学位論文要旨



No 121931
著者(漢字) 佐藤,昇
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ノボル
標題(和) 紀元前4世紀民主政アテーナイの政治文化と賄賂言説
標題(洋)
報告番号 121931
報告番号 甲21931
学位授与日 2006.12.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第568号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 橋場,弦
 東京大学 名誉教授 桜井,万里子
 総合文化研究科 教授 本村,凌二
 東京大学 教授 高山,博
 東京大学 教授 逸身,喜一郎
内容要旨 要旨を表示する

 古典期アテーナイの史料を繙く時、数多くの贈収賄に関わる言説を目にすることができる。しかしながら、個別の事例に関しては真偽を確定し得ず、これらから贈収賄蔓延の程度などを測ることは困難である。その一方で、例えば、収賄を指摘されるとすれば、賄賂の提供に見合うだけの存在ということになり、その人物は当該社会の中で少なくとも何らかの影響力、権力を行使し得る存在ということになろう。それでは、平等主義、アマチュアリズムの理念が保持されたアテーナイの民主政において、如何なる存在が、如何なる状況に於いて、そのような「権力者」と看做されていたのであろうか。

 また、個々の賄賂言説が非難や中傷であるにせよ、繰り返し賄賂が言及されるような事柄に関しては、聴衆である市民に対して信憑性をもって受け止められるだけの、その時代、社会に応じた、何らかの具体的な慣行、文化的背景があったと考えられる。それでは、4世紀のアテーナイ民主政に於いて、具体的に如何なる文化的背景があり、それは如何に機能していたのであろうか。

 第1章では公職者による収賄に対する態度について考察を加えた。5世紀末以降、アテーナイ民主政は、一般公職者による収賄に対して、例えば当番評議員改革や執務審査制度の整備を始め、法制度による賄賂防止策の整備に務めており、知識人たちもまた一般公職者による収賄には注意を払い、厳しい目を向けていた。ところがそうした制度や知識人たちの言説に見られる懸念とは裏腹に、市民一般を聴衆として想定する弁論史料に於いては、幾つかの事例に関してこそ例外的に強い非難が込められると看做しうるものの、一般公職者による収賄は取り上げられる事も少なく、強い非難を加えられる事も稀であった。また、全面的に容認しているとは言い難いものの、時に「収賄に手を染めぬ事」が公職者顕彰の徳目に挙げられる事があり、一般公職者の収賄に対しては、アテーナイ市民の間にある程度の許容があった事が推察された。こうした状況は、アテーナイにおける公職者制度が、権力分散を図るシステムを採用していた事により、公職者の権限がさして大きくならなかったことに一つの要因を求めることができる。更に、4世紀のアテーナイは、公職者を担う層が、社会の中下層にまで及ぶことにより、一般公職者という存在が、市民一般とアイデンティティを共有する存在となっていた事から、彼等が権力者として認識されるような状況にはなかった。すなわち、弁論史料に於ける一般公職者に対する収賄非難の少なさは、アテーナイの行政機構に対する市民参加が、広範な社会層に及んでいた、当時の政治社会状況の表れであると考えることができる。

 第2章では、政治家、とりわけ外交に関わる政治家に対する収賄言説について分析を加えた。外交に関わる収賄非難は、アテーナイを取り囲む国際的な環境が一つの要因となって、特定の時期に、そして特定の地域に集中する傾向にあった。また、外交使節に関しては、その他の一般公職と比べると、構成する社会層も異なり、また制度上も特殊であり、その自主裁量権とポリスの政策決定に及ぼす決定的な影響力から、一般の市民たちに「権力者」と認識される状態にあった。さらに、アテーナイ国内の外交交渉に際しては、外国人歓待や評議会、民会での審議はもちろんあったものの、それ以上にポリスの公的な統制が及ぶ事はなく、むしろ当然の如くに、政治家と海外の使節、要人とが個人的に、直接折衝を持っていた。こうした私的紐帯に基づく個人的な外交交渉はギリシアに古来より広範に浸透した外交上の政治文化であり、アテーナイもその外交文化の一翼を担ったが、それは政治家による意見陳述と公開討論に依拠した意思決定システムを採用する4世紀の民主政アテーナイに於いて、疑念に曝される事となった。さらに、こうした共同体の枠組みを超越した私的紐帯は、かつては、各共同体のごく上層の君主、僭主や貴族の間で形成、維持されていたが、4世紀のアテーナイでは、もはや伝統的な家柄出身の貴族層がそうした紐帯を維持し、政治に関わる事は稀になり、むしろ新興の富裕層、或は上層以外の市民がこれに参加するようになった。この為、海外との私的紐帯は、かつてと比べ、その対称性を失い、アテーナイ市民の間に、政治家の他国君主、要人への従属、そして収賄の疑惑を生む一要素となった。すなわち、4世紀の法廷弁論に於いて、外交に関わるアテーナイ政治家の収賄言説が頻出していたのは、伝統的な私的紐帯に基づく対外交渉文化と、政治家の意見陳述に依拠したアテーナイ民主政、さらに政治家層の変質とが、矛盾を孕みつつ共存していた事の表れであった。

 更に、第3章では、アテーナイ国内の政治活動に関して為された賄賂事例の中から、その一部を取り上げ、市民間の私的紐帯の在り方について考察を加えた。しばしば、アテーナイの富裕者や有力政治家たちは、中下層出身者を始めとする、他の同胞市民に対して、経済的支援を与え、或は政治的後見役を担った。これらの恩恵を受けた側の市民たちは、当該の富裕者、或は有力政治家に対する返報として、彼らの意向に沿う政治活動に従事していた。これらは所謂パトロネジ関係と看做す事ができる。有力政治家はこうした関係を通じて、下位者に、自身に代わって政策を提案させ、政敵を告発させ、或は自身に対する顕彰決議を提案させるなどして、政治活動に利用しており、4世紀アテーナイ民主政の政策決定過程の中で有効に機能させていた。とりわけ、政治家間のアゴーンを通じて意思決定が為される民主政の意思決定システムの下では、パトロネジ関係の下位者を利用することで、有力者にとっては政治闘争に伴う負担を回避することにも繋がり、と同時に、アゴーン的な意見の応酬そのものは、むしろ活性化させることにも繋がっていた。国内の政治活動に関する賄賂非難の一部は、こうした非対称的な市民間の私的関係、パトロネジ関係を利用した政治文化が当時のアテーナイに於いて機能していたことの表れであったと考えられよう。

 4世紀アテーナイの弁論史料に見られる賄賂言説全体の中で、賄賂が贈られる相手として最も頻繁に想定されていたのは、換言するならば、それだけの権力を行使しうる存在として懸念されていたのは、民会や法廷に於ける政治活動に従事する、「政治家」であった。

 古典期アテーナイの民主政は、民会や陪審廷に参集する市民団の挙手或は投票での採決によりポリスの最終的な意思決定を為した。しかしそれは、発言者、とりわけ政治家による、民会或は法廷での、政治の表舞台での意見陳述、公開討論を通じた説得に基づいて為されていた。その為、政治家たちによる、こうした公開討論の場での意見陳述は国政に大きな意味を持っていた。それ故に、民主政下の健全な意思決定は、発言者の二念なき正しい意見の呈示があってこそ成立するものといった考え方が、当時のアテーナイ民主政の理念として共有されていた。

 その一方で、こうした公開討論を基盤とするアテーナイ民主政の政策決定過程の背後には、第2章、第3章で見たように、私的な紐帯に基づく政治家間の個人的な交渉が政治文化として存在していた。海外の使節や要人の受入は国内の私人、しかも多くの場合、政治家に依存し、両者の接触は不可避のものであった。市民団側も対外交渉に関して、個人が、とりわけ政治家個人が、海外の君主などと私的に有する紐帯に、ある程度依存していた。これは古典期以前からのギリシアの政治文化の伝統でもあった。また国内でも、有力政治家や富裕者がパトロネジ関係を形成し、そうした私的な紐帯を、民会や法廷に於いて、自らの政治目的の為に有効に利用していた。こうした政治家同士が私的に交渉を持つことは、それぞれ有効な機能を有していた一方で、私的紐帯を持つ政治家によって政治の表舞台で呈示される意見に対しては、その公正さに市民団からの疑念が生じることにもなった。

 更にこうした関係は、海外との関係にせよ、国内の関係にせよ、関係を形成する両者の間に、非対称性を伴うものであった。海外の君主や要人との私的な交渉は、かつては僭主や貴族によって担われてきたが、5世紀末以降の政治家層の変動と共に、伝統的家柄に属する者たちよりもむしろ、新興の富裕層、或は中下層出身の者によって担われることになった。国内の政治に於いてもまた、5世紀末以降のアテーナイの有力者や富裕者たちは、パトロネジ関係を形成し、中下層の市民や新たに政治に参入してきた市民たちを自らの政治目的の為に利用していた。政治参加を指向する中下層の市民たちは、パトロネジ関係を利用して、政治に参入することになった。こうした政治社会状況の下、海外の君主らと私的な関係を有する国内の新興富裕層や、パトロネジ関係の下位に位置する者が政治活動に従事した場合、その関係性は両義性を帯びるものになっただろう。自らの権威を高め、或は関係する相手の影響力をその身に帯び、政治的成功にも繋がる場合もあっただろうが、他方で、その関係性の非対称性故に、従属的関係として非難、中傷され、呈示する政策、意見が、公益に適うものではなく、私的な関係を優先したものとも看做されたであろう。こうした社会的背景の下に、互酬的な関係は容易に、従属的関係として非難されることになり、収賄の上での政治行動として非難されることになったと考えられる。

 すなわち、収賄の上、贈賄者の意向に従った政治活動をすることに対して、非難の言説が頻出する背景には、政治家たちが国内外に私的紐帯を有し、互いに私的に接触、交渉する政治文化と、表舞台での誠実な意見陳述を要求するアテーナイ民主政とが共存している構造があったと同時に、4世紀のアテーナイの政治の舞台に新たな社会層が参与していった、ダイナミズムの裏返しであったとも理解できるのではないだろうか。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、主に前4世紀アテナイの法廷弁論に現れる賄賂言説を分析して、賄賂を贈るに値する「権力者」とは誰か、そして彼らを権力者たらしめる政治構造、政治文化とは何であったのかを考察した論文である。どのような種類の賄賂が非難の対象となったか、また賄賂が非難された背景にある社会的価値観とは何かが、豊富な一次史料の分析と事例研究を通して明らかにされる。

 第1章では、一般公職者に対する収賄言説が弁論史料などに少なく、また収賄非難の論調が弱いのは、アテナイ行政機構への市民参加が広範な社会層に及んでいた結果であると論じられる。第2章では、前4世紀の法廷弁論中、外交に関わる政治家の収賄言説が頻出するのは、アテナイ民主政が伝統的な私的紐帯に基づく対外交渉文化の中に成立していたこと、さらにアテナイの政治家層が前5世紀末より変質し、新興の中・下層市民がそこに参入するようになったことの現れであるとする。第3章では、アテナイの政治家たちがパトロネジ関係を基本とする社会的紐帯を利用して活動しており、こうした非対称的な私的関係の存在が、政治家に対する賄賂非難の原因の一端をなしたとの考察が展開される。著者は、贈収賄に対する非難の言説が頻出する背景に、政治家たちが国内外に有する私的紐帯を利用して互いに接触交渉する政治文化と、誠実な意見陳述を要求する民主政のシステムとが共存している構造、および前4世紀のアテナイの政治に新たな社会層が参与していったダイナミズムとが存在した、と結論する。

 本論文はこれまで顧みられなかった、賄賂言説と政治文化との構造的連関という論点に注目し、国制・政治史と社会史との接合領域に焦点を合わせて、アテナイ民主政の構造解明に新たな視角と解釈を提供した点で高く評価される。議論の進め方は綿密で、実証は手堅く丹念であり、また先行研究の空白の指摘も的確で、完成度の高い力作であると言える。さらには、賄賂言説の事例を網羅的に収集してカタローグ化したことの学問的功績も大きい。

 法廷弁論という史料固有のバイアスに対する配慮がやや不十分ではあるものの、最新の研究動向をふまえた上での新知見も数多く提示され、また一次史料の実証的な扱いも信頼が置けるもので、本論文は博士論文としての水準に十分達しているものと認められる。とくに賄賂言説の背景を、政治家の出身階層の変容に求める視点は独創的で、この分野の研究にもたらす貢献は大きい。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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