学位論文要旨



No 121948
著者(漢字) 久保,友香
著者(英字)
著者(カナ) クボ,ユカ
標題(和) 浮世絵の非透視図構図法に関する研究
標題(洋)
報告番号 121948
報告番号 甲21948
学位授与日 2006.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第245号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱野,保樹
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 河口,洋一郎
 東京大学 助教授 鈴木,克幸
 東京大学 助教授 広田,光一
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、浮世絵の構図の透視図に対するずれを再構成することにより、透視図法よりも自由度を拡張させた構図法の提案を行う。従来の、3次元の内容を2次元の形式に表す工学的手法は、平行投象または透視投象に従い、とくに藝術制作に応用する手法は、透視図法に従うことが標準的である。一方、日本の伝統的な藝術作品は、透視図法に従わないという特徴がある。透視図法伝来以前のみならず、伝来以降においてもその特徴が表れ、美学分野の研究では、それは作家による造形的な工夫と考えられている。このような伝統において築かれた技法を利用し、透視図法に従わない造形的な構図制作の手法が、定量的に再現性のある形で明示されることはこれまでなかった。

 透視図法に従わない構図法は、商用の藝術制作において、市場における他作品との差別化のために有効である。商用の藝術制作に要求される条件は、大きく2つに分けられることが先行研究よりわかる。第一の条件として生産性があり、生産性を高めるためには、製造業と同様に、分業体制を整備し、作業の合理化を進める必要になる。透視図法に従う場合、分業体制に合わせて展開した作品の構成要素を、透視図法によって合理的に構成することができるので、生産性において有効である。しかし、第二の条件として、市場における他作品との差別化がある。透視図法を利用すると、構成において作家の個性を反映させることが不可能になるので、作品の標準化を促し、差別化を困難にする。そこで、透視図法よりも自由度を拡張させた構図法があれば、合理的な構成と、作家の個性の反映の両方を可能にすることができ、2つの条件を満たすことができる。

 近年、多くのアニメーションや実写映画に利用されている3DCG技術は、詳細に展開した要素を、透視図法に従って自動的に構成することができる技術であり、生産性の向上に貢献している。しかし、構成において作家の個性を反映することは、不可能である。今後、アニメーションや実写映画における3DCG利用が標準となる場合、透視図法よりも自由度を拡張させた構図法を利用した3DCG技術は、他作品との差別化において有効になると予測できる。

 そこで本研究では、透視図法よりも自由度を拡張した、新しい構成方法を導くため、次の3つを目的とした。

1)透視図法伝来以降の浮世絵作品の一点透視図とのずれの特徴を抽出し、定量的に示す。

2)浮世絵作品の一点透視図とのずれを再構成するファクターを同定する。

3)浮世絵作品の一点透視図とのずれを再構成する構図の視覚的特性を検証する。

浮世絵の非透視図法の特徴抽出

 1739年に日本に透視図法が伝来した以降の浮世絵は主に2期に分類でき、1800年頃までの透視図法を取り入れた浮世絵(「浮絵」)が制作される時期と、1800年頃以降の葛飾北斎や歌川広重などが活躍した「透視図法を消化した」と浮世絵の研究者に呼ばれる作品が制作される時期があるが、いずれの時期にも透視図法に完全に従った作品はない。第1期の「浮絵」において発生し、第2期の「透視図法を消化した作品」において成立した、一点透視図に対する「ずれ」の特性を定量的に明らかにするため、数種類の評価尺度を設けて構図を分析した。とくにその特徴を再現できる形で抽出することを目指した。特徴が表れた第一の尺度は、現実の3次元において平行な、左右側面の上下辺4直線の投象図における交点の分散であり、一点透視図の場合は0を示す。(この尺度を非一点透視図性と定義した。) 非一点透視図性は、浮絵作品においても、透視図法を消化したといわれる作品においても縮小傾向にあるという特徴が見出せた。第二の尺度は、現実の3次元において平行な左右側面の投象図の面積が、一点透視図の場合に比べて縮小している比率で、一点透視図の場合は0を示す。(この尺度を側面積縮小率と定義した。) 以上の2つの尺度より、透視図法伝来以降の浮世絵作品は、「非透視図性を縮小し、側面積縮小率を一点透視図に対して拡大化する傾向にある」という特徴があることが傾向にあるという特徴が見出せた。

 しかし非透視図性と側面積縮小率という尺度から構図の特徴を再現することは不可能なので、左右側面の投象図の寸法(図 参照)によって特徴を表すことを目指した。寸法を抽出し、左右側面の投象図の寸法と非透視図性・側面積縮小率との一般な対応関係を求めたところ、前述した特徴は次のように表せることがわかった。

1)高さ方向の寸法(図のha,hb,h(gh),h(ij),hh,hj)は左右対称性がある

2)左右の消失点の横方向の間隔は一点透視図に対して拡大傾向にある

3)左右の消失点の高さは一点透視図に対して縮小傾向にある

4)左側面の上辺と右側面の下辺(図のAGとJB)、右側面の上辺と左側面の下辺(図のBJとHA)は平行にならない

浮世絵の非透視図を再構成するファクターの同定

 導かれた特徴をもつ構図を、2次元の図の調整によって再構成する方法を得るため、左右側面の投象図の寸法を調整のファクターとして、浮世絵の構図の特徴を再構成することが可能であることの検証を行った。一点透視図である場合の左右側面の投象図に対する、各浮世絵作品に描かれた左右側面の投象図の関係は、3×2の拡大係数行列で表すことによって、一点透視図に対する浮世絵作品のずれの特徴を再現することができる。行列の全成分は、左右側面の投象図の寸法によって決定できるので、左右側面の投象図の寸法をファクターとして、各浮世絵作品の一点透視図に対するずれの特徴を再現でき、また特徴を自在に組み合わせた再構成が可能であるとわかった。

 次に、導かれた特徴をもつ構図を、3次元の立体モデルの調整によって再構成する方法を得るため、次の3種類をファクターとして、浮世絵の構図の特徴を再構成することが可能であることの検証を行った。

1)鉛直方向を軸とした左右側面の回転角度

2)水平方向を軸とした左右側面の回転角度

3)奥行き方向を軸とした左右側面の回転角度

 実験より、基準とする直方体モデルの投象図は一点透視図であるが、鉛直方向を軸とした調整によって左右の消失点の間隔の特徴を再現でき、水平方向と奥行き方向を軸とした調整によって左右の消失点の高さの特徴を再現できるとわかった。また立体モデルの調整は「特徴1」の高さ方向の左右対称性を前提とすることになる。実験によって得られた結果は、幾何学的に検証することもできた。これより左右側面の角度調整をファクターとして、各浮世絵作品の一点透視図に対するずれの特徴を再現でき、また特徴を自在に組み合わせた再構成が可能であるとわかった。

浮世絵の非透視図の視覚的特性の検証

 浮世絵の構図の一点透視図とのずれを再構成する構図では、一点透視図に比べ、側面の情報量を縮小化して人物や側面より遠くの背景を強調する視覚効果があると考えられ、それを検証するため、直方体モデルと浮世絵の構図の特徴を再現する3次元のモデルに、密度が一定のパターンを付加し、また人物や背景を配置した実験によってその視覚的特性を調べた。ここで情報量とは「投象図における単位面積が表す、立体の表面の面積」と定義する。比較対象である直方体モデルの投象によって得られる一点透視図の視覚的特性は、側面の情報量が集積する領域があり、人物がこの領域と重なりやすいことがわかった。一方、一点透視図を基準とした、浮世絵の特徴を再現する構図として次のような視覚的特性が明らかになった。

1)側面において情報量が集積する領域はない。

2)側面と人物が重なる確率が高い。

3)側面より遠くにある背景を見せることができる領域が大きい。

 以上のような視覚的特性によって、人物や側面より遠くの背景を強調する視覚効果を与えることができるという仮説について検討を行った。情報量の集積性が情報の最密度と同じであると仮定すると、主体の描写の部分よりも周辺部の情報量を少なくする浮世絵の技法は、網膜絵画の描画技法と共通し、主体に視線を向けた場合の人間の網膜像に近いと感じさせる効果を与えていると考えられる。一方、実写映画の技法では、最密度が高い部分が強調されると考えられる場合と、低い部分が強調されると考えられる場合があり、その効果は明らかにならない。

結論

 一点透視図法に従わない新しい構成方法を開発する研究は、マルチパースペクティブレンダリングやパノラマ画像を作成する3DCG技術開発など他にもあるが、それらは一点透視図法と同様に「視点」と「対象」というファクターから成り立っていることには変わりない。しかし本研究で提示した構図法は、「視点」と「対象」に限定されないファクターにまで自由度を拡張させ、作家の個性の反映を容易にすることができた。

 また、作家の個性を反映させるためには、手描きや、自由度を最大に拡張したインタラクティブな描画技術もあるが、それらは生産性を低下させ、商用の藝術制作には適さない。本研究が提示した構図法は、次の2つの方法によって、作家の個性の反映に有効な自由度のみに拡張を限定することにより、生産性の向上を目指した。第一に、一点透視図法を基盤として利用すること、第二に、浮世絵の伝統的知識を再利用することである。

 本研究が提示する構図法における新しい自由度は、浮世絵の構図の一点透視図に対するずれに基づいたが、浮世絵の構図には描かれる人物や背景を活かすための視覚的特性が含まれていることがわかった。この視覚的特性は、3DCGで作成した構図で含むことのできない特性である。今後、商用の藝術制作において3DCGの利用が標準となる場合、生産性かつ他作品との差別化を図るために、本研究が提示する構図法は有効であると考える。

図 左右側面の投象図の寸法

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなっており、その要旨は以下の通りである。

 1章: 欧米では現実を描き写すための一点透視法による技術開発が行われ、視覚表現の効率化をはかってきた。しかし、日本では江戸時代に一点透視法が紹介された後も、一点透視法が視覚表現の主流になることはなく、現実とのずれを有した表現が維持される。現実に従わないということで、表現の自由度が増している非透視図は日本的表現として、アニメーションを含め今日まで続いているが、本研究では、この手法を明らかにするために3つを目的としている。1)透視図法伝来以降の浮世絵作品の一点透視図とのずれの特徴を抽出し、定量的に示す。2)浮世絵作品の一点透視図とのずれを再構成するファクターを同定する。3)浮世絵作品の一点透視図とのずれを再構成する構図の視覚的特性を検証する。

2章: 先行研究をあたることによって、非透視法に関する研究は美学的なものばかりで、科学的研究は皆無であり、本研究が最初のものとなることがわかった。

3章: 非透視法の要因を抽出するために、一点透視法が紹介された後に同じような視点から描かれた11枚の吉原大門の浮世絵を分析する。これらの浮世絵を研究対象にしたのは、一点透視法が紹介されてあと、浮世絵は奥行きをもった道を描くようになり、一点透視図を非透視図に調整した代表的事例であるからだ。側面の消失点の分散や、側面の面積などを計測した結果、側面の寸法が非透視図の説明と再現性に優れていることを明らかにしている。

4章: 非透視図を二次元的に再現するために、3章で明らかになった「側面の寸法」を変数とした2次変換行列を用いると、一点透視図を浮世絵のような非透視図に再構成することができた。それらは、側面よりも遠景を強調し、側面の情報量が少なくなり、側面以外を強調する傾向がみられた。

 次いで、導かれた特徴をもつ構図を、3次元の立体モデルの調整によって再構成する方法を得るための検証を行う。鉛直方向を軸とした調整によって左右の消失点の間隔の特徴を再現でき、水平方向と奥行き方向を軸とした調整によって左右の消失点の高さの特徴を再現できるとわかった。

5章: 直方体モデルの投象によって得られる一点透視図の視覚的特性は、側面の情報量が集積する領域があり、人物がこの領域と重なりやすいことを実験で導き出している。また主体の描写の部分よりも周辺部の情報量を少なくする浮世絵の技法は、主体に視線を向けた場合の人間の網膜像に近いと感じさせる効果を与えている。

6章: 本研究のアニメーションへの応用可能性に検討している。

 以上のように日本的表現を再現可能な方法で研究したもので、学術的寄与は大きい。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/9277