学位論文要旨



No 121994
著者(漢字) 河野,慎次郎
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,シンジロウ
標題(和) 骨組織石灰化を制御する細胞内情報伝達系に関する研究
標題(洋)
報告番号 121994
報告番号 甲21994
学位授与日 2007.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2783号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 井上,聡
 東京大学 教授 大内,尉寿
 東京大学 客員助教授 星,和人
 東京大学 講師 福本,誠二
 東京大学 講師 大西,五三男
内容要旨 要旨を表示する

 骨基質の石灰化は骨組織形成の最終段階に位置する重要なステップであるが、石灰化という現象自体がどのようなメカニズムによって誘導されるのかについては未だに解明されていない点が多く存在する。

 Classical MAP kinase(MAPK)シグナル伝達系であるErk pathwayは、すべての真核生物に共通するプロテインキナーゼカスケードであり、種々の増殖因子受容体からRas、Raf-1、Mekを経てErkの活性化が誘導され核内へ情報を伝達する。

 ここで石灰化におけるClassical MAP kinase(MAPK)シグナル伝達系であるErk pathwayに着目すると、JaiswalらはAdult Human Mesenchymal Stem Cellにおいてステロイド、アスコルビン酸、β-glycerophosphate(β-GP)による、ALPならびにcalciumの上昇が、Erk pathwayの活性により促進されると報告し、LaiらはHuman Osteoblastic CellsにおいてErk pathwayの抑制によりcalciumが低下すると報告している。また逆にChaudharyらはMC3T3-E1細胞においてErk pathwayの活性がType I Procollagen Geneの発現を抑制し石灰化が低下すると報告し、HiguchiらはBMP付加したC2C12細胞および MC3T3-E1細胞においてErk pathwayの抑制によりcalciumが上昇すると報告している。

 このように一見矛盾したような結果が生じる理由としては、これまでの研究では実験に使われる細胞が未分化な骨芽細胞系細胞であることが多く、骨芽細胞の分化に伴う石灰化亢進と石灰化自体の亢進とを混同していること、研究に用いられた阻害剤などが必ずしも特異的にErk pathwayのみを抑制しているとは限らないことなどが考えられる。

 本研究においては分化が前骨細胞系へとすでに進んだ株細胞MLO-A5、および前骨芽細胞株であるMC3T3-E1細胞にRunx2を強制発現させ、強制的に最終分化を誘導した骨芽細胞を利用し、阻害剤のみならずアデノウイルスベクターによる遺伝子導入法を用いることによって、石灰化におけるErk pathwayの特異的な役割を分化過程から切り離して明らかにしようと実験を行なった。

 マウス長幹骨から樹立されたMLO-A5細胞は、分化の最終段階である前骨細胞の形質を有する株細胞であり、高い石灰化誘導能を持つものである。またMC3T3-E1細胞は未熟な骨芽細胞様の形質を有する株細胞であるが、コンフルエントの状態になると基質産生が亢進し、成熟した骨芽細胞の形質を示すようになる。このMC3T3-E1細胞の分化にはrunt domain転写因子Runx2が重要な役割を果たしており、Runx2を過剰発現させたMC3T3-E1細胞は骨芽細胞の最終分化の段階となることが示されており、MLO-A5細胞と同様に高い石灰化誘導能を持つ。

 MLO-A5細胞にErk阻害剤であるPD98059を添加しアリザリンレッド染色により石灰化の変化を検討すると、MLO-A5細胞の石灰化は促進した。MLO-A5細胞にPDGFで刺激するとErkの活性化を示すとともに石灰化が著明に抑制された。PD98059によりPDGFの石灰化抑制効果がほぼ完全にレスキューされることから、PDGFによる石灰化抑制作用はErk活性化を介する作用と考えられた。さらにドミナントネガティブ型のRas変異体(Ras(DN))、および恒常活性型Mek1(Mek(CA))遺伝子を組み込んだ組換えアデノウイルス(AxMek(CA)、AxRas(DN))をMLO-A5細胞に感染させたところ、AxMek(CA)によるErk活性化は石灰化を抑制し、AxRas(DN)によるErk不活性化は石灰化を促進した。またRunx2を過剰発現させたMC3T3-E1細胞においても同様に、AxMek(CA)は石灰化を抑制し、AxRas(DN)は石灰化を促進した。その結果Erk pathwayの亢進により石灰化の抑制が、Erk pathwayの抑制により石灰化の促進が起きることが明らかになった。このときの石灰化の変化がウイルス感染などによる細胞増殖や細胞死によって生じている可能性を否定するためにMTTアッセイをおこなったが、細胞のviabilityの値に変化はなく、少なくともこの実験系において細胞死を介したメカニズムで石灰化の変化が生じていることは否定的であった。

 次いでMLO-A5細胞にアデノウイルス(AxLacZ、AxMek(CA)、AxRas(DN))を感染させた際の骨関連蛋白遺伝子の発現の変化を調べるためにReal time RT-PCR法をおこなったところ、AxMek(CA)を作用させた際にOPNの著明な発現上昇が認められ、これが石灰化の変化に重要な働きをしていることが示唆された。

 最後に生体におけるErkの活性化、不活性化が骨組織石灰化に及ぼす影響を検討するために、1日令マウスの頭蓋骨上にAxLacZ、AxMek(CA)、AxRas(DN)を投与し、投与5日後に頭蓋骨をアリザリンレッド染色に供した。AxLacZ投与群と比較して、AxRas(DN)投与群においては明らかな石灰化の亢進が、AxMek(CA)投与マウスにおいては石灰化の抑制が認められた。

 これらのMLO-A5 細胞やRunx2を強制発現させたMC3T3-E1細胞を使った実験により分化と石灰化が完全に切り離されたとはいえないが、現在においてはこれらの分化が最終段階へ進んだ細胞を使っての解析が、分化の作用を除外した石灰化の観察にもっとも適した方法だと考えられる。またアデノウイルスベクターを使用することにより、他の情報伝達系を介することなくErk pathwayのみを変化させることが可能となった。

 Erk pathwayは石灰化に対して抑制的に作用することが示されたが、OPNがその作用に関連していることが示唆された。これまでの報告もOPNは石灰化に対して抑制的に作用することが明らかにされているが、今後ノックアウトマウスやマイクロアレイなどを利用して、OPN誘導と石灰化との関係を解析することが必要である。また骨芽細胞特異的なプロモーターを用いたトランスジェニックマウスの作成などを通じて、骨組織石灰化に対するErk pathwayに対する役割をin vivoで明らかにすることが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は骨組織形成の最終段階に位置する重要なステップである骨基質の石灰化が、Classical MAP kinase(MAPK)シグナル伝達系であるErk pathwayによってどのように変化するか明らかにするため、インヒビターや増殖因子のみならず他の情報伝達系の影響を除外するためアデノウイルスベクターを使い、また分化の進んだ株細胞を使用して分化のプロセスと石灰化を切りはなして解析をおこなったものであり、下記の結果を得ている。

1. マウス長幹骨から樹立されたMLO-A5細胞は、分化の最終段階である前骨細胞の形質を有する株細胞であり、高い石灰化誘導能を持つ。Mekの特異的阻害剤であるPD98059をMLO-A5細胞に添加しアリザリンレッド染色を行うと、濃度依存性にMLO-A5細胞の石灰化が促進していることが観察された。またPDGF添加によりMLO-A5細胞内のErk活性が上昇していることが観察され、同時にMLO-A5細胞の石灰化が濃度依存性に抑制されていることが確認された。ここでMLO-A5細胞にPD98059を添加後にPDGFを添加すると、PDGFの石灰化抑制効果がほぼ完全にレスキューされたことよりPDGFによるMLO-A5細胞の石灰化抑制作用はErk活性化を介することが示された。以上の結果より、PD98059はMLO-A5細胞の石灰化を促進し、PDGFはErk pathwayを介して石灰化を抑制していることが示された。

2. LacZ遺伝子を組み込んだアデノウイルスベクター(AxLacZ)をMLO-A5細胞とMC3T3-E1細胞に感染させるとAxLacZのMOI増加に従ってMLO-A5細胞のX-gal陽染像が認められ、アデノウイルスによって効率よく遺伝導入が可能なことが示された。次に恒常活性型Mek1(Mek(CA))、およびドミナントネガティブ型のRas変異体(Ras(DN))遺伝子を組み込んだ組換えアデノウイルス(AxMek(CA)、 AxRas(DN))をMLO-A5細胞に感染させた。AxMek(CA)感染によってErk活性は上昇し、AxRas(DN)感染によってErk活性は抑制された。石灰化の程度をアリザリンレッド染色で検討したところ、コントロールであるAxLacZ感染細胞と比較して、AxMek(CA)感染細胞では石灰化が著明に抑制され、AxRas(DN)感染細胞では石灰化が促進していた。同様の石灰化に対する効果は初代培養マウス骨芽細胞やMC3T3-E1細胞さらにはRunx2遺伝子を強制発現し分化を最終段階まで進めたMC3T3-E1細胞においても認められた。またこれらのウイルス感染はMLO-A5細胞のviabilityに影響しないことがMTTアッセイによって示された。以上よりアデノウイルスを使用した遺伝子導入においても、Erk pathwayはこれらの細胞の石灰化に抑制的に作用することが示された。

3. 次にMLO-A5細胞にアデノウイルス(AxLacZ、AxMek(CA)、AxRas(DN))を感染させ、total RNAを抽出し、Real time RT-PCR法をおこなった。MLO-A5細胞においてはAxMek(CA)によりALP発現はコントロールと比べ変化がなかったが、OCN発現が軽度増加、OPN発現は著しく増加、BSP発現とColI発現では有意な変化がみられなかった。AxRas(DN)を感染させたものでは、ALP発現が軽度上昇し、OCN発現は軽度低下、OPN発現は著しく低下、BSP発現とColI発現では有意な変化がみられなかった。以上よりErk pathwayによる石灰化に対する作用でOPNが重要な働きをすることが示唆された。

4. 1日令マウスの頭蓋骨にAxLacZを投与し、頭蓋骨を採取しX-gal染色すると、頭蓋骨全体に一様にX-gal染色の濃染像が認められ、生体内の細胞においてもアデノウイルスによって効率よく遺伝子導入できることが示された。次に1日令マウスの頭蓋骨上にAxLacZ、AxMekCA、AxRasDNを投与し、頭蓋骨を採取しアリザリンレッド染色に供するとAxLacZ投与群と比較して、AxRas(DN)投与群では明らかな石灰化の亢進が、AxMek(CA)投与群では石灰化の抑制が認められ、生体内においてもErk pathwayが石灰化に抑制的に作用することが示された。

 以上、本論文は骨組織石灰化において、Erk pathwayが抑制的に作用することを明らかにした。本研究はこれまでの研究では明確でなかった分化の影響をできる限り排除した点と、Erk pathway以外の作用を除外できた点において、骨組織石灰化の細胞内情報伝達系の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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