学位論文要旨



No 121972
著者(漢字) 杉森,道也
著者(英字)
著者(カナ) スギモリ,ミチヤ
標題(和) 発生期脊髄神経管における時間・空間特異的なニューロンおよびグリアの産生を調節する分子機構に関する研究
標題(洋) Molecular Code for Spatio-Temporal Control of Cell Genesis from Multipotent Stem Cells in the Developing Spinal Cord
報告番号 121972
報告番号 甲21972
学位授与日 2007.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2779号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 川原,信隆
内容要旨 要旨を表示する

研究背景と目的

 中枢神経の発生過程において、多能性神経幹細胞から、ほ乳動物中枢神経系の主要細胞であるニューロン(neuron)、オリゴデンドロサイト(oligodendrocyte)、アストロサイト(astrocyte)が分化する。しかしながらどのような分子機構が、多能性幹細胞からの多様な細胞産生を調節しているのかは解明されていない。

 一般的には、胎児期早期にニューロン産生(neurogenesis)が起こり、対してグリアであるオリゴデンドロサイトとアストロサイトの産生(oligodendrogenesis and astrogenesis)は胎児期後期に起こる。このように多能性神経幹細胞からの細胞系譜決定は「ニューロンかグリアか」のような単純な過程が考えられていた。しかし、実際のニューロン・グリア産生は、時間・空間特異的に生じ、より複雑である事が明らかにされて来た。最近の報告では、oligodendrogenesisが、異なった領域で、異なった時期に起こることが示されて来ている。ある領域ではneurogenesisと、また別の領域ではastrogenesisと平行しているようである。このように各々の細胞系譜を決定する分子機構は、細胞分化の時間と場所を正確に協調させていると考えられた。

 最近の研究により、神経幹細胞、神経前駆細胞の内在性質が時間特異的細胞分化制御に関わっていることが明らかとなった。また発生早期に神経管は様々な細胞外シグナル分子と細胞内分子らによって、場所情報を獲得し、その情報が多様なニューロン分化を制御する事が示された。特に、これらの場所情報を与える内在性分子として、転写因子が重要な役割を果たしている事が明らかになって来た。一方、ニューロン・グリアへの分化に関わる転写因子として、プロニューラル(proneural)型、抑制型(inhibitory) helix-loop-helix (HLH)型転写因子が注目されていた。しかし、それらがどのようにニューロン・グリア産生時期を決定しているのかは明らかでない。例えば抑制型HLH型転写因子であるHes1はastrogenesisに関わっている事が示唆されているが、同時に神経幹細胞の維持および分化抑制についての役割も示唆されている。また同様にOlig2は、脊髄において早期にmotoneuron、後期にoligodendrocyte両方の分化に必須である事が示されたが、その分化時期の制御機構は明らかではない。

 これらの分子機構を解明するにあたり、私はニューロン・グリア産生が比較的よく理解されて来ている発生期脊髄腹側神経管をモデルとして選択した。私は、転写因子Pax6、Olig2、Nkx2.2が領域特異化(patterning)のみならずニューロン・グリア産生の時間調節に関わっている事を見いだした。またこれらpatterning を行う因子(patterning factor)は、Neurogenin1/2/3(Ngn1/2/3)、Mash1、Hes1、Id1といったproneural/inhibitory HLH型転写因子の細胞分化を促進する活性を変化させた。私は、patterning factorとNgn1/2/3 、Mash1、Hes1、Id1の共発現が領域・時期特異的に変化し、その組み合わせがneuron、oligodendrocyte、astrocyteの産生に深く関わっている事を示した。Ngn2、Mash1、Pax6の遺伝子改変マウス(mutant mice)の表現型は、これらの遺伝子らが共同して細胞系譜決定とその時期を調節している事を支持した。このように発生期脊髄神経管においては、patterning factor とproneural/inhibitory HLH型転写因子の組み合わせが協調的にニューロンおよびグリア分化の、細胞系譜の決定・時間・場所を調節している、というモデルを提唱する。

結果と考察

 私は主に3つの実験を行った。まず上記転写因子の発現パターンをラット(rat)脊髄神経管において解析し、領域・時期特異的ニューロン・グリア産生のパターンとの関わりを調べた。続いて多能性神経前駆細胞培養系であるneurosphere cultureにおいて、転写因子の単独および組み合わせでのニューロンおよびグリア分化への影響を解析した。最後にNgn2、Mash1、Pax6 mutant miceを用いてoligodendrogenesis、astrogenesisにおける表現型を解析した。

発生期脊髄神経管における領域特異化

 まず私は脊髄神経管腹側における領域を同定した。既に示されていたように脊髄神経管の腹側脳室層には、Pax6、Olig2、Nkx2.2が発現し3つの領域に分けられていた。領域化はニューロンおよびグリア分化より早期に生じ、相互の位置関係は発生後期まで保たれていた。重要な事には、これらpatterning factorは、rat 胎生16.5日(E16.5)まで、それぞれの領域内で脳室層のほぼ全ての細胞に発現されている。

Ngn1/2/3とMash1はneurogenesisに相関がある

 まずHLH型転写因子の発現とneurogenesisとの関わりを調べた。rat脊髄神経管ではneurogenesisはE11.5からE16.5頃まで生じる。この時期に、Ngn1/2/3とMash1は領域特異的に約半数の細胞に発現しており、neurogenesisへの関与を示唆した。また同時期にそれぞれの領域で、Hes1とId1も発現していた。Hes1/Id1発現細胞はNgn1/2/3とMash1を発現していなかった。重要な事に、この時期には、いずれのHLH型転写因子も、patterning factorともに発現している。これは発生後期のグリア産生時期との大きな違いである。

Neurogenesisからoligodendrogenesisへの切り替わり (switch)

 各領域において、いつoligodendrogenesisが生じるのかを調べた。分化直後のoligodendrocyte は、oligodendrocyte前駆細胞(OLPs)といわれ、脳室層から離れ移動するNkx2.2またはOlig2陽性の細胞として同定される。Oligodendrocyteの分化は、Nkx2.2領域(domain)からPax6 domainにかけてE12.5、E14.5、E16.5と2日ずつずれて開始していた。 Nkx2.2またはOlig2陽性細胞がOLPsである事はNG2、O4などのマーカーを用いて確認した。

Mash1の発現は、oligodendrogenesisと相関する

 oligodendrocyteの分化時期と相関のある分子の発現を調べた。Mash1の発現は、Nkx2.2 およびOlig2 domainにてOLPsの出現時期に先立ち、E11.5、E14.5に開始いていた。またMash1は、移動開始後のOLPsにも発現をしている。Pax6 domainでも、全てのOLPsは、Mash1を発現していた。重要な事には、Mash1の発現はE12.5から認められたのだが、これらの細胞はE16.5においてPax6 domainでありながらPax6の発現が消失していた。このようにNkx2.2、Olig2 domainではMash1の発現開始が、一方Pax6 domainではMash1陽性細胞におけるPax6の発現消失が、OLPsの分化時期に関わっている事を示唆する。

発生後期にastrogenesisは開始する。

 astrogenesisの分化領域、および開始時期を解析した。S100β、glutamine synthase(GS)をマーカーとして用いた。Pax6、Olig2、Nkx2.2各領域においてE16.5からS100β、GS陽性細胞が認められた。またInhibitory HLH型転写因子であるHes1/Id1がS100β、GS陽性細胞に発現している事を見いだした。前述の通りHes1/Id1は発生早期から発現が各領域にみとめられる。しかし、私はHes1/Id1陽性細胞において、patterning factorの発現消失を見いだした。このように各領域におけるastrogenesisの開始は、Hes1/Id1陽性細胞におけるpatterning factorの発現消失と相関している。

 上記の転写因子が多能性神経前駆細胞において、どのようにニューロン・グリア産生を調節するかをneurosphere cultureを用いて解析した。rat E13.5脊髄神経管から未分化細胞を分離し、増殖因子存在下で培養した。GFP発現retrovirusを用いた目的遺伝子導入を行い、増殖因子を除いた後、分化させた。GFP陽性細胞を分化細胞のマーカーであるTuJ1、NG2、O4、GFAPを用いて染色した。個々の前駆細胞をcloneとして培養し、分化能を調べるclonal assay、集団からのニューロン・グリア産生比率を調べるpopulation assayという2つのassay方法を用いた。

Patterning factorはNgnsの活性を変化させる

 Ngnsはcell cycle exitを促進し、neuronへの分化を促進した。clonal assayにおいては、Ngn2 発現細胞の大部分が、neuronのみを産生するclone (N only)になった。in vivoにおいて関連のあるpatterning factorとNgnsの組み合わせ発現では、発現細胞の大部分がN only cloneとなるものの、分化したneuronの比率は減少していた。このようにpatterning factorは、Ngnsの非常に強いneuronへの分化促進を部分的に抑制していた。

Mash1は、neuonとoligodendrocyte両者の分化を促進する

 Mash1陽性細胞は、その大部分がneuronとoligodendrocyteのみを産生するN/O cloneとなりneuron、oligodendrocyteの分化を促進していた。Pax6、Olig2は、Mash1のneurogenic、 oligodendrogenic 活性を、それぞれ選択的に促進した。またNkx2.2はMash1のneurogenic、oligodendrogenicな活性を抑制しなかった。これらの結果はin vivoのoligoddendrocyte分化パターンに当てあまる。

Hes1とId1はastrogenesisを促進する

 Hes1とId1陽性細胞の大部分が、astrocyteのみを産生する細胞(A only clone)となった。しかしpatterning factorと共発現させた場合には、いずれの分化マーカーも発現しない未分化細胞を著しく増加させた。このようにHes1/Id1はastrogenesisを促進する活性を有するが、patterning factorの組み合わせにより協調的に未分化細胞の維持に働く。この結果はin vivoのHes1/Id1陽性細胞における、Pax6、Olig2、Nkx2.2の発現消失がastrogenesisの開始を決定していると言う考えを支持する。

Ngn2とMash1のin vivoでのoligodendrogenesisでの役割

 Ngn2とMash1のmutant mouseを用いて表現型を解析し、それらがoligodendrocyteの分化とその時期をどのように制御しているか、調べた。Olig2 domainでOLPsが出現し始めるmouse E12.5にて数種類のマーカー用いて解析した。Mash1-/-ではOLPsの数がwild typeに比較して減少していた。このようにMash1はoligodendrocyteの発生に必要である。またNgn2とMash1が共発現する mutant mouse (Mash1(KINgn2/+))ではoligodendrogenesisが阻害された。これはNgn2がin vivoにおいてもOLPsの産生を抑制する事を示している。さらにNgn2のかわりにMash1が発現するmutant mouse (Ngn2(KIMash1/Mash1))においてはOLPsの数がwild typeに比較して50%増えた。これはOLPsの早期分化と考えられた。Olig2 domainでは、Ngn2はmotoneuronの分化時期に発現し、Ngn2の発現消失後、Mash1の発現が開始する。上記の表現型はNgn2からMash1への発現のswitchが、neurogenesisからoligodendrogenesisへのswitchに決定的な役割を果たしている事を示している。

Pax6 はin vivoでのoligodendrogenesisとastrogenesisを阻害する

 最後にPax6(-/-) mouseを用いて、Pax6がoligodendrogenesisとastrogenesisの開始時期を調節しているのか解析した。Pax6-/-ではE13.5において、Pax6 domainに相当する領域にOLPsの早期出現を認めた。またE15.5においては、GS陽性細胞astrocyteが、著名に増加しastrocyteの早期分化と考えられた。これらの結果はPax6の発現消失がin vivoにおいてoligodendrogenesis、astrogenesisの開始を決定している、と言う考えを支持する。

結論

1) Patterning factorはNgnsのニューロン分化促進活性を、部分的に抑制し、未分化細胞を保持する役割を果たす。

2) Nkx2.2およびOlig2 domainではMash1の発現開始が、Pax6 domainではMash1陽性細胞でのPax6の発現消失が、オリゴデンドロサイト分化の開始時期を決定する。

3) Pax6/Olig2/Nkx2.2いずれの領域においてもアストロサイト分化の開始は、Hes1/Id1陽性細胞におけるpatterning factorの発現消失が決定する。

4) 発生期脊髄腹側におけるニューロン、オリゴデンドロサイト、アストロサイトの分化においては、2種類の転写因子群 (patterning factorとHLH型転写因子)の組み合わせにより、細胞分化の3つの側面(時期、場所、細胞系譜の決定)が協調的に制御されている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、神経発生において神経幹細胞から多様な細胞が生み出されるという現象に関わる分子機構を明らかにしようと試みた。発生期脊髄神経管をモデルに、時間・空間特異的なニューロン・グリア分化における、転写因子の発現と機能を詳細に解析したものであり、下記の結果を得ている。

 主に3つの実験が行われた。まず転写因子の発現パターンをラット(rat)脊髄神経管において解析し、領域・時期特異的ニューロン・グリア産生との関わりが示された。続いて多能性神経前駆細胞培養系であるneurosphere cultureにおいて、転写因子の単独および組み合わせでのニューロンおよびグリア分化への影響が調べられた。最後にmutant miceを用いてニューロンおよびグリア分化における表現型が調べられた。

 1) 脊髄神経管腹側能室層における領域が同定された。Pax6、Olig2、Nkx2.2(patterning factor)が発現し3つの領域に分けられていた。重要な事には、グリア分化が始まる時期まで、それぞれの領域内で脳室層のほぼ全ての細胞に発現されていた。

 2) HLH型転写因子の発現とneurogenesisとの関わりを調べたところ、Ngn1/2/3およびMash1が領域特異的に発現しており、それらのneurogenesisへの関与を示唆した。

 3) 各領域において、いつoligodendrogenesisが生じるのかを調べたところ、Oligodendrocyteの分化は、Nkx2.2領域 (domain) からPax6 domainにかけてE12.5、E14.5、E16.5と2日ずつずれて開始していた。

 4) oligodendrocyteの分化時期と相関のある分子の発現を調べたところ、Nkx2.2、Olig2 domainではMash1の発現開始が、一方Pax6 domainではMash1陽性細胞におけるPax6の発現消失が、oligodendrocyteの分化時期に関わっている事を示した。

 5) astrocyteの分化領域、および開始時期が調べたところ、S100β、glutamine synthase (GS)陽性astrocyteは、Pax6、Olig2、Nkx2.2各領域においてE16.5から出現した。またHes1/Id1がastrocyteに発現している事を見いだした。Hes1/Id1の発現開始はastrogenesisの分化開始時期と一致しなかったが、Hes1/Id1陽性細胞におけるpatterning factorの発現消退と相関していた。

 6) 上記の転写因子が多能性神経前駆細胞において、単独または組み合わせ発現により、どのようにニューロン・グリア産生を調節するかを解析した。Ngnsは、単独でneuronへの分化を促進した。しかしpatterning factorとNgnsの組み合わせにより、Ngnsの非常に強いneuronへの分化促進は部分的に抑制された。

 7) Mash1はneuron、oligodendrocyte両者の分化を促進していた。Pax6、Olig2は、Mash1のneurogenic、 oligodendrogenic 活性を、それぞれ選択的に促進した。これらの結果はin vivoのoligodendrocyte分化パターンを説明し得た。

 8) Hes1/Id1は、astrogenesisを促進する活性を有していたが、patterning factorとの組み合わせにより未分化細胞の維持に働いた。この結果はin vivoのHes1/Id1陽性細胞における、patterning factorの発現消退がastrogenesisの開始を決定するという考えを支持した。

 9) Ngn2とMash1のmutant mouseを用いて表現型を解析し、それらがoligodendrocyteの分化とその時期をどのように制御しているか、調べた。Mash1(-/-)では、oligodendrocyteの数がwild typeに比較して減少し、Mash1はoligodendrocyteの発生に必要であることが示された。またNgn2とMash1が共発現する mutant mouse (Mash1(KINgn2/+))、さらにNgn2のかわりにMash1が発現するmutant mouse (Ngn2(KIMash1/Mash1))を用いた解析によって、Ngn2からMash1への発現のswitchが、Olig2 domainにおけるneurogenesisからoligodendrogenesisへのswitchに決定的な役割を果たしている事を示していることが示された。

 10) Pax6が、in vivoにおいてoligodendrogenesisとastrogenesisの開始時期を調節しているのか調べた。Pax6(-/-)ではoligodendrocyteと astrocyteの早期分化を認めた。これらの結果は、Pax6の発現消失がoligodendrogenesis、astrogenesisの開始を決定している、という考えを支持した。

 以上、本論文は、発生期脊髄腹側におけるニューロン、オリゴデンドロサイト、アストロサイトの分化は、2種類の転写因子群 (patterning factorとHLH型転写因子)の組み合わせにより、細胞分化の3つの側面(時期、場所、細胞系譜の決定)が協調的に制御される事を明らかにした。本研究は、神経発生における時間・空間特異的な細胞分化に関する分子機構の詳細を、はじめて示した研究の一つと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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