学位論文要旨



No 121971
著者(漢字) 祝,弘樹
著者(英字)
著者(カナ) イワイ,ヒロキ
標題(和) 赤痢菌 IpaB エフェクターによる上皮細胞の細胞周期停止とその感染に果たす役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 121971
報告番号 甲21971
学位授与日 2007.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2778号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 助教授 神野,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 グラム陰性病原細菌の多くがIII型分泌装置系を通じて一群の宿主細胞移行性タンパク質(エフェクター)を分泌して宿主(ヒト、動物、植物)に感染し、様々な疾患が起こることが明らかになってきた。

 赤痢菌はエフェクターの一つであるIpaBを分泌しファゴソーム(食胞)を溶解して最終的にマクロファージを殺傷する。細胞内でIpaBはCaspase-1を活性化しIL-1β(intrleukin-1β)の分泌を促進する。マクロファージの細胞内から出た赤痢菌は上皮細胞に侵入する際に菌表面のIpaBを宿主細胞表面のCD44に会合させるが、一部のIpaBは上皮細胞内に移行するがその機能は明らかになっていない。

 そこで、赤痢菌の上皮細胞への感染におけるIpaBの役割を解明するために、酵母ツーハイブリッド検定を利用してIpaBの結合タンパク質をHeLa細胞のcDNAライブラリーから検索し、Mad2L2を同定した。

 アフリカツメガエル由来の後期促進複合体(anaphase-promoting complex; APC)の抑制因子として機能することが知られているMad2L2は、HeLa細胞内においてもG2/M期にAPCと相互作用していた。また、この時期にIpaBが核内に移行することを明らかにした。

 IpaBは細胞周期依存的に局在を変化させることから、赤痢菌が細胞周期の進行を調節することが予想されたため、標的細胞である腸管陰窩に赤痢菌が定着していることを確認し、細胞周期マーカー(Proliferating cell nuclear antigen; PCNA)の染色を行ったところ、赤痢菌の感染により陰窩の細胞増殖が抑制されていることを見出した。

 さらに赤痢菌が宿主細胞の細胞周期の進行を調節していることを証明するために、細胞内増殖を制御可能なジアミノピメリン酸要求性赤痢菌株(ΔdapB)を作製しHeLa細胞に感染させ、24時間後に観察したところ球状化した細胞が多数観察され、G2/M期の細胞集団が増加していた。また、赤痢菌の感染によるHeLa細胞の球状化は、G1/S期同調後から6時間以降に観察され、有糸分裂が抑制されていたことから、赤痢菌は細胞周期を停止させることが示唆された。

 赤痢菌の感染によりAPCの活性が調節されることを示唆するために、赤痢菌(ΔdapB)を感染させたHeLa細胞内のAPC基質分子についてウェスタンブロット解析を行い、G2/M期におけるタンパク質量の蓄積と分解を観察したところ、赤痢菌の感染によりサイクリンB1、Cdc20およびPlk1の蓄積が観察されなかった。また、G2/M期に赤痢菌が感染したHeLa細胞内ではAPCが活性化しており、この時APCはCdh1と相互作用していた。したがって、赤痢菌は予定外にAPCを活性化させることで、細胞周期の進行に必要な分子の分解を導き、その結果、宿主細胞の細胞周期が停止することが明らかとなった。

 赤痢菌が引き起こす上皮細胞の細胞周期停止における赤痢菌のエフェクターであるIpaBとその宿主内標的であるMad2L2の役割を解析した。IpaBのMad2L2結合部位はN末端領域61-70アミノ酸であったが、この部位はIpaBのシャペロンであるIpgCの結合部位でもあったために、IpgCに結合できるがMad2L2に結合できない1アミノ酸置換したIpaB 変異体(IpaB(N61A)変異体)を作製した。

 次に、細胞周期特異的なユビキチンリガーゼであるAPCと相互作用するMad2L2が、APCの活性化因子であるCdh1と直接結合することを示し、IpaBがMad2L2とCdh1の結合を阻害することを示した。HeLa細胞から精製したAPCを用いて、サイクリンB1をポリユビキチン化した際にMad2L2はAPCを抑制することができるが、このMad2L2の抑制効果をIpaBが解除することを示した。一方、IpaB(N61A)変異体はMad2L2のAPC抑制効果を解除できなかった。

 IpaBによりMad2L2の機能が解除されることをHeLa細胞内で模倣するためにMad2L2のノックダウンを行ったところ、細胞周期の進行が遅延することが示された。さらにIpaBとMad2L2の相互作用が赤痢菌の感染に寄与するか解析するために、IpaB(N61A)を発現した赤痢菌変異体を作製して、野生型IpaBを発現した赤痢菌との混合感染実験を行い、ウサギ腸管への定着能の低下を確認した。また、GFP-IpaB1-312(WT)およびGFP-IpaB1-312(N61A)を発現させたHeLa細胞の細胞周期解析から、IpaBとMad2L2の結合依存的に細胞周期の進行が遅延することが示された。以上の結果から、赤痢菌は上皮細胞の細胞周期を停止させる示唆された。

 本研究により、赤痢菌が腸管上皮細胞のターンオーバーを調節することで感染を成立させることが明らかになった。そしてその分子機構は以下の通りである。G2/M期においてAPCユビキチンリガーゼはMad2L2によりその活性が抑制されている。このことにより、サイクリンB1、Cdc20およびPlk1などのAPC(Cdh1)の基質分子の分解誘導が細胞周期依存的に阻害されていて、その後、M/G1期にはMad2L2がAPCと相互作用しなくなると基質分子の分解が誘導される。サイクリンB1、Cdc20およびPlk1などの蓄積により細胞周期は進行するが、赤痢菌が感染するとIpaBがMad2L2と結合し、そのAPC抑制効果を解除されてしまう。このことにより、APC(Cdh1)がM/G1期に活性化するはずがG2/M期に予定外に活性化し、サイクリンB1、Cdc20およびPlk1が分解誘導されてしまい細胞周期の進行が停止する。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、赤痢菌の腸管上皮細胞への感染過程を解明するために、APC(Anaphase-promoting complex)ユビキチンリガーゼによる細胞周期の進行を調節する赤痢菌のIpaBタンパク質の役割について解析を行い、下記の結果を得ている。

1. イーストツーハイブリッドスクリーニングによりIpaB結合タンパク質を検索し、IpaBがAPCインヒビターであるMad2L2と相互作用することを示した。また、GSTプルダウンアッセイによりin vitroでIpaBがMad2L2と特異的に結合することを示した。

2. IpaBをHeLa細胞内に過剰発現させた実験から、G2/M期にAPCとMad2L2が存在する核内にIpaBが局在することを示した。また、HeLa細胞の細胞抽出液を用いた免疫沈降実験により、G2/M期にMad2L2とAPCが相互作用していることを示した。

3. ウサギ結紮腸管ループ試験により腸管における赤痢菌の局在を調べ、赤痢菌が感染後期に陰窩の細胞に感染していることを示した。また、増殖細胞核抗原(proliferating cell nuclear antigen; PCNA)に対する抗体を用いたウサギ腸管の染色により、赤痢菌が腸管陰窩の細胞増殖を抑制していることを示した。

4. HeLa細胞への感染実験により赤痢菌が細胞へ与える影響を調べ、赤痢菌が細胞周期を停止させることを示した。また、Cdh1に活性化されたAPC(APCCdh1)の基質分子が赤痢菌の感染により分解誘導されることを示した。さらに、赤痢菌の感染したHeLa細胞内のAPCの活性を測定したところG2/M期にAPCは活性化しており、その時APCはCdh1と結合していることを示した。従って、APCCdh1の基質分子の分解誘導は赤痢菌の感染依存的であると考えられた。

5. APCユビキチネーションアッセイによりIpaBがAPC(Cdh1)の活性に与える影響を調べ、IpaBがMad2L2のAPC(Cdh1)抑制効果を解除することを示した。また、293T細胞にCdh1あるいはそのホモログであるCdc20を発現させMad2L2との結合性を調べ、Mad2L2がCdh1と選択的に結合することを示した。さらに、in vitroでIpaBがCdh1とMad2L2の結合へ与える影響を調べ、IpaBが濃度依存的にCdh1とMad2L2の結合を阻害することを示した。

6. IpaBによる HeLa 細胞への影響を模倣するためにMad2L2のRNAiを行い、FACSによる細胞周期解析によりMad2L2が細胞周期の進行に寄与していることを示した。また、APCCdh1の基質分子の量を調べ、Mad2L2のRNAiにより基質分子の分解が誘導されることを示した。

7. イーストツーハイブリッドアッセイによりIpaBとMad2L2の結合部位を調べ、IpaBのN末端領域61〜70アミノ酸残基がMad2L2との結合に必要なことを示した。また、IpaBのMad2L2結合部位は赤痢菌内でIpaBが正常に発現するのに必要なシャペロンIpgCとの結合部位であることを示した。さらに、IpaB点変異体を作製しイーストツーハイブリッドアッセイおよびMBPプルダウンアッセイによりMad2L2への結合に必要なIpaBの1アミノ酸残基を調べ、61番目のアスパラギンをアラニンに置換したIpaB点変異体(IpaB(N61A))がIpgCには結合するがMad2L2には結合しないことを示した。

8. IpaB(N61A)を発現した赤痢菌(ipaB(N61A))が正常にエフェクタータンパク質を分泌していることを調べ、エフェクターIpaB、IpaC、IpaD、IcsBおよびIpgB1が野生型株およびipaB相補株(ipaB(WT))と同様に分泌されることを示した。また、ipaB(N61A)の細胞侵入効率を調べ、ipaB(N61A)はipaB(WT)と同様に細胞侵入することを示した。

9. Mad2L2への結合能が低下したIpaBを発現した赤痢菌が細胞周期の進行に影響を与えるか調べるために、PCNAに対する抗体を用いてウサギ腸管の染色を行い、ipaB(N61A)の感染により腸管陰窩の細胞増殖が抑制されないことを示した。また、ipaB(N61A)がHeLa細胞の細胞周期の進行に与える影響をHeLa細胞を用いた感染実験により調べ、ipaB(N61A)がipaB(WT)に比べ細胞周期の進行を遅延させないことを示した。したがって、赤痢菌の感染した上皮細胞の細胞周期の進行はIpaBとMad2L2の結合に依存的であると考えられた。

10. IpaBとMad2L2の結合依存的に赤痢菌が腸管上皮細胞へ定着することを調べるために、ウサギ腸管ループ試験による混合感染実験を行った。腸管上皮細胞へ細胞侵入し定着した赤痢菌の生菌数から競合指数(Competitive index)を算出し、ipaB(N61A)はipaB(WT)に比べ腸管上皮への定着能が低下していることを示した。したがって、赤痢菌はIpaBを介した細胞周期の停止すなわち腸のターンオーバーの抑制により腸管上皮へ定着すると考えられた。

 以上、本論文は赤痢菌が細胞周期を停止させることおよびそのメカニズムを明らかにした。本研究は腸粘膜上皮を感染の場とする病原細菌が有する細胞周期調節分子(サイクロモジュリン)の研究の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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