学位論文要旨



No 121962
著者(漢字) 高橋,謙造
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ケンゾウ
標題(和) 日本における麻疹医療費の推計、および麻疹ワクチンの費用便益に関する研究 : 現状のワクチン接種政策、および2回接種政策に関する分析
標題(洋)
報告番号 121962
報告番号 甲21962
学位授与日 2007.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2777号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 藤井,知行
 東京大学 講師 渡辺,博
 東京大学 講師 金森,豊
内容要旨 要旨を表示する

麻疹は、小児のみならず成人でも死に至る可能性のある重症ウイルス感染症である。しかし一方で、ワクチン接種による免疫獲得率が非常に高いという特性を持つ。本研究では、麻疹に関する日本のワクチン政策を、費用便益分析を用いて医療経済学的側面から評価することを試みた。全国での麻疹患者数が年間10-30万人と推計されていた2,000年当時の日本を研究対象とし、下記の結果を得ている。

I.麻疹医療費の推計および費用対便益分析

 ここでは、平成18年3月まで日本で行われていた麻疹ワクチン1回接種政策(One Dose Policy 以下ODPと略す)を評価する。この政策では、生後12ヶ月以降90ヶ月未満に麻疹ワクチンが1回のみ接種される。

1.まず、日本全国で年間に発生している麻疹医療費を、直接費用と間接費用の両面から推計した。麻疹関連検査治療費および通院交通費を直接費用とし、本人の入院や家族の看病による労働損失および死亡や重篤な副作用によって生じる将来的所得の損失を間接費用と定義した。一総合病院における1997年から2001年にかけてのカルテ記録に基づき直接費用および間接費用を推計した結果、平均的に通院患者では12万円、入院患者では30万円の費用が発生していた。これをもとに、麻疹患者数を10万人と仮定して日本全体における麻疹関連医療費を推計したところ、平均的に約480億円という結果が得られた。

2.次に、毎年120万人の児(1歳児コホート)全員が麻疹ワクチンを1回接種すると仮定した場合の接種費用を推計した。直接費用としてワクチン費用、間接費用としてワクチン接種に来院することによって生じる労働損失およびワクチン接種副反応によって生じる看護に伴う労働損失を算出した。日本全体で要するワクチン接種費用は平均約196億円と推計された。以上の平均値を用いると、ワクチン接種が完全に行われ患者発生が皆無となると仮定した場合、年間284億円の医療費が削減されることが明らかとなった。

3.最後に費用便益分析を行った。「麻疹医療費の削減」を便益(Benefit)とし、予防接種関連費用を費用(Cost)とした。2000年当時の麻疹ワクチン接種率86.9%が100%まで上昇する結果、麻疹患者が0となり医療費も0になるという仮定である。ここで、便益費用費(BCR : Benefit Cost Ratio)=Benefit/Ratioを算出した。ベースケースにおけるBCR値は2.48と1.0よりはるかに高かった。麻疹患者数、致死率、入院率、ワクチン費用などのパラメーターを変化させつつBCRの感度分析を行った結果、BCR値の95%信頼区間は[2.49,6.17]であり、1.0を上回っていた。以上より、BCRが1.0を常に上回っており、2000年当時の日本の麻疹流行状況下ではODPは費用対効果的に極めて優れていることが明らかになった。

II.麻疹ワクチン2回接種導入における増分費用便益分析2006年の時点において、世界的な麻疹ワクチン政策の主流は2回接種政策(Two Dose Policy 以下TDPと略す)である。本研究では、増分費用対便益分析(Incremental Cost Benefit Analysis 以下ICBAと略す)を用いて、TDPに関する評価を行う。第1回目接種(1st Dose)は平成18年3月以前と同様に12ヶ月以降で行うとする。更に、6歳時に第2回目接種(2nd Dose)が行われると仮定する。2nd Doseが行われ麻疹患者数が減少することによる医療費および機会費用の低下分と、2nd Dose導入による接種費用の増加分との比較である。IBCR=(ODPでの医療費・機会費用)-(TDPでの医療費・機会費用)/(TDPに要する接種費用)-(ODPに要する接種費用)=(6歳以上での感染回避者による医療費の削減)/(2nd Dose接種費用)となる。このIBCRを、2nd Doseの接種パターンによって以下の3パターンに分けて評価した。

1.既接種者率先パターン

1st Doseを受けた既接種者から率先して2nd Doseも受けるとする仮定である。このパターンでは、ベースケースにおけるIBCRは0.41(95%CI[0.33,0.51])と1.0を下回っていた。感度分析においてIBCRが有意に1.0を上回るのは2nd Dose接種率が94%を超えた場合であった。

2.未接種者率先パターン

1st Doseの接種を受けなかった未接種者が、既接種者よりも率先して2nd Doseを接種するとする仮定である。ベースケースにおいて1.90(95%CI[2.98,4.52])と1.0を大きく上回っていた。感度分析においても、平均的に1.0を上回っていた。

3.ランダムパターン

6歳までの1st Dose接種の有無にかかわらず平均的に2nd Doseが接種されるとする仮定である。さらにIBCRが高くなりベースケースで2.07(95%CI[1.67,2.55])、感度分析でも多くの場合で2を越えていた。このパターンではTDPが非常に政策的に有効であることが明らかになった。

4.以上をまとめると、未接種者率先パターン,既接種者率先パターンにおいて、TDPは十分に政策的に意義があることが明らかになった。現実的にはこれらのパターンが地域によって混在することを考えると、日本におけるTDP導入には十分に意義があることと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

麻疹は、小児のみならず成人でも死に至る可能性のある重症ウイルス感染症である。しかし一方で、ワクチン接種による免疫獲得率が非常に高いという特性を持つ。本研究では、麻疹に関する日本のワクチン政策を、費用便益分析を用いて医療経済学的側面から評価することを試みた。全国での麻疹患者数が年間10-30万人と推計されていた2,000年当時の日本を研究対象とし、下記の結果を得ている。

I.麻疹医療費の推計および費用対便益分析

ここでは、平成18年3月まで日本で行われていた麻疹ワクチン1回接種政策(One Dose Policy 以下ODPと略す)を評価する。この政策では、生後12ヶ月以降90ヶ月未満に麻疹ワクチンが1回のみ接種される。

1.まず、日本全国で年間に発生している麻疹医療費を、直接費用と間接費用の両面から推計した。麻疹関連検査治療費および通院交通費を直接費用とし、本人の入院や家族の看病による労働損失および死亡や重篤な副作用によって生じる将来的所得の損失を間接費用と定義した。一総合病院における1997年から2001年にかけてのカルテ記録に基づき直接費用および間接費用を推計した結果、平均的に通院患者では12万円、入院患者では30万円の費用が発生していた。これをもとに、麻疹患者数を10万人と仮定して日本全体における麻疹関連医療費を推計したところ、平均的に約480億円という結果が得られた。

2.次に、毎年120万人の児(1歳児コホート)全員が麻疹ワクチンを1回接種すると仮定した場合の接種費用を推計した。直接費用としてワクチン費用、間接費用としてワクチン接種に来院することによって生じる労働損失およびワクチン接種副反応によって生じる看護に伴う労働損失を算出した。日本全体で要するワクチン接種費用は平均約196億円と推計された。以上の平均値を用いると、ワクチン接種が完全に行われ患者発生が皆無となると仮定した場合、年間284億円の医療費が削減されることが明らかとなった。

3.最後に費用便益分析を行った。「麻疹医療費の削減」を便益(Benefit)とし、予防接種関連費用を費用(Cost)とした。2000年当時の麻疹ワクチン接種率86.9%が100%まで上昇する結果、麻疹患者が0となり医療費も0になるという仮定である。ここで、便益費用費(BCR : Benefit Cost Ratio)=Benefit/Ratioを算出した。ベースケースにおけるBCR値は2.48と1.0よりはるかに高かった。麻疹患者数、致死率、入院率、ワクチン費用などのパラメーターを変化させつつBCRの感度分析を行った結果、BCR値の95%信頼区間は[2.49,6.17]であり、1.0を上回っていた。以上より、BCRが1.0を常に上回っており、2000年当時の日本の麻疹流行状況下ではODPは費用対効果的に極めて優れていることが明らかになった。

II.麻疹ワクチン2回接種導入における増分費用便益分析2006年の時点において、世界的な麻疹ワクチン政策の主流は2回接種政策(Two Dose Policy 以下TDPと略す)である。本研究では、増分費用対便益分析(Incremental Cost Benefit Analysis 以下ICBAと略す)を用いて、TDPに関する評価を行う。第1回目接種(1st Dose)は平成18年3月以前と同様に12ヶ月以降で行うとする。更に、6歳時に第2回目接種(2nd Dose)が行われると仮定する。2nd Doseが行われ麻疹患者数が減少することによる医療費および機会費用の低下分と、2nd Dose導入による接種費用の増加分との比較である。IBCR=(ODPでの医療費・機会費用)-(TDPでの医療費・機会費用)/(TDPに要する接種費用)-(ODPに要する接種費用)=(6歳以上での感染回避者による医療費の削減)/(2nd Dose接種費用)となる。このIBCRを、2nd Doseの接種パターンによって以下の3パターンに分けて評価した。

1.既接種者率先パターン

1st Doseを受けた既接種者から率先して2nd Doseも受けるとする仮定である。このパターンでは、ベースケースにおけるIBCRは0.41(95%CI[0.33,0.51])と1.0を下回っていた。感度分析においてIBCRが有意に1.0を上回るのは2nd Dose接種率が94%を超えた場合であった。

2.未接種者率先パターン

1st Doseの接種を受けなかった未接種者が、既接種者よりも率先して2nd Doseを接種するとする仮定である。ベースケースにおいて1.90(95%CI[2.98,4.52])と1.0を大きく上回っていた。感度分析においても、平均的に1.0を上回っていた。

3.ランダムパターン

6歳までの1st Dose接種の有無にかかわらず平均的に2nd Doseが接種されるとする仮定である。さらにIBCRが高くなりベースケースで2.07(95%CI[1.67,2.55])、感度分析でも多くの場合で2を越えていた。このパターンではTDPが非常に政策的に有効であることが明らかになった。

4.以上をまとめると、未接種者率先パターン,既接種者率先パターンにおいて、TDPは十分に政策的に意義があることが明らかになった。現実的にはこれらのパターンが地域によって混在することを考えると、日本におけるTDP導入には十分に意義があることと考えられる。

以上、本論文は実際の診療データに基づき、日本の麻疹ワクチン政策の妥当性を評価した最初の論文である。麻疹流行下におけるODPの妥当性を適切に評価し、さらにTDPの妥当性も接種パターンモデルを作成の上で評価した。本研究は、2001-2002年度厚生労働省新興・再興感染症研究事業の一環として行い、麻疹ワクチン2回接種政策導入の基礎資料として実際に利用された。本研究で開発した2回接種モデルは、その後の政策評価でも利用されており、ワクチン政策研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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