学位論文要旨



No 121964
著者(漢字) 藤岡,仁美
著者(英字)
著者(カナ) フジオカ,ヒトミ
標題(和) 性腺刺激ホルモン放出ホルモン神経系の形成機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 121964
報告番号 甲21964
学位授与日 2007.02.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3085号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 武内,ゆかり
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 ほ乳類の生殖機能は中枢神経系により高度に制御されており、その制御の要となるのが性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロンである。GnRHニューロンの発生には興味深い特徴がある。ほ乳類では、GnRHニューロンは発生期の嗅板で初めて検出される。これら細胞は前脳向かって遊走・侵入し、視索前野視床下部前部に移動してネットワークを形成するとともに、正中隆起を含む投射領域に軸索を伸ばす。

 本研究では、胎生後期のGnRHニューロン系のネットワーク形成期に着目した。GnRHニューロンの性質や機能を修飾する因子について多数の報告があるが、発生後期の視床下部に移動し神経回路を形成している時期のGnRHニューロンの性質に関する報告は少ない。中枢神経系外より移動して来たGnRHニューロンと中枢神経系の細胞がネットワークを形成する過程を調べることは、発生期や性成熟前におけるGnRHの役割や性成熟後のGnRH系の制御機構を理解する上でも有用であると考えられる。また、GnRH系の回路形成や制御に関わる因子やその作用機序を調べることは、視床下部性性腺機能低下症の発現機序の解明にも貢献するものと考えられる。本研究では、まず、GnRHニューロンを簡便に識別できる実験系の確立を目指した。続いて、中枢神経系の細胞によるGnRHニューロンの機能制御系としてγ-アミノ酪酸(GABA)によるGnRHの転写活性制御に関しての検討を、GnRHニューロンの形態変化制御系として神経突起伸長に関与する因子とその作用機序に関して検討を行った。

 第一章では、GnRHニューロンを簡便に識別可能な実験系の構築を目指し、ラットGnRH5'端転写制御領域に蛍光タンパク質であるEnhanced green fluorescent protein(EGFP)遺伝子を繋いだ組み換えDNA(pGnRHpro-EGFP)を作成し、in vitroでのGnRHニューロンの可視化を試みた。まず、組み換えDNAのEGFPタンパク質合成能及び細胞種特異性を検討するため、GT1-7(マウスGnRHニューロン由来株化細胞)及びC-6(ラットグリア細胞腫由来非GnRH産生株化細胞)、CHO-K1(チャイニーズハムスター卵巣由来GnRH産生株化細胞)、JEG-3(ヒト胎盤絨毛上皮腫由来GnRH産生株化細胞)へ、リポソーム法を用いて一過性遺伝子導入を行った。その結果、齧歯類由来のGnRH産生細胞であるGT1-7とCHO-K1特異的にEGFPを発現することが示された。続いて、胎齢17.5日のラット視床下部初代分散培養細胞への組み換えDNAの一過性遺伝子導入を行い、その有用性について検討した。導入遺伝子として、pGnRHpro-EGFPとCMVプロモーターにより細胞種非特異的にEGFPが発現するpEGFP-N1を用いた。その結果、pEGFP-N1ではEGFP陽性細胞が確認されたが、pGnRHpro-EGFPでは確認されなかった。この差異の原因はリポソーム法による神経系細胞への遺伝子導入効率の低さと、初代培養細胞に占めるGnRHニューロンの数の少なさのためと考えられる。本実験の結果から、少数の細胞種で発現が期待される組み換えDNAの一過性導入は困難であるが、組み換えDNAの発現が期待される細胞種が多数を占める場合はこの実験系は有用であることが示唆された。

 第二章では、個体レベルでのGnRHニューロン解析モデルとして、GnRHpro-EGFP組み換えDNAを用いてトランスジェニック(TG)ラットの作出を行った。このTGラットのGnRHニューロンに於ける導入遺伝子発現の特異性を検討した結果、GnRH免疫陽性(ir)細胞の約76%でEGFPが発現していた。一方、GnRH-ir細胞外では、EGFPの蛍光は観察されなかった。この結果は、用いた組み換え遺伝子が第一章におけるin vitroの実験と同様の細胞種特異性を持って機能していることを示すものである。また、EGFPの発現量はGnRH遺伝子転写活性を反映すると考えられることから、EGFPが観察されないGnRHニューロンが存在することは、GnRHニューロンが転写活性の異なる多様な細胞集団から構成されていることを示唆している。本TGラットではEGFPがGnRHニューロンに局在し、比較的弱いレベルで発現していることから、GnRH遺伝子転写活性を解析するモデルとして有用であることが期待された。

 第三章では、GnRHニューロンのネットワーク形成期のGnRH遺伝子制御系として、胎生後期のGnRH遺伝子発現へのGABAの作用を検討した。まず、胎齢18.5日のラットの脳組織を用いた免疫組織化学的実験により、GnRHニューロンの存在する領域で広くグルタミン酸脱水素酵素(GAD)67免疫陽性細胞が見られ、またGABA-A受容体、GABA-B受容体免疫陽性のGnRHニューロンが存在することが明らかとなった。次に、胎齢18.5日TGラット視床下部初代培養を用いて、GABAのGnRH遺伝子発現に対する影響を観察した。その結果、GABAとムシモール(GABA-A受容体作動薬)処置により、EGFP陽性細胞数/GnRH-ir細胞数の比率が上昇することが示された。この結果は、GABAが胎仔GnRHニューロンに対して、GABA-A受容体を介してGnRH遺伝子発現を上昇させることを示すものである。これらのin vivoとin vitroの結果から、胎生後期の視床下部では、GABAニューロンにより産生されたGABAがGnRHニューロンでのGnRHの産生を促進する方向に働いていることが示唆された。近年、神経細胞の増殖や移動、生存にGABAが重要な役割を果たしているという報告がなされている。一方、GnRHは海馬錐体細胞を脱分極させることが報告されている。これらのことから、GABAはGnRHニューロンの生存を維持するとともに、GnRHの合成、分泌を促進することで、回路上GnRHニューロンの下流に存在するGnRH受容体を持つ細胞の活動や生存にも影響を与えていると考えられる。

 第四章では、GnRH神経回路形成期のGnRHニューロンの神経突起伸長に注目し、関与する因子及び細胞内シグナル伝達経路について検討した。胎齢18.5日ラット視床下部初代培養を用いて、GnRHニューロンの神経突起伸長に対するGABA、GnRH、インスリン様成長因子(IGF)-1、及び繊維芽細胞成長因子(FGF)-2の影響を調べた。その結果、FGF-2の処置では有意に神経突起が伸長し、IGF-1処置では伸長する傾向が観察された。一方、GABA及びGnRHの処置では神経突起伸長に影響は見られなかった。次に、FGFファミリーの一員であるFGF-8のGnRHニューロンの神経突起伸長への影響を調べた結果、FGF-2と同様にFGF-8も神経突起伸長を促進することが示された。この結果は、FGF-2以外のFGFもGnRHニューロンの神経突起伸長に関与している可能性を示すものである。更に、PD98059(MEK阻害薬)の前処理によりFGFによる神経突起伸長効果が減弱されたことから、MEK/ERK経路がFGFによるGnRHニューロンの神経突起伸長に関与することが示唆された。

 本研究ではGnRHニューロンの解析モデルとして、GnRH-EGFP TGラットを作出した。このTGラットの視床下部初代分散培養系を用いることで、GnRHニューロンの株化細胞であるGT1より、より生体に近いGnRHニューロンに於けるGnRHの転写活性を簡便に解析することが可能となった。この実験系は、生体に近い状態のGnRHニューロンに於けるGnRH遺伝子転写の修飾や制御を検討する有用なツールとなりうる。次に、本研究では、GnRHネットワーク形成期における、GnRHニューロンの機能制御を行う系とGnRHニューロンの形態変化を制御する系について検討した。第三章では、GnRHニューロンの機能制御の系として、胎生後期のGnRH遺伝子発現へのGABAの作用を検討した。その結果、胎生後期の視床下部では、GABAによりGnRHニューロンでのGnRH転写活性が上昇し、GABAがGnRHニューロンの生存や回路形成に関与していることが示唆された。第四章ではGnRHニューロンの形態変化を制御する系として神経突起伸長に注目し、関与する因子及び細胞内シグナル伝達経路について検討した。その結果、チロシンキナーゼ型受容体(TKR)をもつFGFやIGF-1神経突起の伸長が観察された。一方、興味深いことに、GnRHの転写制御に関与したGABAは神経突起伸長には変化を与えなかった。この結果は、GnRHニューロンの神経突起伸長はTKRを介する修飾の寄与が大きい一方、脱分極刺激の修飾は小さいことを示すものである。本研究の結果、TKRを介するシグナルはGnRHニューロンの形態変化に、脱分極シグナルはGnRH転写制御を含む機能的制御に関与している可能性が示された。脱分極刺激が形態変化を促進することが報告されている神経モデルもあることから、これらの結果を更に吟味することで、各ニューロン系特異的なネットワーク形成機構の特徴が更に明らかになることが期待される。更に、本研究で上げられた因子や細胞内シグナル伝達経路の精査は、視床下部性性腺機能低下症の発現機序の解明にも貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 ほ乳類の生殖機能は中枢神経系により高度に制御されており、その制御の要となるのが性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロンである。GnRHニューロンは発生期の嗅板で初めて検出され、前脳向かって遊走・侵入し、視索前野視床下部前部に移動してネットワークを形成するとともに、正中隆起を含む投射領域に軸索を伸ばす。本研究では、胎生後期のGnRHニューロン系のネットワーク形成期に着目し、まずGnRHニューロンを簡便に識別できる実験系の確立を目指した。続いて、中枢神経系の細胞によるGnRHニューロンの機能制御系としてγ-アミノ酪酸(GABA)によるGnRHの転写活性制御に関しての検討を、GnRHニューロンの形態変化制御系として神経突起伸長に関与する因子とその作用機序に関して検討を行った。

 第一章では、GnRHニューロンを簡便に識別可能な実験系の構築を目指し、ラットGnRH5'端転写制御領域に蛍光タンパク質であるEnhanced green fluorescent protein(EGFP)遺伝子を繋いだ組み換えDNA(pGnRHpro-EGFP)を作成し、in vitroでのGnRHニューロンの可視化を試みた。GT1-7、C-6、CHO-K1、JEG-3の各細胞株へリポソーム法を用いて一過性遺伝子導入を行った結果、齧歯類由来のGnRH産生細胞であるGT1-7とCHO-K1特異的にEGFPを発現することが示された。そこで、第二章では、個体レベルでのGnRHニューロン解析モデルとして、GnRHpro-EGFP組み換えDNAを用いてトランスジェニック(TG)ラットの作出を行った。このTGラットではGnRH免疫陽性(ir)細胞の約76%でEGFPが発現していた。一方、GnRH-ir細胞外では、EGFPの蛍光は観察されなかった。また、EGFPの発現量はGnRH遺伝子転写活性を反映すると考えられることから、EGFPが観察されないGnRHニューロンが存在することは、GnRHニューロンが転写活性の異なる多様な細胞集団から構成されていることを示唆している。

 第三章では、GnRHニューロンのネットワーク形成期のGnRH遺伝子制御系として、胎生後期のGnRH遺伝子発現へのGABAの作用を検討した。まず、胎齢18.5日のラットの脳組織を用いた免疫組織化学的実験により、GnRHニューロンの存在する領域で広くグルタミン酸脱水素酵素(GAD)67免疫陽性細胞が見られ、またGABA-A受容体、GABA-B受容体免疫陽性のGnRHニューロンが存在することが明らかとなった。次に、胎齢18.5日TGラット視床下部初代培養を用いて、GABAのGnRH遺伝子発現に対する影響を観察した。その結果、GABAとムシモール(GABA-A受容体作動薬)処置により、EGFP陽性細胞数/GnRH-ir細胞数の比率が上昇することが示された。これらの結果から、胎生後期の視床下部では、GABAがGnRHニューロンでのGnRHの産生を促進する方向に働いていることが示唆された。GABAはGnRHニューロンの生存を維持するとともに、GnRHの合成、分泌を促進することで、回路上GnRHニューロンの下流に存在するGnRH受容体を持つ細胞の活動や生存にも影響を与えていると考えられる。

 第四章では、胎齢18.5日ラット視床下部初代培養を用いて、GnRHニューロンの神経突起伸長に対するGABA、GnRH、インスリン様成長因子(IGF)-1、及び繊維芽細胞成長因子(FGF)-2の影響を調べた。その結果、チロシンキナーゼ型受容体(TKR)をもつFGF-2の処置では有意に神経突起が伸長し、IGF-1処置では伸長する傾向が観察された。一方、GABA及びGnRHの処置では神経突起伸長に影響は見られなかった。更に、PD98059(MEK阻害薬)の前処理によりFGFによる神経突起伸長効果が減弱されたことから、MEK/ERK経路がFGFによるGnRHニューロンの神経突起伸長に関与することが示唆された。

 以上、本研究によりTKRを介するシグナルはGnRHニューロンの形態変化に、脱分極シグナルはGnRH転写制御を含む機能的制御に関与していることが示された。脱分極刺激が形態変化を促進することが報告されている神経モデルもあることから、これらの結果を更に吟味することで、各ニューロン系特異的なネットワーク形成機構の特徴が更に明らかになることが期待される。更に、本研究で上げられた因子や細胞内シグナル伝達経路の精査は、視床下部性性腺機能低下症の発現機序の解明にも貢献するものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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