学位論文要旨



No 121952
著者(漢字) 山浦,陽一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウラ,ヨウイチ
標題(和) 中山間地域の農業構造と広域的農地管理 : 新潟県急傾斜水田地域を対象に
標題(洋)
報告番号 121952
報告番号 甲21952
学位授与日 2007.01.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3083号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 助教授 中嶋,康博
内容要旨 要旨を表示する

1. 本論文の課題(第1章)

 本論文は,中山間地域の農業構造を集落を軸に明らかにするとともに,集落を越えた広域的な農地管理の可能性を検討することを課題としている.2000年に策定された「食料・農業・農村基本計画」では,自給率の維持・向上のため農地保全の必要性を全面に打ち出し,その柱として「中山間地域等直接支払制度」が登場した.周知のように本制度は集落の持つ諸機能を活用,活性化することで農地利用を維持し,耕作放棄を防止することが目的である.そして一定の地域が本制度の活用により農地管理体制構築に向けた積極的取り組みを進める一方で,高齢化の進行やリーダー不在によって協定締結が困難な集落も少なくない.そして協定締結が困難ないわゆる限界集落は,今後の増大が確実視されている.そのような集落の農地についてどういった枠組みで管理していくのか,農地管理の具体像の検討が急務となっている.本論文では当該集落の農地管理を補完,代替する主体として,周辺に立地する集落,そして既存研究ではほとんど注目されてこなかった入作者(集落外に居住し当該集落へ通作している農業者)に着目する.実は第3章で明らかにするように集落単位での締結が予想された集落協定に,入作者を含む協定や,複数集落で締結された協定が少なくないのである.そこで本論文では,まず集落単位での農地管理の困難性を明らかにした上で,それらの集落が外部主体との連携のもと締結した協定でどのような農地管理体制を模索しているのかを検討していく.

 具体的な分析課題としては,先行研究の蓄積等を踏まえ以下の5点を設定した.第1に中山間地域における集落内部の主体による農地利用後退の実態と要因の分析,第2に,集落ごとの農業労働力賦存の多様性把握とその多様性を背景とした出入作の実態解明,第3は集落協定を素材とした各地域での広域的農地管理の枠組みの検出,第4は,第3で析出した枠組みの有効性の検証,第5が,以上の分析を踏まえた広域的農地管理の展望の検討である.分析対象は,地目の均質性や急傾斜集落の賦存,データの取得等から新潟県を採用している.

2. 各章の概要(第2章-第6章)

 第2章は,課題の第1,集落内部の主体による農地利用の後退の実態と要因について取り上げた.これまでも同様の論文は少なくないが,本論文では既存研究の到達点を踏まえ,農地利用後退の要因について動態的な分析を重視した点に特徴がある.具体的には,まず利用主体確保の困難性が耕作放棄の要因として近年強まっていることを,ほぼ全域が急傾斜水田集落で構成されている新潟県東頸城郡全集落の集落カードを用いて明らかにし,さらにその利用主体の動向,特に大規模層形成の困難性の要因として,条件不利地域ゆえの圃場条件の劣悪性と,拡大意欲のない農家との競合のふたつが,A集落の実態調査により析出された.また近年,相対的大規模層の存立を可能にするであろう圃場についても耕作放棄が進みつつある実態も,A集落の圃場図の検討から浮き彫りとなった.

 第3章は,課題の第2,集落ごとの農業労働力賦存の多様性把握とその多様性を背景とした出入作の実態解明を試みた.まず課題の前半,集落ごとの農業労働力賦存の多様性の把握だが,前章に引き続き東頸城郡,およびA集落が立地するD地区(旧村)において,多くの集落で農業労働力が脆弱化し農地利用の後退が深刻化しているものの,その脆弱化する集落の分布は,一部地域に偏るのではなくむしろ分散し,地図上ではまだら模様となっていることを明らかにした.またD地区の分析からは,農業労働力の脆弱化には,労働市場へのアクセスや,生活インフラの条件が大きく作用している実態も浮き彫りとなった.

 続いて,課題の後半,出入作分析については,まず集落カード分析により少なくない小規模化集落において入作が展開していることを明らかにした.そこでの入作の実態についてはここでもA集落を事例に検討した.集落単位での圃場条件の平均を取れば周辺のB,C集落に劣っているA集落にも,1枚ずつの圃場条件ではB,C集落内で耕作されている圃場に勝る圃場が賦存しており,そのような関係を前提に入作が展開していた.その入作農家は,中小規模の高齢専業農家・第2種兼業農家によって構成されており,経営拡大意志の欠如と高齢専業農家での後継ぎ不在を踏まえれば,今後の入作面積の増大の展望を描くことは難しいと推測された.他方で,離村後に入作を開始する農家が存在し,また一度入作された圃場が,入作農家居住集落内の人脈を通じて利用主体が確保されており,さらには農地移動経路の狭隘化により顕在化していないものの,入作に対する潜在的なニーズも残存している実態が明らかとなった.

 第4章は,課題の第3,集落協定を素材とした各地域での広域的農地管理の枠組みの検出である.まず協定参加の可否については,山口県との比較から,新潟県においては過疎化・高齢化では説明できない高い締結率を実現していることを確認し,そしてその要因として,入作者や周辺集落との連携が作用している可能性があることを明らかにした.そして,その小規模集落が多く参加する協定の運用については,交付金の運用,営農組織の設立などについては広域型協定でより積極的な取り組みが見られ,また入作型協定でも,広域型協定には及ばないものの,集落規模,参加者規模が同一の集落農家型と比較すれば,積極的な活動を展開していた.

 課題の第4は,第3で析出した枠組みの有効性の検証であるが,その枠組みとして析出された入作型,広域型のうち入作型の協定を素材として,集落と入作者との連携による農地管理の可能性を検討するのが第5章の課題であった.まず,入作の二つの形態の存在とその展開要因について整理した.具体的には,集落の出身者による離村後の通作(離村型)と,非出身者による入作(非離村型)である.前者は生活条件の条件不利性と,市街地との近接性が展開の条件であり,後者では圃場条件が左右していることが浮き彫りとなった.次に,それぞれの形態が展開する地域において,どのような農地管理体制が模索されているのかを検討した.まず離村型の出入作が展開するA市では,集落協定にも多くの入作者が参加し,参加者の過半を入作者が占める集落も少なくない.集落出身者である入作者は,以前から共同作業等にも出役し,直接支払制度に関しては役員を担当するなど協定運用にも積極的に参加していた.背景には,集落側が,離村後も集落運営や各種行事に積極的に離村者を呼び込む取り組みが存在している.

 他方の非離村型の入作が展開するB町では,A市ほどではないが,やはり多くの入作者が協定に参加していた.しかし,入作者が役員を務めることは無く,協定運営に積極的にかかわることは無い.協定締結以前より,共同作業への出役も無く,純粋な農地利用主体としての性格となっていた.集落としては,そのことを消極的に捉えるのではなく,内部の農家の農地利用が後退する中で,基盤整備や地域資源管理,そして協定事務等を集落が担当することで,積極的に農地利用主体としての入作者を招聘していた.いずれの事例においても,過疎化の進行により,集落内の居住者のみでは既存の農地等の利用,管理が困難化していた.しかし,離村者や周辺集落の農家をいかに繋ぎとめ,呼び込むかに集落として取り組み,一定の成果を残している.農地利用が後退する集落においても,小規模基盤整備や地域資源管理,そして地域のイベント等,外部主体との連携のための諸機能を集落が残しているか否かが焦点となっていた。

 第6章は,課題の第4のもうひとつ,広域型協定を素材として,集落間の連携による農地管理の可能性の検討を行った.まずデータベースを用いて,広域型協定の中でも小規模集落を含む大規模広域型協定の積極性の検出し,その積極性が見られた小規模集落を含む大規模広域型協定について,D地区を除く協定の内実を検討した.そこでは,協定締結契機の多様性と,締結後の集落間連携による農地管理体制を構築した事例の欠如が確認された.その集落間連携の困難性の要因を,第2章から取り上げているD地区が締結した旧村単位の協定から分析した.まず旧村単位の組織であるD地区ライスの検討からは,集落を越えた範域での相互扶助精神の醸成や心理的抵抗感の除去の困難性による組織運営の難しさが浮き彫りとなった.そしてB集落ライスからは,集落の農地管理を目的として活動している集落営農に,周辺集落の農地管理を期待することの困難性が析出された.その要因としては,集落内の相互扶助精神に支えられている「ムラ仕事」としての活動の外部への適用の難しさ,「中山間地域対応」機械の普及による適正規模の縮小の影響が浮かび上がった.

3. 結論と展望(第7章)

 以上の分析を踏まえ,脆弱化する集落の農地管理の展望としては,近隣への離村者が多ければ,各種イベントや共同作業へ招待するなど離村者を引き付け,つなぎとめる取り組みが有効であり,また非離村型の入作を招聘するためのインフラ整備や共同作業,各種事務作業の軽減などの活動も効果が期待される.他方,A集落のように集落が閉村の危機に瀕し,また入作の拡大も展望できないような限界集落では,単純に周辺の集落営農に農地管理の補完,代替を期待することは難しく,本論文の分析から具体的かつ有効な処方箋を出すことは困難であった.可能性としては,非農業分野を含めて集落運営全体に関する中長期的な視点からの周辺集落との連携を模索すると同時に,短期的には何らかの政策的支援による農地管理の継続が考えられるが,この点に関する分析は今後の課題となる.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、2000年度から実施されている、日本で初めての本格的な直接支払政策である「中山間地域等直接支払制度」における集落協定に着目し、そこでの集落の枠を超えた広域的な農地管理の可能性を検討したものである。

 集落協定はその名の通り、集落を単位として耕作放棄地の発生を防止するような農地管理の取り決めを意味しているから、集落内にそのような取り決めを行い、実践する主体が存在しない場合には協定が結ばれないものと予想されていた。しかし、一方では、集落外に居住しながら、関係集落へ通作する入作者との入作型協定という形で、他方では複数集落の広域型協定という形で、集落と外部の耕作主体との連携の下に集落協定が締結される事例が少なからず存在していることが明らかになった。

 そこで、本論文は個別集落での農地管理が困難となる事情を歴史的・構造的に明らかにするとともに、そうした困難を克服すべく締結された集落協定を素材として、集落の枠を超えた広域的な農地管理の実態を検討し、今後の展望を示すことを課題としている。

 以上のような課題設定を明らかにした第1章に続く第2章においては、ほぼ全域が急傾斜水田集落で構成されている新潟県東頸城郡の全集落の集落カードの検討を通じて、農地利用主体確保の困難性が耕作放棄の要因として強められている実態を解明した。そして、大規模農業経営形成の困難が、一方では条件不利地域ゆえの圃場条件の劣悪性に、他方では規模拡大意欲のない農家との競合によりもたらされていることが指摘されている。

 第3章では、集落ごとの農業労働力賦存の多様性とそれを背景とした出入作の実態解明が試みられている。すなわち、集落ごとの農業労働力の脆弱化は決して特定地域に偏るわけではなく、まだら模様に分布していること、他方で農業労働力の脆弱化には労働市場へのアクセスだけでなく、生活インフラの整備水準が影響していることが明らかにされた。また、少なくない小規模集落において出入作が展開している実態が克明な調査によって浮き彫りにされるとともに、それらが圃場条件の微妙な優劣関係により形成されていることが指摘された。このような中で入作者の多くが中小規模の高齢専業農家や第二種兼業農家によって構成されている状況下では入作面積拡大の展望は描けないとされた。

 第4章は集落協定を素材とした広域的農地管理の枠組みの検出が課題とされた。山口県とは異なって新潟県では協定の締結率が集落の規模に関わりなく高いという興味深い事実が明らかにされるとともに、それが入作型協定や広域型協定を通じた積極的な交付金の運用、営農組織の設立などの農地管理活動によってもたらされていることが指摘された。

 第5章は入作型協定について、集落と入作者の連携による農地管理の可能性を検討したものである。ここではまず、入作の二類型が、離村型=集落の出身者による離村後の通作、非離村型=非出身者による入作、に区分された。前者では生活条件の不利性と市街地への近接性が展開の条件であり、後者では圃場条件が規定していることが浮き彫りにされた。

 離村型では集落協定自体に多くの入作者が参加し、組織の役員を引き受けるなど積極的に活動していること、他方で集落側が離村後も離村者を集落運営や各種行事に積極的に呼び込んでいる実態が明らかにされた。

 これに対し、非離村型でも入作者が協定に参加している事実は認められるものの、その活動は決して積極的なものとはいえず、集落側の積極的な入作者招聘活動の結果として、入作が実現しており、集落内農地の管理が辛うじて維持されている構造が浮き彫りにされている。

 第6章は広域型協定を素材として、集落間の連携による農地管理の可能性を探った。小規模集落をも含む大規模広域型協定を取り上げて検討した結果、協定締結の契機は極めて多様であること、締結後に集落間の連携によって農地管理体制を新たに構築した事例が全くないことが明らかとなった。その要因としては集落の枠を超えた相互扶助的精神の醸成が決して容易ではないこと、「中山間地域対応」農業機械の普及により、機械稼働の適正規模の縮小が実現し、広域的農地管理を必ずしも必要としない状況が生まれていることなどが指摘されている。

 第7章は以上の分析を総括して、近隣への離村者が多い集落では各種イベントや共同作業への離村者の招聘などを通じて、農地管理主体としての活躍を組織化できる可能性が提示された。他方、集落が閉村の危機に瀕し、入作も期待できないような限界集落については周辺の集落営農に農地管理の補完・代替を期待することが困難な実態も明らかにされ、こうした集落への対応の可能性については今後の研究が必要であると指摘された。

 以上のように本論文は中山間地域の広域的農地管理問題について、初めてこれを体系的・構造的・歴史的に明らかにした研究であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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