学位論文要旨



No 122018
著者(漢字) 守田,麻由子
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,マユコ
標題(和) リゾホスファチジルコリンに対する血管内皮細胞の新規応答機構
標題(洋)
報告番号 122018
報告番号 甲22018
学位授与日 2007.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6413号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 特任教授 野口,範子
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 特任教授 柴崎,芳一
 東京大学 特任教授 酒井,寿郎
 東京大学 教授 新井,洋由
内容要旨 要旨を表示する

1、LysoPC分子種の違いによるHUVECの細胞応答の比較

 酸化変性した低密度リポタンパク質(Low density Lipoprotein ; LDL)は、動脈硬化症の発症・進展に対して重要な役割を担うとされている。酸化LDL中にリゾホスファチジルコリン(Lysophosphatidylcholine ; LysoPC)は約50%を占めており、酸化LDLの主要脂質構成成分となっている。そのため動脈硬化症に対するLysoPCの働きは重要であると考えられる。LysoPCのシグナル伝達機能として、Mitogen-Activated Protein Kinase (MAPK)のリン酸化、活性酸素種(Reactive Oxygen Species; ROS )の産生、Ca流入などが報告されている。LysoPC分子種によって細胞応答や生体内での反応に違いがある。またLysoPCの受容体としてG-protein coupled receptor 4(GPR4)やPAF受容体が機能していると考えられており、これらを介したシグナル伝達の研究が進められている。GPR4は内皮細胞において強く発現している。GPR4は炎症性ストレスによって発現が増加し、また血管形成に重要な役割を果たしていることが報告されている。本研究では生体内に多く含まれる2種のLysoPC、1-Palmitoyl-sn-glycero-3-phosphocholine(16:0-LysoPC)および1-Stearoyl-sn-glycero-3-phosphocholine(18:0-LysoPC)を用いて、ヒト臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell ; HUVEC)のLysoPC分子種に対する細胞応答の違いを比較することを目的とした。またGPR4に注目しLysoPC分子種による細胞応答の違いに対するGPR4の関与を明らかにすることを目的とした。

 実験にはHUVECを用い、LysoPCは30μMで用いた。マイクロアレイ解析およびReal time-PCR法によってLysoPCに対する遺伝子の発現変動を解析した。MAPKのリン酸化はWestern blotting法を用いて解析した。ROS産生量は化学発光の測定によって行い、細胞内へのCa(2+)流入量の測定は蛍光強度の測定により行った。またRNAiによってHUVECのGPR4をノックダウンし、MAPKのリン酸化、ROS産生、Ca(2+)流入に対するGPR4の関与を解析した。

 マイクロアレイ解析による細胞応答の比較では、LysoPC分子種の違いによる応答の違いはみられず、2つのLysoPCによってほぼ共通の遺伝子の発現が誘導された。HUVECにおいて16:0-LysoPCおよび18:0-LysoPC刺激によりMAPKがリン酸化された。LysoPC分子種の違いによって、リン酸化のピークを迎える時間に違いが見られた。18:0-LysoPCで刺激をした場合、16:0-LysoPCで刺激した場合と比べ、その時間に遅れが生じた。ROS産生とCa(2+)流入では、18:0-LysoPCは16:0-LysoPCに比べて産生開始の時間が遅かった。これよりLysoPCの細胞内への取り込み方に違いがあると考えられた。GPR4をノックダウンしたHUVECでは、LysoPCによるMAPKのリン酸化、活性酸素産生、Ca(2+)流入は抑制されなかった。ノックダウンされずに残ったGPR4によってシグナル伝達が行われている可能性がある。しかしsiRNAによってGPR4は6割〜7割程度ノックダウンされているのに対し、ROSの総産生量やCa(2+)流入量に差がみられなかったことから、これらの細胞応答にGPR4が関与している可能性は低い。以上よりLysoPCによるシグナル伝達には、GPR4を介さない経路が存在することが示唆された。また18:0-LysoPC刺激によって発現の誘導された遺伝子INSIG1、KLF10、PTGER4、FOSL2およびBACH1の発現誘導が抑制された。これよりGPR4を介するシグナル伝達によって制御される遺伝子が存在することが示され、LysoPC分子種による遺伝子発現の違いが示された。

2、LysoPC刺激によるSREBPの活性化

 酸化LDLおよびその構成成分を用いたマイクロアレイ解析の結果より、LysoPCによって特異的に発現が誘導され、酸化LDLおよびオキシステロール類によって発現が抑制される遺伝子群がみつかった。この遺伝子群の特徴としてプロモーター領域にSterol Regulatory Element -Binding Protein(SREBP)が結合するSRE配列を持つこと、コレステロール合成、調節に関わる遺伝子であることが挙げられる。SREBPはコレステロールによって制御される転写因子である。

 これらの遺伝子の発現がLysoPCによって誘導されることからLysoPCがSREBPの活性に影響していると推察される。しかしLysoPCがSREBPに対してどのような機能を持ち、遺伝子の発現制御に関与しているか明らかにされていない。本研究ではLysoPCに対する新たな応答機構としてSREBPに着目し、HUVECのLysoPCに対する新規応答とその機構を明らかにすることを目的とした。

 本実験にはHUVECを用いた。遺伝子の発現解析はマイクロアレイ解析およびReal time-PCR法を用いた。LysoPC刺激後のSREBPの活性化をWestern blotting法を用いて解析し、細胞内および培養上清中のコレステロール含量を放射活性の測定によって定量した。

 コレステロールの合成や調節に関わる遺伝子(LDLR,INSIG1,HMGCR,CYP51A1,SQLE,IDI1,HMGCS1)の発現はLysoPCの刺激後、30分で発現が誘導され、8時間までにピークをむかえた。これよりLysoPCがコレステロールの調整、合成を誘導することが示唆された。これらの遺伝子の発現制御にはSREBPが関わっていることが報告されている。従ってLysoPCによってSREBPが活性化されていることが推察された。またこれらの遺伝子の発現がLysoPCによって誘導されたことから、細胞内のコレステロール含量が減少していること考えられた。次にLysoPC刺激によるSREBPの活性化をWestern blotting法によって解析した。通常SREB2Pは膜上に分子量約120kDaのPrecursor formで存在している。LysoPC刺激によって膜上のPrecursor formのSREBP2は時間経過とともに減少し、核抽出物において分子量約68kDaのMature formのSREBPが増加した。LysoPCの濃度を10μMにしても30μMの場合と同様にSREBP2の核移行が観察された。SREBP2が活性化されたことから細胞内のコレステロール含量が減少していると考えられた。そこでLysoPC刺激後の細胞内および培養上清中のコレステロール含量を測定した。LysoPC刺激後30分で細胞内のコレステロール含量は明らかに減少し、これに伴って培養上清中のコレステロール含量が増加した。LysoPCによって細胞内のコレステロールが引き抜かれ、培養上清に放出されることが示された。SREBP2の活性化およびコレステロールの引き抜きは16:0-LysoPCおよび18:0-LysoPCの2種のLysoPCで確認された。

 本研究ではLysoPC刺激により活性化されることを確認した。そのメカニズムを以下に示した。

 (1)LysoPCによって細胞からコレステロールが放出される。

 (2)コレステロールの減少を感知する。

 (3)SREBPが小胞体からゴルジ体へ移動し、プロテアーゼによる切断を受ける。

 (4)活性化したSREBPが核へ移行する。

 (5)SREBPの制御する遺伝子の発現が誘導される。

 以上よりLysoPCがSREBPの活性を介してコレステロール合成、調整を制御する可能性が示された。マイクロアレイ解析により、18:0-LysoPCも16:0-LysoPCと同様にコレステロールの合成、調製を制御する遺伝子の発現を誘導することが示されている。したがって、LysoPCによるコレステロール合成の制御は、結合する脂肪酸に関わらずLysooPCに共通してみられる働きであると考えられた。さらにSREBPが制御するコレステロール合成に関わる遺伝子の発現が誘導されたことから、新たにコレステロールが合成されることが予測される。LysoPC刺激によって減少した細胞内のコレステロールは、これらの遺伝子の発現誘導により、時間経過とともに合成されることが予想される。LysoPC刺激により活性化されたSREBPによって発現した遺伝子の細胞内でのコレステロール合成への寄与や、LysoPCによって減少する細胞内のコレステロールの回復する機構の解明が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 守田麻由子は「リゾホスファチジルコリンに対する血管内皮細胞の新規応答機構」をテーマとし、リゾホスファチジルコリン(LysoPC)の分子種による細胞の応答性のちがいにも注目して、ヒト血管内皮細胞の新規応答機構の解明を目指して研究をおこなった。

 パルミチン酸が結合した16:0LysoPCとステアリン酸が結合した18:0LysoPCそれぞれの、ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)における、Ca(2+)の細胞内への取り込み、活性酸素の産生、そしてMAP kinase (ERK, JNK, p38)のリン酸化への影響を調べ、いずれのLysoPCも一過性の応答を導くことを明らかにした。守田は詳細なタイムコース検討を行なうことにより、LysoPCの分子種によるちがいとして、16:0LysoPCに比べて18:0LysoPCに対する細胞の応答は時間的に遅く起こることを見出した。

 16:0LysoPCと18:0LysoPCに対するHUVECの遺伝子発現応答について、DNAマイクロアレイを用いて調べ、2種類のLysoPCは上記の細胞応答にみられたと同様に、ほぼ等しくHUVECの遺伝子発現の誘導および抑制を導くことを明らかにした。遺伝子発現の変動もやはり18:0LysoPCによる刺激では遅くおこることも示した。さらに、新たな発見として、当初LysoPCの受容体と報告されていた(後に取り下げられた)GPR4をsiRNAによりノックダウンした場合の、16:0LysoPCと18:0LysoPCによるHUVECの遺伝子発現応答に対する影響をDNAマイクロアレイを用いて調べ、18:0LysoPCによる発現誘導のみ抑制される遺伝子5つをみつけた。この結果ついては、実験を繰り返し、リアルタイムPCR法を用いて、DNAマイクロアレイで得られたデータを慎重に確認した。論文作成期間にメカニズムにまで言及することはできなかったが、守田がここに示した結果は、LysoPCによるHUVECの遺伝子発現に、GPR4が関与する経路が存在すること、同じ遺伝子の発現がGPR4関連経路を介する場合と介さない場合があること、また、16:0LysoPCと18:0LysoPCという化学構造のわずかなちがいによって遺伝子発現に至る経路が異なる場合があること、など新規な知見を提示している。

 博士課程において守田が明らかににしたもうひとつのLysoPCに対する細胞の新規応答機構は、LysoPCによってHUVECのコレステロールが引き抜かれ、培養液中に放出されることにより、コレステロール低下が感知された細胞内で、コレステロール合成や脂質代謝に関する遺伝子を制御している転写因子SREBP-2が活性化し、膜から核へ移行する結果、SREBP-2制御下の一連の遺伝子発現が誘導されることである。この現象は16:0LysoPC、18:0LysoPC共通にみられることを示した。守田は細胞の膜画分と核画分を厳密に分離し、SREBP-2の抗体を用いて、LysoPCによる刺激後経時的にSREBP-2のprecursor formが膜からmature formとして核へ移行することを明確に示した。これまでLysoPCによるSREBP-2活性化についての報告はなく、新規な発見であることに加え、そのメカニズムについても明らかにした功績は大きい。

 以上、守田は本審査において、LysoPCの分子種による細胞の応答の違いについて詳細に検討することにより、時間的なちがいにとどまるもの、質的に異なるものなどを明らかにし、また、分子種共通なLysoPCとしての新規な細胞応答誘導能をそのメカニズムとともに提示することができた。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク