学位論文要旨



No 121963
著者(漢字) 倉田,正和
著者(英字)
著者(カナ) クラタ,マサカズ
標題(和) BES-II実験による測定データを用いたJ/ψ→Λ Λ - 過程の研究
標題(洋) A study of J/ψ→Λ Λ - Decay Using The BES-II Detector
報告番号 121963
報告番号 甲21963
学位授与日 2007.01.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4928号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山下,了
 東京大学 助教授 川本,辰男
 東京大学 教授 徳宿,克夫
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 教授 福島,正己
内容要旨 要旨を表示する

1 動機

 BES-II実験は世界で最も多くのJ/ψ事象が測定された実験である。BES-II実験のJ/ψ→ΛΛ事象の解析において、それまでの世界平均を大きく越えた相対崩壊分岐比が測定された((2.05±0.03±0.11)×10(-3)).この結果について検証するため、異なる解析手法を用い、また系統誤差を抑えるための様々な工夫をして、J/ψ→ΛΛ事象の新しい解析を行った。またこの分岐比は低エネルギーにおける摂動計算による量子色力学の研究に重要である。またBES-II実験で測定されたJ/ψ事象を用いることによって、J/ψ→ΛΛ崩壊過程におけるCP対称の破れの測定を世界で初めて行った。Λ→pπとΛ→pπ+の4つの粒子の角度相関を取ることにより、CP対称性の破れを探索できる。この事象は粒子の混合からではない、直接的なCPの破れを探索出来る点で重要である。同じJ/ψ→ΛΛ事象を用いることで上記の2つの解析を行った。これがこの解析の目的である。

2 BES-II測定器

 BES-II測定器は中国・北京の高能研究所(IHEP)の電子・陽電子加速器(BEPC)で稼動していた汎用測定器である(現在、BES-III測定器に改良しつつある)。BEPCのビームエネルギーは1.5GeVから2.8GeVに及ぶ。BES-II測定器はVertex Chamber(VC)、Main Drift Chamber(MDC)、TOFカウンター、シャワーカウンター、ミューオンカウンターからなる。VCは粒子崩壊のvertexを測定するために用いられる。MDCはVCの外側に荷電粒子の運動量、粒子の軌跡とdE/dxを測定する。運動量測定の分解能はσp/P=1.78%√(1+P2)(P : in GeV/c)であり、dE/dxの分解能は9%である。TOFカウンターはMDCの外側に位置し、48のシンチレータより構成され、粒子の同定に用いられる。時間分解能はBhabhaイベントで180psである。シャワーカウンターはTOFカウンターの外側に位置し、電子と光子のエネルギーを測定する。エネルギー分解能はσE/E=22%/√E(E : in GeV)である。ミューオンカウンターは最も外側に位置し、0.5GeV/c以上のミューオンを同定する。

 この解析においては1999年から2001年の間に測定された、5.77×107のJ/ψのサンプルを用いた。Monte CarloシミュレーションはGEANT3を用いて作られたgeneratorを使用し、1.0×106のJ/ψ→ΛΛ事象等を生成した。

3 解析

 CP Violationを解析するために崩壊過程

J/ψ→ΛΛ→pπ-pπ+ (1)

を用いた。この過程では、CP変換に対してoddな観測量、PΛ・(Pp×Pp)を用いることが出来る。ここでpΛはΛの運動量、Pp,Ppは陽子、および反陽子の運動量である。C変換によりΛはΛ、陽子は反陽子、反陽子は陽子に変換される。またP変換により、それぞれの運動量が反転する。またΛとΛはback to backに崩壊するため、PΛ=-PΛである。このobservableを用いて非対称、

(2)

を測定した。ここでN+,N-はPΛ・(Pp×Pp)の符号が正および負となるイベント数である。CPが破れていれば非対称Aの値が0からずれる。

3.1 事象選定

 J/ψ→ΛΛ→pπ-pπ+事象を得るために、次のような事象選定を行った。

1. N(ch)=4,すなわちMDCにより粒子の運動量が測定された荷電粒子が4体であること

2. 相対論的運動学の要請から、ΛおよびΛが崩壊して生成した陽子および反陽子の運動量はπ+およびπ-の運動量より小さくなることはない。運動量と電荷の組み合わせから4つの荷電粒子はp,p,π+,π-に一意に決まる。

3. 2.95GeV〓E(sum)〓3.20GeV,ここでE(sum)は4つの粒子のエネルギーの和である。

4. 1.49GeV〓EΛ,EΛ〓1.60GeV,ここでEΛ,EΛはΛおよびΛのエネルギーである。

5. 1.10GeV/c2〓mΛ,mΛ〓1.13GeV/c2,ここでmΛ,mΛはΛおよびΛの質量である。

6. E(photon)〓0.1GeV,ここでE(photon)はシャワーカウンターで測定された荷電粒子から十分離れた光子のエネルギーの和である。

7. 180-α〓2.0°,ここでαはΛとΛの運動量の間の3次元における開きの角である。

8. cosρ<0.99,ここでρはe+e-衝突点から陽子(反陽子)およびπ-(π+)の軌跡のr-φ平面への投影が交わる点への方向ベクトルとΛ(Λ)のr-φ平面での運動量ベクトルがなす角度である。

9. |Δz|<0.05m,ここでΔz=zp-zπであり、zpおよびzπはr-φ平面で陽子(反陽子)とπ-(π+)の軌跡が交わった点におけるz座標である。

10. J/ψ→ΛΛ→pπ-pπ+崩壊過程のkinematic fitによるχ2検定からχ2<50を要請した。

この事象選定の結果、7616の事象が得られた。またJ/ψ→ΛΛ過程のMonte Carloシミュレーションからdetection effciencyは14.6%となった。

4 結果

4.1 崩壊分岐率の測定

 事象選定により得られた事象数からJ/ψ→ΛΛの崩壊分岐率を

(3)

により求めた。ここでNは得られた事象数、εはdetection effciency、N0はBEPCにおいてe+e-対消滅で生成されたJ/ψの全事象数、Br(Λ→pπ)はΛ→pπ崩壊過程の崩壊分岐率であり、63.9±0.5%である。

BES実験の4体のハドロン崩壊事象から過去の解析で得られたJ/ψの全事象数は(5.77±0.27)×107であり4.7%の系統誤差がある。よって系統誤差を減らすために独自にJ/ψ→μ+μ-過程の解析からJ/ψの全事象数を見積もった。その結果、(5.60±0.12)×107が得られた。この結果、系統誤差を2.2%に減らし、より精密にJ/ψ→ΛΛの崩壊分岐率を求めることが出来た。更にdetection efficiencyの系統誤差の原因の詳細な研究を行い、相対系統誤差を3.3%に抑えた。

 解析の結果、J/ψ→ΛΛの崩壊分岐率は、

Br(J/ψ→ΛΛ)=(2.25±0.02(stat.)±0.07(syst.))×10(-3) (4)

となり、全測定誤差は測定値の3.4%である。

4.2 CPの破れの解析

 事象選定により得られたデータを用いて、非対称、

(5)

を測定した。解析の結果、N+=3813,N-=3803となった。非対称Aの系統誤差は角度の分解能から来るため、これらの寄与を見積もった。これらから非対称Aは

=(0.08±1.1(stat.)±0.5(syst.))×10(-2) (6)

となった。よって90%C.L.での上限値は

||<2.14×10(-2) (7)

である。よって、非対称Aの値は0と矛盾はなく、CPの破れは観測されなかった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章よりなる。第1章は、イントロダクションであり、本研究の背景、J/Ψ粒子のΛ及びその反粒子への分岐比測定およびそのモードを用いたCP非対称性の測定の原理に関して記している。第二章は実験に用いた加速器および測定装置に関してまとめており、第三章にはシミュレーションの説明ののちトリガー効率・粒子飛跡解析効率からはじまる基本的な測定量のデータを用いた導出、第4章に分岐比測定の元となるJ/Ψ粒子生成数の導出、そしてこれらを用いて分岐比の測定の解析を第5章に、CP非対称性の測定を第6章に論じ、最後の7章でまとめている。

本論文は世界で最も豊富なJ/Ψ粒子生成データを保有する中国の高能研究所の加速器BEPCとBES-II測定器を用いた研究である。Λ及びその反粒子の対への分岐比の測定において、このBES-II測定器でそれ以前の世界での測定値の平均の2倍近い崩壊比が得られたということが研究の背景にある。本論文において申請者はまずトリガーや飛跡検出の効率をデータを用いてひとつずつ押さえていき、以前の測定では明らかにされていなかったバックグラウンドの素性を明らかにし、測定誤差の大きな部分を占める系統誤差を小さくする工夫を解析において行った。特にJ/Ψ粒子の数の導出において、これまでの方法と違いミュー粒子対への崩壊モードを用い、運動量・アクセプタンス依存性を含む飛跡検出効率の補正と組み合わせることでこの誤差を改善した。申請者が行ったこれらの新しい解析により、これまでで世界最高精度での分岐比測定に成功している。測定の中心値はBES-II実験からの以前の結果と同様、BES-II実験以前の測定値の2倍以上であり、この結果はクォークレベルからのハドロンの理解や低エネルギーQCDのダイナミクスの今後の研究においてひとつの重要なデータとなると考えられる。更に、同じ崩壊モードを用いたCP非対称性の測定を行った。このモードを用いたCP対称性の破れの研究としては世界で始めてのものであることは特筆に値する。Λ及びその反粒子から崩壊で生成される陽子・荷電パイ中間子及びそれぞれの反粒子の4つの粒子の飛跡の角度相関からCP対称性の破れを探る研究である。測定器の効果による擬似的な非対称性を補正し、最終的には理論モデルを用いてΛ粒子の電気双極子モーメントの上限値を求めている。解析はシミュレーションの補正、トリガー・飛跡検出効率の導出、バックグラウンドの同定、そして最終的な分岐比測定およびCP対称性の破れの探索まで、論文提出者本人が行ったものであり、上記の研究内容は論文に適切に記されている。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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