学位論文要旨



No 121995
著者(漢字) 竹内,昌平
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,ショウヘイ
標題(和) 中国湖南省洞庭湖周辺地域の日本住血吸虫症蔓延地の漁村における日本住血吸虫症感染と水接触行動に関する村民の生活時間調査
標題(洋) Schistosoma japonicum infection and time allocation studies of the behaviors associated with water contact in a rural village, the Dongting Lake region, China
報告番号 121995
報告番号 甲21995
学位授与日 2007.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2784号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神馬,征峰
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
内容要旨 要旨を表示する

 日本住血吸虫は,中間宿主である貝が依然として広く生息し,また終宿主にヒト以外の水牛など動物を含むため,住血吸虫症コントロールは21世紀になった今日でも深刻な公衆衛生的課題である.

 中国では,1950年代の国家主導の対策の結果,4つの省で日本住血吸虫の根絶に成功したにも関わらず,未だ8省において依然として流行を認めている.Liらの2001年の報告によると,未だ80万人の感染が確認されている.

 日本住血吸虫は,セルカリアがヒトの水接触行動を通じて経皮的に感染することで知られる.そのため,リスクの高い水接触行動に焦点を当て観察し,それに特化した対策を立てることは予防手段を考案する上で最も重要である.先行研究では,質問紙や行動日記,fixed spot-check法を用いて蔓延地域住民の水接触行動が分析されたが,生活における水接触行動の役割については十分に深く考慮されなかった.そこで本研究では,地域における住民の生活の中の水接触行動を特徴付けるため,「time-saving spot-check法」を用い,住民の生活全体を直接的に観察することによる生活時間配分研究を行い,また,その地域の生活習慣に沿った流行抑止戦略を適用するために,日本住血吸虫症感染のリスクファクターを分析した.

 本研究では,洞庭湖周辺地域の一漁村における現地調査結果を分析した.同村は集落が密集しており,洞庭湖に近接している.また,同村の対象集落は漁撈が生業とされ,曝露リスクの高い水接触行動が期待され,地域の住血吸虫症対策所によると周辺の他の集落に比べ日本住血吸虫症の有病率が高かった.具体的には2004年10月から11月と2005年5月において,インタビューと「time-saving spot-check法」を用いた行動観察を実施し,それと同時にKato-Katz法による寄生虫学的調査を行った.対象者として住民の65.2%に該当する137人が含まれた.行動観察は,各対象者について2日間にまたがる形で1日目は5,7,9時・・・・,2日目は6,8,10時というように,各2時間おきに実施し,2日間で5時から19時まで計14回(14時間)の観察とした.糞便の採集は,インタビューと同時に行い,地域の住血吸虫症対策所のスタッフにより1人あたり3枚のスライドを用いて検便された.

 二つの調査期間に共通して112人(観察数=3136 spots)の行動を観察する事ができた.その際,観察された53種類の行動を,それが行なわれた場所に着目して,湿地帯(marshland)や川(river),養魚池(fishpond),集落内(hamlet),集落外(outside)の5つに分類した.住民の行動は,5つの場所への時間配分に着目して分析し,リスク行動の多いことが期待される湿地帯内の行動については,さらに各行動への時間配分を用いて分析した.

 2004年10月から11月の調査では,122人(観察数=1708 spots)について行動観察データと虫卵検査結果の両方が得られた.観察した行動のうち,水接触と関係の深い12行動(湿地帯における行動:7,その他エリアでの行動:5)を選択し,単変量解析と多変量解析を用いて,日本住血吸虫症感染と行動の時間配分との関係を検討した.

 112人の対象者(男性59人,女性53人)を学童(小学校,中学校に通う子供),若年層(47才までで,学童でない者),中高年層(前2者に属さない者)の3つの年齢グループに分けた.また,2004年10月から11月を閑散期(non-working),2005年の5月を繁忙期(working)と定義した.このとき,学童はどちらの期間でも湿地帯で過ごす行動は観察されなかった.集落内ですごす時間について見ると,若年層では,閑散期(男性:9.89時間,女性:13.15時間)が繁忙期(男性:4.39時間,女性:8.78時間)に比べ有意に長かった(p < 0.01).これに対し中高年層の行動には,季節間差が観察されなかった.若年層において,湿地帯内における行動の時間は,男性が有意に女性に比べて長く(男性:7.87時間,女性:4.78時間),行動の種類にも性別と季節により違いがあった.

 Kato-Katz法の結果,122人中(男性64人,女性58人),男性12人,女性6人の合計18人(有病率14.8%;95%信頼区間:8.5-21.0)に日本住血吸虫の虫卵を認めた.虫卵陽性者の間では,EPG(egg per gram)の中央値は8,25-75パーセント点は8-16だった.若年層の有病率は,男性(36.36%)が女性(10.71%)に比べて有意に高く(p = 0.04),中高年層の有病率に有意な性差は見られなかった.単変量解析の結果,「湿地帯における漁船整備(repairing ships on the marshland)」と「養魚池の近くの仕事(working near the fishpond)」に費やす時間と,虫卵陽性(湿地帯における漁船整備:p < 0.001;養魚池の近くの仕事:p = 0.02)および感染強度(湿地帯における漁船整備:p < 0.001;養魚池の近くの仕事:p = 0.02)との間にそれぞれ有意な正の相関関係が認められた.また,多変量解析では,感染強度と「湿地帯における漁船整備」に費やす時間との間に有意な正の相関関係を認め(p < 0.001,r2 = 0.24),同行動リスクは先行研究の結果と一致するものと考えられた.

 本研究では,fixed spot-check法に代わり,time-saving spot-check法を用いる事で,高い費用がかかるとされる直接観察を安く少ない人員(著者と現地スタッフの2人)で行うことができた.

 日本住血吸虫症感染では,年齢と性別がもっとも重要なファクターと知られている.本研究において,中高年層は漁に費やす時間が減る,もしくは漁から引退しているため,有病率が下がり,性差がなくなってきている.このように集団の年齢別生活習慣が住血吸虫研究において重要な因子であると示唆された.

 水接触行動に焦点を当て,その時間や接触面積を調べる研究は多くなされている(Rossら, 1998;Kloosら,2006)が,水接触行動の季節間変動についての報告はない.本研究の対象集団では,季節によって,住民が行動する場所,および湿地帯における行動の内容が変化することがわかった.行動の内容により,感染のリスクに違いがあるため,季節による行動の変化を考慮しないと,住血吸虫症感染のリスクの変化を見逃す危険があることが示唆された.

 養魚池の近くの仕事は単変量解析の結果,虫卵陽性と感染強度に対し有意な正の相関が認められていた.しかし,多変量解析の結果,感染強度に対し有意な相関が認められなかった.観察時に養魚池の近くで仕事をしていた住民へのインタビューによると,彼らは湿地帯まで養殖している魚の餌を取りに行っている事がわかった.多変量解析の結果と,インタビューへの返答より,養魚池の近くの仕事は日本住血吸虫症の感染強度との相関において交絡因子と認められた.

 本研究では,2004年の調査時に,感染していた18人の住民にはプラジカンテルを処方した.しかし,2005年の調査時には,18人のプラジカンテル処方者の中に一人の再感染者が認められた.洞庭湖周辺地域の再感染率は高いとされており,繁忙期はより高い再感染率が予測されるため,住民の感染負荷を減らすためにも,繁忙期直後のプラジカンテルの処方が提言される.

 本研究は,「time-saving spot-check法」により,閑散期における若年層の男性の日本住血吸虫症の感染強度と湿地帯における漁船整備の正の相関関係を示した.このように,「time-saving spot-check法」はどこでどのような種類のハイリスク行動を行っているか,また地域で特有で文化的影響を受けやすい住民の年齢別生活様式の季節間差を理解するのに有用である.このような詳細な情報は,地域に特異な防御戦略を適用し,また住民の日本住血吸虫症に対するハイリスク行動を変化させる助けとなりうる.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,日本住血吸虫症が未だに公衆衛生上の大きな問題として残る中国,洞庭湖周辺地域において,time-saving spot-check法を用いた住民の行動観察と虫卵検査により得られる日本住血吸虫症の有病割合の関連を調べたもので,下記の結果を得ている.

1.112人の対象者のうち,19人(男子8人,女子11人)の学童は閑散期(生業である漁撈を終え,休息をとっている時期),繁忙期(定置網漁の準備とエビ漁の準備に忙しい時期)ともに感染危険エリアである湿地帯で過ごす行動は観察されなかった.

2.学童を除く47歳未満の若年層(男性19人,女性27人)では閑散期に比べ,繁忙期に有意に長く湿地帯で過ごしていた.また,男性の方が女性に比べ,有意に長く湿地帯で過ごしていた.また,行動の種類にも,性別と季節により違いがあった.

3.47歳以上の中高年層(男性26人,女性21人)の行動では,有意な季節間差は観察されなかった.

4.Kato-Katz法による虫卵検査の結果,閑散期には122人中,男性12人,女性6人の18人が感染していた.虫卵陽性者の間では,EPG(egg per gram)の中央値は8,25-75パーセント点は8-16だった.

5.若年層の有病割合は男性(36.36%)が女性(10.71%)に比べ有意に高く,中高年層の有病割合に有意な性差は見られなかった(男性:15.38%,女性:8.70%).

6.重回帰分析を用いた多変量解析により,感染強度と「湿地帯における漁船整備」に費やす時間との間に有意な正の相関関係(p < 0.001, r2 = 0.24)を認め,単変量解析において感染強度との関連を示していた「養魚池の近くの仕事」は交絡因子と認められた.

以上,本論文は,time-saving spot-check法を用いた詳細な直接観察により,住民の行動場所,行動時間配分を明らかにし,行動の季節差,性差を明らかにした.また,得られた住民の行動時間配分と虫卵検査による有病割合を用いて対象集落におけるハイリスク行動の特定を行うことにより,time-saving spot-check法が日本住血吸虫症研究において低コストで有用であることを示した.本研究は,住民の水接触行動と密接に関連する日本住血吸虫症感染において,直接観察による信頼性の高い行動データを得る方法を示したことで,より詳細で具体的な介入プログラム,健康教育の立案において重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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