学位論文要旨



No 122001
著者(漢字) 森本,元太郎
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,ゲンタロウ
標題(和) 能動的知覚の力学系モデルにみる探索とカテゴリー化
標題(洋) Exploration and Categorization in Dynamical Systems Models of Active Perception
報告番号 122001
報告番号 甲22001
学位授与日 2007.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第706号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 助教授 開,一夫
 東京大学 教授 金子,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

 知覚とは,外界から与えられた刺激を計算処理によって内的表象にマップすることではない.知覚主体が能動的な環境との関わりかた,センサーモーターカップリングを獲得することが本質である.知覚の対象は環境にあらかじめ準備されている普遍的性質でも,主体の脳内で恣意的にコード化されているものでもない.身体性認知科学の視点から,身体ダイナミクスを基盤とした,能動的な行為としての知覚の性質が明らかになってくる.

 本研究の目的は,そのようなセンサーモーターカップリングとしての知覚の獲得の新たなモデルの構成を通して,知覚プロセスの理解に迫ることにある.不規則な探索運動から生じる知覚の持つ安定性や,知覚対象の離散的なカテゴリー化,および,内的表象の実際のセンサーモーターフローからの分離によるシンボル化と他者との共有が,いかにして可能になるかといったことを問題としている.

 第二章では,6つの同一の要素が非線型バネでつながれた対称的な身体をもつエージェントを,ポテンシャルのある環境中で運動させるという計算機シミュレーションの結果を報告する(図1).自然な傾向に反してより高い場所へと運動するエージェントを選択し,その過程でセンサーモーターカップリングとしての環境中の丘と窪みに対する能動的知覚を獲得させることができた.この知覚には以下のような運動の性質が必要とされる.

・要素の状態を内的に分化させることによる自発的な運動

・要素間の外力の差として与えられる,環境のポテンシャルの凹凸への応答としての運動方向の転換

・身体運動ダイナミクスを利用したポテンシャルの勾配の検出

 このエージェントの,様々な大きさと高さの丘に対するふるまいを調べると,そのふるまいの変化は連続的ではなく,いくつかのパターンのまとまりからなっていることが分かった.このことは丘のサイズに対するおおまかなカテゴリーを構成していると解釈できる.さらに,その内部のダイナミクスの変数には,環境から直接には与えられない情報である,ポテンシャルの高さと相関する成分があることが示された.さらに,このようなエージェントが出現する過程では2種類の運動パターンが拮抗しながら,最終的に統合されることが示され,カテゴリーはこの統合によって現われたものであることがわかった.

 このモデルの結果で重要なのは以下の2点である.

・環境と,エージェントの内部ダイナミクスの間での情報のやりとりは,身体のダイナミクスを介してのみなされており,明示的なセンサーとモーターの機能は与えていないにも関らず,ポテンシャル勾配の検知と向きの転換という,より抽象化されたレベルの知覚-行動スキーマが出現した.

・エージェントが獲得した丘に対するダイナミックなカテゴリーは,それ自体を目的として強化されたのではなく,与えられた複雑な環境下での適応的行動の副作用として獲得された.

 第三章では,より長い時間尺度の感覚運動統合を必要とする知覚のモデルとして形の識別のモデルを導入し,その行動パターンを解析した結果を報告する(図2).環境は2次元格子世界で,それぞれのマス目は物体に占められているか空かの2状態を持つ.エージェントは2次元格子上に置かれており,置かれたマス目と隣接するマス目の状態を感覚入力として受け取る.過去の入力から次の運動を決定して,その結果また新たな感覚入力を得ることができる.運動の決定には内部ダイナミクスとしてリカレントニューラルネットワークを用いており,短期間の記憶を状態空間に保持して運動を決定することができる.さらに,運動途中に次の時点での感覚入力を予測するようにニューラルネットワークのウェイトを変化させる.その結果,環境との相互作用によって与えられる外部ダイナミクスに,エージェントの内部ダイナミクスを近付けようとする学習が行われ,学習効果が間接的に将来の運動決定に影響を及ぼすようなモデルとなっている.エージェントを大小さまざまな四角形と三角形が混在する環境中で運動させ,なるべく四角形の上を多く移動し,三角形の上は移動しないほうが適応度が高くなるという課題のもとで進化させた.物体の形状は一時点での感覚入力からは判定できないので,課題の遂行には適切な感覚運動結合を獲得し,みつけた物体を識別することが必要である.

 進化の結果,三角形をみつけた場合にはその物体を離れ,四角形をみつけた場合にはその内部に留まる運動をするエージェントが生まれた.適応度を上げる典型的な軌道は,いくつかの運動パターンを切り替えることで実現される.物体をみつけると,それが四角形であるかどうかを,物体の境界を志向する運動によって判定して,別の物体に向かったり,途中から四角形の内部を不規則に動きはじめる.不規則に動くことで物体の多くの領域を移動できる.運動の切り替えが起こるのは,エージェントの内部ダイナミクスが,実際に与えられた刺激に応じて変化するという可塑性を持つことによっている.可塑性を持たせずに進化させた場合のエージェントの運動は単調で,適応度も低かった.学習過程は適応度に直接影響しないが,学習のダイナミクスを持つことは間接的に適応度を上げることが示された.

 エージェントの動的なカテゴリー化は進化の過程に依存し,課題として与えた三角形と四角形の区別を二値的に完全に獲得したものではなくプロトタイプ的となることが示された.このことは汎化の失敗と捉えるのではなく,身体運動を通して得られるカテゴリーが自然にプロトタイプ的になるという一例として捉えられる.

 実現した軌道の途中のいくつかの局面で,運動の切り替えの起こる前後や,内部ダイナミクスが不安定化した状態では実際に選択された運動と紙一重で選択されなかった運動が背後に隠れている.シミュレーションにおいて,別の運動を選択した場合の軌道を並行して追っていくことで,可能だった行為の束全体の構造と実現した選択を可視化することが可能である.一例として,探索フェーズにおいては物体の縁から出る方向に,埋めつくしフェーズにおいては物体の内部に向けてランダムに,可能な行為が拡がっている様子が示された.運動の切り替えはあらかじめデザインされたものではなく,背後に隠された運動プランの一つが,与えられた環境との組み合わせによって表面化してくる過程とみることができる.

 ある環境に置かれた感覚運動結合系が,結果として環境の何らかの情報を知覚しているように動けるようにデザインされている,というレベルと,知覚のために自律的に運動を選択している,というレベルの違いを力学系モデルの中だけで表現することは不可能である.内部ダイナミクスの生み出す,可能な行為の束と選択という視点に立つことで,これらを議論することが可能になるのではないかと考えている.

 こうしたエージェントは形に関するシンボリックな表象を持たないが,運動によって物体と相互作用することで形状に関する情報をとりいれ,物体を相互作用のありかたを通して離散的にカテゴリー化する能力を身につけたと考えることができる.身体性から出発し,知覚のダイナミクスを経由して認知システムを立ち上げるための第一歩は,生のセンサーモーターカップリングとしての知覚から,内的なループとして保持される表象を切り離して操作可能にすることにあると考えられる.そして,それをより長いタイムスケールのダイナミクスの中で記憶しon-goingでない状況でも利用することが可能となっていく.reactiveなシステムとcognitiveなシステムの連続性と差異を明らかにしていくことが,今後の研究の課題である.

Figure1: 凹凸の識別のシミュレーションの例:(a)2次元トーラス空間上にさまざまなサイズの丘と窪みが2つずつランダムに配置されている環境中を運動する,六角形のエージェント.各要素は内部変数を1つ持ち,それによって中心からの方向に力を出す.各要素は隣接する要素と接続されたバネからシグナルを受けとって状態を変える.矢印はそれぞれの要素が出している力で,これらの力のバランスによって2時の方向に運動することができる.(b)エージェントの身体の中心の軌道.環境の明るさはポテンシャルの高さを表す.勾配に対抗して高い位置に留まる能力を獲得したエージェントは,環境中を探索し,窪みを避け,丘には登ろうとする.

Figure2: 形の識別のシミュレーションの例:(a)エージェントへの入出力とリカレントニューラルネットワーク(b)進化したエージェントの軌道.環境中を自発的に探索し,触れた物体が三角形か四角形かを識別するべく動いているかのようなふるまいをみせる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文はActive perception(能動的な知覚)を理論的に考えるための数理モデルシステムを提案し、その進化アルゴリズム的なシミュレーションおよび理論的解析を行なったものである。

本論文は4章からり、その中で2つの相異なる数理モデルを提案・解析している。第1章では、能動的知覚を説明し、自律的な運動によって知覚が生まれる動的カテゴリーの概念を説明する。動的カテゴリーは、自発運動によって生成される環境の差異化のことである。

第2章では、6つの対称なアクティブな素子を非線形なバネでつないだエージェントを用いた、明示的なセンサーを持たないエージェントの探索行為をシミュレートした。センサーを持たなくても、内的なポテンシャルの均衡の破れを用いて環境の凹凸を判断し、より凸な部分を探し出してそこに留まるような行為を進化させることに成功している。このモデルを詳細に調べることで、素子の自発的な対称性の破れを用いた運動モードの生成や切り替えなどを論じている。センサーを使わずに自分の能動的な運動を用いて、環境の情報が獲得できる簡単な力学系モデルとして評価できる。第3章ではミニマルな神経回路を搭載したエージェントによる、運動と触知覚による形の区別をシミュレートする。平面上にさまざまな大きさ形態の三角形と四角形を部分的に触っていくことで区別する、というエージェントの内部機構を遺伝的アルゴリズムで進化させた。特にゆっくりとネットワークの結合の強さが変化するヘッブ学習を取り入れることで、そのカテゴリーが促進することが示された。与えられたオブジェクトに対してエージェントは、運動のモードを3種類くらいに切り替えて使っていることも示されている。このモデルも小さなサイズの神経回路網で作られた、高度な能動的知覚の例として高く評価できる。第4章は、全体のまとめで知覚におけるアフォーダンスの機能、自発運動と知覚との関係を論じている。また2章のモデルに関する安定性の予備実験を行ない、センサーのない知覚の安定性などに関する議論を行なっている。

このように、論文提出者は本論文において、自発的な運動ということから環境の動的な知覚、カテゴリー化という問題を考察した。こうした考察はGibson流の心理学の流れに、具体的な理論的モデルからの考察を与えたという点で高く評価できる。知覚という複雑な生命現象を理解するため、新しいモデル研究の方向を拓くものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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