学位論文要旨



No 121951
著者(漢字) 堀口,かおり
著者(英字)
著者(カナ) ホリグチ,カオリ
標題(和) キネシン3ファミリータンパク質、GAKINによるPIP3輸送はニューロンにおける極性決定を調節する
標題(洋) Transport of PIP3 by GAKIN, a Kinesin-3 Family Protein, Regulates Neuronal Cell Polarity
報告番号 121951
報告番号 甲21951
学位授与日 2007.01.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3082号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 舘川,宏之
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

 細胞は外界の変化に対応するために、膜表面の受容体で外界からの刺激を受け取り、細胞内にさまざまなシグナルを伝達し、細胞増殖、分化、移動、また細胞骨格再構成や、膜輸送など、さまざまな応答を引き起こす。ホスファチジルイノシトール3-キナーゼ(PI3キナーゼ)は、刺激を受け取った受容体により活性化され、ホスファチジルイノシトール三リン酸(PIP3)を産生する。PIP3はセカンドメッセンジャーとして下流のシグナル伝達を活性化し、上記の細胞応答を引き起こす、重要なシグナル伝達分子である。PIP3は、細胞刺激により一時的に産生され、即座に代謝されることは以前から知られていたが、近年の技術的進歩により、PIP3が特定の場所に一時的に蓄積することで、局所的な細胞応答を起こしていることが明らかとなった。たとえば、アメーバや好中球の走化性時におけるリーディングエッジでのPIP3の蓄積による細胞骨格再構成により、細胞運動が引き起こされる。また、神経細胞のモデルシステムであるPC12細胞では神経突起伸長にPI3キナーゼが重要な役割を担っていることは古くから知られていたが、近年、PIP3が神経突起の先端に多く局在し、神経突起の伸長を引き起こすことが報告された。また、海馬ニューロンでは、神経突起の先端へのPIP3の蓄積により、下流の軸索決定因子の局在誘導、活性化がおこり、ひいてはニューロンの極性(軸索-樹状突起)が決定される。しかし、いかにしてPIP3が特定の場所へ蓄積されるのかはなお不明であった。これまでPIP3の局所的な蓄積を説明するために、ポジティブフィードバックという概念が広く受け入れられていた。外界からの刺激を受け取った受容体によって、細胞膜上で局所的に活性化されたPI3キナーゼが、PIP3を局所的一時的に産生し、そのPIP3が下流のRac、Cdc42の活性化を引き起こし、これらRac、Cdc42がまたPI3キナーゼを活性化し、さらにPIP3の局所的な産生を促すというのが、これまで広く受け入れられている概念であった。

 本研究で私は、キネシンモーターたんぱく質、GAKINによる、PIP3の輸送という新たなメカニズムを提唱し、そのようなPIP3の輸送が局所的なPIP3の蓄積、ひいてはニューロンにおける極性決定を担っていることを示した。

 PIP3 binding protein (PIP3BP)はPIP3アナログカラムを用いて単離同定されたたんぱく質であり、二つのPHドメインを介してPIP3と特異的に結合する。N末に核局在化配列、ArfGAP相同Zinc finger motifをもつが、その細胞内での機能はいまだ不明であった。そこでPIP3BP結合たんぱく質を模索する目的で酵母ツーハイブリッドが行われ、Guanylate kinase Associate Kinesin (GAKIN)のN末をコードするクローンが見出された。GAKIN/KIF13Bはキネシン3ファミリーたんぱく質に属するキネシンであり、N末にモータードメイン、次にフォークヘッド結合(FHA)ドメイン、MAGUK結合(MBS)、C末に微小管結合Cap-Glyドメインを持つ。本研究ではまず、PIP3BPとGAKINとの直接結合を確かめるためにin vitroでpull down assayを行い、GAKINのPIP3BP結合領域は、モータードメインのすぐ近くに位置するFHAドメインであることを明らかにした。また、GAKINに最もホモロジーの高いキネシンであるKIF13AがPIP3BPと結合しなかったことから、この結合が特異的であると示した。ここで、GAKINがPIP3BPと結合すること、PIP3BPがPIP3と結合することから、GAKINがPIP3BPを介し、PIP3小胞の輸送を担うという仮説を立てた。この仮説を確かめるために、まずGAKINのモーター活性を試験管内で示すために微小管gliding assayを行った。GAKINのモータードメインと、PIP3BPとの結合に必要なFHAドメインを含むリコンビナントたんぱく質(motor-FHA)をガラス上にコートし、蛍光ラベルした微小管を、その上に導入した。蛍光ラベルした微小管がArpとmotor-FHA存在下でなめらかに動くのが顕微鏡下で確かめられた。次に、GAKINとPIP3BPが合成PIP3を含む小胞上で複合体を形成するかどうかを、確かめるため、liposome floatation assayを試みた。GAKINのmotor-FHAドメインとPIP3BPとをPIP3を含む小胞と混ぜ、ショ糖濃度勾配遠心により、小胞と結合したたんぱく質と、結合したなかったたんぱく質に分離した。上層から回収したPIP3リポソームフラクションに、PIP3BPとGAKIN motor-FHAがともに検出された。PIP3BP非存在下ではGAKINはPIP3リポソームフラクションに検出されず、またPIP3の代わりにPIP2を用いた時には、GAKIN、PIP3BP共に、リポソームフラクションに検出されなかった。このことから、GAKINはPIP3BPとの結合を介してPIP3小胞に特異的に結合するということを確かめた。次にGAKINがPIP3BPを介してPIP3小胞を輸送するかどうかを直接確かめるために、小胞輸送観察システムを、試験管内で再構築した。微小管を緑に蛍光ラベルし、ガラス上に敷き詰めた上に、ローダミンホスファチジルエタノールアミンで赤く蛍光ラベルしたPIP3小胞とGAKIN motor-FHA、PIP3BPと導入したところ、PIP3小胞は、motor-FHA、PIP3BP存在下でATP依存的に輸送されることを顕微鏡下で確かめた。次にこのGAKINによるPIP3輸送メカニズムが、生体内で存在するのか、どのような役割を担っているのかを示すため、動物細胞を用いた実験を行った。GAKIN、PIP3BPはともに、脳に多く発現し、ラット脳から共沈殿するという知見から、脳、特に神経細胞で重要な役割を担っているのではないかと考えたため、神経細胞での役割に特に注目して研究を行った。PIP3に特異的に結合するGFP-Akt-PHを用いて可視化したPIP3は、神経突起の先端に蓄積することが知られている。PC12細胞においてはそのPIP3の蓄積が神経突起伸長に重要であり、海馬神経細胞においてはPIP3が蓄積した突起が、軸索へと分化する。PC12細胞に発現させたGAKIN、PIP3BPは神経突起の先端で共局在した。また内在性のGAKINはGFP-Akt-PHで可視化したPIP3と共に神経突起の先端に局在した。これら、PIP3、PIP3BP、GAKINが神経突起の先端で共局在することは、GAKIN-PIP3BPによりPIP3が神経突起の先端に輸送される可能性を示唆している。そこで、モータードメインを欠くGAKIN (DN-GAKIN)の過剰発現により、PIP3の蓄積が阻害されるかどうかを調べた。GFP-Akt-PHにより可視化されたPIP3の神経突起の先端への蓄積は、DN-GAKIN過剰発現により部分的に阻害されたが、全長GAKIN、またFHAドメインを欠くGAKINの過剰発現によっては阻害されなかった。このことから、神経突起先端へのPIP3の蓄積は、局所的に活性化したPI3キナーゼによる局所的なPIP3産生によるものだけではなく、GAKINによる細胞内の特定の場所への選択的なPIP3輸送によっても、もたらされていることを示した。この結果を確かめるため、さらにもうひとつ別の系、マウス海馬由来、初代培養神経細胞を用いた。培養海馬神経細胞において、GFP-Akt-PHにより可視化されたPIP3と、特異的抗体を用いて染色した内在性のPIP3BPは共に軸索の先端で局在した。またGAKINの過剰発現によりPIP3の蓄積が亢進されたこと、DN-GAKINの過剰発現により、もっとも長い突起の先へのPIP3の蓄積が見られなくなったことから、神経細胞においてPIP3の輸送が、軸索先端へのPIP3の蓄積において重要な役割を果たしていることを示した。DN-GAKIN過剰発現により、PIP3の蓄積が阻害された結果、細胞の形が大きく変化した。軸索がなく、多く枝分かれした樹状突起様の突起をいくつももつ細胞が多く観察された。また、GAKINの過剰発現によりPIP3の蓄積は亢進したが、もっとも長い突起の先だけではなく、しばしばいくつもの突起の先にPIP3が蓄積しているのが観察され、それによっても細胞は極性を失い、軸索形成が阻害されるのが見られた。そこで、この結果を確かめるため、GAKINのさまざまな変異体を、海馬神経細胞に発現させ、細胞の形態を観察した。全長GAKIN、DN-GAKIN、motor-FHA過剰発現により、軸索形成によって特徴付けられる神経細胞の極性形成は、失われた。しかしPIP3BPとの結合領域であるFHAドメインを欠くミュータント(motor)の過剰発現によっては極性は失われなかった。このことから、FHAドメインを介したPIP3BPとの結合によるPIP3輸送の阻害によって、神経細胞の極性形成を阻害しているということを示した。また軸索マーカーであるTau染色により、この極性の喪失は、マルチ軸索形成ではなく、軸索の形成抑制によるものであることを明らかにした。

 これらの結果から、GAKIN-PIP3BP複合体によるPIP3の輸送が生体内でも存在し、特に神経細胞で神経突起の先端へのPIP3の輸送に関与し、ひいては神経細胞の極性決定を調節することを示した。

参考文献(1)2006年7月 Journal of Cell Biology, Vol. 174, No. 3, pp 425-436"Transport of PIP3 by GAKIN, a kinesin-3 family protein, regulates neuronal cell polarity"(Horiguchi, K., Hanada, T., Fukui, Y., and Chishti, A. H.)(2)2006年10月 細胞工学 Vol. 25, No. 11, pp 1290-1291「キネシンモータータンパク質GAKINによるPIP3輸送と神経細胞極性」(堀口かおり、花田俊彦、Athar H. Chishti)
審査要旨 要旨を表示する

 PIP3は、細胞が細胞外からの刺激を受け取ったときに一時的に産生され、細胞増殖、分化、運動、細胞骨格再構成、小胞輸送など様々な細胞応答を引き起こす。近年、PIP3が細胞内で特定の領域に蓄積することが細胞極性形成に重要であることが、細胞移動や上皮細胞、神経細胞で報告された。神経細胞ではPIP3の神経突起先端への蓄積が突起伸長を促し、もっともPIP3が蓄積した突起がやがて軸索へと変化する。このようなPIP3の蓄積が神経細胞の極性、すなわち軸索−樹状突起の決定に重要である。PIP3結合タンパク質であるPIP3BPは、細胞刺激により一時的に細胞膜表面でのPIP3レベルが上昇するのに伴い、細胞膜に移行する。PIP3BPの結合タンパク質を検索する目的でPIP3BPをベイトとするyeast two hybrid screeningが行われ、kinesin-3 family proteinであるGAKIN/KIF13Bが見出された。本論文は、PIP3結合タンパク質と、細胞内輸送を担うkinesinであるGAKINが相互作用するということから、PIP3の特定の場所への蓄積は、微小管に沿ったkinesin依存的な輸送によってもたらされているのではないかという仮説について検討を行ったもので、研究の背景を述べる第一章と、それに続く4章、および研究結果を討論する第六章からなる。

 第二章では、PIP3BPとGAKINの相互作用について検討している。まず、pull down assayにより、GAKINのPIP3BP結合領域はmotor domainの隣に位置するFHA domainであることを明らかにした。次にPIP3BPとGAKINとの結合が特異的であり直接的であることを示した。

 第三章では、GAKINによるPIP3BPを介したPIP3輸送をin vitroで観察している。まずGAKINが微小管上で+端へと物質を輸送する活性を持つkinesinであることを微小管gliding assayで確かめた。次に、GAKINがPIP3BPとの結合を介し、PIP3小胞を輸送しうるかどうかを確かめるため、合成PIP3小胞上で形成されたPIP3BP-GAKIN複合体をショ糖濃度勾配遠心の上層から検出した。そして、実際にGAKINがPIP3BPとの結合を介しPIP3小胞を輸送することをin vitroで蛍光ラベルした微小管上でPIP3小胞の動きを観察することにより確かめた。

 第四章では、GAKINによるPIP3輸送が実際の細胞内で存在すること、またその意義のついて検証している。GAKIN、PIP3BPは脳に多く発現し、ラットの脳から共沈殿してくるという知見から、脳、特に神経細胞で重要な役割を担っているのではないかと考え、まず神経細胞のモデルであるPC12細胞を用いた実験を行った。PC12細胞でGFP-Akt-PHで可視化したPIP3は、内在性のGAKINとともに突起の先端で共局在した。GAKINのmotor domain欠損変異体DN-GAKINの過剰発現により、PIP3の突起先端への蓄積は部分的に阻害されたことから、PC12細胞でGAKINによるPIP3輸送が存在し、突起の先端への蓄積に寄与していることが示唆された。

 第五章では、マウス胎児海馬由来の神経細胞初代培養を用い、実際の神経細胞でGAKINによるPIP3輸送の意義について検討している。PIP3と内在性のPIP3BPは軸索の先で共局在した。全長GAKINの過剰発現により、PIP3の突起先端への蓄積は亢進されたが、軸索の先だけではなく、複数の突起の先への蓄積亢進が見られた。DN-GAKINの過剰発現により、PIP3が特に蓄積した突起、あるいは特に長い軸索様の突起は見られなくなった。全長GAKINの過剰発現によって、複数の突起の先へのPIP3蓄積が亢進することにより、軸索の決定が阻害もしくは遅延した。DN-GAKINの過剰発現によって、軸索となるべき突起の先へのPIP3の輸送が阻害されることで軸索決定が阻害された。またこのGAKIN過剰発現による神経極性決定阻害は、FHA domainを介したPIP3BP- PIP3の輸送阻害によるということを、様々な欠損変異体の過剰発現で確かめた。全長GAKINまたはDN-GAKINの過剰発現により、軸索のマーカーであるTau-1で染まる突起は見られなくなったことから、軸索決定が阻害されていることを明らかにした。

 以上、本論文は、GAKIN-PIP3BPによるPIP3輸送をin vitroで示し、神経細胞ではその輸送が、神経突起先端へのPIP3の蓄積に一部寄与し、ひいては軸索決定すなわち神経細胞の極性形成に重要な役割を果たしていることを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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