学位論文要旨



No 121997
著者(漢字) 宮地,英敏
著者(英字)
著者(カナ) ミヤチ,ヒデトシ
標題(和) 近代日本の陶磁器業
標題(洋)
報告番号 121997
報告番号 甲21997
学位授与日 2007.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第216号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 助教授 中村,尚史
内容要旨 要旨を表示する

 本稿の課題は、幕末開港期から第一次世界大戦期にかけての陶磁器業のあり方を実証的に分析することにより、近代日本の産業が辿ったパターンの一つを描き出すことである。陶磁器業の場合には、前近代からの技術的連続性、輸出比率が3〜6割の幅で動くといった典型的な「在来産業」である一方、小零細経営・中小経営・機械制大工業という生産システムが並存するというように、従来の「在来産業」論の枠組みで分析することが困難である。そこでまず序章では、「在来産業」論の研究史を整理してその受継ぐべき論点を明確化するとともに、M・J・ピオリ/C・F・セーブル「柔軟な専門化」やP・スクラントン「専門生産」の議論も踏まえて、本稿を分析する視覚を提示した。

 第1章は近代陶磁器業を分析するにあたって、基礎的なデータとなる生産工程・輸移出・国内消費・主要産地の整理を行っている。これを踏まえて第2章および第3章では、明治初期からの直輸出貿易の担い手となった商社のうち、政府の手厚い支援を受けつつも10年程度で破綻してしまった起立工商会社の事例(第2章)と、政府の役割をセーフティーネット機能に限定しつつ成功を勝ち得た森村組の事例(第3章)を分析した。前者は政府融資を得て、市場調査や為替・在庫リスクの管理などが杜撰になっていた。他方で後者は、早期からパートナーをアメリカ支店に派遣して市場情報を掴み、日本国内でも「米状神聖」というモットーで情報を重視した。19世紀後半における2つの商社のコントラストが明確となった。

 第4章では輸出品生産を目当てに先駆的に機械制大工業化を試みた、精磁会社と京都陶器会社という2企業の挫折が描かれる。前者は、農商務省からの融資も得てリモージュから最新設備を購入するが、技術移転に伴う困難が克服される前に技術者が急逝したために、問題点が明らかにされないまま失敗を迎えた。後者は、京都財界から資金を集めて同じ設備を購入したが、高配当を要求する株主たちを前にして、こちらも技術移転が終わる前に解散を迫られてしまった。

 第5章から第8章が本稿の中核をなす部分である。第5章の前半では、小零細経営のうち職人的な技術を保持し美術的な付加価値を加えることで、高級品に特化していった京都を取り上げた。試験場・学校・同業組合・共進会などを通じて高付加価値戦略を展開した京都は、まさしく「柔軟な専門化」や「専門生産」の議論が想定していた形態であった。ところが同じく小零細経営であっても低級品を生産する産地があった。その岐阜県東濃地方について第5章後半で分析した。東濃の小零細経営について、従来は史料的な制約から詳細が不明であった、雇用職工5人未満層までを対象として考察したところ、全生産者の8割がこの層に属していた。またそこで雇用される職工は、逃亡を防ぐために近隣町村出身者が多かった。特に熟練技術を擁する職工にその傾向が顕著であり、逆に単純労働者は遠方出身者の比率が高まった。また職工の分布は30代がピークであった。これは、年齢が上がると陶磁器業から退出するケースと、生産者として独立するケースの総和である。独立の場合には、問屋前貸の利用や、半製品・関連製品・一部工程に特化して独立することが可能であり、娘婿への相続の慣習などと合わさって小零細経営が増加していたのである。また補論では東濃陶磁器問屋の水野春吉商店を対象に、問屋の機能を考察した。そこでは、小売業者への信用授受機能、在庫コストの担い手、小零細経営の金融源などが、問屋の機能として明らかにされた。

 第6章では愛知県瀬戸地方を対象に、経営規模を拡大する中小経営の動向を考察した。瀬戸は隣接する東濃との競争の上で、相対的な労賃の高さというハンディを背負い、後塵を拝するようになっていた。そこで、アメリカ市場が要求していた均一性に応えるために、石膏型という生産技術を導入したが、これが同時に近世来の轆轤成形と比べて相対的に大量生産を可能とした。石膏型は型を成形する模型師と、型を使って器を成形する型師を擁し、こうして瀬戸ではマニュファクチュア経営が主体となっていくのである。

 第7章では分析の視点を若干変え、東濃と瀬戸の双方で普及した石炭窯という技術の導入を考察した。品質改善を主目的とした日本陶器(第8章)とは異なり、東濃・瀬戸の場合には燃料費節減を主目的とした。またこの石炭窯は在来技術の延長であり、低コストで設置することが可能であったため、中小・小零細経営の生産者の競争力を増す役割を果たしたのである。

 第8章では名古屋において展開した機械制大工業の成立を検証した。機械制大工業それ自体を成立させたのは森村組が設立した日本陶器であったが、森村組に見られた問屋による上流への垂直統合という行動は、他の名古屋問屋でも確認された。その中で森村組こそが担い手となり得たのは、技術定着までの連年の赤字を前にして批判が巻き起こる中で、リスクを一身に負担した大倉孫兵衛・和親父子の企業家精神と、芝浦電気の岸敬二郎から要望された特別高圧碍子生産で、企業経営的には黒字を確保し得たことが背景にあった。

 終章では以上の考察を踏まえつつ、第一次世界大戦をはさんだ陶磁器業の変化をまずは検討した。日本陶器の成功をモデルとして他の機械制大工業も叢生し、大戦ブームの影響でその経営が安定した。また中小経営から成長して機械制大工業化を実現する企業も登場する一方で、従来の小零細経営もかえってその経営戸数を増加させた。また、第一次世界大戦以前には異なった市場を対象として、それぞれ棲み分けをしていた小零細経営・中小経営・機械制大工業の3者が、同一の市場をも対象にしはじめた。しかしそこでは、単純に競争関係が生じたのではなかった。多くの機械制大工業では、製造工程の一部を外部化して従来の中小経営だけではなく小零細経営までを下請けとして組み込む一方で、高品質の製品を作っていた日本陶器では逆に、従来の下請け関係を廃止してすべて内製化するという選択を行ったのである。また京都に関しては、高給付加価値戦略をより一層進めていた。

 以上の実証分析を踏まえた上で、終章の総括では、やや議論の抽象化を行って整理をした。均質-多様という縦軸と、高級品-低級品という横軸に、小零細経営・中小経営・機械制大工業を配置したときに、時代の変化に伴ってその対象領域が拡大し、次第に交錯するようになっていった。しかし市場が急拡大するという大前提の下での交錯領域の拡大は、単純に競争を誘発することはなかった。小零細経営や中小経営はいくらでも隙間を見つけることが容易だったからである。一方で機械制大工業の側でも、拡大する市場に即座に生産を追いつかせることは困難であった。そのために、下請けとして小零細経営や中小経営を組み込むことによって、生産量を増加させようとした。こうして、機械制大工業の拡大成長と、小零細経営・中小経営の経営戸数の増加が、同時並行的に生じていたのである。

審査要旨 要旨を表示する

I

 本論文は、明治期から第一次大戦期までの日本陶磁器業の発展過程を、直輸出商社の活動状況、および特徴ある4つの生産地―京都、東濃、瀬戸および名古屋―の発展構造の分析を軸に考察したものである。論文の構成は以下の通りである。

序章

第1章 日本陶磁器業概観

第2章 起立工商会社と政府融資

第3章 明治前半における森村組の活躍

第4章 先駆的な機械制大工業の失敗

第5章 近代日本陶磁器業と小零細経営

第6章 近代日本陶磁器業と中小経営

第7章 近代日本陶磁器業における技術導入―石炭窯について

第8章 近代日本陶磁器業における機械制大工業の成立

終章

 序章では、近代日本における産業発展の特質を分析する上で、陶磁器業を素材とすることの意義が述べられている。長い伝統を誇る陶磁器業は、いわゆる「在来産業」の性格を備えている産業であるが、著者は、中村隆英の提唱以来活発化した、「在来産業」研究のサーベイを踏まえつつ、解明すべき問題は、「近代」「移植」との対比における「在来」性ではなく、経営規模を異にする多様な経営形態が、近代日本の産業発展の中で並存していた事実にあるとする。近代日本の陶磁器業は、〈小(家内工業)〉・〈中(中小工場ないしはマニュファクチュア)〉・〈大(機械制大工業)〉の3種に分類される経営形態が同一産業に内包されており、上記の問題解明の分析対象としては、好都合の産業であったとされる。

 第1章は、前半部分が、陶磁器産業に関する基本的な知識―製造技術、分業構造等―の確認に充てられ、後半部分で、生産・輸出のデータが整理されている。ジャポニズム・ブームに乗った欧州への輸出の伸張と停滞、アメリカ市場への欧州製品代用品としての進出、国内市場の重要性など、以下の各章での議論の前提となる事実が示されるとともに、本論文が分析対象として取り上げる産地―京都、東濃、瀬戸、名古屋―の特徴が明らかにされている。

 第2、3章では、陶磁器業の輸出産業としての特徴を踏まえ、外商に対抗しつつ輸出を担った日本人直輸出商社の活動が扱われている。第2章で取り上げた起立工商会社は、佐賀藩人脈によって明治政府の融資を取り付け、欧米市場へと進出するが、経営能力に欠けていたために、ジャポニズム・ブームの終焉とともに、企業経営としては頓挫した。これに対して、第3章の森村組は、経営の核となる人材をニューヨークと日本の双方に貼り付け、アメリカ市場の要求に日本側が最大限応える体制を整備することで、ブーム終焉後も対米輸出を伸ばしたとされる。森村組はさらに、製造過程の垂直統合へも乗り出していくが、それが第8章で論ずる、日本陶器設立の前史となった。

 第4章は、明治前期の機械制大工業化の失敗を、先駆的な取り組みを行った2つの企業―精磁会社(有田)と京都陶器会社―を事例に論じている。両社はフランス製磁器製造機械一式を導入し、本格的な機械制生産に着手しながら、いずれも会社解散の憂き目にあっている。その要因として著者は、技術者の死去(精磁会社)や株主の高配当要求(京都陶器会社)などの困難とともに、両社ともに石炭窯導入を試みなかった点を指摘している。

 以下の第5〜8章は、個々の生産地に即して陶磁器業の発展構造が分析され、本論文の中核部分となっている。第5章は、〈小〉の経営形態を特徴とする生産地である、京都および岐阜県東濃地域が扱われる。京都では明治中期以降、職人的な技術をベースに、積極的な高付加価値戦略を展開した清水焼の路線が、中心を占めるようになった。高品質品の製造には、試験場・同業組合・学校・共進会などの役割も重要であったとされる。一方東濃地域では一貫して、国内市場向けを中心とした低価格品が造られていた。多数の零細な専業(半農半工ではない)窯屋が生産の担い手であったが、著者は組合史料によって、これらの窯屋には、同一ないし近隣町村出身者が、徒弟として入職していたこと、彼らが熟練職工を経て、相続または独立開業することで窯屋の再生産がなされていたことを明らかにしている。また、問屋金融、工程分業と下請け、娘婿への相続慣習などが、再生産を支える機能を果たしていたことも指摘されている。

 これに対して第6章で扱われる愛知県瀬戸地域の特徴は、マニュファクチュア経営(本論文でいうところの中規模経営)を行う窯屋が輩出したことであった。著者は、その要因として石膏型の導入に着目している。石膏型は、中・下級のアメリカ市場が要求する、製品の均一性の確保に適合的であり、また、手轆轤に比べて要求される労働者の熟練度が低いため、賃金コストの節約が可能となった。このアメリカ向け輸出に傾斜する窯屋の中から、多くの石膏型を使用するマニュファクチュア経営が成長し、「大量生産」が行われたことが論じられている。

 第7章は、視点を変えて、生産過程の変革として重要な意味を持つ石炭窯の普及が論じられている。石炭窯の導入については、これまで名古屋の大経営の事例が注目されてきたが、瀬戸、東濃双方においても、明治末〜大正初期にかけて、石炭窯の顕著な普及が見られた。著者はそこで普及した石炭窯が、欧州からの直輸入型ではなく、欧州の技術と日本の築窯技術の折衷によって作り出された廉価品であったこと、導入の狙いも、これまで強調されてきた製品の品質問題ではなく、もっぱら燃料コストの節約にあったことを明らかにしている。

 第8章では、名古屋陶磁器業における機械制大工業の成立が、森村組の設立した日本陶器に即して検証されている。背景となったのは、名古屋問屋の垂直統合の試みであり、日本陶器設立の動因も、上級のアメリカ市場で欧州製品に対抗できる純白磁器を、製土・本焼工程の機械化によって自社製造することであった。技術的困難の克服には時間を要したが、大倉孫兵衛・和親父子のリスク負担と碍子生産の収益によって支えられ、日本陶器は大正初年にアメリカ向けディナーセット生産に成功した。それ以後、陶磁器業における機械制大工場設立の機運は高まっていくが、著者はその目的が、あくまで純白磁器の製造であったことを強調している。

 終章では、第一次大戦後の変化が概観された後、以上の検討結果が、製品の品質(高級―低級、均質―多様)と経営形態(〈小〉・〈中〉・〈大〉)の対応関係として整理され、さらに時期的変化としてまとめ直されている。近代日本の陶磁器業は、〈中小〉の混在から出発し、輸出市場に対応する形で〈中〉が分離し、さらに〈大〉が成立してくる。〈大〉の成長性は高かったが、国内外の市場の成長の中で、〈小〉・〈中〉も、活躍の場を持ち続けた。第一次大戦後についても、〈小〉・〈中〉は〈大〉の生産体制の一部に組み込まれるか、あるいは〈大〉の相手にしない市場を対象として存続することが展望されている。

II

 このような内容をもつ本論文については、以下の特徴を指摘できる。本論文が、複数の有力産地を取り上げ、それぞれの特徴を、製品市場・経営形態に即して明示したことは、陶磁器産業史の全体像の提示に繋がる成果として評価に値する。個別産地の研究に傾斜したこれまでの陶磁器業の研究史では、このような作業は行われてこなかった。その意味で本論文は、経済史の視角からみた、包括的な近代日本陶磁器業史への、一つの道標といいうるものである。

 同時に本論文が、〈小〉・〈中〉・〈大〉の、経営規模の異なる三種の製造業者それぞれの発展構造を明らかにしたことは、個別産業史に留まらない意義を有している。本論文が具体的な分析の中から明示した経営形態の多様性と、その存立の根拠をめぐる議論は、近代日本の産業発展の特質に迫るものであり、その成果は、「産業革命」や「在来産業」をめぐる議論、あるいは生産形態選択論の分野に、一石を投じるものといえよう。また、直輸出商社と政府との関係、零細経営の内実、石膏型の利用や折衷型石炭窯導入の意義といった各論も、的確な視点と各種資料の渉猟に裏打ちされたものであり、高く評価すべき成果である。

 もっとも、本論文にはいくつかの問題点が残されている。直輸出商社の輸出貿易全体での位置が不明確なため、2,3章と、4章以下の生産地の分析とが、有機的に連関しているとは言い難い。貿易と生産地の関係を論ずるのであれば、直輸出商社だけではなく、外商にも触れる必要があるし、東濃地域の事例を念頭に置くならば、国内流通の過程も論じられるべきであった。

 多様な経営形態の並存の根拠が、製品市場での棲み分けに置かれているのも、物足りない点である。事実上、製品の相違によって〈小〉・〈中〉・〈大〉が区分されてしまうため、棲み分けの結果のみが静態的に示されことになり、三者の動態的な関係を論ずる糸口が失われている。そのため、成長性の高いとされる〈大〉が、第一次大戦以降、他の市場を席捲しない理由も、必ずしも説得的に示されていない。〈小〉・〈中〉・〈大〉の競争力の源泉を明確にし、その相互比較の中から、市場の棲み分けに帰結する論理を導き出すことが、課題として残されている。また、実証的根拠の提示や因果関係の説明に関して、説得力を欠く叙述もいくつか散見された。

 しかしこのような問題点をもつとはいえ、本論文に示された研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を備えていることを示している。したがって審査委員会は、全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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