学位論文要旨



No 122003
著者(漢字) 河野,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,トシヤ
標題(和) プリーストリの化学と18世紀のイギリス社会
標題(洋)
報告番号 122003
報告番号 甲22003
学位授与日 2007.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第708号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 助教授 岡本,拓司
 東京大学 助教授 廣野,喜幸
 東京大学 教授 下井,守
 東京外国語大学 教授 吉本,秀之
内容要旨 要旨を表示する

 ジョーゼフ・プリーストリ(Joseph Priestley,1733-1804)は、通常科学史において「酸素の発見者」として知られる18世紀英国で活躍した人物である。本論文においては、彼の自然研究を中心に考察していくことにするが、その考察範囲は、電気、光、熱、空気化学、そして光合成といったように非常に広範囲にわたっている。現在の学問分類に従うならば、物理学、化学はもちろんのこと、生物学にまで及んでいる。にもかかわらず、従来のプリーストリ研究と言えば、古くは「酸素の発見」を中心に据えてそこに至る過程を跡付けたり、ラヴワジエを化学革命の遂行者とした上で、プリーストリをフロギストン説に固執する「化学者」として位置付けたりするものが主流であった。時代が進むにつれて「ニュートン主義物質理論」といった理論の変遷の中で捉え、その結果プリーストリを「ニュートン主義者」と位置付けていくような化学思想史的な研究に移行した。また、それまでの研究を批判する形で、プリーストリを「化学者」ではなく、「空気哲学者」として考察していくものも登場した。近年においては、彼の空気化学研究を社会史的に考察する研究が台頭してきた。しかしプリーストリの自然研究が幅広い分野にわたっていたにもかかわらず、従来の研究が「空気化学中心主義」の様相を呈していたことは否めないし、その結果として考察対象となった時期は、空気化学研究の時期がほとんどであった。また、電気、光、熱、化学などの上記研究分野が未分化で渾然一体となっていた時代にもかかわらず、個別分野ごとの視点から考察されることが常であった。そして、その際当時のコンテクストや社会的背景などはあまり考慮されてこなかった。例えば空気化学研究以前に行なわれた電気研究を考察した論文は数えるほどしかないし、ましてやプリーストリの電気、光、熱などの研究と彼の化学とが当時のコンテクストにおいて、いかなる関係を持っていたのかといったことに焦点を当てて考察した論文はほとんどないと言ってよい。本論文は、そのような従来のプリーストリ研究に関するヒストリオグラフフィーを見直す試みである。

 本論文の第I部、第II部では、幅広い分野にまたがるプリーストリの自然研究を、18世紀当時のコンテクストに則して再構成し、その内実を明らかにすることを目的とした。とりわけ第II部においては、プリーストリの「電気」、「空気化学」、「熱」、「光」、「呼吸」などの諸研究をいわゆる内在的な視点からアプローチしたが、その際、それら諸分野の関連性に配慮しながら考察した。そのような考察をする際に鍵となるのが、「実験哲学」という視点であった。このような視点でプリーストリの営為を眺めてみることにより、ある一定の見通しを得ることができる。なぜならプリーストリの著作を時系列的に読んでいった時に、自然研究を始めてからおおよそ30年という時間経過の中で「実験哲学」に対する大きな野望、そしてその中でも中心的な役割を果たす「化学」という学問の姿が浮かび上がってくるからである。

 プリーストリの電気研究は、実験哲学に属するものであり、また実験哲学に不可欠な起電機などの電気器具を使用することにより、自然の中に神の御業や自然の法則を読み取ろうとする自然神学と密接な関係を有したものであった。しかし、このような実験哲学の営為は、まさに神業とも言える操作を人間がしてしまうことから、人間が自然を上回る力を持つようになったと過信させてしまうものでもあった。その結果、電気実験は、当時のコンテクストにおいては、現代の我々の想像を遥かに越えた衝撃を社会に与えていたと考えられる。そしてだからこそプリーストリは、社会に対して影響力を持ち、それ自体にも危険性をはらんでいる実験哲学を営む者に対して、高度の倫理観を求めたのである。

 また、古典的な研究によれば、「新気体の発見」とされるプリーストリの営為も、当時のコンテクストからすれば、燃焼や呼吸によって「汚れた空気」を、燃焼や呼吸可能な「良い空気」に戻そうとするプリーストリの関心から導かれたものであることが理解された。そして、このような関心の背後には自然が、慈悲深い造物主によって、生命を維持する為に創造された調和のあるシステムであることを前提としていることも確認された。こうして「空気の良好度」という現在の我々から見れば、空気の化学的性質を示す一指標としか考えられないような性質が、道徳的な性質の中の一指標と結びついていったのであった。すなわち、プリーストリの空気化学は、単なる化学的性質の体系ではなく、道徳的な性質の体系でもあったのである。また、一方このようなプリーストリの研究は、当時の荒廃した衛生状況を改善する手段や病気の治療法として社会から関心を持たれていたことも確認された。

 また以上の考察より、それまでの自然哲学者達が、自然の探求を神の計画の理解を目的として行っていたのに対し、プリーストリが、神の計画の理解に加えて、自然探求の営為に人類の福祉や産業への応用という実利主義的要素をも加味したことが明らかとなった。すなわち、それまで自然哲学と呼ばれていた営為が、自然の法則性に神の計画の理解を見出だすような営為から、技術や産業と結びつき社会に奉仕するような営為へと転換し始めたのである。

 さらに、プリーストリの研究していた光、熱、呼吸研究についての知見を元にして、彼にとって、電気、光、熱、化学などの実験的諸分野は、「実験哲学」という枠組みで、ある種一つのまとまりを持ってとらえられていたこと、およびこれらの実験的諸分野が、「化学」を介して互いに密接な関係を有していると共に、その諸研究が、自然現象や生命現象に神の摂理を見出だすような自然探求であったことを明らかにしてきた。その結果、この時期に「化学」が、自然現象や生命現象を解明する際の基礎学問として機能し始めており、そのことを実感したプリーストリが、「実験哲学」の中でも、とりわけ「化学」を重要視していくようになっていったことを明らかにした。加えてフロギストン説が、ラヴワジエの燃焼理論が登場してくるまでに支配的であった一燃焼理論という位置づけを越えて、「実験哲学」の諸分野を結びつける理論だったこと、さらにはプリーストリにおいてこの理論は、現在言うところの科学体系の一理論というだけではなく、自然が慈悲深い造物主によって生命を維持する為に創造された調和あるシステムであることを前提として、その中に神の叡智を読み取るような道徳的体系をも維持する理論であった事が明らかになったのである。

 第III部、第IV部においては、以上のような考察結果をもとに得られたプリーストリの「実験哲学」を、いわゆる外在的な視点からアプローチすることにした。第III部では、プリーストリの「実験哲学」に対するアプローチの変化およびその歴史的意味合いについて考察した。

 プリーストリが当初構想していたのは「全実験哲学の歴史」の執筆であった。しかし、ある時期から、「実験」と「観察」を主体とした研究スタイルへと移行した。すなわち当初描いていた「全実験哲学の歴史」執筆の野望は、大きな転換点を迎えたことになる。プリーストリ自身に関して言えば、「歴史家」から「実験家」への転向とも言うべき大事な局面を迎えたのである。そこで、まず彼にとっての「歴史」とは何かを明らかにした上で、「研究スタイル転換」の意味を考察し、最終的には、その「転換」理由に対してもより整合性のある説明を加えていくことにした。そのような考察をする際に手がかりとなるのが、『電気の歴史と現状』の序文に登場する「市民史」、「自然史」、「哲学史」という概念であり、これらの概念を手がかりに、プリーストリにとっての「歴史」とは何かを考察した。その結果、彼が目指すのは「哲学史」であり、その中でも「実験哲学史」であることが明らかになるが、これは人間の「完成可能性」に基づき、人類の進歩を確認するものであり、基本的には先人の業績を確認する文献学的なものであった。ところが未開拓領域である「空気」を研究対象に選んだ時、「空気に関する歴史」は「短い先行研究の検討」に、「空気に関する自然誌」は「実験」と「観察」を主体とする彼独自の実践的な研究に転換したことが理解される。

 一方、第III部第8章では、18世紀に刊行された代表的な百科事典を俎上に載せ、18世紀を通じた学問分類の変遷における「化学」の位置づけ、およびそれとプリーストリとの関わりを考察したが、その作業は、第III部第7章において援用した「市民史」、「自然史」といった概念の歴史的意味合いを確認する作業でもあった。

 その結果、「実験哲学」の諸分野の中でも「化学」が、18世紀を通じて社会から多くの関心を向けられる一つの学問分野として台頭してきたことが明らかになった。そして、このことは彼が「実験哲学」の中でも特に「化学」を重視するようになっていくことと無関係ではないが、その内実の詳細な検討は「非国教徒アカデミーにおける化学教育」の考察に委ねられることになる。

 そこで第IV部においては、プリーストリの化学と当時のイギリス社会との関わりとを考察することにした。その際、まず「公共圏」という鍵概念に影響されて登場してきた一般歴史および科学史における先行研究を概観した結果、プリーストリ研究への適用の意義が大きいことが確認された。それを受けて、次に具体的な「公共圏」の事例として「非国教徒アカデミーにおける化学教育」を考察したが、その際近年再考が進む「ケンブリッジの化学教育に関する研究」を援用し比較考察した。以上のような考察から、ケンブリッジの化学が、従来言われていたような単なる低迷期ではなかったことは確認されるものの、組織的に行われていたわけでもなく、きわめて担当教授個人への依存度が高いものであり、またその一方で、情報交換の閉鎖性が「新理論への時代遅れの状況」を生み出していたことが明らかになった。それに対して非国教徒アカデミーが、ケンブリッジと大きく異なるのは、緊密な非国教徒のネットワークの存在とそれに連動する批判検討する場としての「公共圏」の存在であった。また、プリーストリにおいては、ウォリントン・アカデミーで「化学」を重視する教養教育論を提唱し、ハックニー・カレッジにおいては、自らそれを実践し、その後マンチェスター・アカデミーがその思想を受け継ぎ、実現していったことが明らかとなった。さらに、プリーストリがハックニー・カレッジで行なった講義に関する考察より、18世紀末において、「化学」が錬金術の長い伝統やパラケルスス、ブールハーヴェなどにおけるような医学の補助手段としての役割とは別に、産業との関わりという新局面を迎えたことも確認した。

 そこで最終章においては、プリーストリが『電気の歴史と現状』を執筆する際に重要な役回りを果たす「クラブ・オブ・オネスト・ウィッグス」と、プリーストリも名誉会員として在籍し、近年その議事録が公開された「コーヒーハウス哲学協会」とを事例研究として考察した。

 その結果「クラブ・オブ・オネスト・ウィッグス」が、従来強調される電気家達に関する「公共圏」としてだけでなく、「空気化学」によって人類の福祉を増進しようとする人々の「公共圏」としても機能しており、「クラブ・オブ・オネスト・ウィッグス」は、このような両者の思想が、融合し、醸成される「場」であり、そのような「場」の重要性も改めて確認された。

 さらに、「コーヒーハウス哲学協会」は、国際的なネットワークを持つと共に、化学者、自然哲学者、医者、産業家、そして器具製造業者が集い、「化学」を主要議題として議論していたことが確認された。すなわち、18世紀末イギリスに「化学」に関する「公共圏」が誕生したことになる。そして、この「公共圏」の存在こそが、「ケンブリッジの化学」との決定的な相違であり、きわめて実践的な営為である「化学」が、近代的な学問分野として成立するにあたり重要な役回りを果たしていたことが明らかとなった。そして、そのようないくつもの「公共圏」の交錯地点で社会から注目を集め、自らの教養教育論と実践で「化学」を一つの学問分野として仕立て上げようとしていたのがジョーゼフ・プリーストリその人だったのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、4部11章からなり、第1章は先行研究のサーベイと問題設定、第2章はプリーストリの伝記の概略、第3章はプリーストリの実験研究における化学の位置づけが論じられる(以上第1部)。第4章はプリーストリの電気研究、第5章は彼の空気化学研究、第6章は彼の光・熱・呼吸の研究が論じられる(以上第2部)。第7章はプリーストリのさまざまな著述活動における歴史と実験哲学との意味合いについて、第8章は当時の辞書や百科事典における化学の意味合いについて論じられる(以上第3部)。第9章はハーバーマスの市民的公共圏の概念とプリーストリ研究との関係、第10章は非国教徒アカデミーにおける化学教育のあり方、そして第11章ではコーヒー・ハウスと呼ばれる準公的な研究会とプリーストリとの関わりが論じられる(以上第4部)。

 河野俊哉氏の論文「プリーストリの化学と18世紀のイギリス社会」は、18世紀のイギリスにおいて気体化学の研究を行ったことで知られるジョセフ・プリーストリの科学的業績ならびにその社会的背景を論じたものである。プリーストリは、ラヴォワジェが作り出した酸素の概念に基づく新しい化学理論の形成にあたって酸素と等価な気体、いわゆる「脱フロギストン空気」を発見した人物の1人として知られる。すなわち、ラヴォワジェ以前にあって、フロギストン概念に固執した人物としてしばしば化学史の記述では紹介される。しかし、河野氏はプリーストリをラヴォワジェ理論の先駆者として捉えるのではなく、プリーストリ自身の研究プロセスをたどりながら、当時における彼固有の問題意識や研究の展望などを探ろうとしたものである。そのような論文の所期の目的は、達成されていると判断される。

 論文は、4部構成になっており、第1部では先行研究のサーベイをした上で、プリーストリの経歴と業績が簡単にまとめられ紹介される。第2部では、プリーストリの自然研究をさらに詳細に検討し、有名な気体の研究以前になされた電気の研究において、木炭の電気伝導性を検討することで、電気とフロギストンの関係性についてプリーストリが考えをふくらませていたことを論じている。また空気化学の研究の章では、脱フロギストン空気の発見のきっかけになった硝空気テスト(ユージオメーター)と炭酸水の発明に関して、その実利性とともにそのような研究を進めることの倫理性についての彼の考えについて論じる。また短い章ではあるが、熱・光・呼吸を扱う章においては、これらの物理現象や生理現象にもフロギストンが関連していることが論じられている。以上の議論から、フロギストンの中軸にすえたプリーストリの自然観は、フロギストンの吸収と排出をめぐり、単に燃焼や呼吸という化学生理現象にとどまらず、フロギストンの自然内の大きな循環を見すえ、新奇な電気現象にも及んでいたことが明らかにされる。この自然を循環するエージェントとしてのフロギストンという論点は、必ずしも河野氏のオリジナルなものではないが、河野氏の研究はその観点を肉付けするような形で、電気・光・熱などに関するプリーストリの実験研究を分析し、そのようなフロギストンに基づく自然観をよく浮かび上がらせたことが評価される。特にフロギストンと電気との関係については一次史料に詳細にあたっており、その内容は査読付き論文として公刊され、学界内でも評価されている。

 一方、論文の第3部以降では、プリーストリの執筆活動と実験活動の関係、当時の百科事典における「化学」という用語の意味、そしてプリーストリが教師として活躍した非国教徒アカデミーや、科学者や産業家が集まって議論をする場となったコーヒー・ハウスについて論じられる。このコーヒー・ハウスは、単なる喫茶店としてだけでなく、同好の士が集まるクラブ、あるいは先駆的な学会としての機能した存在であったことが知られている。そのようなコーヒー・ハウスでの会議の議事録が近年発見され、科学史家の間でも注目されているところである。これらの最近の研究に依拠しつつ、その会合で化学が議論の話題として重要視されていたことを指摘する。また非国教徒アカデミーについては、プリーストリが関わったとされる各アカデミーを詳しく分析し、そこでも化学が重視されていたことを論じている。

 本論文の前半をなす第1、第2部が科学の内容や自然観といった科学内在的内容をもつのに対して、後半をなす第3、第4部は教育や研究組織などを扱い科学外在的内容をもっている。特に、論文前半についてはオリジナリティとともに論文としてのまとまりと統一性をもっている。一方、後半は前半としてやや統一感に欠けるものの、オリジナルな論点も多く含まれている。全体として、本論文はプリーストリに関するこれまでの研究をよく消化し、プリーストリ自身による研究論文を十分に読みこなすことによって、彼の研究と研究上の問題意識やフロギストンを鍵概念とする自然に対する考えを的確にかつ明快に描き出し、さらに当時のアカデミーのあり方や「化学」という概念がもつ意味についても分析し明らかにした。博士論文として十分な独創性と豊富な内容をもっていると審査委員によって判断された。

結び

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク