学位論文要旨



No 121945
著者(漢字) 宮崎,美智子
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,ミチコ
標題(和) 映像フィードバックの時間・空間的要因が幼児の自己映像認知に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 121945
報告番号 甲21945
学位授与日 2006.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第693号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 開,一夫
 東京大学 教授 安達,裕之
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 助教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 長谷川,寿一
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景と目的

 1歳半から2歳頃に発現するといわれる自己映像認知のメカニズム解明に向け,本研究では,自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴関係をシスティマティックに統制した実験を行なった.具体的には,自己映像認知の手がかりになると考えられる自己映像フィードバックの時間的同時性と空間的一貫性に関する要因を操作し,幼児の自己映像認知課題の成績に影響が及ぶかどうかを検討した.

 自己映像認知とは鏡やビデオなどに映った自己映像が自分であることを認めることである.その能力は生得的に備わったものではなく,1歳半から2歳頃に発現するといわれている(Amsterdam,1972).自己映像認知の指標として,マークテストと呼ばれる手法がよく知られている(Gallup,1970).具体的には,口紅やシールなどのマークを気づかれないように子どもの顔や頭部につけ,しばらくした後で鏡を見せる.すると,子どもは鏡ではなく自己身体のマークに触れる.

 本研究では,このマークテストを指標とした実験において,

 I.自己映像フィードバックへの時間的ずれの挿入(実験1〜4),

 II.被験児から見た自己映像フィードバックの空間的属性の操作(実験5〜6),

を行なうことによって,その達成率に及ぼす影響を検討した.

2.研究内容

 以下,本論文で行った6つの実験の概要を述べる.

 上述のI.自己映像フィードバックへの時間的ずれの挿入に関しては4つの実験(実験1〜4)を行なった.

 実験1では,幼児がわずかな時間的遅延の挿入された自己映像と自己との随伴的な関係を理解できるかどうかを明らかにするため,2秒遅延とライブの自己映像を用いてマークテストの達成に及ぼす影響を発達的に検討した.99名の2歳〜4歳児を年齢と呈示映像によって6つのグループに分け,マークテストを行なった.その結果,年齢によって達成率に差が見られた(p<.01).2歳児ではどちらの映像条件においてもマークを取らなかった(ライブ: 20%,2秒遅延:13%).3歳児ではライブ条件では88%がマークを取ったが,2秒遅延条件ではわずか38%しかマークを取らなかった.4歳児ではどちらの映像条件でもほとんどがマークを取った(ライブ:89%,2秒遅延:83%).呈示映像による達成率の差は3歳児グループで有意となった(p<.05,図1,実験1).これらの結果は,3歳児はライブ映像なら現時点の自分の映像であることを理解するが,2秒遅延映像ではそれが困難なことを示唆する.

 実験2では,実験1と同様の目的で,1秒遅延の自己映像を用いて3歳児17名を対象に同様の検討を行なった.その結果,71%の被験児がマークを取った(図1,実験2).実験1の結果と比較したところ,1秒遅延条件では,ライブ条件・2秒遅延条件に比べて自己と映像フィードバック間の随伴関係を確かめようとする随伴性探索行動を示した被験児の割合が有意に高かった(2秒遅延: 38%,1秒遅延:82%,ライブ:44%,p<.05).これらの結果は,自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴関係の検出が自己映像認知に貢献すること,3歳児は1秒遅延映像であれば,随伴性探索行動を通じて自己と遅延映像フィードバック間の随伴関係を検出できることを示唆する.

 実験3では,マークテストの達成における視覚情報の形態的なマッチングの効果を検討するため,顔や洋服といった見ための情報を排除した映像を用いてマークテストを行なった.具体的には,被験児の後頭部にマークをつけ,後ろ姿の1秒遅延映像を用いて3歳児17名にマークテストを行なった.その結果,自分の顔が映らなくても59%の3歳児がマークを取った(図1,実験3).映像に対する随伴性探索行動も82%の被験児に観察された.実験2の結果と比較すると,見ための情報を統制している/いないにかかわらず,3歳児は随伴性探索行動を通じて自己と1秒遅延映像フィードバック間の随伴関係を検出できることが示唆された.

 実験4では,自己と映像フィードバック間の随伴関係検出の学習効果を検討するために,事前に約1分間の2秒遅延映像を経験させるフェーズを挿入したうえで,31名の2歳,3歳児を対象にマークテストを行なった.実験1における2秒遅延条件の2歳,3歳児グループの結果と比較したところ,どちらの年齢グループにおいてもマークテストの達成率は向上し,特に3歳児グループにおいて有意な促進効果がみられた(2歳児:13%→47%,p=.11;3歳児:38%→94%,p< .05;図1,実験4).このことは,実験1において示された2秒遅延条件の3歳児グループの結果が,遅延が挿入されたことによる視覚運動制御レベルの問題に起因しないことを示唆する.2秒遅延映像の随伴的な関係を経験することによって,今の自分の状態が反映された映像であるという確信度が高まれば,3歳児はあきらめることなく遅延映像を参照しながらマークを探す.

 上述のII.被験児から見た自己映像フィードバックの空間的属性の操作に関しては,2つの実験(実験5・6)を行なった.

 実験5では,ライブ映像における空間関係,特に被験児からの「見え」が鏡と左右逆であることがマークテストの達成を妨げる可能性について検討を行なった.被験児からの「見え」(鏡映像/反鏡映像)を操作したライブ映像を用いて,44名の2歳児を対象にマークテストを行った.その結果,2歳前半児では,鏡映像条件のほうが反鏡映像条件より有意に達成率が高かった(鏡映像: 42%,反鏡映像: 8%,p<.05,図2,実験5).この結果は,鏡映像的な映り方が自己と映像フィードバック間の随伴関係の検出を容易にし,マークテストの達成を促進したことを示唆する.

 実験6では,自己映像とのアイコンタクトの有無がマークテストに影響するかどうかを検討するために,「視線が合う」/「視線が合わない」自己映像を用いて22名の2歳児を対象にマークテストを行なった.その結果,2歳前半児,2歳後半児どちらの年齢グループにおいても,マークテストの達成率はアイコンタクトの有無とは独立であることが明らかになった(2歳前半: p=.71,2歳後半: p=.33,図2,実験6).ただし,2歳前半児においてはマークテストの達成率が一貫して低いため,アイコンタクトの効果が他の要因に相殺された可能性も残る.今後の検討が必要である.

3.まとめ

 上記の6つの実験を通じて下記の点が明らかになった.

・映像フィードバックへの時間的遅延(2秒)の挿入はマークテストの成績に影響を及ぼす.しかし,遅延が1秒であれば,3歳児は随伴性探索行動を通じて自己受容感覚と遅延視覚映像フィードバック間の随伴関係を検出可能である(実験1・2・3).

・遅延映像と自己との随伴的な関係を経験させると,2歳・3歳児におけるマークテストの達成率は促進される(実験4).

・2歳前半児の場合,反鏡映像的なライブ映像ではマークテストの達成率は低いが,鏡映像的な映像では達成率が高かった(実験5).

・映像とのアイコンタクトは2歳児におけるマークテストの成績に影響を及ぼさない(実験6).

 これらの実験結果は自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴関係の検出が自己映像認知に貢献すること,その随伴関係の検出の容易性は映像フィードバックにおける時間的・空間的要因に左右されることを示唆している.具体的には,3歳児において主観的に現在と解釈されやすい時間のずれは2秒より短いこと,2歳児にとって自分が映し出されていると認知されやすい映像は,その空間的属性が被験児に対して鏡映像的であるときであった.

 これらの知見は自己映像認知が単に鏡という媒体の性質の理解に依存しているのではなく,自己受容感覚と視覚映像フィードバック間の随伴的関係の検出に依存していることを意味している.

図1. 呈示映像条件および年齢ごとのマークに対する反応の割合

図2. 呈示映像条件ごとの2歳児におけるマークに対する反応の割合

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、認知科学研究において中核的課題の1つである自己認知について、発達的変遷および基盤となる認知機構を実証的に論じたものである。具体的には、自己映像認知(鏡やビデオに映った自己映像を自分自身であると認めること)について、マークテストと呼ばれる行動指標を用いて、2歳から4歳の幼児(計230名)に実施した一連の実験結果について述べている。

 これまでの研究から、自己映像認知能力は生後1歳半から2歳頃に発現するといわれている。こうした研究が根拠として用いている指標はマークテストと呼ばれるものである。マークテストでは、被験児の顔や頭部に気づかれないよう口紅やシールなどの印を付け、その後に鏡を見せる。被験児が鏡を見ながら自己身体に付けられた印に触れるかどうか(あるいはシールが取られるかどうか)がテストされる。マークテストは自己映像認知の指標として簡便性の点で優れているが、従来研究の大半は自己像を映す媒体として「鏡」を用いており、自己映像認知にどのような基礎的認知能力が関与しているのかを明確にしていない。つまり鏡は、常に「現在の自己」を映し出し、映し出される自己像は常に「鏡像的(左右反転的)自己」であるため、時間的・空間的にどのような要因がマークテストに影響しているのかを明らかにしていない。こうした背景のもと、本研究は、映像遅延装置とビデオカメラ・TVモニタ・ハーフミラーを用いた新たな実験環境を構築し、

I.自己映像フィードバックへの時間的ずれの挿入

II.被験児から見た自己映像フィードバックの空間的属性の操作

を行うことによって、マークテストの達成率に関与する時間的・空間的要因を詳細に検討している。

 Iの時間的要因に関しては、4つの実験(実験1〜実験4)が行われている。実験1では、2秒遅延自己映像とライブ自己映像に対する反応が調べられている。99名の2歳〜4歳児を対象とした実験の結果、年齢による達成率の違いだけでなく、3歳児でライブ条件と2秒遅延条件に有意な差が発見された。ライブ条件では88%がマークテストにパスし、2秒遅延条件では38%しかパスしなかった。この結果は、鏡を使ったマークテストにはパスする3歳児であっても僅か2秒の遅延映像を現在の自己映像と認知していないことを示唆している。実験2では、3歳児17名を対象に、映像遅延時間を1秒に短縮してマークテストが実施された。この実験の結果、大半の被験児がマークテストにパスし、1秒遅延であれば遅延映像を現在の自己映像として捉えていることが示唆された。さらに、実験2の場合は、実験1と比較して、随伴性探索行動を示す被験児が有意に多く見られた。このことは、自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴性検出がマークテスト達成に重要な役割を果たしていることを示唆する。実験3では、顔や洋服といった外見的情報を排除した実験が行われている。被験児の後頭部にマークをつけ、後ろ姿の1秒遅延映像を用いて3歳児17名にマークテストが行われた。その結果、自分の顔が映らなくても59%の3歳児がマークテストにパスした。この結果も、自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴性検出の重要性を示唆している。実験4では、事前に約1分間の2秒遅延映像を経験させるフェーズを挿入した後でマークテストが行われ、自己と遅延映像フィードバック間の随伴関係検出の学習可能性が検討されている。31名の2歳・3歳児を対象にした実験の結果、どちらの年齢グループにおいてもマークテストの達成率は向上し、特に3歳児グループにおいて有意な促進効果がみられた。この結果は、遅延映像における自己との随伴性の経験が、マークテストの達成率を促進することを意味する。

 上述IIの空間的属性の操作に関しては、2つの実験(実験5・実験6)が行われている。実験5では、被験児からの見え方が、鏡と左右逆である場合が検討されている。鏡映像/反鏡映像を操作したライブ映像を用いて、44名の2歳児を対象に実験が行われた。実験の結果、2歳前半児では、鏡映像条件のほうが反鏡映像条件より有意に達成率が高かった。この結果は、鏡映像的な映り方が自己と映像フィードバック間の随伴関係の検出を容易にし、マークテストの達成を促進することを示唆する。実験6では、自己映像とのアイコンタクトの有無がマークテストに影響するかどうかが検討されている。22名の2歳児を対象にマークテストを行った結果、達成率はアイコンタクトの有無とは独立であることが明らかになった。

 以上述べたように、本研究は、綿密に操作・統制した実験を行うことで、自己映像認知に関わる時間的・空間的要因を明らかにしている。審査委員会では、特に、次の2点が高く評価された。(1)自己受容感覚と映像フィードバック間の随伴関係の検出が自己映像認知に深く関与していることを実証的に明らかにした点。(2)随伴関係の検出能力が発達的に変化することを多数の被験児を対象にした一連の実験から明らかにした点。これら2点の知見は、単純な鏡を用いた先行研究では得られなかったものであり、認知科学の中心的課題である自己認知研究に大きく貢献した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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