学位論文要旨



No 121919
著者(漢字) 瀧川,裕貴
著者(英字)
著者(カナ) タキカワ,ヒロキ
標題(和) 現代リベラリズムの理論構図と社会学的規範理論の展開
標題(洋)
報告番号 121919
報告番号 甲21919
学位授与日 2006.11.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第565号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 松本,三和夫
 東京大学 教授 武川,正吾
 東京工業大学 助教授 宇佐美,誠
 東京大学 助教授 赤川,学
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、社会学的規範理論の構築にある。本稿では、完全な理論的構築物の提示ではなくより基礎的な仕事として、社会学的規範理論の構築のためにはいかなる方法を用いてどのような問題を解決しなければならないか、を明示化することを目的とする。具体的には、第一に、社会学的規範理論のもつべき特徴を明らかにするために、現在の主流派の規範理論たる現代リベラリズムとの比較対照の手法を用いる。そこで、現代リベラリズムの理論構図を「社会理論としての現代リベラリズム」の観点から分析し、その抱える問題を明確に提示する。その上で第二に、既存の社会学的立場から構築された規範理論の展開を批判的に検討することにより、現代リベラリズムの抱える問題を解決しうる代替的理論構想としての社会学的規範理論の可能性を探求すること、を試みたい。

 社会学的規範理論はなぜ必要となるのか。この課題に取り組むのが第一章である。本章では、最近社会学の分野で盛んに提唱されている公共社会学とそれをめぐる論争を批判的に検討し、社会学理論にとっての規範理論の必要性を明示化することがめざす。公共社会学、およびその源流たる批判社会学のプロジェクトは自らの規範的立場を理論的に構築するための資源を備えることなしには持続的なプロジェクトとして存続しえないというのがここでの結論である。

 規範「理論」の自覚的構築に乗り出すためには、現代リベラリズムの洗練された理論的建築物との対決は避けえない。また現代リベラリズムとの差異によってこそ社会学による規範理論の提示の有意義性もまた明らかになるはずである。そこで、第二章、第三章、第四章は、現代リベラリズムの批判的検討にあてられている(ここで現代リベラリズムとは善き生の構想についての中立性という政治原則を中核とする規範理論のことをさしている)。その批判的検討の結果、現代リベラリズムはまず内在的にみても規範理論として一貫したものではなく、解決不可能な矛盾を抱えていることが明らかになる。さらに、本論文ではこれらの問題をリベラリズムの特異な社会理論的前提に帰すよう試みている。現代リベラリズムの問題を社会理論的観点から分析することにより、それとの比較対照の上でより理に適った社会理論の知見に基づく規範理論の構想をイメージすることが可能になるからである。つまり、それは代替的な社会理論に基づく新たな規範理論の構想を提示するための批判的出発点として機能するのである。これを逆にいうと、現代リベラリズムは社会学理論の規範的基礎を提供するほど豊かな社会理論的前提を備えていないということ、それゆえ社会学的規範理論は現代リベラリズムとの批判的距離によって、その成果を測られるべきものだということを意味しているといえるだろう。

 具体的な章の内容は次のとおりである。第二章は、現代リベラリズムの原点たるロールズの正義の理論を検討しもって現代リベラリズム一般の抱える問題の構図を提示することを目的としている。具体的には、現代リベラリズムの出発点たるロールズの正義の理論の抱える内的矛盾を析出し、この矛盾が彼の制度構想にもたらす含意について検討している。第三章では、ロールズの正義の理論の分析の結果得られた基本的諸善の不確定性という見解を手がかりにして、さらに現代リベラリズムの具体的な社会構想たるリベラルな平等主義について検討されている。ここでの結論は現代リベラリズムの理論的前提に基づくならば、理に適った平等の確保についての規範的主張をなすことは不可能だということである。最後に第四章では、現代リベラリズムが中立性原則の妥当性を論証する複数のアプローチを逐一批判的に吟味することによって、現代リベラリズムの中立性原則が前提とする社会理論を掘り起こすという作業を明示的に行っている。以上の検討の結果、現代リベラリズムの社会理論的前提の特質とその理論構図を規定するという所期の目的は達せられる。まとめると、現代リベラリズムの理論構図は。(1)方法論的個人主義。(2)価値の一元論。(3)社会に対する楽観主義(非・制度的多元主義)、によって特色付けることができるのである。

 社会学的規範理論の展開を考察するに先立って、第六章では現代リベラリズムの代替構想として現在提示されている共和主義の構想を検討している。ここでは、積極的自由を重視するコミュニタリアン的なサンデルの共和主義とより消極的自由に近い第三の自由としての非支配としての自由を支持するペティットの新ローマ的共和主義という二つの共和主義を検討し、それぞれがそれぞれの理由により理論的な自足性を欠いているということを結論する。

 以上の検討から得られた理論的成果を携えて、第七章、第八章では再び社会学的規範理論の構築という主題に立ち戻る。第七章では、T.パーソンズの壮大な社会学理論が規範理論的可能性という観点から検討に付される。パーソンズの社会学理論が秩序問題を出発点とした事実は、パーソンズ理論と規範理論との二面的関係を示唆している。つまり、パーソンズ社会学はその成立時点からホッブス以来の規範的問題定立を引き受けると共に、それをつねに経験的問題と混同することにより明示的な規範理論の展開を妨げてしまっているという二面性である。近年のパーソンズ研究ではパーソンズの社会学的規範理論的側面にあらためて注目が集まっておりそれはある程度正当であるが、同時にパーソンズ自身が明示的な規範的問いの定立に失敗しているという事実も真剣に受け止めなければならない。以上より、われわれのなすべきはパーソンズによる近代という歴史的状況における規範の「記述的」提示を、より自覚的な反省的水準での規範の提示として再構成し、その上でその説得力と限界を見定めることにある。このために用いられるのが現代リベラリズムの規範理論との対比なのである。検討の結果われわれはパーソンズ社会学から規範理論構築の礎となる次の三つの社会理論的契機を見出すことができた。それは、(1)方法論的制度主義、(2)価値多元論、(3)制度多元主義、である。これらの三つの原理は現代リベラリズムとは異なる立脚点に立った代替的な規範的社会理論を構築するための潜勢力を秘めている。しかしその潜在的可能性を実現するためには、自覚的な規範的問いの必要性に盲目であったパーソンズの社会理論を越えて進まなければならない。

 第八章では、パーソンズ以後の社会学的規範理論の展開としてエツィオーニ、セルズニック、ローティの社会学的規範理論を検討する。彼らの議論は規範理論構築の作法に自覚的であるという点ではパーソンズの社会学より前進しているものの、いまだ多くの解決すべき問題を残しているというのがここでの結論である。

 本論文の全体の結論としては次のとおりである。第一に方法論的制度主義の立場に立脚する社会学的規範理論は価値多元主義の問題をより真剣に考慮するという点で現代リベラリズムの規範理論に対して優越している。現代リベラリズムは中立性原則に従うことにより、一見多元化した社会を中立的に統括する不偏的原理を提示しているかのようにみえるが、それは誤りである。むしろ、公共的正義の問題を価値から切断して論ずる現代リベラリズムよりも、公共的制度と価値とは内在的に結びついているということから出発する社会学的規範理論の方が実際には価値の多元主義の問題をその問題の困難性とともに承認しているといえるのである。かくして社会学的規範理論は社会に現存する複数の価値を貶価することなく真剣に捉えるが、それと同時に価値に対する批判的・反省的視座も備え付けている。それが特定の制度とその制度に結びついた価値の絶対性を批判する制度多元主義の原理である。ここで制度多元主義とは、市場にしろ、法にしろ、コミュニティにしろ特定の制度が他の制度領域を侵食することに対し批判的であり、複数の制度の多元的存在を是とする社会学的規範理論の原理である。したがって、ある特定の制度が優越することが他の制度およびそれに内在する価値を侵害するような場合には、当該制度とそれに内在する価値は批判的検討にさらされることになり、かくして制度多元主義は価値に対して反省的水準で批判的に機能することになる。この制度多元主義の原理を現今の理論的文脈におく場合、特に政治的公共圏の強調という規範命題が帰結する。というのは、現在の主流派リベラリズムにおいては法および市場という制度構想に比して政治的公共圏の役割は著しく貶価されているからである。価値多元主義と価値についての理性的不一致の問題を真剣に考慮する社会学的規範理論は制度構想としても政治的公共圏の重要性を主張することになるだろう。最後に、これらの社会理論的原理を統括する規範的原理として本稿では非効用主義的帰結主義という発想を提示する。非効用主義的帰結主義は効用主義を退ける点で現代リベラリズムと共通しているが、帰結主義を放棄しないという点で現代リベラリズムとは異なる。非効用主義的帰結主義とは、ある価値の批判的判断基準として当該の価値の有する内在的善さと他の価値に対してそれが与える(負の)帰結との総合的な比較判断を要請する規範的原理のことである。これは価値のリアリティと多元性を擁護しつつそれに対する批判的視座を確保するという点で社会学的規範理論の根底的原理というにふさわしい原理であるといえるだろう。その具体的展開と理論的彫琢については今後の課題としたい。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、多元的社会における規範的原理のための社会学理論の構築という目標のもとに、現代リベラリズムと規範理論的性格を有する既存の社会学理論とをともに批判的に検討し、社会学的規範理論のための方法前提を明らかにすることを目的としている。これまで、社会学は規範理論の構築を課題とするものではないとする傾向があったが、本論文は、現代リベラリズムの理論構図の分析を通じて、社会学に底流としてあった規範的探求の再生を目指した野心的な論考である。

 本文は、全9章からなっており、第1章において、近年の「公共社会学」への関心にうかがえる、社会学の規範的探求の伝統を再考し、社会学的規範理論の構築のためには、「善き生の構想についての中立性」という原則を掲げる現代リベラリズムの批判的考察が不可欠だと課題設定する。第2章では、ロールズの『正義論』が功利主義と完成主義への二正面作戦をとっているため、高次の理想による制約と中立性原則との内的矛盾を抱えていると分析する。第3章は、多元主義を擁護するものとして構想されてきたドゥウォーキンの資源の平等論ほかのリベラルな平等論が、中立性原則のために多元主義を否定する結果に陥っていることを詳細に明らかにし、センの潜在能力の平等論もやはり価値一元論を免れていないと批判する。第4章は、中立性原則を支える理論的根拠として、是認制約論、道徳的独立権、契約主義、および善の構想についての懐疑論を検討し、いずれも擁護しがたい社会理論的前提に基づいていると指摘する。そして、これまでの議論で明らかとなった現代リベラリズムの理論構図の問題点を第5章で整理したのち、第6章では、サンデルのコミュニタリアン的共和主義もその歴史主義的方法では多元主義に適切に対処できていないことを明らかにする。

 第7章からは社会学的規範理論を取り上げ、まずパーソンズ社会学の理論構図を分析して、本来規範的な問いであった秩序問題を「安定性」という経験的問題に帰着させてしまったがゆえに生じた混乱を明らかにし、近年におけるパーソンズ再評価もまた規範理論の構築につながる理論展開に至っていないとする。第8章では、エツィオーニとセルズニックのほか哲学者ローティの議論を社会学的規範理論の試みとして取り上げ、制度の社会学的記述が規範的含意を持たざるをえないとした点を評価しながらも、規範理論にとって必要なある種の「普遍主義」の設定に失敗しているとする。第9章は、「方法論的制度主義」と「非効用主義的帰結主義」に基づいて、著者独自の社会学的規範理論の構想を素描している。

 以上のように、本論文は、社会学的規範理論の構想という斬新な目標を掲げて、現代リベラリズムの理論構図を鋭く分析し、合わせてコミュニタリアン的理論と既存の社会学的規範理論の不備を剔抉しながら、素描的ながらも自らの理論構想の提示にまで到達している。この構想についてはまだ今後の展開が必要であるものの、中立性原則に対する批判の論脈とパーソンズ社会学の分析には極めて高い独創性と鋭い論理性が認められ、審査委員によって高い評価が与えられた。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論をえた。

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