学位論文要旨



No 121933
著者(漢字) 水谷,治央
著者(英字)
著者(カナ) ミズタニ,ハルオ
標題(和) 興奮性伝達におけるセロトニンのシナプス前抑制作用
標題(洋) Presynaptic inhibitory effect of 5-HT on excitatory transmission
報告番号 121933
報告番号 甲21933
学位授与日 2006.12.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2772号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 助教授 関野,祐子
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

 セロトニン(5-HT)は神経伝達調節物質として、シナプス伝達の効率を修飾することが知られている。神経終末端において5-HTはGタンパク質共役型5-HT受容体を介して神経伝達物質の放出を制御するが、5-HT受容体の標的分子は明らかでない。その主な理由は、従来シナプス前末端からの直接的記録が技術的に困難であったことに帰せられる。脳幹の台形体内側核(MNTB)にはヘルドのカリックス(Calyx of Held)と呼ばれるグルタミン酸作動性の巨大神経終末端が存在し、スライス標本においてシナプス前末端と後細胞から同時に電気信号記録を行うことが可能である。私は幼若期のカリックスシナプスにおいて、5-HTの投与によってシナプス伝達が抑制されることを見出した。この観察に基づいて、5-HT受容体の標的分子の同定を行った。

【方法】

 ラット脳幹の横断面スライスを作製し、双極電極を用いてMNTBへのシナプス入力繊維を0.05 Hzで細胞外刺激した。このときに誘発される興奮性シナプス後電流(EPSC)をパッチクランプ・ホールセル電位固定法でMNTBの主細胞から記録した。また、シナプス前末端にもホールセル法を適用し、シナプス前末端の電位依存性カルシウム電流(I(pCa))とカリウム電流(I(pK))を記録した。さらに、シナプス前末端と後細胞の両方から同時にホールセル記録を行い、前末端のI(pCa)によってEPSCを誘発し、5-HT投与の効果を解析した。

【結果・考察】

 5-HT (10 μM) を灌流液中から細胞外に投与したところ、入力繊維刺激により誘発されるEPSCの振幅が減少したが、自発性微小EPSCの振幅は変化しなかった。したがって、5-HT の作用点はシナプス前末端と推定された。この作用は5-HT(1B)受容体作動薬CP93129によって再現し、5-HT(1B)受容体阻害薬NAS-181によってブロックされたことから、5-HT(1B)受容体により媒介されうることが示された。

 次に5-HT(1B)受容体の標的を明らかにするために、神経終末部からホールセル記録を行い、I(pCa)およびI(pK)電流を、それぞれ直接測定した。その結果、5-HTはI(pCa)を抑制し、I(pK)には作用しないことが明らかとなった。さらに、5-HT(1B)受容体がCa(2+)流入以降の伝達物質放出機構に標的を持つか否かをテストするために、シナプス前末端と後細胞の両方から同時にホールセル記録を行い、5-HTの作用をテストしたところ、5-HT はI(pCa)とEPSCを共に抑制し、後者の作用は、前者の作用によって定量的に説明出来た。この結果は、Ca(2+)流入以降の伝達物質放出機構に5-HTが作用を及ぼさないことを主に示唆する。これらの結果より、神経終末端5-HT(1B)受容体の標的は電位依存性カルシウムチャネルと同定された。

 この研究の途上で、5-HTを繰り返し投与すると効果が減弱する(タキフィラキシー)現象が観察された。タキフィラキシーのCa(2+)依存性をテストするために、神経終末端内にカルシウムキレート剤のBAPTAを注入したところ、タキフィラキシーは消失し、5-HTの繰り返し投与によるI(pCa)の減弱は認められなくなった。Ca(2+)の下流にあるメカニズムを明らかにするために、カルモジュリンおよびカルシニューリンの阻害薬をテストしたが、いずれもタキフィラキシーに対する作用が認められず、Ca(2+)の下流にあるメカニズムの同定は今後の課題として残された。

 また、5-HTのEPSC抑制効果は生後5日齢で顕著であったが、動物の成熟に伴い、その効果は減弱し、生後14日齢において消失した。

【結論】

 5-HTは幼若ラットのカリックスシナプス前末端の5-HT(1B)受容体を活性化して、電位依存性カルシウムチャネルを抑制し、神経伝達物質の放出量を抑制するが、このメカニズムは生後発達と共に消失する。カリックスシナプスにおける5-HTのシナプス前抑制作用が生理学的にどのような意義を持つのか定かではないが、本研究結果は、中枢シナプスで広く観察される5-HTによるシナプス前抑制のメカニズムについて、ひとつのモデルを提供するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、シナプスの伝達効率を修飾することが知られているセロトニン(5-HT)のシナプス前抑制機構を明らかにするため、幼弱ラットの"ヘルドのカリックス"を用いて、5-HTのシナプス伝達に対する作用の解析を試みたもので、下記の結果を得ている。

1.5-HT (10μM) を灌流液中から細胞外に投与したところ、入力繊維刺激により誘発されるEPSCの振幅が減少したが、自発性微小EPSCの振幅は変化しなかった。よって、5-HT の作用点はシナプス前末端と推定された。

2.5-HTのシナプス前抑制作用は5-HT(1B)受容体作動薬CP93129によって再現し、5-HT(1B)受容体阻害薬NAS-181によってブロックされたことから、5-HT(1B)受容体により媒介されうることが示された。

3.5-HT(1B)受容体の標的を明らかにするために、神経終末部からホールセル記録を行い、I(pCa)およびI(pK)電流を、それぞれ直接測定した。その結果、5-HTはI(pCa)を抑制し、I(pK)には作用しないことが明らかとなった。

4.5-HT(1B)受容体がCa(2+)流入以降の伝達物質放出機構に標的を持つか否かをテストするために、シナプス前末端と後細胞の両方から同時にホールセル記録を行い、5-HTの作用をテストしたところ、5-HTはI(pCa)とEPSCを共に抑制し、後者の作用は、前者の作用によって定量的に説明出来た。これらの結果より、神経終末端5-HT(1B)受容体の標的は電位依存性カルシウムチャネルと同定された。

5.5-HTを繰り返し投与すると効果が減弱するタキフィラキシー現象が観察された。タキフィラキシーのCa(2+)依存性を明らかにするために、神経終末端内にカルシウムキレート剤のBAPTAを注入したところ、タキフィラキシーは消失し、5-HTの繰り返し投与によるI(pCa)の減弱は認められなくなった。

6.Ca(2+)の下流にあるメカニズムを明らかにするために、カルモジュリン拮抗薬およびカルシニューリン阻害薬をテストしたが、いずれもタキフィラキシーに対する作用が認められなかった。

7.5-HTのEPSC抑制効果は生後5-6日齢で顕著であったが、動物の成熟に伴い、その効果は減弱し、生後14日齢において消失した。

 以上、本論文は幼弱ラットのヘルドのカリックスシナプスにおいて、電気生理学的な解析から、5-HTはシナプス前末端の5-HT(1B)受容体を活性化して、電位依存性カルシウムチャネルを抑制し、神経伝達物質の放出量を抑制することを明らかにした。本研究は、技術的に困難であったシナプス前末端からの直接的な記録により、神経終末における5-HT受容体の標的分子を同定したことで、神経伝達物質調節機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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