学位論文要旨



No 122017
著者(漢字) 野中,綾
著者(英字)
著者(カナ) ノナカ,アヤ
標題(和) タイリングアレイを用いた転写因子複合体β-catenin/TCF4の結合部位の同定
標題(洋)
報告番号 122017
報告番号 甲22017
学位授与日 2007.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6412号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 特任教授 酒井,寿郎
 東京大学 特任助教授 南,敬
内容要旨 要旨を表示する

 生体反応を制御する遺伝子やタンパク質の発現は、時間的および空間的に厳密な制御を受けている。遺伝子の発現の制御は、転写因子や転写制御因子と呼ばれる一連のタンパク質によって行われている。細胞に外来または内因性のシグナルが入ると、それに応答し、転写因子がプロモーターに結合して転写が制御される。

 転写制御の複雑さの一因は、プロモーターに結合する分子の組み合わせのパターンが多数存在することにある。例えば、同じ転写因子でも、複合体を形成する分子によって異なる転写制御能を示す。そのため、転写のメカニズムを理解するには、転写複合体の構成を理解する必要がある。

 複合体を形成し、転写を制御する分子としてβ-cateninとTCF4の転写複合体が知られている。このTCF4とβ-cateninは癌においてシグナルの異常が報告されているWntシグナルの制御因子である。Wntシグナルが活性化されている状況下では、TCF4はβ-cateninと複合体を形成してcyclin D1(CCND1)やc-MYCといった増殖を促す遺伝子群の転写を亢進させる。一方、β-cateninはTCF4を介して間接的にDNAに結合するが、TCF4以外の分子とも複合体を形成し、転写の制御に関わっている。このように、TCF4とβ-cateninは協調的に転写を制御することもあれば、各々が別の分子と複合体を形成し、転写を制御していることもある。

 転写複合体の構成分子を一つ一つ同定するプロテオーム解析が現在進められている。一方で、DNA-転写因子の相互作用解析にはElectrophoretic Mobility Shift Assay(EMSA)法やフットプリンティング法が用いられてきた。しかし、EMSA法は主に合成オリゴヌクレオチドを用いるin vitroでの解析であり、フットプリンティング法ではその煩雑さから網羅的な解析が行えなかった。このため、より生体内で起きている反応に近い状態での、転写制御の網羅的な解析が望まれていた。この点を満たす手法が、in vivoでの転写因子とDNAの相互作用を検出できるクロマチン免疫沈降法と、マイクロアレイ解析を組み合わせたChIP-on-chip法である。

 これまでのChIP-on-chip法では、多くはDNAに直接結合する分子に対して用いられてきたが、転写複合体を構成する分子で、DNAに直接結合しない分子に対してはほとんどなされていない。TCF4などの転写因子を介してDNAと相互作用をするβ-cateninの結合を同定できれば、複雑な転写制御の解明につながると考えられる。そこで本研究では、ChIP-on-chip法によるβ-catenin/TCF4の転写複合体とDNAの相互作用の解析方法を確立し、結合領域を同定することを目的とした。

 β-cateninのChIP解析では、一般的なホルムアルデヒドを用いた架橋では、DNAフラグメントの濃縮は見られなかった。そこで、架橋剤の検討を行いβ-cateninのChIPを行い、フラグメントの濃縮率を求めた。その結果本研究で、架橋剤であるDSPがβ-cateninとTCF4の架橋に適していることを示した。この架橋方法は、ホルムアルデヒドのみや、今回検討に使用した架橋剤と比較し、CCND1やcMYCのプロモーター部位のDNAフラグメントを有意に濃縮されていることを示した。

 さらに裸核を行い核分画を濃縮してから架橋を行うことによって,CCND1、cMYCの領域がよりChIPで濃縮されたことを示した。

 このことより、架橋剤であるDSPを使用し、さらに核分画を濃縮することで、転写複合体であるβ-cateninのChIP解析が効率よく行えることとなった。

 さらに、β-cateninおよびTCF4のChIPで回収されたDNAフラグメントの配列を、ENCODE領域についてゲノムタイリングアレイよって同定した。TCF4のChIP-on-chipで同定された部位には、14箇所中13箇所にTCF4コンセンサス配列が含まれていた。この結果についてχ二乗検定を行うと、p<10-6であった。またβ-cateninのChIP-on-chipでは、TCF4と共通の結合部位では、11箇所すべてにTCF4のコンセンサス配列が存在した。この結果についてχ二乗検定を行うと、p<10-6であった。また、β-catenin単独の結合部位には、TCF4コンセンサス配列が存在しなかった。この結果より、今回のDSPを用いたChIP-on-chip解析を行うことで、β-cateninおよびTCF4の転写複合体の結合部位を網羅的に同定することが可能となった。

 プロモーター領域のβ-cateninのChIP-on-chip解析では、880領域を同定した。この領域の56%にはTCF4のコンセンサス配列が存在した。β-cateninの候補結合領域近傍の遺伝子と、LEF1導入のDLD1の遺伝子発現変化を比較すると、362遺伝子中、123遺伝子で2倍以上の発現増加がみられた。このことより、ChIP-on-chip実験で明らかとなったβ-cateninの結合の一部は、近傍の遺伝子の発現制御に関与している可能性が考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 β-cateninはWntシグナルの亢進により核へ移行し、下流の遺伝子の転写を亢進させる。核内では、DNAと直接結合せず、TCF4などのDNAに直接結合する転写因子と複合体を形成することで転写制御を行う。

 本研究では、クロマチン免疫沈降法(ChIP)とタイリングアレイ解析(chip)を組み合わせたChIP-on-chip法により、β-cateninおよびTCF4の結合領域の同定を試みた。特に、転写複合体を理解するために、DNAに直接結合していないβ-cateninに対してChip-on-chipを行うことで、そのタンパク質複合体が結合するDNA断片の同定を行うことを目的とした。

 β-cateninはWntシグナルなどによって細胞膜より核へ移行し、下流遺伝子の転写を活性化する。本研究では、恒常的にβ-cateninが核に集積している低密度培養の大腸癌細胞株SW480を用いてChIPを行うことにした。

 β-cateninが核に集積している条件で、ホルムアルデヒド架橋によるβ-cateninのChIPを行ったが、効率よくDNAを回収できなかった。この原因はβ-cateninがDNAに直接結合していないためと考え、タンパク質間を架橋する化合物を用いてβ-cateninとDNAに結合する分子を共有結合させ、その複合体でChIPを行うことにした。今回検討した5種類の架橋剤の中ではDSP(Dithiobis[succinimidylpropionate])で架橋した後にホルムアルデヒドで固定する方法が最も効率よく目的のDNA断片を回収させた。また細胞質や細胞膜下にもDNAと相互作用していないβ-cateninが存在することから、全細胞分画を用いてChIPを行うと、DNAと相互作用していないβ-cateninも回収してしまい、ChIP効率の低下につながることが予想された。そこで、核分画試料を用いることで、β-cateninのChIP効率の向上を試みた。その結果、分画後に架橋を行うことにより、分画せずにChIPをおこなった結果と比較してCCND1プロモーター領域が約4倍濃縮された。この結果は細胞内局在の変化がみられる分子に対してChIPを行う際に、よい手法になる可能性がある。

 このChIP試料を用いてChIP-on-chip解析を行った。β-catenin及びTCF4に関して一部のゲノム配列が搭載されたENCODEアレイで結合領域を同定すると、ChIPで回収されたDNA断片の中でENCODEアレイによって決定された配列13箇所のうち、定量的PCRで再現性が確認できたのが10領域(77%)と、高い相関が得られた。同定されたβ-cateninあるいはTCF4の候補DNA結合領域に共通の結合配列を見いだすために、TRANSFAC〓を用いたコンセンサス配列の有無を調べた結果、TCF/LEF1サイトが最も濃縮されており、本手法でのChIP-on-chipの結果が妥当であることを強く支持した。

 また、転写開始点上流7.5kbから下流2.5kbの配列が搭載されたプロモーターアレイを用いた解析では、β-cateninの結合領域として、880領域が同定された。これらの領域は、プロモーターアレイ全般のバックグラウンド22%に対して、56%のTCF/LEF1結合配列の濃縮が見られた。プロモーターアレイで検出された7番染色体に含まれる領域について定量的PCRで濃縮率を求めると、26領域中23領域(88%)で2倍以上の濃縮が認められた。さらに、近傍にβ-cateninの結合領域が存在する遺伝子について、SW480にβ-cateninに対するsiRNAを用いて発現を抑制した際の遺伝子発現解析を行った。その結果、61遺伝子が選び出され、TCF4/LEF1のコンセンサス配列の濃縮率は79%(48/61)であった。β-cateninのChIP-on-chipとsiβ-cateninの発現アレイを比較することによって、すでに知られているβ-cateninの下流遺伝子(MYC、SP5、MSX1)を検出することができ、さらに既報にない遺伝子(TNFRSF19、RASL11B)も検出できた。

 本研究の目的は、クロマチン免疫沈降法とマイクロアレイ解析を組み合わせ、転写複合体であるβ-cateninおよびTCF4が結合するDNA配列を同定することにあった。これまでに、DNAに直接結合しないタンパク質とDNAの相互作用を解析した例は少ない。その原因は一般的なクロマチン免疫沈降で用いられるホルムアルデヒドによる固定では、複合体を形成するタンパク質間の架橋が十分でないことが考えられる。本研究ではDSPによって複合体を形成する2つのタンパク質を架橋した後にクロマチン免疫沈降を行うことで、安定した結果が得られることを明らかにした。本研究が提供した複合体に適したクロマチン免疫沈降の技術は、転写複合体の組み合わせの変化によって複雑になっている転写のメカニズムを明らかにする上で、重要な技術である。

 このように本研究は、転写複合体のChIP手法の確立および、ChIP-on-chipと発現アレイを組み合わせた網羅的な手法によって、β-cateninが直接制御する遺伝子群の候補を明らかにした。

 この内容は1月30日の口頭発表および質疑応答を行い、審査員一同は本研究が博士論文として十分独創的であると判断した。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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