学位論文要旨



No 121946
著者(漢字) 福島,宏器
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,ヒロカタ
標題(和) 自己と他者の行為評価に関わる事象関連電位の研究
標題(洋) Human event-related potentials in monitoring self and non-self performance
報告番号 121946
報告番号 甲21946
学位授与日 2006.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第694号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 開,一夫
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 助教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 長谷川,寿一
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の大きな目的は、他者の行為の正否・好悪の認識に関わる認知神経処理過程を明らかにすることである。そのために本論文では、他者の行為評価に特徴的な神経活動のパタンを見出し、さらにその特性の検討を行った。

背景と目的

 他者の行為を認識することは、他者理解や社会的学習において基礎的かつ重要な認知機能である。近年では、他者の身体運動の知覚やその目的・意図の認識に関わる神経機構の研究が成熟してきた。これにたいし、さらに抽象的な行為認識機能として行為の成功・不成功や好悪といった、行為の「結果の評価」を支える機能の研究が重要だと考えられる。

 一方で、人間の自己の行為評価に関わる神経活動指標として、事象関連電位を利用した研究が盛んになっている。課題におけるエラー反応の瞬間や、課題遂行上の失敗や損失を知らせるフィードバック刺激を知覚した際に、被験者の頭皮上の前頭-中心領域から特異的な陰性の電位が生じることが発見された。このパタンはMedial-frontal negativity(MFN)とよばれ、前頭葉内側を発生源とし、自己の行為の結果を評価するセルフモニタリング機構を反映していると考えられている。

 そこで本研究では、自己行為の評価に関わるMFNを指標として、「他者」の行為に対する神経表象を明らかにすることを目指した。本研究では最初に、「自己の行為評価に関わる認知神経機構が、他者の行為評価にも同様に関わっており、自己と他者の行為評価に対して同等のMFN成分が発生する」という仮説をたて、これを検証した。そして、この他者観察において発生するMFN(non-self MFNと名づけた)の特性を以下の点において検討することを目的とした。

・この成分が反映している機能(認知的処理と情動的処理のどちらを主に反映するか)

・他者に対する共感性(他者の情動的事態を自己の事態と同様に処理すること)の指標としての有用性

本研究のパラダイムと検討項目

 本研究では、健常成人を対象に、運動タイミング課題(実験1)とギャンブル課題(実験2,3)という二つの異なる課題を用いて脳波計測を行い、自己と非自己の行為評価に関わる電位、とくに他者の行為評価に関わるMFN成分の一般的特性を検討した。

 実験では、脳波計測装置を装着した被験者が、他のプレイヤーと同一の課題を交互に行い、自己と他者の課題遂行における反応の正否・良悪をそれぞれ観察した。ここで、各プレイヤーの反応の正否はフィードバック刺激によって与えた。フィードバックに対する電位を検討することによって、運動成分・視覚刺激の違いなどを統制し、自己行為と他者行為、あるいは様々な対象に対する神経活動を等条件で比較をすることを可能にした。

 このようなパラダイムに加え本研究では、以下のような実験設定と操作を行い、non-self MFNの振幅に影響を与える要因を調べた。

・観察対象の違い (観察対象として人間とPCプログラムを比較:実験1,2,3)

・観察時の心理状態・性格特性 (課題後に質問紙法により測定、MFNとの相関を調査:実験2,3)

・他者との反協力的な社会的文脈(他者との利害が対立する状況でのMFNの検討:実験3)

実験1:運動タイミング課題における他者のエラーの知覚

 実験1では、単純な時間評価課題を題材として、他者のエラー知覚に関わるERPが調べられた。被験者(14名、女性7名)は、ボタン押しによって1秒間を正確に産出する課題を他者と交互に行い、自己と他者の反応の結果(正確・不正確を伝えるフィードバック刺激)をそれぞれ知覚した。また、被験者の課題遂行パートナーとして、人間(実験者)とPCプログラムの2条件が用意された。

 その結果、自己の行為の結果知覚だけでなく、他者の行為の結果知覚においてもMFNが有意に発生すること(non-self MFN)を確認した(F(1,12) =12.48,p=0.004)。さらに、non-self MFNはPCプログラムに対するフィードバック知覚においても生じること、および、自己の行為に対するMFNには見られない個人差が、男女差という形で見出されることが示された。

 この実験結果は、non-self MFNの発生を確認し、さらにこれが他者の反応の直接的な観察ではなく、反応に対するフィードバック刺激のみの知覚でも発生することを示した。さらに、観察対象(行為者)が人間であるか否かという違いには有意な影響を受けず、同時に大きな個人差を示していたことから、この波形が反映する処理過程を詳しく検討する必要を示した。

実験2:タイミング課題における他者のエラーの知覚

 実験2では、ギャンブル課題を題材として、他者の「損失」に対する知覚を調べた。同性の友人ペア(23組、女性10組)が参加した。課題では、自己と友人、およびPCプログラムの各プレイヤーが、20試行を単位として交代しながら課題を行った。またここでは、他プレイヤーの観察時の対象の違い(人間/PC)が認知・神経活動にあたえる影響をさらに精緻に検討するために、実験後の質問紙によって、各被験者の性格特性や課題時の心理状態を測定した。

 その結果、non-self MFNは友人の損得の知覚時に有意に出現することが示された(F(1,44) =11.43,p=0.002)。また、non-self MFNはPCプログラムの損得知覚時には減衰しており、対象の違いによる振幅の個人内変動が示された(F(2,44) =2.47,p=0.090)。被験者の心理指標(心理状態および性格特性)の中で、友人のパフォーマンスに対するnon-self MFNとの関連が見つかったのは、情動的な側面を示す項目群であった。一方、認知的処理を反映する項目群との関係は見出せなかった。

 この実験結果は、non-self MFN振幅が被験者内の変動として実験状況に応じて段階的に修飾することを示している。さらに、自分の損得とは独立である他者の損失知覚に対して生じ、共感性尺度や親密度評定との相関が示されたことなどから、non-self MFNは共感的な心的処理をあるていど反映している可能性が示唆された。

実験3:利害の対立する相手の損失の知覚

 実験3では、他者の損失を望むという反共感的な観察態度がMFNに与える影響を検討した。そのために、プレイヤーの一方が試行毎に獲得(損失)した金額は他方の損失(獲得)となる、直接的な利害対立状況を設定した。同性の友人ペア24組(女性12組)を調査対象とした。

 その結果、non-self MFNには個人差が非常に大きく見られ、被験者全体では有意に出現しなかった。そこでさらに詳細な分析を行った結果、性別によるnon-self MFNの違いが明らかになった。すなわち、女性群はnon-self MFNが有意に出現していたのに対し、男性群では消失、あるいは極性が逆方向に出現する傾向が見られた。このような個人差は、心理指標の中での情動的な項目群との相関が有意に見出された。一方で、被験者がPCプログラムとこの課題をおこなった場合でも、性差については同様のパタンが見出されたが、その差は減衰し、群間の有意差や評定値との相関も消失していた。

 このように、他者の行為評価の神経活動にみられる個人差は、反共感的な文脈において強調されることが示された。また、心理指標との相関や個人差は、対象が人間である場合に明確になることが示唆された。こうした結果から、non-self MFNが社会的な認知状況における情動的な状態を反映していることが、さらに示唆された。

全体考察

本研究ではタイミング課題とギャンブル課題を用いて、課題(フィードバックの内容)によらず、非自己のパフォーマンスの観察によってMFNが発生することを確認し、さらにその特性を検討した結果、以下のことが明らかになった。

 すなわち、non-self MFNは、学習処理や自己の利害に関わらないと考えられる条件でも有意に観察された(実験1、2)。また、non-self MFN振幅の修飾要因としては、観察対象の違いに影響されることがわかり(実験2)、その原因としては、行為主体に帰属する親和度(実験2、3)が事象に対する感情(実験3)とともに見出された。また、被験者間の個人差に対応する要因として、被験者の共感性尺度における情動的反応の指数との相関が見出された(実験2)。

 こうした知見から、non-self MFNが反映する機能は、事象にたいする認知的な処理ではなく、事象や動作主体に対する情動的な心理的帰属の状態、とくに情動的な自己投影の強度を反映していると解釈された。MFNの主要な発生源と考えられている前頭葉内側部は、これまでの研究により他者理解や心的表象の意識化に中心的に関わる領野であることが示されていることから、他者の行為評価に関わるMFNは、さらに高次の社会認知機能との関連も考えられる。またnon-self MFNは、性格特性・心理状態との相関や性差を示すなど、社会的な場面における心理状態や性格特性を反映する神経生理指標として有用であることも示唆された。

 以上のように本研究は、他者の行為評価機能に関して、(1)神経機構の示唆(自己の行為評価と相似した処理過程)と、(2)内的プロセスの推定(対象に対する情動的・共感的な心的状態)を行い、(3)これを反映する指標(non-self MFN)の社会認知における指標としての有用性を示唆した。今後は、本研究で扱われた他者の行為評価プロセスと、社会的な(他者の行動に基づいた)学習や意思決定との関わりの検討が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、他者行為の評価・認識に関わる神経機序を明らかにすることを目指した認知神経科学的研究について述べている。具体的には、他者が行った行為に対するフィードバック観察時の事象関連電位(ERP)を測定し、自己の行為に対する事象関連電位と比較することによって、他者行為の評価に関する神経機構を明らかにしている。他者行為の認識は、社会的学習や対人認知などの高次認知過程において基盤となる重要な認知機能である。その神経機構が明らかになれば、認知神経科学だけでなく心理学・社会学など幅広い研究分野に多くの知見を与える。

 これまでの研究では,自己の行為評価に関わる神経活動として、Medial-frontal negativity(MFN)と呼ばれる事象関連電位パタンが発見されている。MFNは、課題におけるエラー反応の直後や、課題遂行後に与えられる失敗・損失のフィードバック刺激を知覚した際に、頭皮上の前頭中心領域から検出される陰性電位である。本研究で中心となっている仮説は、従来「自己」の行為評価にのみ随伴するとされてきたMFNが、「他者の行為評価に対する神経活動にも関連している」というものである。論文では、この仮説を検証することを目的とした3つの事象関連電位実験(実験1〜実験3)について詳しく論じられている。

 まず、実験1では、単純な時間評価課題を題材として、他者のエラー知覚に関わるERPが調べられた。被験者(14名)は、ボタン押しによって1秒間を正確に産出する課題を他者と交互に行い、自己と他者の反応の結果(正確・不正確を伝えるフィードバック刺激)をそれぞれ知覚した。実験の結果、自己の行為の結果を知覚している場合だけでなく、他者行為の結果を知覚している場合にもMFNと類似の事象関連電位パタン(non-self MFN)が発生することが確認された。さらに、non-self MFNはPCプログラムを仮想的他者とした場合にも生じること、および、自己の行為に対するMFNには見られない男女差が見出された。

実験2では、ギャンブル課題を題材として、他者の「損失」に対するnon-self MFNが調べられている。実験には同性の友人ペア(23組)が参加し、自己と友人、およびPCプログラムの各プレイヤーが交代しながら課題を行った。また、実験後の質問紙によって、各被験者の性格特性や課題時の心理状態も測定した。実験の結果、non-self MFNは友人の損得の知覚時に出現することが示された。また、non-self MFNはPCプログラムの損得知覚時には減衰しており、対象の違いによる個人内変動が示された。被験者の心理指標(心理状態および性格特性)の中で、友人のパフォーマンスに対するnon-self MFNとの関連が見つかったのは、情動的な側面を示す項目群であった。

 つづく実験3では、他者の損失を望むという反共感的な観察態度がMFNに与える影響が検討されている。反共感的な状況設定をするため、プレイヤーの一方が試行毎に獲得(損失)した金額は他方の損失(獲得)となる、利害対立状況を設定した。この実験では、同性の友人ペア24組(女性12組)が調査対象とされている。実験の結果、non-self MFNには個人差が非常に大きく見られ、被験者全体では有意に出現しなかった。そこでさらに詳細な分析を行った結果、性別によるnon-self MFNの違いが明らかになった。女性群はnon-self MFNが有意に出現していたのに対し、男性群では消失、あるいは極性が逆方向に出現する傾向が見られた。

 以上3つの実験結果は、課題(フィードバックの内容)によらず、非自己のパフォーマンスの観察によってMFN類似のパタンが発生することを示唆しており、本研究の仮説であった「MFNが他者の行為評価に対する神経活動にも関連している」ことを裏付けている。また、実験2では、被験者間の個人差に対応する要因として、被験者の共感性尺度における情動的反応指数との相関が見出されていることから、non-self MFNが反映する機能は、事象や動作主体に対する心理的帰属の状態、特に情動的な自己投影の強度を反映していると解釈できる。MFNの主要な発生源と考えられている前頭葉内側面は、他者理解や心的表象の意識化と関連していることがこれまでの研究から示されており、non-self MFNも同様に高次の社会認知機能と関連していると考えられる。

 以上のように、本研究は、他者の行為評価機能に対応するERP指標としてnon-self MFNを発見し、その特性について詳しく検討を行っている。審査委員会では、特に、non-self MFNの発見が、脳神経レベルの研究と高次行動レベルの研究の架け橋となるものである点が高く評価された。今後これを基に分野を超えた新たな研究展開が期待できる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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