学位論文要旨



No 121993
著者(漢字) 石黒,秋生
著者(英字)
著者(カナ) イシグロ,アキオ
標題(和) 精神神経疾患における常同行動に関する研究
標題(洋) Stereotypic behavior in neuropsychiatric diseases
報告番号 121993
報告番号 甲21993
学位授与日 2007.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2782号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 川合,謙介
内容要旨 要旨を表示する

 常同行動は人精神神経疾患に現れる主要症状の一つであり,いくつかの疾患に共通して認められる。常同行動という用語は,反復的、連続的且つ無目的な行動と定義され、突発的で感情的なストレスでしばしば誘発される。この場合の行動には運動行動のみでなく,関心や行為も含まれる。常同行動はしばしばQOLを悪化させる要因となり治療の対象となりうるが、そのメカニズムは、いまだ殆ど解明されていない。人を対象とした研究では、原疾患に対する投薬の効果を検討したものが中心であり、セロトニン作動薬や抗精神病薬などの常同行動に対する効果から線条体を含むドーパミン経路の関連が示唆されている。これをふまえ、モデル動物を用いてドーパミン経路をターゲットとした薬理学的、神経生化学的検討が行われている。常同行動のモデルとして様々な動物モデルが提唱されているが、作成する手順として、飼育環境の制限やストレス負荷により常同行動を誘発するもの、主に線条体をターゲットとした薬物投与により常同行動をひきおこすものなどの報告がある。これらのモデル動物は共通してドーパミン経路の関連が示唆されるものの、それぞれ一長一短があり、これらを対象とした研究ではそのメカニズムを解明するまでに至っていない。

 線条体におけるドーパミン活動性を評価する指標として、回転行動が挙げられる。パーキンソン病のモデルであるUngerstedtモデルは回転行動を示す動物モデルとして広く知られているが、本モデルは、片側ドーパミン経路を薬物によって障害して作成されたものであり、回転運動は、線条体機能の不均衡により生じると考えられている。

 前庭機能異常モデルマウスは、共通して急速、反復的、持続的な回転運動を示す。これまでの報告の多くは、前庭機能異常による姿勢の異常などによって惹き起こされるとしているものの、ドーパミン経路がこの異常行動に関連しているとの報告もある。

 Bronx Waltzer(以下bv)マウスは、これまで遺伝性難聴のモデルマウスとして報告されてきたが、前庭の組織学的異常とともに、多くの前庭機能異常モデルと同様行動学的特徴として異常な反復的回転運動が指摘されている。本研究では、このbvマウスの反復的回転運動の特徴を、定量的、定性的に評価して常同行動のモデルとして矛盾しないかどうか検討するとともに、ウエスタンブロッティング法、ドーパミン作動性薬剤の脳内微小投与、微小透析法及び高速液体クロマトグラフィーなどの手法を用いて、異常行動のメカニズムに線条体、特にその機能アシンメトリーが関与している可能性を検討した。

 行動評価実験では、まず、bvマウス33匹を対象にビデオ撮影による回転運動の解析を行った。左右別の回転数、回転運動開始から終了までの一エピソード内の回転数を計測した。回転の優位方向を決定し、優位側を同側回転、非優位側を反対側回転と定義し、回転の優位性を評価するためcircling preference ratioとして、総回転数に対する同側回転数の割合を算出した。次にbvマウス回転群13匹 非回転群16匹を対象に遮光下に各マウスをテストケージに入れ自由運動させ、DASシステムにより、対象から発せられる赤外線の揺らぎをlocomotion countとして計測、回転群及び非回転群マウスの行動出現パターンを比較した。ビデオ撮影による行動解析では、回転運動は対象33匹中24匹(72.7%)のbvマウスに認められた。回転が認められた対象の一分間あたりの平均回転数は、17.6回転/分、1エピソードあたりの回転数は19.6回転/分、平均circling preference ratioは0.78であった。DASシステムによる検討では、回転群bvマウスにおいて、30分から1時間持続する高行動エピソードが10時間の実験期間を通して断続的に現れ、反復的、持続的であることが確認された。

 第二に、線条体ドーパミン活動性の左右差を確認するため、回転群(n=8)および非回転群(n=5)bvマウスの線条体を回転優位側、非優位側あるいは左右別に摘出し、ウエスタンブロッティング法を用いてドーパミンD1およびD2レセプターを定量的に計量、比較した。回転群bvマウスにおいては、回転優位側線条体ドーパミンD1およびD2レセプター数は、ともに回転非優位側に比較し優位に少なかった。一方、非回転群マウスにおいては有意な左右差を認めなかった。

 第三に、回転優位側、非優位側線条体ドーパミン神経からのドーパミン放出能を評価するため、回転群(n=6)および非回転群(n=7)bvマウスの線条体にメタアンフェタミンを局所投与し、線条体内ドーパミン濃度を測定した。マウス線条体に局所投与用チューブ付プローブを挿入、定流量で微小潅流し、高速液体クロマトグラフィーシステムにてドーパミン濃度をリアルタイムに測定して基礎レベルを評価した。微小潅流を続けながら、メタアンフェタミンを局所投与用チューブから投与し、ドーパミン濃度を測定した。回転群マウスにおいてドーパミン基礎レベルは回転優位側 19.1 ± 11.1、非優位側19.2 ± 9.1 ng / サンプルで有意差を認めなかったが、 メタアンフェタミン投与時のドーパミンレベルは各マウスドーパミン基礎値に対して、回転優位側投与時8.7 ± 5.7倍、非優位側投与時 22.9 ± 12.7倍(p=0.039)と有意差が認められた。

 第四に回転行動のメカニズムに線条体が関与するかを検討するため、回転優位方向、回転非優位方向線条体にそれぞれドーパミンアゴニストを局所投与し回転行動の変化を評価する実験を行った。対象は回転群bvマウス 10匹(内同側線条体投与5匹、反対側線条体投与5匹)および対照としてICRマウス、非回転群bvマウスを用いた。脳定位手術により片側の線条体にマイクロインジェクションチューブを挿入、投与薬物としてD1レセプター選択性が強いとされるA68930-hydrochlorideを選択し、コントロール、低、高用量の薬物を一定のインターバルをおいて連続的に投与した。投与前後にビデオテープによる行動記録を行い、同側、反対側回転数を計測し、各濃度の薬物投与前後の回転数の変化を評価した。優位方向への回転数は、回転優位側投与により高用量を投与したときのみ有意に減少(投与前49 ± 35回転/分;投与後28 ± 23回転/分; p=0.044)し、回転非優位側投与により有意に増加 (投与前21 ± 28回転/分、投与後35 ± 30回転/分; p=0.017)した。この回転数の増減量を優位、非優位側投与間で比較すると優位側-21回、非優位側投与で+13回と投与側により有意に反応が異なっていた。

 行動評価実験結果からbvマウスの回転運動は、反復的で急速、一定の持続性があることが確認された。無目的で衝動的、ストレスにより誘発、増強される性質と合わせて考えれば、人間の精神神経疾患に見られる常同行動に矛盾せず、そのモデルになりうると考えられる。

 回転優位側で相対的にドーパミンレセプター数が有意に少なく、ドーパミン放出能が低い理由として、回転優位側でのドーパミン作動性神経の減少が考えられるが、今後免疫組織学的検討を行い確認する必要がある。

 片側線条体ドーパミンアゴニスト投与実験では、回転群bvマウスではA68930投与により回転運動に有意な変化が認められたが、正常ラットでは片側線条体ドーパミン投与で行動異常は誘発されないことが報告されている。本実験でも片側線条体ドーパミンアゴニスト投与にてコントールマウスでは回転運動を含む行動の変化は誘発されなかった。このことから、bvマウスの異常回転運動には線条体異常が関与していることが示唆される。さらに、同側回転は同側線条体にドーパミンアゴニストを投与すると減少し、反対側線条体に投与すると増加した。ドーパミン活性が相対的に高い線条体と反対側に回転することはこれまで多くの報告で示唆されているが、これらの報告と我々の結果を照らし合わせると、bvマウスの回転行動は左右線条体の機能的アシンメトリーを背景にしていると考えられた。

 このような線条体機能異常は、ほとんど全ての前庭機能動物モデルにおいて同様な回転運動が報告されていることをふまえると、前庭機能異常に由来する二次的な異常である可能性が高い。しかし、動物モデルにおいては多くの異なった常同運動が共通して線条体の関連が示唆されていることから、常同運動には線条体を含む共通のメカニズムが存在すると考えられ、このメカニズムの解明が常同運動の理解に重要であると思われた。

 脳の異常なアシンメトリーあるいは正常なアシンメトリーの消失は、人の精神神経疾患では決して稀ではない。これまで形態学的、機能的、神経生化学的な脳の異常なアシンメトリーが報告されているが、このようなアシンメトリーがどの様に疾患あるいは個々の臨床徴候に関わっているかは明らかではない。この関連を証明することは、人を対象とした研究では決して容易ではなく、動物モデルでの研究が不可欠であると考えられる。

 本研究ではbvマウス異常な反復的回転行動を常同行動のモデルとすることが可能か妥当性を検討するとともに、その発現のメカニズムについて検討した。結果、異常回転行動は左右差を背景とする線条体機能異常が関与していることが強く示唆され、さらに常同運動に対するドーパミン系薬物による治療的な介入の可能性も示唆された。今後、免疫組織学的検討を行うとともに、回転行動がなぜ左右両方向におこりうるのかについて、左右線条体の協調機構に焦点を当てて検討を進めたい。

審査要旨 要旨を表示する

 常同行動はいくつかの人精神神経疾患の主要症状の一つである本研究は、そのメカニズムを明らかにするため、反復的回転行動を示すBronx Waltzer (bv) マウスを用いて、常同運動と線条体ドーパミンシステムとの関連の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ビデオ撮影による行動撮影の結果、bvマウスの73%に回転行動が認められた。回転行動を示すbvマウスの一分間あたりの平均回転数は、17.6回転/分、回転行動の開始から終了までの1エピソードあたりの回転数は19.6回転/分と反復的であり、また、行動量測定装置であるDASシステムを用いた行動量測定による検討では、30分から1時間持続する高行動エピソードが10時間の実験期間を通して断続的に現れた。以上の結果から本マウスの回転行動は、反復的、持続的であることが確認された。さらに、回転の優位方向を決定し、優位側を同側回転、非優位側を反対側回転と定義し、回転の優位性を評価するためcircling preference ratioとして、総回転数に対する同側回転数の割合を算出したところ、circling preference ratio = 0.78と個々のマウスには回転の優位方向が存在することが示された。

2. 線条体ドーパミン活動性の左右差を確認するため、ウエスタンブロッティング法を用いて、回転行動を示す回転群bvマウス、回転行動を示さない非回転群マウスにおける線条体ドーパミンD1およびD2レセプター数を定量的に評価したところ、回転群bvマウスにおいては、回転優位側線条体ドーパミンD1およびD2レセプター数は、ともに回転非優位側に比較し優位に少なかった。一方、非回転群マウスにおいては有意な左右差を認めなかった。

 さらに、回転優位側、非優位側線条体ドーパミン神経からのドーパミン放出能を評価するため、回転群および非回転群bvマウスの線条体にメタアンフェタミンを局所投与し、マイクロダイアリシスおよび高速液体クロマトグラフィー法を用いて、線条体内ドーパミン濃度の変化を測定した。回転群マウスにおいてドーパミン基礎レベルは回転優位側、非優位側線条体で有意差を認めなかったが、 メタアンフェタミン投与後のドーパミンレベルは回転優位側投与時に比べ、非優位側投与時で有意に高いドーパミン濃度の上昇が認められた。これらの結果は、回転優位側線条体におけるドーパミン作動性神経の減少を示唆するが、今後免疫組織学的検討を行い確認する必要があると考えられた。

4. 回転行動のメカニズムに線条体の左右差が関与するかを検討するため、回転優位方向、回転非優位方向線条体にそれぞれドーパミンアゴニストを局所投与し回転行動の変化を評価する実験を行った。ところ、優位方向への回転数は、回転優位側線条体への投与により高用量を投与したときのみ有意に減少し、回転非優位側投与により有意に増加した。この回転数の増減量を優位、非優位側投与間で比較すると優位側-21回、非優位側投与で+13回と投与側により有意に反応が異なっていた。このことから、bvマウスにおける常同的回転行動には線条体の左右差が関連していることが明らかとなった。

 以上、本論文はBronx Waltzerマウスにおける反復的回転行動が常同的特徴を有することを示し、常同行動のモデルとなりうることを示すとともに、この常同的回転行動に線条体機能不均衡が関与することを明らかにした。本研究は、いまだ明らかにされていない精神神経疾患における常同行動のメカニズム解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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