学位論文要旨



No 121926
著者(漢字) 中嶋,隆浩
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,タカヒロ
標題(和) 細胞から放出されるピコモル濃度領域の一酸化窒素の動態を可視化するセンサー細胞
標題(洋) Cell-Based Indicator to Visualize Picomolar Dynamics of Nitric Oxide Release from Living Cells
報告番号 121926
報告番号 甲21926
学位授与日 2006.12.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4926号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長谷川,哲也
内容要旨 要旨を表示する

[序] 一酸化窒素(NO)は,低分子量の電気的中性なフリーラジカルであり,生体内において重要な役割を担っている.NOは生体内において,NO産生細胞内で,NO合成酵素によってアルギニンから生成される.生成されたNOは,細胞膜を透過し,細胞外へと拡散,放出され,近傍の標的細胞に作用を示す.このようにNOは,拡散性の細胞間情報伝達物質として働いている.従って,産生細胞から放出されたNOの時空間的な動態を分析することは,NOの生体内での働きを理解するために重要である.生体分子の時空間分析において,蛍光プローブ分子を用いた蛍光顕微鏡による可視化分析が広く行われている.NOを可視化する蛍光プローブ分子は,有機蛍光分子型のものが既に開発されており,広く用いられている.また当研究室は近年,NOの受容体蛋白質である可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)と蛍光蛋白質との融合蛋白質プローブ分子(NOA)を開発し,サブナノモル濃度のNOの可視化検出に成功している(proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 102, 14515-14520, 2005).しかし,これらのプローブ分子は細胞内に導入し,その細胞内のNOを可視化するものであり,細胞外へ放出されたNOを分析することは出来ない.本研究では,NO産生細胞から放出されたNOを超高感度に可視化するセンサーを構築し,それを用いて,NO産生細胞である血管内皮細胞や神経細胞からのNO放出の動態を分析することを目的とした.

[NOセンサー細胞"Piccell"の構築] sGCは,GTPからサイクリックGMP (cGMP)を生成する酵素である.生体内において,NO産生細胞から放出されたNOは,標的細胞内のsGCへ結合する.NOとの結合によりsGCの酵素活性は増大し,標的細胞内で大量のcGMPを生成する.従ってNO標的細胞は,NO認識能とcGMPへのシグナル増幅/変換能を持っていると言える.この細胞に,cGMPを光シグナルへと変換する機能を付与することにより,NOのセンサー(NOセンサー細胞)を構築出来ると考えた(図1).このセンサー細胞をNO産生細胞の近傍に置くことによって,放出されたNOを可視化検出することが出来る.また,cGMPを介するシグナル増幅能によって,NOの超高感度検出が期待出来る.sGCを持つ細胞として,ブタ腎臓由来細胞株であるPK15細胞を用い,これにcGMPを可視化する蛍光プローブ分子(CGY)を導入した.蛍光蛋白質であるCFPおよびYFPとcGMP結合蛋白質から成るCGYは,cGMPと結合することにより蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を起こし,CFPの蛍光強度が減少し,YFPの蛍光強度が増加するプローブ分子である.安定的にCGYを発現するクローン細胞をNOセンサー細胞として単離し,これをpiccellと名付けた.

[PiccellのNO濃度依存性,選択性,可逆性,再現性] PiccellのNOに対する応答を調べた.PiccellをNOで一過的に刺激すると,生成したcGMPにCGYが反応しFRETを起こす結果,CFP/YFPの蛍光強度比が減少した.この応答は,細胞内に存在するcGMP分解酵素が,cGMPを分解することによって回復した.最大応答に達するまでの時間(応答時間)は,26±10秒であった.この可逆的応答性の再現性を調べるために,Piccellを繰り返しNOで刺激して応答を観察した.NOはケージドNOを紫外線照射することで,観察領域に一過的に発生させた.その結果,piccellは連続10回の繰り返し刺激に対して,再現良く応答し,その可逆的応答性は全く損なわれないことがわかった(図2a,b).Piccellの応答のNO濃度依存性を調べたところ,Piccellはピコモル濃度領域のNOを検出する超高感度なセンサーであり,その検出限界は20pMであることがわかった(図3).Piccellを生体系で応用する際に考えられる妨害物質として,sGCを弱く活性化しうる一酸化炭素(CO),細胞内にcGMPを生成しうるナトリウム利尿性ペプチド(ANP,CNP),CGYに弱く結合するcAMPを生成しうるグルタミン酸(L-Glu)が挙げられる.Piccellはこれらの妨害物質候補に対し全く応答を示さないことから,NOに対し高い選択性を持つことがわかった(図3).Piccellは細胞から成るセンサーであり,その空間分解能は細胞の大きさによって決まる.Piccellの直径を測定した結果,空間分解能は21±6μmであることがわかった.

[海馬神経細胞から放出されたピコモル濃度領域のNOの可視化] 海馬神経細胞とPiccellを共培養し,Piccellと隣り合った海馬神経細胞からのNO放出を可視化検出した(図4a).その結果,海馬神経細胞は外部から刺激を与えなくとも,自発的かつ周期的に100pMのNOを産生していることがわかった(図4b).この周期的なNO放出がどのようにして起こっているかを調べるために,以下の実験を行った.神経細胞は互いにシナプス結合を形成し,自発的に神経伝達を行うことが知られている.海馬神経細胞間の神経伝達は,グルタミン酸を伝達物質として行われている.そこで,グルタミン酸レセプターであるNMDAレセプターの阻害剤(APV)を添加したところ,NOの周期的放出は完全に停止した.また,神経伝達物質の放出に重要な活動電位の阻害剤であるTTXを添加したところ,同様にNOの周期的放出は完全に停止した.これらのことから,海馬神経細胞からの自発的かつ周期的なピコモル濃度領域のNO放出は,NMDAレセプターを介した自発的な神経伝達によって起こっていることがわかった.NO産生細胞内に導入して用いる従来の蛍光プローブ分子と違い,PiccellはNO産生細胞の近傍に置いてそのNO放出を可視化する.従ってPiccellと従来の蛍光プローブ分子を併用することで,NO産生細胞からのNO放出とNO産生細胞内でのシグナル伝達過程を同時に可視化することが可能である.NMDAレセプターはCa(2+)チャネルであり,グルタミン酸によって活性化するとチャネルが開き細胞内にCa(2+)を透過させる.そこで,Ca(2+)の蛍光プローブ分子を導入した海馬神経細胞とpiccellを共培養することにより,海馬神経細胞からのNO放出とその細胞内のCa(2+)濃度変化を同時に可視化検出した.その結果,NOの周期的放出は,細胞内のCa(2+)濃度の周期的変化と同期しており,各々のNO放出の持続時間は,連続したCa(2+)振動の持続時間によって決まっていることがわかった(図5).このようにPiccellを用いて,生理的条件下における海馬神経細胞からの自発的かつ周期的なNO放出を初めて見い出し,それがCa(2+)振動によって起こっていることを突き止めることに成功した.

[血管内皮細胞が放出したNOの拡散範囲の時空間分析] Piccellは生きている細胞から成るので,カバーガラス上に単層状に培養することで,容易にCCDチップのような平面検出器を作製することが出来る(Piccell sheet).このPiccell sheetを用いて,単一血管内皮細胞が放出したNOの拡散範囲の時空間分析を行った.ケージドATP存在下で,血管内皮細胞の上にPiccell sheetを置き,観察領域に紫外線照射することで,一過的にATPを発生させ血管内皮細胞を刺激した.その結果,血管内皮細胞上の限られた数のPiccellのみが一過的に応答した(図6a,b).血管内皮細胞の直上のPiccellの応答から,100pMのNOが放出されていることがわかる.また,距離が離れるに従いPiccellの応答は減少し,60μm離れたPiccellは応答しなかった(図6b,c).このようにPiccell sheetを用いることで,NO産生細胞から放出されたNOを多点同時に可視化分析し,NOの拡散範囲の時空間分析を行うことに成功した.

[結論] 本研究では,細胞から放出されたNOを超高感度に可視化するセンサー細胞(Piccell)を開発し,神経細胞や血管内皮細胞から放出されたNOの可視化検出を行った.Piccellはピコモル濃度領域のNOを検出することが出来る(検出限界20pM).また,高い選択性,可逆性,再現性を持つ.応答時間は26±10秒,空間分解能は21±6μmである.海馬神経細胞と隣り合ったPiccellを観察することで,海馬神経細胞が生理的条件下で,自発的かつ周期的に100pMのNOを放出していることを明らかにした.また,PiccellとCa(2+)蛍光プローブ分子による同時分析から,その周期と持続時間はCa(2+)振動によって決まっていることがわかった.Piccellを単層状に培養したPiccell sheetは,放出されたNOを多点同時に可視化分析することが出来る.Piccell sheetを用いて,単一血管内皮細胞から放出された100pMのNOが,60μm拡散することがわかった.動脈硬化などの心血管系疾患は,血管内皮細胞の放出するNO濃度が減少することにより起こると考えられている.Piccellの超高感度性によって,疾患状態におけるNO濃度が,生理濃度(ナノモル濃度領域)からどれだけ減少しているかを解明することが出来る.

図1. NOセンサー細胞"Piccell"の概念図.

図2. Piccellの可逆性と再現性.(a)NOで繰り返し刺激したPiccellの応答.(b)刺激前後のPiccellの蛍光強度比の擬似カラー表示.番号1-10は(a)に対応.

図3. PiccellのNO濃度依存性と選択性.

図4. 海馬神経細胞から放出されたNOの可視化.(a)Piccellと海馬神経細胞の共培養.PC : 透過光像,CFP/YFP : 蛍光強度比の擬似カラー表示.(b)無刺激条件下における海馬神経細胞と隣り合ったPiccellの応答.

図5. 海馬神経細胞からのNO放出と細胞内Ca(2+)の同時可視化.(上)Ca(2+)蛍光プローブ分子(yellow cameleon 3.60)を導入した海馬神経細胞の無刺激条件下における応答.(下)その海馬神経細胞と隣り合ったPiccellの応答.

図6. 血管内皮細胞が放出したNOの拡散範囲の時空間分析.(a)血管内皮細胞の透過光像(PC)とATP刺激前,50秒後,300秒後のPiccell sheetの蛍光強度比の擬似カラー表示.白点線はPiccell sheet直下の血管内皮細胞の位置.(b)(a)中の領域1-6のPiccellの応答.(c)領域1-6の応答を血管内皮細胞からの距離に対してプロット.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は以下の4章より成る.

 第1章は序論であり,本研究の背景,動機と目的が簡潔に述べられている.生体系において,一酸化窒素(NO)は細胞間の情報伝達物質として働いている.NOを可視化検出する蛍光プローブ分子はいくつか開発されているが,それらは細胞内のNOを可視化検出するものであり,細胞外へ放出されたNOを測定することは出来ない.本研究では,細胞から放出されたNOを超高感度に可視化するセンサーを開発し,それを用いて,血管内皮細胞や神経細胞からのNO放出の動態を分析することを目的とすることが述べられている.

 第2章は,細胞から放出されたNOを超高感度に可視化するセンサーの開発について述べている.NOの受容体蛋白質である可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)は,GTPからサイクリックGMP(cGMP)を生成する酵素である.sGCの酵素活性は,NOが結合することで上昇し,活性化したsGCは〜6000分子/minのcGMPを生成する.本センサーは,sGCを持つ細胞に,cGMP可視化蛍光プローブ分子(CGY)を導入することにより構築されている.CGYは蛍光蛋白質(CFP,YFP)およびcGMP結合蛋白質から成り,cGMPを結合すると,蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を起こすプローブ分子である.本センサーは以下の原理でNOを検出している.すなわち,(1)NOがsGCに結合し,これを活性化させる.(2)活性化したsGCが,細胞内で大量のcGMPを生成する.(3)CGYがcGMPと結合し,FRETを起こす.その結果,CFPとYFPの蛍光強度比が変化する.(4)蛍光強度比の変化を蛍光顕微鏡で検出する,である.このように構築した本センサーは,その検量線より,20pMから1nMの濃度領域のNOを検出する超高感度性を持つことが示されている.また,生成したcGMPは,cGMP分解酵素により分解されるため,本センサーは可逆的応答性を持つことが示されている.NO添加後,本センサーが最大応答に達するまでの時間(応答時間)は26±10秒であることを示している.細胞から成る本センサーの空間分解能は,細胞の大きさによって決まり,21±6μmであることが示されている.本センサーのこの可逆的応答の再現性は良く,連続10回の繰り返し刺激に対して,応答性は全く損なわれず,安定して測定出来ることが示されている.また,本センサーを生体系で応用する際に,考えられる妨害物質として,sGCを弱く活性化しうる一酸化炭素,細胞内にcGMPを産生しうるナトリウム利尿性ペプチド,CGYに弱く結合するcAMPを産生しうるグルタミン酸が挙げられると述べている.本センサーは,これらの妨害物質候補に全く応答しないことから,NOに対して特異性を持つことが示されている.

 第3章は,血管内皮細胞および海馬神経細胞が放出したNO動態の可視化分析について述べている.本センサーを,NOを産生する細胞と共培養し,隣接したNO産生細胞からのNO放出を可視化検出している.まず,血管内皮細胞がATP刺激によって放出したNOを検出している.100nMのATP刺激に対して,40pMのNOを,1μMのATP刺激に対して,100pMのNOを血管内皮細胞が放出していることを示している.次に,海馬神経細胞が,刺激を与えない生理的条件下で,自発的に,100pMのNOを5分周期で放出していることを見い出している.この周期的NO放出は,グルタミン酸受容体を介した神経伝達によって起こっていることを明らかにしている.さらに,本センサーとCa(2+)蛍光プローブ分子を併用することで,海馬神経細胞からのNO放出と細胞内Ca(2+)濃度変化を同時に検出している.その結果,この周期的NO放出の周期および持続時間は,海馬神経細胞内のCa(2+)振動によって決まっていることを明らかにしている.生きている細胞から成る本センサーを単層状に培養することで,平面状の検出器を作製している.これを用いて,ATPで刺激した血管内皮細胞が放出した100pMのNOが,60μm拡散することを示している.第4章は総合的結論である.

 以上のように,本研究では,細胞から放出されるNOを,20pMの検出限界で,特異的かつ可逆的に検出するセンサーを開発した.さらに,本センサーを,実際に生体系に応用した.その結果,海馬神経細胞が自発的かつ周期的に,100pMのNOを放出していることを見い出し,その周期および持続時間は海馬神経細胞内のCa(2+)振動によって決まっていることを明らかにした.また,本センサーを単層状に培養することで,血管内皮細胞が放出したNOを多点同時に検出し,拡散範囲の分析を行った.これらの研究は理学の発展に大きく寄与する成果であり,博士(理学)取得を目的とする研究として十分であると審査員一同が認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者が主体となって行ったものであり,論文提出者の寄与は十分であると判断する.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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