学位論文要旨



No 121918
著者(漢字) 青山,由美子
著者(英字)
著者(カナ) アオヤマ,ユミコ
標題(和) 11・12世紀におけるフランドル伯の尚書部
標題(洋)
報告番号 121918
報告番号 甲21918
学位授与日 2006.11.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第564号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,博
 東京大学 教授 蔀,勇造
 総合文化研究科 教授 池上,俊一
 東京大学 助教授 橋場,弦
 東京大学 講師 加納,修
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、11世紀半ばから12世紀半ばまでのフランドル伯の尚書部を議論の対象とする。現在のベルギー北西部に相当するフランドル地方は、当時、世俗君主フランドル伯によって統治される領邦、すなわちフランドル伯領であった。伯領は、英仏独の三大国に囲まれながら、事実上自立した領邦として存在していた。

 そのような特異な自立性をもたらした要因のひとつは、当時の西ヨーロッパの中でも領邦としては最も早くから高度に発達した行財政制度であったとされる。とするならば、フランドル伯の行財政制度は、他には見られない強烈な独自性を備えていたはずである。それを明らかにするため、本論では、まず制度の中核をなす尚書部の実態を解明することを試みた。

 フランドル伯の尚書部に関する研究は、およそ百年前に始められ、以後、ベルギーのヘント大学を拠点として、研究者の世代から世代へと継承されながら蓄積されてきた。そのため、ある問題意識が、研究者たちの間で世代を超えて共有されてきている。すなわち、小さな領邦にすぎないフランドル伯領で、なぜ、尚書部を核とする高度な統治組織が極めて早い時期から確立したのか。

 ベルギーの研究者たちは、尚書部の発達の延長線上にいわゆる近代的官僚制を見通し、その萌芽が小国としてはいち早く自国に芽生えていたことを高く評価する。彼らの関心は、12世紀後半の尚書部の最盛期に向かっている。そのため、それ以前の、尚書部が完成する前の時期は、最盛期の前段階として単純に位置づけられているにすぎない。

 この問題点を克服するため、本論では、従来軽視されてきたこの時期を対象に、伯の尚書部がどのような役人たちによって構成されていたのか、伯領統治のために彼らはどのような役割を果していたのかを明らかにしようとした。

 この2点について、従来の通説は次のような図式を描く。まず、人的構成の面では、最上位役人が下位役人たちを率いる2層のピラミッド型の枠組みが保たれた。この枠組みは変わらないまま、役人の人数や役職の種類といった内実の方は時間の経過とともに充実し秩序立てられていった。それにつれて、尚書部の役割も、当初の限定された役割から完成された尚書部が果たす役割へと近づいていった。つまり、はじめは受給者があらかじめ作成した文書に印章を添付するだけであった尚書部が、次第に、完全に自力で伯の証書を作成し発給できるようになっていったと言う。

 しかし、伯の証書を中心とする現存史料から得られる情報を再分析してみると、このような通説をそのまま受け入れることはできないことが明らかになった。本論文は、その分析結果を次のような構成のもと示すものである。尚書部を構成する役人たちを、最上位役人、中間役人、および下位役人の三層に分け、それぞれ、先述の2つの論点について、情報を総合し通説の問題点を修正していった。特に中間役人の存在とその重要性は、本論文によってはじめて解明された。

 まず、第1部では、尚書部を率いる歴代の最上位役人について、一直線の発達のプロセスを想定する通説に反して、変動する政治状況に直面しつつ自らと伯領が生きのびるための方策を彼らが何とか見出していった、その実相を明らかにした。

 続いて、その役割に関しても、証書の作成業務の統轄を最重要視する通説に異議を唱えた。実は伯の存在感が希薄になる機会の多かった1世紀のうちに、彼らは、行財政運営を監督するという当初の役割をこえて、伯の統治をサポートする摂政としての地位を確立していったのである。

 次に、第2部では、尚書部の人的構成を2層のピラミッド型とみる通説に反し、1110年代から1150年代末までは、尚書部には中間役人が存在し三層構造となっていたことを明らかにした。しかも、1120年代末の混乱期以降、中間役人は、第1世代から第2世代へと、政治状況の変化に応じて特質を変化させ世代交代をとげていた。

 続いて、中間役人の役割については、世代毎に大きく異なっていることが解明された。第1世代は、最上位役人と対立を深めていく伯にとって、尚書部で頼るべき人材を率いているグループリーダーであった。第2世代となると、外来の最上位役人から絶大の信頼を寄せられた秘書官として行動していた。一方で、証書発給や財務といった実務レベルでは、政治状況の変転の中尚書部の主要業務の遂行を保つべく、中間役人の果した役割は、最上位役人には手がまわらず下位役人には手が届かない性質のものであった。

 最後に、第3部では、下位役人について、不十分かつ図式的な従来の研究を克服するため、まず、下位役人の様々な役職名を5つのタイプに分類し、それぞれの特質を抽出した。その上で、各役職名の使用頻度を時系列的に分析し1世紀間の変化を解明して、その変化から下位役人の自意識や彼らに求められた資質をも明らかにしようとした。

 続いて、下位役人の役割については、まず、通説の指摘する通り、彼らが行財政を実務面で下支えする存在であったことが確かめられた。ただし、従来は尚書部の未熟さの表れとされる役職名や制度の未分化に関しては、当時の伯の移動宮廷で行財政に携わる役人にとっては、逆に歓迎すべき長所であったと評価を逆転させた。

 最終的に、各層の分析結果を総合した結論としてまず明らかになったのは、伯の尚書部が、通説に反して、実は4つの段階を経ながら人的構成の面で次々と異なる特徴を獲得していったことである。尚書部の3つの層は、互いに連動しながら変化をくり返していったのである。ゆえに、11世紀半ばからの約1世紀間は、次のように4つの時期に区分される。

 尚書部全体の人的構成は、第1期には2層のピラミッド型、第2期後半にはブルッヘ以外のプレポジトゥスが中間役人を務める3層構造、第3期後半には最上位役人に直属する秘書官が中間役人を務める3層構造、そして第4期にはひょうたん型と、4段階をふんで変化していた。

 さらに、尚書部の果たす役割についても、通説のいうように尚書部の主要業務が常に証書発給であるとは言い切れない。むしろ、証書発給、財務および統治のサポートという3つの業務を状況の変化にあわせて遂行し総合的に伯の統治システムを支えることが尚書部の役割であったことが明らかになってきた。人的構成と異なり、この役割は、いずれの時期においても時々の政情にあわせて微調整されていた。

 このように、1世紀の間に、尚書部の人的構成も役割も、尚書部を取り巻く状況に対応してきめ細やかに変容をくり返していった。その変容は、通説のイメージするような12世紀後半の最盛期へと一直線に右肩上がりに発達していくプロセスの産物ではない。したがって、通説をささえる問題意識そのものが根本から問い直されなければならない。

 より具体的な政治史の文脈に戻るならば、この1世紀というのは、フランドルという地域に存在する様々な政治勢力を、領邦君主として伯が統合しようと試み続けた時期であった。特に12世紀初頭の混乱期には、都市やフランス王といった新たな政治勢力の参入を受けて、伯領の政治構造が大きく転換し始めた。そのような時期に、尚書部は、伯による統治が、伯領内外の阻害要因によって動揺しないよう歴代の伯を支え続けた。伯が伯であるために、尚書部による通常の行財政業務の着実な遂行および非常時の業務として統治のサポートが不可欠であったのである。以上が、本論文の結論である。

 では、伯の尚書部が領邦君主のものとしては最も早く高度に発達することになった、その要因とは、一体何であったのか。本論文の結論から、次のような仮説をたてることができた。

 11世半ばから1世紀の間フランドルを抱える北西ヨーロッパでは、十字軍から叙任権闘争、教会改革そして12世紀ルネサンスにいたるまで、いくつもの時代状況が重なり合い渦巻いていた。その中で、フランドル伯領は、大国に囲まれながら台風の目に位置しており、よく自立性を保っていた。そのフランドルという小さな磁界の中心は、教会勢力が弱体であったため聖俗2つではなく唯一伯だけであったのである。ただし、統治者としての伯の磁力も、常に内外の諸要因に左右されており、高いレベルで安定していたわけではない。だからこそ、伯を支える尚書部の存在意義は同時代の他地域よりも大きく、その高度の発達がもたらされたのではないか。この仮説の是非を検証することが、のこされた課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文の対象となっている11〜12世紀のフランドル伯領は、英独仏の三強国に囲まれながら、独立を維持した領邦であった。フランドル伯が、それらの王国に併合されることなく、独立を維持することのできた最大の要因の一つは、高度に発達した行財政制度であったと考えられている。本論文は、この行財政制度の中核をなす尚書部の実態を解明しようとしたものである。

 ベルギーの研究者たちは、尚書部の発達の延長線上に近代的官僚制を見ようとしてきたために、その関心は尚書部の最盛期である12世紀後半に集中し、それ以前の時期にはあまり注意が向けられてこなかった。そして、11〜12世紀の尚書部については、最上位役人が下位役人たちを率いる単純な2層のピラミッド型構造を有し、その基本的枠組みを変えることなく、役人や役職の数が増加し、自立性を強め、12世紀後半の最盛期を迎えたと考えられてきた。

 著者は、このようなベルギーの研究者たちの理解に異議を唱え、以下のような新しい説を提示した。まず第一に、尚書部の人的構成は、第1期には2層のピラミッド型、第2期後半にはブルッヘ以外のプレポジトゥスが中間役人を務める3層構造、第3期後半には最上位役人に直属する秘書官が中間役人を務める3層構造、そして第4期にはひょうたん型と、4段階を経て変化していったことである。第二に、尚書部の主要業務が、通説で考えられてきたような証書発給に限定されていたわけではなく、財務や統治を支えるための他の業務も行ってきた、というものである。

 ラテン語証書史料の網羅的な検討、尚書部役人の人的構成の詳細な検討は、著者の議論を説得的なものとしており、通説の修正に成功した論文と判断される。

 史料に関する説明が不足しているため、残存史料の全体像が見えにくいという欠点、また、フランドル伯以外の尚書部との比較が不十分であるため、その特性がつかみきれていないという欠点はあるが、先行研究を踏まえた上で、年代記や証書など多くの一次史料に基づいてなされた議論は、博士論文として十分満足できる水準に達しており、歴史研究者として今後の実り多き研究生活を期待させるものである。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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