学位論文要旨



No 121983
著者(漢字) 吉藤,奈津子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシフジ,ナツコ
標題(和) タイ北部の落葉性熱帯季節林における蒸散の季節変化・年々変動とその決定要因の研究
標題(洋) Studies on seasonal and inter-annual variations in transpiration and its controlling factors of a tropical deciduous forest in northern Thailand
報告番号 121983
報告番号 甲21983
学位授与日 2007.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3086号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 助教授 芝野,博文
 東京大学 助教授 大手,信人
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、東南アジアの熱帯モンスーン影響下にあるタイ北部の落葉性のチーク人工林のGrowing seasonに着目し、その年々変動の実態を現地観測に基づいて解明することによって、蒸散の季節変化・年々変動特性を明らかにするとともに、衛星NDVIデータによる熱帯落葉林のGrowing seasonの検出可能性について検討したものである。なお、ここでは、Growing seasonとは着葉期間(樹冠に葉がついている期間)と蒸散期間(蒸散や光合成が行なわれている期間)の両方を指すものとする。

 第1章では、落葉性熱帯季節林における蒸散特性の研究の重要性を整理し、特にGrowing seasonの年々変動の解明が重要であることを述べて、本研究の目的を提示した。

 熱帯には、乾季の有無、立地や標高などの条件に対応して、樹種構成の異なる複数のタイプの常緑林と落葉林が分布しており、それぞれの蒸散特性を明らかにすることは、気候変動に伴う地球規模の水循環・炭素循環の変化を予測する上で重要である。熱帯林の中で、落葉林の占める割合は大きいが、常緑の低地熱帯雨林に比べて落葉林の蒸発散研究例は少ない。特に東南アジアでは長期の降雨変動やエルニーニョ・ラニーニャ現象に伴う降雨の年々変動が指摘されており、降雨変動がこの地域の落葉性熱帯季節林の蒸散に及ぼす影響を明らかにするためにも、その蒸発散特性を明らかにすることは重要である。落葉林の蒸散には、気象条件や気孔開閉による生理的な制御に加え、展葉・落葉に伴う葉量の変化が大きな影響を及ぼす。温帯落葉林では落葉期に入力放射エネルギーも小さくなるのに対し、熱帯落葉林では温帯に比べて一年を通して入力放射エネルギーが大きいので、Growing seasonの長さの変化に伴う蒸散量の変化が年間の熱水収支に与える影響は大きいことが予想される。そこで、本研究では東南アジアの落葉性熱帯季節林の蒸散の季節変化・年々変動の特徴を、特にGrowing seasonとその年々変動に着目して明らかにすることを目的とした。本研究では、東南アジアの代表的な樹種であり、かつ、林分構造の単純な、チーク人工林を対象地として研究を行なった。

 第2章では、本研究で対象とする落葉性のチーク人工林における気象及び蒸散の季節変化の特徴を、同じ熱帯モンスーン気候下にある常緑の山地林である丘陵性常緑林及び一年中湿潤な低地熱帯雨林と対比して示し、各森林タイプにおける熱・水循環の季節変化パターンの違いを示した。気象の現地観測データと、樹液流の長期連続観測という共通の手法で得られた蒸散のデータを基に、3つの異なるタイプの熱帯林の気象及び蒸散の季節変化の特徴を並列に示して比較している点が、本章の特徴であり、新規性でもある。

 低地熱帯雨林では、降雨・日射・飽差の季節変化が比較的小さく、蒸散の季節変化も他の2つの森林に比べて小さい。一方、熱帯モンスーン気候下にある丘陵性常緑林(標高約1300m)とチーク人工林(標高約380m)では、降雨・日射・飽差が雨季乾季の変化に対応して明瞭な季節変化を示し、標高の違いを反映して絶対値に差があるものの、季節変化のパターンは両者でよく類似していた。しかし、蒸散の季節変化は両者で全く異なり、丘陵性常緑林では、乾季でも土壌の乾燥による蒸散抑制の影響がほとんど検出されず、飽差の小さい雨季よりも飽差の大きい乾季に蒸散がよりさかんであったのに対し、落葉林であるチーク人工林では、乾季には落葉するために、蒸散は雨季に大きく乾季には0になるという、丘陵性常緑林とは全く逆の季節変化を示した。以上の結果から、本章では、同じモンスーン気候下の森林であっても、丘陵性常緑林と落葉性のチーク人工林では熱水収支の季節変化が全く異なること、また、気象も蒸散も季節変化が小さく熱水収支の季節変化が小さいことが示唆される低地熱帯雨林ともそれぞれ対照的であることが示された。

 第3章では、チーク人工林におけるGrowing seasonの年々変動を、約5年半にわたる長期フィールド観測データを基に明らかにした。日射の樹冠透過率を基に葉面積指数(LAI)の相対的な時系列変化を調べると同時に、樹液流計測によって樹木の蒸散の季節変化・年々変動を明らかにすることによって、Growing seasonの年々変動を着葉期間と蒸散期間の二つの側面から独立に検出している点が本研究の特徴である。

 雨季の開始に伴う土壌水分増加と連動して、展葉開始とほぼ同時に蒸散が再開・増加するが、雨季の終わりから乾季前半にかけての蒸散低下は落葉よりも早く生じ、落葉が完了するより蒸散が停止する方が約1ヶ月早いことが分かった。年によって雨季の開始と終了の時期が異なることによって生じる土壌水分変化のタイミングの違いと対応して、展葉開始・落葉終了の時期や蒸散開始・停止の時期は、それぞれ最大30日以上年々変動した。その結果、着葉期間の長さは5年間で最大約50日、蒸散期間の長さは最大約60日も変動していたことが明らかとなった。この変動幅は、蒸散期間及び着葉期間の長さの平均に対してそれぞれ18%及び24%にあたる。この年々変動の規模は、温帯落葉林における既往の報告(最大約20日)と比べてずっと大きい。しかも、熱帯は温帯に比べて一年中入力放射エネルギーが大きいことを考えると、本試験地では、蒸散期間の長さが年によって大きく変動することによって、年蒸散量や年間の熱水収支が大きく年々変動している可能性があることが示唆された。

 第4章では、チーク人工林において、降雨に伴う土壌水分の変化が着葉期間・蒸散期間の年々変動に及ぼす影響と、雨季の間の土壌水分の低下が蒸散の日々の変動に及ぼす影響を明らかにした。

 第3章で明らかとなった展葉・蒸散開始の時期を、0-60cmの土層中に存在する土壌水分の相対体積含水率(Θ;全観測期間中で最も含水率が高い時に1を、最も低い時に0を示す)が乾季の後最初に0.2を越える日と比較し、両者の年々変動の間に正の相関があることが示された。また、雨季の終わりに落葉に先駆けて起こる蒸散低下も、土壌水分の低下によってコントロールされていた。蒸散停止や落葉終了の時期の年々変動も、ややばらつきはあるものの、雨季の後Θが最初に0.2を下回る日の年々変動と正の相関があることが示された。以上のことから、本試験地で検出された着葉期間・蒸散期間の大きな年々変動は、主に降雨に伴う土壌水分変化のタイミングの違いによってもたらされたものであることが明らかとなった。また、本試験地では、雨季でも一時的にΘが0.2を下回る時がある。そこで、本章では更に、雨季の終わりから乾季にかけて生じるの蒸散停止に至る蒸散低下とは別に、雨季の間にも土壌水分の低下に伴う一時的な蒸散抑制が生じているのかどうかについて検討した。Θが0.2を下回る例は展葉期にしばしば生じ、そのときには明瞭な蒸散抑制が検出された。土壌水分低下に伴って気孔開度が低下したために、蒸散が抑制されたと考えられる。展葉が十分進んだ雨季中盤(mid-growing season)には、Θが0.2付近まで低下することはあるものの0.2を下回る例は本研究の観測期間中には存在せず、土壌水分低下による明瞭な蒸散抑制は検出されなかった。雨季中でも土壌水分低下による蒸散抑制が生じることは、第2章で示された丘陵性常緑林において、乾季でも土壌水分低下による蒸散抑制がほとんど検出されないことと対照的である。以上の結果から、本試験地では、土壌水分が着葉期間・蒸散期間の長さの年々変動を介して蒸散の季節変化・年々変動に影響を与えること、加えて、雨季中でもΘが0.2を下回るような乾燥が生じたときには気孔コントロールによる蒸散抑制を介して蒸散量に影響を与えること、が明らかとなった。

 第5章では、第3章で明らかとなったチーク人工林の着葉期間・蒸散期間の年々変動と衛星NDVIデータの時系列変化の対応を明らかにし、熱帯落葉林のGrowing seasonの年々変動の検出における衛星NDVIデータの利用可能性を検討した。

 NDVIデータは、SPOT衛星のVEGETATIONセンサーによって得られた10日間コンポジットデータを使用した。オリジナルのデータには雲の影響によると思われるノイズが多く残っていたが、着葉期と落葉期のNDVIの変動幅が大きく、また、展葉期・落葉期は雨季の初めや乾季に当たる為比較的ノイズが少ないことにより、展葉落葉に対応したNDVIの増加・低下を識別・検出することができた。雨季初めのNDVIの増加は展葉及び蒸散の開始・増加と対応した。一方、乾季のNDVIの低下は蒸散の低下よりも遅く、落葉と対応していた。NDVIが雨季の最大値と乾季の最小値の差の約50%程度まで低下する頃には、蒸散や光合成は既に停止していることが分かった。また、現地観測から検出された展葉・落葉及び蒸散開始・停止の時期の年々変動を、NDVIからも検出することができた。以上のことから、熱帯落葉林の着葉期間とその年々変動の検出において、衛星NDVIの利用が有効であることが示された。本章では更に、チーク人工林から約70km離れたところに位置する、インドシナ半島の典型的な落葉林の一つである乾燥フタバガキ林の着葉期間の年々変動を衛星NDVIから検出した。乾燥フタバガキ林の展葉開始及び落葉終了の時期の年々変動もチーク人工林以上に大きく、9年間で最大60日以上も年々変動し、その変動はチーク人工林の展葉開始・落葉終了の時期の年々変動と連動していたことが示された。

 以上の章を要約して第7章とした。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、東南アジアの熱帯モンスーン影響下にあるタイ北部の落葉性熱帯季節林の代表的樹種であるチーク(Tectona grandis)の人工林のGrowing seasonに着目し、その年々変動の実態を現地観測に基づいて解明することによって、蒸散の季節変化・年々変動特性を明らかにするとともに、衛星NDVIデータにより年々変動の検出可能性について検討したものである。なお、ここでは、Growing seasonとは着葉期間(樹冠に葉がついている期間)と蒸散期間(蒸散や光合成が行なわれている期間)の両方を指すものとする。

 第1章では、落葉性熱帯季節林における蒸散特性の研究を整理し、Growing seasonの年々変動の解明が重要であることを述べて、本研究の目的を提示した。

 第2章では、本研究で対象とするタイ国ランパンの落葉性のチーク人工林における気象及び蒸散の季節変化の特徴を、同じ熱帯モンスーン気候下にある常緑の山地林である丘陵性常緑林及び一年中湿潤な低地熱帯雨林と対比して示し、各森林タイプにおける熱・水循環の季節変化パターンの違いを示した。特に、熱帯モンスーン気候下にある丘陵性常緑林(標高約1300m)とチーク人工林(標高約380m)の比較では降雨・日射・飽差など気象要素の雨季乾季の変化は比較的似ているが、蒸散の季節変化は両者で全く異なることを示した。丘陵性常緑林では雨季より乾季に蒸散がよりさかんであるのに対し、落葉林であるチーク人工林では、乾季には落葉するために、蒸散は雨季に大きく乾季には0になり、丘陵性常緑林とは全く対照的な季節変化となる。

 第3章では、チーク人工林におけるGrowing seasonの年々変動を、日射の樹冠透過率を基に葉面積指数(LAI)の相対的な時系列変化によって着葉期間を、樹液流計測によって樹木の蒸散期間を調べ、約5年半にわたる長期フィールド観測データを基に検討した。雨季の開始に伴う土壌水分増加と連動して、展葉開始とほぼ同時に蒸散が再開・増加するが、雨季の終わりから乾季前半にかけての蒸散低下は落葉よりも早く生じ、落葉が完了するより蒸散が停止する方が約1ヶ月早い。展葉開始・落葉終了の時期や蒸散開始・停止の時期は、それぞれ最大30日以上年々変動した。その結果、着葉期間の長さは5年間で最大約50日、蒸散期間の長さは最大約60日も変動した。この年々変動の規模は、温帯落葉林における既往の報告(最大約20日)と比べてずっと大きい。

 第4章では、チーク人工林において、降雨に伴う土壌水分の変化が着葉期間・蒸散期間の年々変動に及ぼす影響が検討されている。展葉・蒸散開始の時期と、0‐60cmの土層中に存在する土壌水分の相対体積含水率(Θ;全観測期間中で最も含水率が高い時に1を、最も低い時に0を示す)が乾季の後最初に0.2を越える日と比較し、両者の年々変動の間に良い対応が見られることが示された。また、雨季の終わりに落葉に先駆けて起こる蒸散低下や落葉終了の時期の年々変動も、雨季の後Θが最初に0.2を下回る日の年々変動と正の相関がある。本試験地で検出された着葉期間・蒸散期間の大きな年々変動は、主に降雨に伴う土壌水分変化のタイミングの違いによってもたらされたものである。

 第5章では、チーク人工林の着葉期間・蒸散期間の年々変動と衛星NDVIデータの時系列変化の対応を明らかにし、熱帯落葉林のGrowing seasonの年々変動の検出における衛星NDVIデータの利用可能性を検討した。NDVIデータは、SPOT衛星のVEGETATIONセンサーによって得られた10日間コンポジットデータを使用した。雨季初めのNDVIの増加は展葉及び蒸散の開始・増加と対応した。一方、乾季のNDVIの低下は蒸散の低下よりも遅く、落葉と対応していた。また、現地観測から検出された展葉・落葉及び蒸散開始・停止の時期の年々変動を、NDVIからも検出することができて、熱帯落葉林の着葉期間とその年々変動の検出において、衛星NDVIの利用が有効であることが示された。更に、チーク人工林から約70km離れたところに位置する、インドシナ半島の典型的な落葉林の一つである乾燥フタバガキ林の着葉期間の年々変動を衛星NDVIから検出した。乾燥フタバガキ林の展葉開始及び落葉終了の時期の年々変動もチーク人工林以上に大きく、9年間で最大60日以上も年々変動し、その変動はチーク人工林の展葉開始・落葉終了の時期の年々変動と連動していた。

以上の章を要約して第7章とした。

以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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