学位論文要旨



No 121930
著者(漢字) 志内,一興
著者(英字)
著者(カナ) シウチ,カズオキ
標題(和) ローマ帝国内の支配・被支配関係におけるコミュニケイションの機能
標題(洋)
報告番号 121930
報告番号 甲21930
学位授与日 2006.12.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第567号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 橋場,弦
 東京大学 名誉教授 桜井,万里子
 総合文化研究科 教授 本村,凌二
 東京大学 教授 高山,博
 東京大学 教授 逸身,喜一郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の検討対象は前27年の帝政開始から292年までの時期の、地中海の古代大帝国ローマ帝国の支配の様態である。ローマ帝国は西欧、地中海沿岸地方から中近東へ至る、現在の国にすると五十カ国近くを包含する大帝国を形成していた。国家間の垣根が低くなり、国家がその存在の再定義・再構築を迫られ、また中でもヨーロッパ連合という壮大な実験が継続している現今、我々の目から見て貧弱な通信・交通手段しか有していなかった古代ローマ帝国が、その多様で広大な版図を如何にして束ね、支配・統治していたのか。この問題を考え、見通しを示すことは、新しい国家像を模索する現代世界に対し、古代ローマ帝国研究がなし得る貢献の一つと信じる。

 ローマ帝国は如何にして多様・広大な版図を束ね、支配していたのか。言うまでもなくこの問いは決して新しくはない。そしてこの設問に対しては既に、一つの解答の枠組みが与えられている。皇帝を中心とする中央政府は、統治機構を通じての直接的支配を試みるのではなく、帝国内の各都市に広範な自由裁量権を委ね、そうした都市、特に各都市に居住する名望家層を中央へと引きつけ、束ねる形で統治・支配した、というものだ。論拠として提示されるのが、ローマ中央政府から属州統治のために派遣される官僚的人員の僅少さである。ある試算に従えば、2世紀半ば、人口五千万を数えたローマ帝国統治のために中央から派遣された役人(元老院身分及び騎士身分)は160人を数えるに過ぎなかった。単純な比較をすることが危険と知りつつも、国・地方併せて四百万人と(広義には九百万人とも)算定される現代日本の公務員人員数を思い起こすとき、やはり彼我の相違に驚きを禁じ得ない。

 しかしこうした解答の枠組みは、一つのパラドックスを内包しているように思われる。ローマは如何にしてその広大な帝国を支配したのか。この設問に対し、ローマは帝国の支配を行わなかった、という解答を提出して事足れりとしているかに思えるからだ。だがこうした答え方は、古代ローマ帝国の地理的・歴史的状況を勘案すると決定的弱さをさらけ出す。つまりこのような支配様式でつなぎ止めるには、ローマ帝国はあまりに広大で、そしてその安定はあまりに長期にわたっているように思えるのである。何故この脆弱に見えるシステムが数百年にわたり、様々な地理・気候状況の下で、言語・風俗・宗教を異にする広大な領域に(ローマ人の言い方を借りれば「世界中に orbe terrarum」)居住する多種多様な人々の上で機能し続け、いわゆる「ローマの平和」と呼ばれる安定期を現出することを可能としたのか。つまり、属州民たちは一体何故、数百年にもわたり、多くの官僚を派遣してくることのない遠方の権力であるローマ帝国への忠誠を保ち続けていたのか。上の解答の枠組みは、既にこうした「忠誠」を所与のものとして前提しているが、そもそもこうした前提を何故措定することが可能なのか。ローマの支配に服した人々の忠誠心の質こそが、まず問われるべきなのではなかろうか。

 帝国が独占した軍隊の力は無視しえない力であったはずだ。実際後1世紀のローマの歴史家タキトゥスは、ローマ軍のことを「帝国支配の秘蘊 Arcana Imperii 」と呼んでいる。軍隊の力は可視的な力であり、証明の必要がないほど明白な力である。しかし、ローマ帝国の兵員数は市民軍団兵約十八万、及び補助軍兵がほぼ同数。帝国の規模、更に周囲の外敵の状況を考え併せると、属州民たちを常に威嚇するには決して充分とも思われない。また兵士たちは主に帝国周縁部に駐屯していたのであり、属州民たちとの接触機会は限られていた。そしてそもそも、力の威嚇による支配が数百年にわたり安定した支配をもたらした、と信じることが可能であろうか。すると何が、数百年にわたる帝国住民のローマへの忠誠心を醸成していたのか。

 もしこうした思考が正当化され得るとすれば、最初の問いの立て方にも再検討の必要があることになる。「ローマはどのようにして帝国を支配したのか?」という問いの再検討が必要である。ではどのような問いを立てることが可能なのだろうか。しかし既に新たな視座は与えられている。1977年に発表された著作 The Emperor in the Roman World の中で ローマ史研究の大家Millarはローマ帝国の皇帝を、積極的・能動的に支配を行う支配者としてではなく、被支配民側からアプローチされ、対応を求められた時にのみ反応する「受動的」支配者として描き出した。つまりローマ帝国支配の本質を、上からの「支配」(或いは強制・搾取)にではなく、被支配民からの権力へのアプローチをシステムとして内包するものとして描き出したのである。この「受動的」な支配という考え方は我々の通常の意味での「支配」という用語理解に大幅な修正を要求する。つまりローマの「支配」には被支配者も参画することになるのである。

 この立場はローマ帝国研究にパラダイム転換をもたらし、ポストコロニアル的視角の浸透と相俟って、近年の欧米ローマ史学会における一大思潮を形成している。多くの努力が、「下」の側でのローマ支配受容の実態を解明することに傾注されている。そして私もこれまで、こうした見方を受け容れた上での準備作業を行ってきており、本博士号学位申請論文の構想は、その延長線上に位置する。

 上記のような思考を経た上で、今回私は次のような問いを立てることとした。「ローマ帝国・皇帝の意志・命令はどのように被支配帝国住民の前に現れ、被支配帝国住民はそれに対してどう反応するのか」。Millarと同様、ローマが命じ、そして服従されたという単純な理解を出発点とする「ローマは如何に支配したか」という問いを捨て、ローマが如何に命じ、如何に伝達し、如何に内容の周知を図り、一方で住民はそれを如何に受容し、服従し、そしてさらには活用したか、の各地点を根本的に問い直すこととした。この検討を通じ、ローマの「支配」が実際は何であったのかへの正確な理解に近付くことが可能になると想定したからである。

 具体的にはローマがその意志を帝国各地に伝達する際活用する「公文書」に着目することとした。広大なローマ帝国の領域に居住する人々にとり、多くの官僚的人員を派遣しないローマ帝国は多くの場合、こうした文書の存在を通じて姿を現すものと想定できるからである。

 さて本論文で検討される具体的内容は以下の通りである。

 まず第1章において、本論文で検討される「公文書」とは何を指すのかを明確にする。また本論文の問題設定を更に具体的に提示する。

 第2章では公文書の中でも「布告」と呼ばれる文書に着目し、その歴史的展開、性格、そして発給・流通メカニズムの解明を目指す。またその過程で文学・法・碑文・パピルス文書史料に散在している布告文書の整理を試みるつもりである。また扱われるのは皇帝の発給する布告文書にとどまらず、属州総督の布告文書も検討対象となる。

 第3章では「勅答」と総称される皇帝発給公文書に関する検討を行う。「勅答」の発給は、本論文の題目に含まれる「支配者・被支配者間のコミュニケイション」において中心的な意義を有する行為であり、最も詳細な検討が行われることになる。また第2章と同様史料整理を行い、また属州総督の同様の文書発給も視野に収めて検討される。またそこで本稿の年代設定の理由を説明する予定である。

 第4章では上の諸章の検討を踏まえ、そうした公文書をローマ帝国がいかなる思想的背景に基づき取り扱ったのか、その歴史的展開を含めて検討する。

 第5章では逆に、以上のような手続き・思考に従い発給されたローマ帝国の公文書が、帝国住民によってどのように受け取られ、どのように活用され、機能していたのかを検討する。

 そして第6章において、それまでの検討を踏まえ、ローマ帝国における「公文書」という事象を通じて析出される「コミュニケイション」の実態を踏まえ、それがローマ支配の中で如何なる機能を果たしていたのかに関し検討を加える。その上である程度の展望を示すつもりである。

 以上が本博士号請求論文の概要である。本論文のテーマに沿った研究は、我が国においては参照すべき先行研究がほぼ皆無であり、用いられる史料も我が国において紹介されたことのないものが大多数である。また多くの近年発見されている新史料も含まれるため、史料の証言内容を明確に示すべく、基本的作業として史料の整理、及び重要な史料の提示と邦訳も多数行われる。その作業自体も、本論文の貢献の一つであると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ローマ帝国支配層の意志・命令が、どのように被支配住民の前に現れ、被支配住民はそれに対してどのように反応したか、という問題を主題に据え、ローマ帝国支配の本質をコミュニケイション論の立場から解明しようと試みたものである。ローマ帝国が命令をいかに発し、それを伝達し、その内容の周知をはかり、他方、住民はそれをいかに受容し、服従し、さらには活用したかという論点が、豊富な一次史料の分析を通して明らかにされる。

 著者は、ローマ帝国が各地に命令を伝達する際に活用した「公文書」の存在に着目し、その発給・伝達、および帝国住民のそれに対する反応と活用の諸相を分析する。著者によれば、皇帝の意志でありそのままの形でローマ帝国の唯一の法源となった勅法のうち、最大多数を占めるスブスクリプティオおよび布告文書は、多くが金石文による掲示という形で公開され、あるいは利害当事者が私的にそのコピーを作成するという形で伝達された。また読み書き能力が近代に比べて低かった当時においては、こうした公文書を「読み上げ」という形で一般民衆に知らしめたことも、公開の重要なチャンネルとして無視できない。帝国は公開の原則に則って文書を通じその意志を発信する。一方、帝国住民は、皇帝や総督に直接陳情するルートを通じて自身のおかれた苦境を説明することができ、また帝国はそれに対し、その内容をすべて公開するという形で回答を提示する。こうした双方向コミュニケイションのシステムが存在したがゆえに、ローマ支配の永続性が確保された、と著者は結論する。

 本論文は、広大な版図を擁したローマ帝国の長期にわたる支配の継続を可能ならしめたものとして、支配者・被支配者間のコミュニケイションという要因に着目した点において、高い独創性を有する。とくに近年におけるローマ帝国研究のパラダイム転換、すなわち、ローマ帝国支配の本質を上からの支配・強制・搾取にではなく、被支配住民からの権力へのアプローチを内包するものとしてみる新しい観点と相呼応している点に、最新の研究動向への本論文の貢献を認めることができる。

 表現方法や議論の進め方などに一部未熟な点が散見され、また被支配住民のメンタリティーの分析が不十分ではあるものの、問題意識は首尾一貫しており、一次史料の実証的な扱いも信頼が置けるもので、本論文は博士論文としての水準に十分達しているものと認められる。とくにこれまで光を当てられなかった皇帝や総督の布告文書を広範に渉猟し整理したことは、高く評価される。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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