べられる。

 第一章「クレジット・デリバティブと投資家保護法制」においては、通常、ニューヨーク州法またはイングランド法を準拠法として締結される日本のクレジット・デリバティブ契約に対し、金融テクニックに関する情報の非対称性を減少させることを目的とする日本の金融商品販売法、証券取引法、銀行法等がどのように適用されるかが論じられ、それら諸法の相互関連性、たとえば「私法」である金融商品販売法の違反に対し行政上の措置が連動するであろうこと等の点が指摘される。

 第二章「クレジット・デリバティブと証券化スキームにおける約定担保権」においては、擬似証券化のスキームに約定担保権が用いられることに関係し、日本およびイングランドの約定担保法制の問題点が取り上げられ、担保の順位が関係者の善意・悪意に依存している法制は、公示登録制度(notice filing system)に取って代わられることが望ましい旨が述べられる。

 第三章「ISDAに基づく現金決済クレジット・デフォルト・スワップにおけるモラル・ハザード」においては、クレジット・イベントが人為的に作出される危険に対処するために現行のISDA契約文書が課している要件、および、当該対処をより効果的になし得る方法が検討される。

 第四章「現物決済クレジット・デフォルト・スワップにおける引渡に関する問題」においては、現物決済方式、すなわちクレジット・イベントの発生時にデリバティブの買い手が売り手に対し債権(債券)現物を引き渡す方式のクレジット・デリバティブにつき、契約上「引渡可能債務」とされているものの範囲をめぐる解釈上の争い(具体的には「偶発性のない」との要件に関するもの)が取り扱われる。

 第五章「クレジット・デリバティブ、インサイダー取引および市場における濫用行為:起債前のヘッジ」においては、社債発行に際し引受人(underwriter)がリスク・ヘッジのためクレジット・デリバティブを購入する行為が、同人が発行会社の将来の起債を知っていることから、インサイダー取引またはイングランド法にいう「市場における濫用行為」に該当しないかという問題が検討される。

 第六章「クレジット・イベントとしての再構成」においては、参照債務の債務者(参照主体)の再構成(リストランチャリング)をクレジット・イベントとの関係でいかに取り扱うべきかがISDA契約文書起草上長く問題とされてきたこと、および、この論点に関しては、各国の市場・法制の特徴に応じて各国で異なる解決策が採用されてきたことが述べられる。

 以上が、本論文の要旨である。

 本論文の長所としては、次の点が挙げられる。

 第一に、クレジット・デリバティブは、新しい金融手法であり、その法的問題を取り扱う文献は未だきわめて少ない。わが国では、その基本的な法的仕組みを紹介するもの、実務的な活用の仕方を紹介するものなど二、三の文献があるのみである。本論文は、6つの具体的な法的論点につき詳細な分析を加えた点で、わが国におけるクレジット・デリバティブに関する最初の本格的な法的研究といえる。

 第二に、拾い出された6つの論点につき、問題の所在を指摘した上で、バランスよくかつ詳細な検討がなされ、著者の考えも明確に示されている。個々の問題点に対する詳細な分析は、法解釈に関する著者の高い能力を示しており、著者の主張を説得力あるものとしている。

 第三に、第一章では金融関係の諸法、第二章では約定担保法制、第五章ではインサイダー取引規制につき、日本法が論文内容として適切に折り込まれており、著者が日本法を熱心に勉強したあとが窺われるものとなっている。

 もとより、本論文にも、短所がないわけではない。

 第一に、第一章から第六章までの各章は、それぞれ独立性が高く、したがって、6つの各論を繋ぎ合わせた論文という印象が避けがたい。著者は、この6つの論点は、多様な視点からクレジット・デリバティブおよび擬似証券化がどの程度安全なものかを示すために適当なものと主張しているが、そうであることの理由を十分説明することが、本来望ましい。

 第二に、本論文は、クレジット・デリバティブの具体的法律問題の分析に徹しており、クレジット・デリバティブが案出された背景、沿革、商品類型、類似の制度との機能上の差異等の説明を一切含んでいない。そのことが本論文を読みにくいものにしている点は、否定できない。

 第三に、本論文では、クレジット・デリバティブの法的問題が争われた英米の裁判例等については相当詳細に述べられているが、文献の引用等については、より丁寧になされることが、本来望ましい。

 本論文には、このような問題点がないわけではないが、これらは、長所として述べた本論文の価値を大きく損なうものではない。以上から、本論文の著者が自立した研究者あるいはその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を備えていることは明らかであり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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