学位論文要旨



No 121922
著者(漢字) 一丸,禎子
著者(英字)
著者(カナ) イチマル,タダコ
標題(和) マザリナード文書とは何か : コーパスとしての東京大学コレクション
標題(洋)
報告番号 121922
報告番号 甲21922
学位授与日 2006.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第688号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,志朗
 早稲田大学 教授 支倉,崇晴
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 助教授 松村,剛
 東京大学 教授 湯浅,博雄
内容要旨 要旨を表示する

 フランス史には,印刷物が大量に出回る時期が3度ある.16世紀末の〈宗教戦争〉,17世紀中頃の〈フロンドの乱〉,18世紀末の〈大革命〉である.「マザリナード文書 mazarinade」と呼ばれるのは〈フロンドの乱〉の時期に出たものである.現存するものはおよそ5,200種類あるといわれ,その圧倒的な量と,語られている内容の信憑性の問題ゆえに,長い間,歴史学者からは敬遠されてきた.しかしながら,1980年代後半に発表されたふたつの著作により,フランスにおける「マザリナード文書」の研究環境は大きく変化する.ひとつはクリスチャン・ジュオーによる『マザリナード:言葉によるフロンド』(1985年)であり,もうひとつはユベール・キャリエによる『〈フロンドの乱〉(1648-1653年)の出版物:マザリナード文書』(1989-91年)である.前者はいくつかの文書を事例として取りあげた歴史社会学的研究だが,従来のアプローチとまったく異なっている.これらの文書を同時代人の「証言」として扱うのではなく,文書が「何をしたのか」に注目し,発言を行為として観察したのだ.一方,後者は,「マザリナード文書」全体を考証の対象にした.第一巻が〈フロンドの乱〉の各陣営による文書の出版を検証した「世論の征服」,第二巻が,そうした文書を支えた当時の出版と流通に関する詳細な記述となっている.今日,「マザリナード文書とは何か」という問題を考える上で,キャリエのこの国家博士論文をしのぐ包括的論考はない.

 このふたりの研究者は,しかし,それぞれが異なる領域から出発して「マザリナード文書」というコーパスにたどりついた.ジュオーは歴史学者であり,キャリエは17世紀文学の研究者である.「マザリナード文書」が,このように学際的コーパスとして再評価されるようになった背景には,特に,アナール派の研究者たちが1960年代以降,積極的に研究領域を人々の生活や文化にまで広げていったことがある.彼らは印刷物の社会的影響にも注目し,特にロジェ・シャルチエは書物や読書の歴史に関する論考により,テクストが「意味をもつ」のは紙の上だけでないことを示した.

 一方,日本における研究の現状は,このようにして再評価されつつある「マザリナード文書」の2,600点を超すといわれる東京大学コレクションがあるにもかかわらず,資料体としてはまったく活用されていない状態だ.主な理由は,その存在が知られていないからである.しかし,このように「マザリナード文書」を取り巻く研究環境が大きく変化している現在,本コレクションをコーパスとして利用できるようにすることが,何より今後の研究には不可欠であると考えられる.よって,この小論はそのための基礎作業の一環として執筆された.本論は,次に述べる順序で,「コーパスとしての東京大学コレクション」を検証し,最後に,この資料体をより整備された状態で,より多くの研究者に開くために,今後作成される目録の第一段階となる資料を添付する.

 まず初めに,第1部では,辞書の記述に基づいて,「マザリナード文書とは何か」という基礎的な考証を行なう.辞書により「マザリナード mazarinade」が,固有名詞「マザラン Mazarin」と接尾辞「-ade」の結合により派生した集合名詞であることを確認し,現代の代表的なフランス語辞書,『TLF辞典』と『グラン・ロベール辞典』から,「マザリナード文書」と呼ばれるものは,シャンソンや誹謗文書などの形をまとった「言語表現」であり,内容は「反マザラン」,公表された時期が「〈フロンドの乱〉」であるという3つの要素を抽出する(第1章).次に,こうした辞書の定義をよりよく理解するために,この言葉の歴史的背景である〈フロンドの乱〉および宰相マザランについて,最新の歴史学の考察を参照する.「反マザラン」は〈フロンドの乱〉において,多様な利害をかかえる諸派を団結させたスローガンであった(第2章,第3章).そして辞書がこの言葉の語源とみなす,スカロン作『ラ・マザリナード』(1651年)の全文を,17世紀に,じっさいに流通していたテクスト(東京大学コレクションC-11-7)から再現し,その内容が,きわめて暴力的な「反マザラン」の誹謗中傷文書であることを確認する(第4章).第1部の結論としては,辞書の記述による限り,「マザリナード文書」とは,「〈フロンドの乱〉の時期の反マザラン感情を明らかにした文書である」といえよう.

 第2部では,じっさいに「もの」としての「マザリナード文書」がどのように存在するかを,東京大学のコレクションをひとつの事例としてつぶさに見ていく.初めに,東京大学図書館月報『図書館の窓』の文章から,本コレクションが購入された1978年当時の,日本の研究者による認識を見る.それ以後,「マザリナード文書」への関心が高まることは一度もなかったので,この認識は今日まで持続しているものと考えられる.また,購入時にこのコレクションに添付されてきた目録がコレクションの内容を正しく反映していないことを明らかにする(第1章).コレクションと研究者をつなぐ目録は,コーパスのインターフェイスとしてきわめて重要であり,「マザリナード文書」の場合には,各コレクションの収録文書をすべて記述した目録と,それとは別に全種類を集めた総合目録の2種類が不可欠であると考えられる.だが,現時点で世界的標準となっている総合目録,すなわち19世紀半ばに出版されたセレスタン・モローの『マザリナード文書総目録』は,研究史におけるその最初の試みであり,重要であることには変わりないが,掲載した文書の選択基準が明快に示されていないなど,不十分な点もある.そこで,これに代わるものとして,現在,ユベール・キャリエによって計画が進められている総合目録を紹介し,同時に,この計画と連動するがためにも,今回,東京大学コレクションの調査が急務であったことを指摘する.この計画では,2,000点を超すコレクションは残らず調査が済んでいたのだが,東京大学コレクションは存在さえ,まだ知られていなかったからである(第2章).次に,本コレクション全体と,それを構成する5つの下位コレクションの由来と特徴を記述する.要旨では詳細を割愛せざるをえないが,本論で述べられたその特徴には,今後の研究課題が多く発見されるだろう.最終的な全体の調査結果として,総文書数は2,700点を越え,まだどこにも記述されていないという意味での「新発見文書」が3点,存在は確認されているが,現存するのは1〜3点ときわめて希少性の高い文書が6点見つかった.(これらは,キャリエにより準備中の新しい総合目録――現段階では非公開――と対照した結果である.)(第3章).この検証を通じて,予想されたことではあったが,第1部での「一般的な辞書による定義」は覆される.東京大学コレクションは,「反マザラン」には限らない,じつに多様な文書の集合であるからだ.わたしたちは,そこでもう一度,同時代人にとって「マザリナード」という言葉が示したものに立ち返り,時間に沿って,この言葉の意味の変化を跡づける.スカロン以前に見出されるマリニーの用例では,「マザリナード」という言葉は一般名詞に近く,単に「マザランの愚行」を指していた.しかし,スカロンが『ラ・マザリナード』を書くにあたって,文芸ジャンル「ビュルレスク」の形式を採用したことにより,「現実の人間であるマザランを滑稽化した叙事詩のパロディ」を指すようになる.それをきっかけに類似の文書が「マザリナード」という名称のもとに集合化し,ひとつの政治的言説のジャンルとしても独立してゆく.しかし,反マザランではないものまで「マザリナード文書」と呼ばれるようになるのは,〈フロンドの乱〉の同時代からいたコレクターの存在による.彼らが蒐集した文書の集合が,のちにこの名称で呼ばれるようになるからである.また,それを決定づけたのは,前出のモローの目録である.モローと同時代の,辞書編纂史に残るふたつの著作がそれを証明する.『19世紀ラルース』事典は,モローに言及しながら「事実上マザリナードと呼ばれる文書の集合」を指し示す.その一方,エミール・リトレによる辞書は,モローには言及せず,参照を忠実に『ラ・マザリナード』に送り返し,「反マザラン」とした.リトレによる,この「狭義」の解釈が,後の辞書で踏襲されているのである.(第4章).

 大学や図書館にあるコレクションを見る限り,結果的に,わたしたちは次のように言うことしかできない.「歴史的にマザリナード文書と呼ばれてきたものは,〈フロンドの乱〉の頃に書かれたり,印刷したりして,現在まで残っている文書」であると.あるいは,キャリエが試みるように,各々の研究者が選択的定義に基づいてコーパスを再編することになるかのどちらかである.キャリエは,〈フロンドの乱〉を〈最高法院連合裁定〉(1648年5月13日)から,〈ボルドーの和平〉(1653年7月31日)までとし,この間に,テクストの形態に関わらず,内乱の世論形成に関わったとみなされるものを「マザリナード文書」としている.

 わたしたちの東京大学コレクションは,この小論の最後に付された,目録のための準備作業によって,今ようやく全体像が明らかになりつつある.各巻の特徴に表れているように,このコレクションは多様な研究テーマに対応できる豊かな資源である.とりわけ印刷物と社会の関係,読書のプラクティス,文芸と政治的言説の交錯など,17世紀に限らず研究の領野を広げ,かつ深める可能性を秘めるものだ.しかも,このコーパスが要求する学問領域の横断は,これまでにない学際的研究の発展を約束している.さらに,フランス国立図書館の「ガリカ」プロジェクトや,スイス科学研究基金の「アルタメーヌ」プロジェクトに見るような,コーパスのデジタル化とインターネット上での公開によって,東京大学コレクションはその価値をさらに高めることが期待されているのである.

審査要旨 要旨を表示する

 一丸禎子(いちまるただこ)氏の博士論文《マザリナード文書とは何か――コーパスとしての東京大学コレクション》は、17世紀中葉のフランスにおける、いわゆる「フロンドの乱」の時期に大量に出回ったところの、「マザリナード文書 mazarinade」と総称される時事的出版物を研究対象としている。アナール派の歴史学は、「蔵書研究」や、「青表紙本bibliotheque bleue」をめぐる研究といった、書物のコーパスを対象とした研究分野を活性化させてきたといえるが、本研究も、そうした流れに棹さすものと規定することができる。「マザリナード文書」は、政治パンフレットのみならず文学テクスト等も包摂した、学際的なコーパスとして、最近では再評価の動きも盛んであって、なによりも、世界中に散らばっている、公共あるいは個人のコレクションの正確な調査にもとづく、データの集積が求められている。現在、そうしたプロジェクトが進行中であって、本研究はその一環をなすものといえる。

 そしてもうひとつ、東京大学においてこのような研究がなされるべき、必然的な理由が存在する。東京大学は、1978年に、全44巻に及ぶ膨大な「マザリナード文書」を、4000万円余りで購入したが、この貴重なコレクションは、総合図書館において、死蔵された状態に甘んじていた。要するに、本コレクションは、ほとんど具体的に調査・研究されることなく、書庫の奥で眠り続けていたのである。

 以上のような状況を受けて、論文提出者は、上記「マザリナード文書」をコーパスとして、その実体を把握し、書誌学的な検証・貢献をおこない、その上で「コレクション」としてのマザリナードの形成と、その定義に迫るべく、研究を実施した。

 さて、本論文は、全4巻、総ページは優に1000ページを越える大冊である。第1巻が主論文であり、副論文ともいえる第2巻〜第4巻が、東京大学総合図書館所蔵「マザリナード文書」の目録改訂版となっている。

 主論文は、「マザリナード文書」の定義にかかわる問題系について考察をおこなうとともに、このこととの関連から、東京大学コレクションを、いわば「実体」としての「マザリナード文書」として、具体的に検証することを目的としている。全体は2部構成であり、第1部・第2部ともに、4章で構成されている。

 第1部では、まず辞書の記述に基づいて「マザリナード mazarinade」なる用語の誕生と生成とを考察する。次に、この用語の歴史的背景としての〈フロンドの乱〉、および宰相マザランについて、最新の歴史学の知見にもとづいた記述をおこなう。その際、mazarinadeの語源となったとされる、スカロン『ラ・マザリナード』(1651年)原典テクストを、東京大学コレクション(C-11-7)から起こして、分析し、これが暴力的なまでに「反マザラン」の誹謗中傷文書であることを確認している(第4章)。

 次いで第2部では、具体的な「もの」としての「マザリナード文書」を、東京大学コレクションをひとつのケーススタディとして詳細に検証している。まず、購入時に添付されていた目録の不十分さが明らかにされ(第1章)、次に、従来より依拠されてきたセレスタン・モローの『マザリナード文書総目録』に代わって、現在進行中の、ユベール・キャリエによる新たな総合目録作成という試みとの、連帯・連動の意志が明らかにされる。そして、この方針にしたがって、東京大学コレクションの全点調査がおこなわれる(その成果が、第2巻〜第4巻にほかならない)。

 その結果、さまざまな知見・発見が得られた同時に、今後の課題も多数見いだされた。総文書数が2,700点を越えることが明らかとなり、いわゆる「新発見文書」3点の存在も判明した。また、存在は確認されているものの,現存するものが1〜3点と、きわめて希少性の高い文書も、6点含まれることがわかった。そして、「マザリナード文書」の辞書による一般的な定義なるものはくつがえされて、東京大学コレクションが、狭義の「反マザラン」には限定されることのない、多様な文書の集合体であることが、はじめて明らかとなった。

 また、スカロンがマザランを対象として「ビュルレスク」形式を採用したことで、この文芸ジャンルが、いわば政治的言説へと横滑りしていき、やがては、反マザランのみならず、マザラン擁護をも含む、広範なテクスト群が「マザリナード」として認識され、かつまた収集されていくことが、具体的な形で確認された。その際、「コレクター」という存在が、大きな役割を演じていたことに注意が喚起されて、この切り口から、複数の「下位コレクション」に対して考察・推理がなされる。たとえば表紙が青い文書が含まれている事実から出発して、刊行地の推定、いわゆる「青表紙本」という同時代の(民衆的と規定されたりする)テクスト群との隣接性といった、興味深いことがらにも、記述は及んでいる。そして、マザリナードが、散文体から韻文体に焼き直されて流通していったという指摘なども、今後の受容研究の際の大きなヒントとなると考えられる。

 本論文は、こうした詳細な検証を経て、「コレクター」の数だけの文書群が構成されて、やがては、それらが「マザリナード文書」と総称されることになったプロセスを記述したものといえる。

 17世紀が好奇心・コレクションの時代であることに留意するならば、結論そのものには、目新しさはないのかもしれない。しかしながら、本論文の決定的な価値は、3000点近いテクスト群を具体的に検証して、膨大な目録を作成し、さまざま論点を提示したことなのであって、論文執筆者の長期間にわたる努力には、心から敬意を表したい。本論文により、マザリナードの生産・流通・収集・受容といった局面で、「ビュルレスク」「コレクター」、あるいは「青表紙本」や「版画工房」といった存在が、さまざまな機能を担っているという現実が、明らかとなったわけで、貢献度はとても大きい。こうした主題設定からの、今後のアプローチも期待される。そして何よりも、そうした研究の際に、基礎的な資料となる目録の完成を高く評価したい。今後はむしろ、この成果を日仏において、いかなる形で発表・刊行していくかが課題となろう。

 目録の記述方法・体裁などに関してアドバイスはなされたが、本論文は、学術的に多大な貢献であり、当該分野における卓越した研究成果であるとの評価は、全員に共通のものであった。したがって、本審査委員会は、本論文を、博士(学術)の学位を授与するのにきわめてふさわしいものだと認定する。

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