学位論文要旨



No 121923
著者(漢字) 黒田,剛史
著者(英字)
著者(カナ) クロダ,タケシ
標題(和) 大気大循環モデルを用いた火星の気象におけるダストの効果の研究
標題(洋) Study of the Effects of Dust in the Martian Meteorology Using a General Circulation Model
報告番号 121923
報告番号 甲21923
学位授与日 2006.11.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4923号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中島,映至
 東京学芸大学 教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 阿部,豊
 宇宙航空研究開発機構 助教授 今村,剛
 東京大学 教授 高橋,正明
内容要旨 要旨を表示する

 火星の大気はCO2を主成分としたもので、地球よりも寒冷、地表面気圧は6mb程度であり、水の量はその気象への影響を無視できるほど少ない。さらに全球規模のダストストームが発生することが、重要な特徴として挙げられる。全球規模のダストストームは南半球の春から夏の時期に観測されており、年によっては全球には広がらず局地的な規模にとどまることもある。Mars Global Surveyorは、北半球の秋季(Ls=205°-210°)に全球規模のダストストームが発生した場合、その影響で高度60km以下の日中の大気温度が最大40Kも上昇することを観測した。このような温度分布の変化は火星大気の安定性や力学に大きな影響を及ぼす可能性がある。

 火星大気では周期が1日以上の傾圧不安定によると見られる大気波動が、北半球の秋から冬にかけて観測されている。Mars Global Surveyorの観測によると、ダスト濃度が比較的薄い場合、秋季(秋分から冬至にかけて)の地表面付近では約6日周期のもの(東西波数1)と約3日周期のもの(東西波数2)が卓越して見られ、上空に行くにつれて波数1成分が卓越する。冬季(冬至以降)になると上空の波数1成分の振幅はより大きくなり、下層では北緯70度以北への波の伝播が見られなくなる。またVikingの観測によると、冬季の全球ダストストーム時はダストが薄い時と比べて波の振幅が大幅に小さくなり、見積もられた卓越波の波数もダストストームのない時に比べて大きくなる。秋季の全球ダストストーム時ではこのような波の減衰は見られない。

 本研究ではCCSR/NIES AGCMを火星大気用に改良した3次元の大気大循環モデルを用いて、ダストが大気の放射及び力学に与える影響の研究を行った。このモデルは水平分解能が約5.6°、鉛直30層で上端高度は約80km、火星の地形・アルベド・熱慣性のデータ、極域でのCO2の凝結・昇華過程を導入している。さらに波長0.2μm〜200μmを19の波長域に分けた放射コードを用いて、CO2の赤外放射及びダストの赤外放射と太陽光吸収の効果を計算している。CO2の近赤外波長域における太陽光吸収の効果は、Forget et al. [1999, 2003]で与えられた気圧・太陽〜火星間の距離・太陽天頂角による加熱率の関数を用いて導入している。CO2の赤外放射は4.3μm、10μm、15μmの各波長域において考慮されているが、4.3μm及び10μm波長域の効果は15μm波長域と比べて非常に小さい。

 大気モデルでダストの放射効果を評価するにあたっては、ダストのパラメータ(複素屈折率・粒径分布)及び鉛直分布を考慮する必要がある。本研究ではまず複素屈折率にOckert-Bell et al. [1997]、Toon et al. [1977]及びForget [1998]によって見積もられたもの(以下'Refractive A')、粒径分布にTomasko et al. [1999]による観測値(有効半径1.6μm、有効分散0.2μm)を用いて計算した。鉛直分布については観測データがないため、Conrath [1975]による乱流拡散と重力沈降の釣り合いを考慮した理論式をもとに相対的なダストの質量混合比の分布を定め、ダストの質量混合比は観測と整合的な光学的厚さが得られるように導入した。以上は世界の他の火星大気大循環モデルの多くで採用されている設定である。この設定を用いたところ、北半球の秋季(Ls=205°-210°)の昼間の温度分布において、ダストが少ない場合(波長0.67μmにおける光学的厚さ〓0.2)は観測とよく整合した結果が得られたが、全球ダストストーム時(波長0.67μmにおける光学的厚さ〓2.2)では観測よりも10-20Kも高い分布が得られた。

 全球ダストストーム時の温度分布の観測との差を小さくするために、ダストのパラメータ(複素屈折率・粒径分布)が温度場の計算結果へ及ぼす影響の感度実験を行った。まず粒径分布の有効半径を3.5μmまで大きくして、赤外に対する可視光の光学的厚さを小さくしたところ、全球ダストストーム時の中層大気の加熱が弱まる一方で低層大気の加熱が強まり、高度0.1-1mbでの温度が約10K低下する一方で地表面付近の温度が約10K上昇した。これによって中層大気での整合性は高まったが、低層大気での不整合がさらに大きくなった。次に、有効半径を1.6μmに戻し、複素屈折率のデータをWolff and Clancy [2003]によって見積もられたもの(以下'Refractive B')に差し替えたところ、中層・低層大気ともに観測と整合する温度分布が得られた。'Refractive B'は紫外と可視光における屈折率の虚部の値が'Refractive A'よりも小さいため、太陽光による加熱率が約20%小さくなることに加えて赤外波長域での冷却はより強く、その影響が'Refractive A'による温度分布よりも10-15Kほど低い温度分布となって現れた。

 このように、ダストの複素屈折率のデータの違いは、全球ダストストーム時に対応するダスト濃度のもとでは15Kもの温度分布の違いを引き起こしうるものである。ダスト濃度が小さい場合では、これらのダストパラメータの温度分布への影響は小さい。異なるダスト濃度において観測と整合する温度分布が得られる'Refractive B'とTomasko et al. [1999]による粒径分布を用いて、火星大気の傾圧波の季節及びダスト濃度による変化の研究を行った。

 まず、北半球の秋季(Ls=195°-225°)でダストが少ない場合における地表面付近の温度のスペクトル解析を行ったところ、約3日周期・波数2の要素が最も卓越しており、これは同季節のViking2号の観測データの解析結果[Barnes, 1981]及び線形論からの見積もりと一致した。さらにこの季節及びダスト濃度での傾圧波の鉛直分布を見ると、上層では3日周期・波数2に加えて5.5日周期・波数1の要素の卓越も見られ、波数1及び波数2の振幅の鉛直分布は、上空で波数1の卓越が大きくなるという点でMars Global Surveyorの観測データの解析結果[Banfield at al., 2004]と一致した。波数2の波が波数1の波に比べて上空に伝播しにくい様子は、各波数に対する波の屈折率の2乗(nk2)の分布から説明できる。波数2のほうが上空でnk2が負になる領域が大きく、そのため上空に伝播しにくい。

 北半球の冬季(Ls=280°-300°)でダストが少ない場合では、6.6日周期・波数1の要素が地表面と上層の両方で卓越し、その振幅は秋季の波数1の要素と比べて非常に大きくなった。この波の特徴の季節変化はMars Global Surveyorの観測データの解析結果[Wilson et al., 2002; Banfield et al., 2004]と整合的であり、大気の基本場の変化と線形論からこの変化を説明することができる。線形論によると、東西風の鉛直シアーが大きくなるとより小さな波数の不安定波の成長率が大きくなり、また大気の安定度(Brunt-Vaisala振動数)が小さくなるとより大きな波数の不安定波の成長率が大きくなる。秋季と冬季の大気の基本場を比較すると、モデルと観測の両方で冬季のほうが東西風の鉛直シアーと大気の安定度が大きくなっており、よってこのような基本場の季節変化が傾圧波の特徴の季節変化と関係していることがわかる。

 さらに大気の基本場からpotential vorticityの南北勾配(∂q/∂y)を求めると、秋季では正だった北緯70度付近の低層域での値が冬季では負に転じる変化がモデルと観測の両方で見られた。この負の領域の存在は不安定の必要条件を示すもので、不安定波の振幅の増加に影響を与えている可能性がある。それと共に∂q/∂yの値はnk2の値の計算式の中に含まれており、∂q/∂yが小さくなるとnk2も小さくなる。モデルと観測の両方で冬季に下層で北緯70度以北への波の伝播が見られなくなるのは、これによって北緯70度付近の低層域でのnk2の値が冬季には負に転じるためである。

 北半球の冬季(Ls=280°-300°)で全球ダストストームが起こっている場合のモデル実験では、北極域の上空(高度〜0.1mb)の温度がダストの少ない場合に比べて60Kほども上昇する。この強い加熱は力学の効果によるもので、南半球で強い放射加熱を受けて発達した循環によって引き起こされたと考えることができる。地表面付近の温度のスペクトル解析を行うと、波の振幅はViking2号の観測データの解析結果[Barnes, 1980]と同様に著しく小さくなり、ダストが少ない場合の波数1に代わって波数2-4が卓越している。この時、中緯度の地表面付近ではダストが少ない場合と比べて東西風の鉛直シアーが著しく減少しており、また大気の安定度も小さくなっている。不安定波の成長率は大気の安定度よりも東西風の鉛直シアーにより依存することにより、振幅の著しい減少と卓越波数の増加は線形論から定性的に説明できる。また、高度〜0.7mbでは地表面付近で卓越している波がほとんど消失し、代わりに5.5日周期・波数1の要素が卓越している。nk2の分布や運動量の流れを見ても、地表面付近の波がほとんど上層へ関与していないことが確認できる。北半球の秋季(Ls=195°-225°)でこのような全球ダストストームによる傾圧波の著しい減衰が起こらないのは、ダストによる強い加熱が北緯40度付近まで見られ、また北極域の上空の温度が冬季ほど上昇しないことで、北半球中緯度域の南北温度傾度が保たれるからである。

 このように本研究では、3次元の大循環モデルを用いて過去に観測された火星大気の温度場の再現実験を行い、その結果観測データの解析結果と整合する傾圧波の季節変化及びダスト濃度による変化がモデルでも得られ、さらに大気の基本場の変化からそのメカニズムを説明することができた。

審査要旨 要旨を表示する

 論文は5つの章からなっている。第1章は、序である。火星大気は二酸化炭素を主成分としたもので、地球よりも寒冷であり、地表の気圧は6hPa程度である。火星の気象にとって重要な全球規模のダストストームが南半球の春から夏の時期に観測され、年によっては局地的な規模にとどまる。全球規模のダストストームが発生すると、大気温度が40Kも上昇し、大気に大きな影響を与える。火星大気へのダストの重要性、およびダストの放射過程についてAppendixも含めて述べられている。ダストの放射過程を正確に取り扱うことにより、観測の少ない火星大気を研究するうえで、現実的な火星大気モデルを作成することの重要性を指摘している。

 第2章では、論文申請者が作成したモデルの概要が述べられている。地球大気モデルを火星大気用に改変した3次元の大気大循環モデルである。水平分解能が約5.6°、鉛直30層で上端高度は約80km、火星の地形・アルベド・熱慣性のデータ、極域でのCO2の凝結・昇華過程を導入している。さらに波長0.2μm〜200μmを19の波長域に分けた放射コードを用いて、CO2の赤外放射及びダストの赤外放射と太陽光吸収の効果を計算している。

 第3章ではダストのパラメータである複素屈折率を特に評価し、結果としての温度場を再現している。まず、Ockert-Bell et al. [1997]、Toon et al. [1977]及び、Forget [1998]によって見積もられたもの(以下'Refractive A')を用いて計算した。ダストが少ない場合(波長0.67μmにおける光学的厚さ〓0.2)は観測とよく整合した温度場が得られたが、全球ダストストーム時(波長0.67μmにおける光学的厚さ〓2.2)では観測よりも10-20Kも高い温度分布が得られた。そこで、複素屈折率のデータをWolff and Clancy [2003]によって見積もられたもの(以下'Refractive B')に変更したところ、観測と整合する温度分布が得られた。'Refractive B'は紫外と可視光における屈折率の虚部の値が'Refractive A'よりも小さいため、太陽光による加熱率が約20%小さくなることに加えて赤外波長域での冷却はより強く、その影響が'Refractive A'による温度分布よりも10-15Kほど低い温度分布となって現れた。ダストの複素屈折率のデータの違いは、全球ダストストーム時に対応するダスト濃度のもとでは15Kもの温度分布の違いを引き起こしうるものであり、モデル温度場が現実的な結果になった。

 第4章では、モデルを用いて火星大気の波動擾乱を観測結果と比較しながら、その再現性と理論的考察をおこなっている。北半球の秋季(Ls=195°-225°)でダストが少ない場合、約3日周期・東西波数2の波動が最も卓越しており、Viking2号の観測データの解析結果、及び線形論からの見積もりと一致した。上層では3日周期・波数2に加えて5.5日周期・波数1の波動の卓越も見られ、その振幅の鉛直分布はMars Global Surveyorの観測データの解析結果と一致した。北半球の冬季(Ls=280°-300°)でダストが少ない場合では、6.6日周期・波数1の要素が地表面と上層の両方で卓越した。この波動の季節変化はMars Global Surveyorの観測データの解析結果と整合的であり、東西風の鉛直シアーが大きくなるとより小さな波数の不安定波の成長率が大きくなることで説明している。

 北半球の冬季(Ls=280°-300°)で全球ダストストームが起こっている場合のモデル実験では、北極域の上空(高度〜0.1mb)の温度がダストの少ない場合に比べて60Kほども上昇する。この強い加熱は力学の効果による強い下降流によって引き起こされる。地表面付近の温度のスペクトル解析を行うと、波の振幅はViking2号の観測データの解析結果と同様に著しく小さくなり、ダストが少ない場合と異なり波数2-4が卓越している。この時、中緯度ではダストが少ない場合と比べて東西風の鉛直シアーが著しく減少しており、振幅の減少と卓越波数の増加は線形論から定性的に説明できる。高度〜0.7mbでは地表面付近で卓越している波がほとんど消失し、代わりに5.5日周期・波数1の要素が卓越している。屈折率の分布や運動量の流れからも、地表面付近の波がほとんど上層へ関与していないことを確認している。第5章で全体のまとめが述べられる。

 上に示したように論文提出者は、3次元の大気大循環モデルを用いて火星大気の温度場の再現実験をおこない現実的な温度場を再現した。さらに観測データの解析結果と整合する傾圧波動の季節変化及びダスト濃度による変化がモデルでも再現され、その生成に関して大気の基本場の変化からそのメカニズムを説明している。このような新しい事実は本研究で初めて明らかにされたものである。これらの研究は、火星大気力学研究の新しい側面を開拓したものであり、極めて独創性が高く、優れた研究と評価できる。また、論文は適切な英文によって記述されており、語学能力も博士として十分であると判断した。

 なお、本研究の成果の一部(2章)は共著論文として印刷済みであるが、本論文の主体的な部分ではない。

 したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク