学位論文要旨



No 121976
著者(漢字) 吉田,治郎兵衛
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ジロウベエ
標題(和) 中国の新医療衛生体制の形成 : 移行期の市場と社会
標題(洋)
報告番号 121976
報告番号 甲21976
学位授与日 2007.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第698号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 代田,智明
 東京大学  並木,頼寿
 東京大学 助教授 田原,史起
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 帝京大学 教授 高橋,満
内容要旨 要旨を表示する

 改革開放後、中国の医療衛生体制は20世紀末一応の基本枠組みが形成されたといえるが、その内容の充実は今後の課題となっている。計画経済体制から市場経済体制へ移行され、医療衛生体制がどのように変化し、どのように新しい体制が構築されたかを解明するのがこの論文のテーマであり、中国の医療衛生体制の研究において、医療衛生制度、製薬産業・薬事行政政策、医療保険制度の3つの分野を含め、総合的に研究したのがこの論文の特徴である。

 本稿は、改革開放以降凡そ2000年までの期間にわたる医療衛生体制の改革過程を1980年代の請負型市場化、1990年代半ば以降の医療衛生制度の新しい制度化と市場化への進展による「管理型市場化」の段階と位置づける。この間中国経済は「20年長期所得4倍増計画」のもとに年率9.6%の高度成長を達成し、GDPは5倍以上にもなった。こうした高成長にも関わらず、当初医療衛生体制の改革は高成長の果実を配分する制度設計が適切に行われず、医療衛生問題を社会問題化したといえる。

 1985年農業、工業企業に続いて、「医療単位」の請負責任制が初めて導入された。農業や工業と全くおなじものではなかったが、医療にも市場化を促すものであった。医療衛生体制改革が医療機関の請負型市場化として始まり、医療財・サービスの供給が「独立採算制」のもとに実施され、公的な医療設備投資は抑制されるとともに、都市では医療保険が医療費の高騰に対応できず、農村では人民公社の解体とともに「合作医療体制」の消滅が進んだ。このため「医者にかかれず、医療費は高過ぎる(看病難、医費高)」という庶民の怨嗟の声が中国社会全体を覆ったと言っても過言ではない。

 これは中国の改革が1980年代は「農業請負責任制」、「企業請負経営責任制」という「二つの請負制」がいわば一律に取られ、公共性の強い医療衛生の財・サービスの部門にも適用されたからである。

 医療衛生の財・サービスはそれ自体すべて公共財ないし公共サービスであるとはいえない。医薬品は薬害などをおこさないという安全性を確保するという意味で公共性がある。医療サービスはそれ自体「私的サービス」であるが、サービスの提供者と消費者の間には情報の非対称性が著しいという意味で、「市場の失敗」を起こしやすい。したがって、医療衛生財・サービスは公共財・サービス的な性格が強いといえる。つまりその市場化には適切な公共的関与が必要であるということである。しかしその関与の仕方は、社会や時代によって相違することにも留意しなければならない。

 医療衛生分野における「請負型市場化」は適切な国家による関与政策は採らず、むしろ公的関与を後退させ、医療保険体制を機能不全にし、医療コストを医療サービス価格に転嫁する市場化が行われたために社会的問題を激発させたのである。医療費の高騰と低所得階層の医療アクセスの低下が2大病弊といわれるのである。

 まず本稿では、社会公益事業としての医療衛生体制に請負型市場化を導入することによってもたらされた「医療費高騰のメカニズム」を解明する。計画経済時代には診療報酬基準が極めて低く抑制され、「人民に奉仕する」医師をはじめとした医療従事者の所得も低い評価のままであった。改革後診療報酬基準は大幅に改定され、約20日間の入院費が平均賃金の6ヵ月分、平均年金額の1年分にも相当する例さえ珍しくなかった。これは国家の補助金が増額されず、「損益自己負担」を求めたれた病院や医師が診療内容や診療報酬基準を引き上げ、増収を図った結果であった。病院の増収の約6割は薬剤収入に依存していた。1990年代には高価な輸入医薬品を処方する「薬漬け」診療も現われた。この傾向を一掃助長したのが外資系医薬品企業の中国進出であった。

 また薬価は国家医薬管理局と国家物価局によって管理されたが、1983年末50種の薬価を自由化し、一部の管理権を地方に移譲した。こうして薬価は変動の時代に入った。薬事行政は医薬品の品質管理という重大な責務があったが、十分な予算を確保できず、放任状態に置かれた。薬事行政において公共政策の重要性の認識はなお薄かった。

 このような医療費、薬価の高騰に対して、医療保険制度は従来の労働者医療保険制度や公費医療制度の限られた労働者に対する保障に留まっていたばかりか、赤字国有企業の大幅増加は、労働者医療保険制度を機能不全にし、「看病難、医療費高」の社会問題をひどくし、「病気になっても、医者にもかかれない」という人民の不満の声が広範囲に渦巻いた。

 医療保険制度の新しい制度化は1995年から試行が始まり、1998年国務院は「都市労働者基本医療保険制度の設立に関する決定」文書を公布し、都市全域の医療保険制度の基本的枠組みを制定し、制度の充実化を図っている。医療保険基金の単位は県・市レベルとされ、比較的小さな地域単位となっている。

 1990年代半ば以降、医療衛生行政や薬事行政において、社会的な管理や規制を強化するいわゆる「管理的市場化」といわれる制度と市場の融合した新医療衛生体制の創出を志向された。

 この新医療衛生体制の形成は、同時に、1994年から開始された「社会主義市場経済体制」の形成過程でもある。1992年の中国共産党第14回大会における目標モデル「社会主義市場経済体制」の決定決議を受け、翌1993年の実施綱領とも言うべき「社会主義市場経済体制50条」にもとづき、その体制創出過程に入った。その3本の柱は国有企業所有改革を核とした市場メカニズムの確立、財政金融制度を中心としたマクロコントロール体制の整備、社会安定を計る「社会保障制度」の創出の一環であり、人民の生活と健康を保障するシステムの構築である。

 繰り返すが、本稿の課題は、医療衛生制度、製薬産業・薬事行政政策、医療保険制度の改革・創出過程を分析し、患者、医師・病院、医薬品業者、行政の四つ巴の様態を解明し、そこから中国の医療財・サービスをめぐる公共政策と市場化の制度化のあり方と問題点を明らかにするにある。

 本稿が最も重きを置いたのは、衛生省、財政省を初めとする行政官や医科大学、病院、保健所、医薬品検査所、労働社会保障局、医薬品検査所などの医療衛生、薬事行政、医療保険行政の現場で活躍している人々の論文、研究所、報告書、記録類、手引書を広く渉猟し、事実に基づいた研究を心がけたことである。もちろん法律や法令の詳細な分析、広く政府各層にわたる統計資料も収集し活用した。

 本稿は、つぎのような各章の内容より構成されている。

 第一章では、改革開放後、開業医が認可され、病院に請負責任制が導入された過程と経営制度の変貌、農村3級医療予防保健網の崩壊と政府のてこ入れ政策、医療財源の各種指標、北京市を例とした医療費の高騰と各種統計指標との比較を分析する。この中でも医療財源の統計資料は、中国の医療衛生政策の全体像を知る上で極めて重要かと自負している。

 第二章では、文化大革命期の低品質の医薬品の過剰生産設備の整理、医薬品における直売の開始、医薬品の仕入れと裏リベート問題を分析した。中でも医療費高騰の重要な要因であり、社会問題化した「リベート問題」は、人民の医療機関と製薬産業に対する信頼を裏切る内容となっている。

 第三章では、人民公社の解体による合作医療制度の崩壊、国有企業の経営状態の格差に起因する労働者医療保険制度の格差の拡大、大病医療費の社会的共済化、公費医療制度の実態、新医療保険制度の試行について分析した。中でも、僅かな自己負担で高額な医療サービスを受けられる党幹部職員、公務員の公費医療制度に対する政策分析に可能な限りの資料を集めて努力した。

 第四章では、1980年代の過度の市場化により医療費が高騰したことに対する1990年代末期の医療費抑制政策、規制緩和から管理強化への政策の変化を分析した。1997年の中共中央と国務院の決定、各級病院の役割分担の明確化、薬剤収入の分割管理、医薬品の集団入札購入制度、診療報酬基準の改正について論じた。この内、医薬品の集団入札購入制度については力を注いだ。

 第五章では、医薬品管理法の施行、市場経済下での薬価高騰のメカニズム、国務院の緊急対策、国家薬品監督管理局の発足について分析した。特に、薬価政策に関しては薬事行政の最重要項目であり可能な限りの資料を集めて解明に力を注いだ。

 第六章では、都市労働者医療保険制度の特徴、財務・会計制度の整備状況、診療報酬請求の審査組織、大病共済制度の再普及について分析した。特に、都市労働者医療保険制度の発足により役割を終えたはずの大病共済制度が、再度見直されている実情とその背景を重視した。

審査要旨 要旨を表示する

 吉田治郎兵衛氏の提出した「中国の新医療衛生体制の形成―移行期の市場と社会―」と題する学位請求論文は、中国が社会主義計画経済から市場経済に移行し、グローバル化の波を受けるなか、医療保険制度、社会衛生福祉をどう変化させ、新たな制度を模索したかについて、おもに80年代からの20年を詳細に追跡した、(900枚以上にのぼる)長大な論文である。(なお本論文の指導に際しては、審査委員でもある本学名誉教授高橋満、現帝京大学教授、ならびに本学社会科学研究所田嶋俊雄教授の指導協力があったことを付記する)。

 周知のとおり、中国は1979年以降「改革・開放」路線を取り、計画経済から転換した。さらに92年以降は、全面的な市場経済を展開して、新自由主義的とも言える急激な経済改革を推し進め、現在に至っている。その過程では、文革終結以前の悪平等を敵視し、自由競争や自己採算性を重視するあまり、基本的な公共サービスがおざなりにされる局面を産み出した。本論文は、公共サービスのなかでも、人命にかかわる医療保険、薬事行政などを中心に焦点をあて、この経済的変革期に現れた歪みとその修整の歩みを、時系列的かつ分野別に整理叙述したものである。以下論文の内容を概括する。

 80年代の「改革・開放」初期の変革においては、それまで公益性を強調し、経済効率を無視、たとえば「診療報酬基準」をコスト以下に設定していた状況などを徐々に変えて、病院運営についていわゆる「請負責任制」を導入、企業に付属していた病院を一般に開放し、部分的に民営病院や個人開業医を許可した。しかし全面的な改定には至らず、一部の先端的医療サービスの診療報酬を上げるに留まったが、一方では、医療事業を「第三次産業」と捉える認識が広まっていった。このため90年代になって、開発途上国の上位と位置づけられる総医療費をGDPの5%にする目標が唱えられ、これはなんとか2000年に実現したものの、総医療衛生費のうち政府予算支出の占める割合は、低下していった。逆に個人支出は増大しつづけ、1990年には総支出の35%だったのが、2000年には59%にまで上昇した。これらは薬事行政の混乱による薬価の高騰と従来からの医療保険制度の機能不全という事態によるものであった。

 病院経営において、診療報酬が据え置かれれば、利益を確保できるのは、薬剤収入(60%以上)であった。薬価の高騰は本論文第2章に詳説されるが、病院経営の請負責任制とともに、医薬品の独占的生産、統一価格は崩壊し、生産、販売においても、規制が緩和された。当初は競争が市場に好影響を与え、薬品の低価格化が期待されたが、市場自由化が進むと、生産側は出荷価格に利益を過剰に載せ、医薬品販売員は病院に出入りして、リベートを渡し、その分を卸値に上乗せした。さらに農村の医療従業者の無知につけ込み、低効果や効果のない物質を高く売りつける現象も生じた。薬を求める患者と薬で運営したい病院と高く売りたい生産・販売側の思惑の悪循環から、薬価は物価の上昇を遙かに超えて高騰し、従来の医療保険制度を崩壊させかねない状況に至った。

 計画経済時期、医療保険制度はおもに都市の労働者医療保険、公費医療保険、農村の合作医療制度の三種であった。企業が運営するのが労働者医療保険であったが、これは民営化のなかで、慢性的赤字に陥った国営企業の場合、とたんに破綻し、そこの労働者は医療費を自己負担せざるをえなくなった。公費医療保険は、公務員、建国功労者など特権的なもので、サプリメントなども無料化され、この予算支出だけは、他の医療保険への国家補助が減るなか増加していた。農村の合作医療制度は、文革中に毛沢東によって提唱されて、全国に広まったが、計画経済的存在として批判が高まって、財政的基盤を失い、経営難に陥り、富裕の農民は都市に医療を求め、貧しい農民は医療のよりどころを失った。

 こうした状況のなかで、90年代後半から、やっと医療の公共サービスの側面が再認識され、漸進的ではあるが、制度が改革された。その軸となるのは、一つは国家薬品監督管理局を設立して、衛生省から薬事行政を分離、医薬品の監督行政が分権化されたこと。病院が共同で医薬品を集団入札する制度を作ったこと。これらによって製造から処方購入にいたる薬価の相互監視が可能となり、既述の悪循環の一部は緩和された。それにともない、病院の診療報酬も大幅に見直され、過度な医薬品の処方は規制されるようになった。もう一つは、医療保険制度の再構築である。まずは「大病共済制度」であり、これは加入していれば、一定額以上の高額医療を必要とする場合、医療費の85%から90%を保証するもので、個人保険料が平均月収の1%程度と低額であるためかなり普及した。つぎは「労働者基礎医療保険」で、労働者の個人負担と雇用企業の負担によってなり、前者と後者の半額は個人口座に納入され、残額は公益的な「統一計画基金」として、個人が口座でまかなえなくなった医療費を、限度を設けて保証する。これを官庁の公務員も含め、都市の主要な企業労働者には義務加入とし、農村部の郷鎮企業などでは地方政府の指示に従うこととした。現実的には以上ふたつの医療保険制度は補完し合う関係にあり、一定程度効果をあげていると本論文は分析する。最後に農村では、農民からも負担金を取ることが困難ななか、合作医療制度を再構築する試みが続けられている。

 以上が本論文のおもな叙述だが、先行研究では、本論文が扱った一部を論じているにすぎず、現代中国における医療衛生に関する通時的、包括的な叙述として、初めてのものであり、それだけでも独創性は認められよう。もとより一方、審査の過程においては、本論文の欠点もいくつか指摘された。第一に、時系列的叙述に追われて、分析的議論に欠ける憾みがあり、しかも叙述には繰り返しが多いこと。資料を表面的に紹介する部分もあり、その時々の中国政府の立場をそのまま受け入れてしまう傾向があること。第二に都市にやや偏重し、農村の医療問題に充分に触れられていないこと。第三に、医療保険の効果変化については、21世紀において、検証されるべき点もあるはずだか、叙述が2000年で終了していることなどである。これらはもっともな批判であるが、つぎの点では、単に包括的叙述というだけでなく、本論文の拡がりとして評価しうると認識される。まずは、急速な市場自由化に対応して社会公益的部門がどのような危機にさらされ、それをどのようにして克服するかという、中国を越えた現在的なグローバリズムの課題を提示していること。逆に医薬品をめぐるリベートや価格の上乗せといった現象、新しい保険制度における「個人口座」という発想など、中国社会独特の現象や対応が描かれており、単に医療衛生に留まらない、地域文化研究の射程をももっていること。これらは本論文において、いまだ充分な議論としては発揮されていないものの、重要な成果として指摘すべきであろう。確かに上記のいくつかの欠点はあるものの、審査委員会としては、これらは本論文の独創的貢献を否定するものではなく、博士論文として必要な水準に達していると判断した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク