学位論文要旨



No 121940
著者(漢字) クリシュナ バハドゥール カルキ
著者(英字) Krishna Bahadur KARKI
著者(カナ) クリシュナ バハドゥール カルキ
標題(和) 山岳流域での観測値適合性検証を経た土砂流送量推定およびGISに依拠した土壌表層侵食量の推定 : 持続可能な流域管理のための土壌保全に着目して
標題(洋) Sediment transportation and GIS-based soil loss estimation through model validation to observed data in mountainous watersheds : focused on soil conservation for sustainable watershed management
報告番号 121940
報告番号 甲21940
学位授与日 2006.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3081号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 芝野,博文
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 酒井,秀夫
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 助教授 大手,信人
内容要旨 要旨を表示する

 観測データとの適合性を経たモデルをとおして土砂流送とGISに依拠した土壌表層侵食の推定を行い、愛知演習林白坂流域とネパールKulekhani流域の土砂生産の特性を分析した。土地利用が多様なKulekhani流域において土壌表層侵食や流送土砂と関連づけた社会経済状況や地勢の把握を試みている。流域の農業生産力劣化と、ネパールで最も重要な発電用ダムの土砂による埋没のシナリオによって、持続可能な流域管理を標榜する土壌保全計画を具体的に提案した。

 日本では、大流域としての白坂流域(88.5ha)とその内部に設置された実験流域の北谷(0.44ha)・南谷(0.48ha)が設定され、大流域としてのKulekhani流域(12,515ha)とその内部に設置された実験流域の1号流域(2.68ha)と2号流域(1.88ha)が選定された。ネパールの山地流域は多様な土地利用が行われており、日本のそれは森林流域である。

 土壌表層侵食は白坂流域(南谷と北谷)では2001年8月から2005年7月までの観測と5分単位雨量データを用いた解析がなされ、土砂流送は2001年9月から2004年10月まで白坂本谷流域で観測と解析がなされた。Kulekhani(1号・2号実験流域)では2001年の観測と30分単位の雨量データを用いた解析が実施され、さらに1995年から2001年の観測と月雨量データを用いた解析がなされ、土砂流送は1994年から2003年(2001年は欠測)までKulekhani流域で流送土砂量の観測資料を入手し、2002年と2003年では時間流量を用いた解析がなされ、それ以外では日流量を用いた解析がなされている。

 USLE式(汎用土壌表層侵食式)は山腹斜面における土壌表層侵食量の推定に、Einstein式は流送土砂量の推定に選定された。USLE式は、haあたり・降雨イベントあたり(あるいは月・年あたり)の侵食量を6つの変数、すなわち降雨流出変数R、土壌受蝕性変数K、傾斜・斜面長変数LS、土地被覆管理変数C、土壌保全状況係数Pで表現する構造で形成される。LS変数の算出に際しては、複雑な山腹斜面をそれと等価な単一な斜面に変換するようDEMを用いている。C変数は、現在の土地利用にP変数は地点別の土壌保全状況を基礎に設定された。

 土砂流送予測のための水理学的パラメータは、平衡河床の条件がよく保たれている渓流の調査河道区間を対象として決定された。横断面やエネルギー勾配の測量がそれぞれの河道で実施され、粒径分布は調査河道区間から採取されたサンプルに対して実験室での分析を経て得られた。河床粗度D(65)と累加粒度曲線の35%粒径D(35)の幾何平均Dが明らかにされた。同様に粒子の沈降速度vsや動粘性係数vは、平均粒径Dあるいは最適の公式や河岸の粗度係数nwを用いて決定された。流量に対する流送形態(掃流砂・浮遊砂の別(mode))別の流送土砂量較正曲線は、粒径範囲別の重量配分比も考慮したEinstein式が用いられた。白坂では量水堰での5分単位水位記録からKulekhaniでは貯水池の水位記録から流量が求められ、時間単位のハイドログラフから流送土砂量-流量較正曲線を用いて流送土砂量が計算された。

 ウォッシュロードは、2004年10月の豪雨を含む1週間において白坂量水堰堤から流去する河川水中の浮遊物質のサンプリングによって観測された。掃流砂と浮遊砂は全流送土砂量(河床構成材料)を形成し、土砂全量(全流送土砂量とは異なる)からウォッシュロードを差し引いた値に等しい。Einstein式の適合性は全流送土砂量観測値(3.67ton/ha/yr)に対して最も良好な結果を示した。しかし、観測前半期の過小推定値が現れ、これは豪雨直後の十分な土砂供給のもとで発生し、後半期の過大推定は源流域での不安定土砂の急速な安定が原因とされ給砂制限の存在を示している。全流送土砂量のうち、掃流砂の占める割合は79%であり、浮遊砂のそれは21%であった。ウォッシュロードの全流送土砂に対する比率は11%であった。浮遊砂の比率は日本における他の流域からの報告とほぼ同じレベルにあるが、ウォッシュロード(0.39ton/ha/yr)はさほど小さいとはいえない。粒径は粗く(D(50)で2.2mm)、しかも均一である。全流出土砂量が比較的少ないことは、風化花崗岩地域から生産される粒径が均一であることと、適正な管理がなされ林冠が閉鎖していることにも部分的に起因していると結論付けた。

 Kulekhani流域の流送土砂の場合、土砂量(215.2 ton/ha/yr 観測値)は、極めて大きい。全流出土砂量に占める割合は浮遊砂で18.7%であり、白坂のそれと同じレベルにあった。Einstein式の推定による流送土砂量は、全体として比較的良好な適合度を観測値に対して与えている。1993年に発生した大規模な豪雨災害の後の観測前半期では膨大な給砂があり、予測値は相対的に極めて低い土砂流送容量として現れた。観測後半期においては予測値の過大推定があり、これは逆に給砂限界に起因していると考えられた。給砂限界の出現は、土壌保全活動の集中的な実施と十分な土砂補足容量のある若干数の大規模砂防ダムの建設に起因している。

 白坂流域における並列実験流域における土壌表層侵食量は、観測値で0.6ton/ha/yrであった。USLE式による土壌表層侵食量推定値が北谷・南谷において極めて良好に観測値を再現していた。白坂流域全体に拡張した推定土壌表層侵食量(0.94 ton/ha/yr)と貯水池に到達した全流送土砂量観測値(3.67ton/ha/yr)との比較によって、表層土壌侵食量は流送土砂の25%を供給し、残りの75%は、土壌表層侵食以外のマスムーブメントによって供給されていることが判明した。

 Kulekhani流域の並行実験流域では、土壌表層侵食量(2001年観測値で0.75ton/ha/yr)は小さい。全流域へ拡張した推定値(2001年で20.68ton/ha/yr、1994-2003年で32.92ton/ha/yr)では、ネパールにおける他の流域と類似した値となった。並行実験流域における観測値に対してUSLE式が与える推定値(1号流域で6%、2号流域で42%の誤差)は、総量において概ね一致したが、累加曲線の形はかなり異なる。貯水池に流入した全流送土砂観測値と土壌表層侵食量推定値の比較から、土壌表層侵食量は全流送土砂量の16%を占め、残りの84%は、土壌表層侵食以外のマスムーブメントによって供給されていることが判明した。

 Kulekhani流域については、社会状況の分析のために流域レベルと支流域レベルで資料が収集された。情報は二次資料から収集されたが、部分的に参加型地域査定法(Participatory Rural Appraisal)が使用された。土地資源の生産力と流域住民の消費からの荷重は、それぞれに食料(cal/yr)、糧秣(head/yr)、燃料材(ton/yr)について異なる単位毎に計算された。これらの値は、それぞれの項目別に支流別で社会経済状況と土壌表層侵食量および流送土砂量との関連を見出すために消費量に対する生産量の比率で表現された。Kulekhani流域は、食料と燃料材の不足によって収支の不均衡が出来している。表層土壌侵食と社会経済学的な条件は、資源不足の程度が大きいほど表層土壌侵食が進行しているという強い回帰関係を示した。土壌表層侵食と流送土砂は、それぞれの支流域における社会経済状況の順位と一致していた。土壌表層侵食に対する地勢的な特性の場合、大きな土壌表層侵食量は高度に耕地化した場所(49.9%)と疎林・放牧地(10.1%)において出現した。また、地形(land system)の特性として、急峻な山岳地形(44.6%)と極めて急峻な山岳地形(37.9%)において高い土壌表層侵食が現れ、不適切な土地利用のためと推定された。土地生産力許容量(land capability)の分類によると、耕作に容認される土地(17%)は、小さく残りの大部分(33%)は、耕作不適格地となった。

 土壌表層侵食に関する長期のシナリオ(1978-2020)を見ると年間における森林から耕地あるいは疎林への転換率(0.28%)は小さいものの、耕地(27ton/ha/yr)と疎林(38ton/ha/yr)における大きな土壌表層侵食量は、大きな問題である。そのため、森林から農耕地や疎林・放牧地への転換で土壌表層侵食が増大すると、農民の社会経済学的条件は劣化する。Kulekhaniの水力発電所は、貯水池への大量の土砂流入により、残存寿命(全貯水容量の消失までの現時点からの年数)が60年以下であるという驚くべき状況にある。一方、集中的な土壌保全対策や砂防ダムの建設といった提案は貯水池の残存寿命を75年に延ばすと予測される。表層土壌侵食量は土地の植生による被覆の増大に従って減少し、提案したアグロフォレストリーによって高地における耕作地でその被覆を2倍にすることができ、疎林地における再造林によって同地における林冠被覆を現在の森林と同じ条件に保つことができる。このことは、高地の耕作地では、土壌表層侵食を半分に、疎林や放牧地では3分の1に減らすことができる。大部分の地域(40.46%)で土壌表層侵食許容レベル以上になり、少なからぬ地域(6.8%)で危険レベル以上になっている。土壌表層侵食に対して許容レベル以下・許容レベル以上・危険レベル以上といった格付けは、この研究によってもたらされた応用上有効な項目となると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 基礎的な分析を行う5章までにおいて、観測データとの適合性検証を経たモデルをとおして土砂流送とGISに依拠した土壌表層侵食の推定を行い、愛知演習林白坂流域とネパールKulekhani流域の土砂流出の特性を分析した。

 河道における土砂流送のモデルとしてEinstein式が大流域としての白坂流域の貯水池での堆砂量観測値に適合し、土壌表層侵食ではUSLE式がその内部に設置された微小実験流域の観測値に適合することが確認された。ネパールのKulekhani流域とその内部に設置された微小実験流域への理論の適合性にも期待が持たれた。しかし、土砂流送量については、最下流の貯水池の堆砂量に対して年次別の変動を再現できているとは言いがたい結果を示した。これは、土砂供給量と流送土砂量が同じに保たれるという平衡河床の条件をモデル適用の前提としたことに起因している。10年の累積値をみる限りでは現象を再現できているという著者の主張も受け入れる余地はある。また、土壌表層侵食についても年間累積としての土壌表層侵食量を比較的よく再現しているとはいえ、Kulekhaniの微小実験流域における観測値に対して小さな降雨に対する応答が鈍く良好な適合性を示したとはいいがたい。課題は残したものの、表層土壌侵食量においても流域管理を考察するに当っては問題とすべき大きな推定誤差にはならないと判断される。

 モデルによって明らかにされた次のような発見があった。白坂流域の全流送土砂量3.7ton/ha/yrのうち、掃流砂の占める割合は79%であり、浮遊砂のそれは21%であった。粒径は粗く、しかも均一である。全流出土砂量が比較的少ないことは風化花崗岩地域から生産される粒径が均一であることに起因することがモデルをとおして明らかされされ、適正な管理がなされ林冠が閉鎖していることにも部分的に起因していると結論付けた。白坂の微小実験流域における土壌表層侵食量は、観測値で0.6 ton/ha/yrであった。白坂流域全体に拡張した推定土壌表層侵食量0.94 ton/ha/yrと貯水池に到達した全流送土砂量観測値との比較によって、表層土壌侵食量は流送土砂の25%を供給し、75%は土壌表層侵食以外のマスムーブメントによって供給されたことが判明した。一方、Kulekhani流域の流送土砂の場合、全土砂流送量215 ton/ha/yrは、多様な土地利用形態に起因して極めて大きい。全流出土砂量に占める浮遊砂の割合は白坂のそれと同じレベルにあった。Kulekhani流域の微小実験流域では、土壌表層侵食量0.75 ton/ha/yrは小さいが、全流域へ拡張した推定値は、33 ton/ha/yrであった。土壌表層侵食量は全流送土砂量の16%を占め、84%は土壌表層侵食以外のマスムーブメントによって供給された。

 実測値を踏まえ、土壌表層侵食が土砂生産量に占める割合や、土砂流送量の形態別割合が明らかにされたことは、土壌保全を論ずるに当って具体的対策を可能にし信頼性を高めるものとなったことを評価できる。

 6章と7章は、応用的な側面を考察した。土地利用が多様なKulekhani流域において土壌表層侵食や流送土砂と関連づけた社会経済状況や地勢の把握を試みて、流域の農業生産力低下と、発電用ダムの土砂による埋没のトレンドを踏まえて、持続可能な流域管理を標榜する土壌保全の指針が具体的に提案された。

 この流域では住民は極めて貧しく経済活動が農業のみに限られる。住民の暮らしは、日々の食糧と農業を支える家畜の頭数およびエネルギー源としての燃料材の収支関係で説明ができるとした。これらの支流別の値は、それぞれの項目別に消費量に対する生産量の比率で表現され、その重みつき線形結合をもって社会経済状況を表すとした。結果として、資源不足の程度が大きいほど表層土壌侵食が進行しているという強い回帰関係を示した。土壌保全において適切な対策がとられれば、土地の農業生産力が向上し、社会経済学状況の改善が期待される。

 土壌表層侵食に関するトレンドを見ると、森林から耕地あるいは疎林への転換率は小さいものの、耕地と疎林における大きな土壌表層侵食量は問題である。そのため、森林から農耕地や疎林・放牧地への転換で土壌表層侵食が増大すると、社会経済学的条件は悪化する。現時点で、流域の大部分で土壌表層侵食許容レベル以上になり、危険レベル以上になっている地区も少なくない。一方、水力発電用貯水池への大量の土砂流入により、全貯水容量消失までの残存年数が60年以下であるという状況にある。5つのシナリオの中で、GISをベースにし土壌保全に着目した流域管理のあり方が記述されている。

 限られた財政支援しか見込まれない場合、行政による農業活動への合理的な方向付けによって、土砂流出量の2割程度を占める土壌表層侵食を抑制することが持続可能な流域管理の現実的な方法である。提案は実現可能な範囲を逸脱せず、観測値を踏まえた理論の応用を背景にもつことから説得力のある内容となったと評価できる。その学術的な意義は大きい。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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