学位論文要旨



No 122025
著者(漢字) 丸山,啓史
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,ケイシ
標題(和) イギリスにおける知的障害者継続教育の成立と展開 : 青年・成人教育のカリキュラム開発を中心に
標題(洋)
報告番号 122025
報告番号 甲22025
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 衞藤,隆
 東京大学 助教授 勝野,正章
内容要旨 要旨を表示する

 障害のある子どもの学校教育保障が進展するなかで、日本でも知的障害のある青年・成人の教育の充実が改めて課題になっている。そのことは、大学公開講座やオープン・カレッジの取り組み、養護学校高等部等に専攻科の設置を進める動きなど、近年の具体的な動向にも表れている。そして、そうした動向からは、従来の「余暇」における社会教育だけでなく、「日中活動」としての学校教育を視野に入れた知的障害者教育の体系の構想が課題になっていることが分かる。また、知的障害者教育をめぐる日本の議論をみると、青年・成人としての性格をふまえた教育の内容・方法の開発や、教育を担うスタッフの力量形成のあり方に関する検討も課題となっているといえる。

 しかし、実態としての知的障害者教育が日本で十分に確立されているとはいえず、そうした課題について日本の実態をもとに研究を進めることには少なくない制約がある。そこで、本論文はイギリスの知的障害者継続教育に注目する。イギリスにおいては、継続教育カレッジにおける知的障害者教育が確立されてきており、カリキュラム開発やスタッフの力量形成に関する議論も蓄積されてきているのである。一方で、イギリスの障害者継続教育に関する研究は、日本の障害児教育研究と成人教育研究の両方において欠落してきた。また、イギリスにおける研究をみても、障害者継続教育の全体的な構造を歴史的展開とともにとらえたものは少ない。

 以上のような問題認識のもと、イギリスの知的障害者継続教育を対象として、本論文は以下の三点を研究課題とした。第一は、政策や制度の変遷、学生の属性・人数や教育形態の推移などをそれらの要因とともに把握し、知的障害者継続教育が形成されてきた過程を明らかにすることである。第二は、青年・成人の教育としての特徴の位置づけに注目しながら、教育の目的・内容・方法がどのように考えられてきたのかを把握し、カリキュラム開発の展開を明らかにすることである。第三は、カレッジのスタッフが置かれてきた状況をふまえたうえで、スタッフの力量形成をめぐる構想と現実を明らかにすることである。これらを課題とする研究を、文献の検討によって行った。

 第I章・第II章・第IV章においては、知的障害者継続教育の成立・拡大・再編の過程を明らかにした。障害のある学校卒業者の教育に社会的関心が向けられる1960年代後半から、障害者継続教育が量的に急速な拡大を始める1970年代後半までの時期を、障害者継続教育の成立期として第I章で扱った。次に、第II章では、ウォーノック報告が出される1978年から、1988年教育改革法や1992年継続・高等教育法による継続教育再編が始まる頃までの、障害者継続教育の拡大期を扱った。そして、継続教育再編が進む近年までの時期について第III章で検討した。

 そのなかで、知的障害者継続教育の拡大をもたらした主な二つの要因として、知的障害のある青年・成人の教育の意義や必要性に対する認識の高まりと、1970年代からの青年失業の増大にともなう訓練制度の拡大とがあることを示した。また、フルタイムのコース、パートタイムのコース、学校や成人施設とのリンク・コース、アウトリーチのコースなど、知的障害者継続教育が多様な形態で進められてきたことを示し、これも成立・拡大を促進した要因として指摘した。さらに、知的障害者継続教育の発展過程において、成人訓練センターやホスピタルなど保健・社会福祉の施設における知的障害のある人の教育が重視されてきたことが、知的障害者継続教育における成人学生の拡大につながっていることを述べた。

 一方で、青年の訓練制度の拡大を直接的な最大の要因として知的障害者継続教育が拡大してきたことは、知的障害者継続教育の「新職業主義」との結びつきを示すものであり、知的障害のある人の全体的な教育的ニーズに対応するカリキュラムに対しては矛盾を含むものであることを示した。中央集権的な補助金システムへの転換をともなう継続教育再編のなかで、実際に知的障害者継続教育のカリキュラムが職業教育を重視する方向に傾斜させられたことも、本論文で明らかにした。

 第III章・第V章においては、知的障害者継続教育におけるカリキュラム開発の展開を明らかにした。第III章では、知的障害者継続教育の拡大期における、青年の教育を主に想定したFEU(継続教育機構)主導のカリキュラム開発について検討し、第V章では、継続教育再編期における、成人の教育を主に想定したNIACE(全国成人生涯継続教育協会)主導のカリキュラム開発について検討した。

 まず、知的障害者継続教育の基本的性格が「成人生活への準備(preparation for adult life)」としてとらえられてきたことを示した。就労・日常生活・余暇といったいくつかの側面から成人生活がとらえられ、それらへの準備として知的障害者継続教育が考えられてきたのである。このように知的障害者継続教育が「成人生活への準備」として特徴づけられたことは、子どもの学校教育の単純な延長というよりも、それとは異なるものとして知的障害者継続教育が考えられたことを意味する。

 そして、「成人生活への準備」として知的障害者継続教育をとらえることは、教育の過程への学生の参画の強調につながったと考えられる。1990年頃からのセルフ・アドボカシーの強調にみられるように、自律(autonomy)や意思決定(decision making)を成人生活にとって重要なものとみなす考え方を基盤として、「成人生活への準備」のなかにそうした要素が含まれることが重視されたのである。そして、カリキュラム開発においては、スキルを中心とする行動的目標の設定を特徴とする目標アプローチへの批判をふまえながら、学生の参画を重視する過程アプローチが導入されることになった。

 しかし、一方で、「成人生活への準備」として知的障害者継続教育を把握することは、目標アプローチの要素を多く含んだ、生活スキルや職業的スキルなどのスキルを中心とするカリキュラムの構想にも親和的であったと考えられる。成人生活がスキルの側面からとらえられた結果、1980年代初頭に体系化されたコープウェル・カリキュラムに典型的にみられるように、成人生活に必要と考えられたスキルが列挙され、それらの獲得が知的障害者継続教育の課題とされることになったのである。そして、知的障害児教育において伝統的に用いられてきた行動主義的な教育方法と結びつきながら、スキルを中心とするカリキュラムの構想は知的障害者継続教育に大きな影響を与え続けることになった。

 知的障害者継続教育のカリキュラム開発においては、このように過程アプローチと目標アプローチとが並存してきていることを、本論文は明らかにしてきた。そして、スキルの獲得を教育の中心的な目的とするカリキュラムの構想が一貫してなされてきていることを指摘した。知的障害者継続教育の重要な特徴として学生の参画が強調されながらも、政策的・制度的な枠組みとスキルを中心とするカリキュラム・モデルによって、それは二重に制約を受けてきたのである。

 第VI章においては、知的障害者継続教育に関わるスタッフの力量形成をめぐる構想と現実を明らかにした。障害者継続教育のスタッフが置かれてきた状況とスタッフの力量形成のための取り組みの展開をとらえ、政策的な報告書にみられるスタッフの力量形成の構想の内容と特徴を把握した。

 そのなかで明らかにされたのは、知的障害者継続教育に関わるカレッジのスタッフが一貫して困難な環境に置かれてきており、力量形成の取り組みは十分に発展させられてこなかったということであった。障害者継続教育の重要性は一般に低く評価され、スタッフの体制は不安定であり、研修の機会も不足してきたのである。継続教育再編によるカレッジの運営基盤の動揺も、スタッフの力量形成に否定的な影響を及ぼしてきている。知的障害者継続教育は量的な発展を遂げたものの、スタッフの力量形成の仕組みはそれに見合うように発展してこなかったといえる。

 しかし、一方で、政策的な報告書において一貫してスタッフの力量形成が重視され、資格をともなう訓練・研修のコースの整備などによるスタッフの専門職化が構想されてきたことを、本論文では示した。また、知的障害のある人自身の意見表明や意思決定の重要性を主張するセルフ・アドボカシー運動の発展を背景として、スタッフの力量形成への知的障害のある人の参画が進められるようになってきたことも明らかにした。構想は十分に実現されていないが、知的障害のある人の参画をふまえたスタッフの専門職化の方向が目指されていることが分かる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はイギリスにおける知的障害者継続教育の成立と展開を、特に1970年代以降の時期を対象として検討したものである。日本でも障害者社会教育はとりくまれているが、体系的な継続教育は成立していない。本論文は、ノーマライゼーションやセルフ・アドボカシーをめぐる人権認識が深められてきたイギリス教育政策の動向に着眼し、継続教育・職業教育としての知的障害者継続教育がどのような社会的文脈で求められたのか、教育内容やスタッフ養成の問題にもふみこみ、ていねいな分析と考察をおこなっている。

 序章では、国連の障害者権利条約の条文に示される「第三段階教育」(tertiary education=成人・青年障害者の職業訓練、成人教育、生涯学習)の保障の問題をめぐって先行研究を整理し、イギリス障害者継続教育の全体構造を把握する研究の意図を述べている。重要な転換点となった1978年のウオーノック報告を中心にすえて、それ以前の実態とその後の発展、そして1992年の継続・高等教育法を契機とする再編の段階という三つの時期区分による歴史的展開の構図を提示している。第I章では、20世紀初頭からの知的障害者教育の系譜とその法的・制度的変遷を概観し、「障害のある学校卒業者に対する社会的関心の高まり」の背景、保健・福祉領域、職業訓練領域、継続教育領域のそれぞれの場における展開の経緯が明らかにされている。第II章では国際的にも注目されたウオーノック報告を契機として障害者継続教育が拡大していく状況、またその背後にイギリスの職業訓練政策の拡充が影響を及ぼしていた経緯が明らかにされる。その結果、第III章で論じられるようにカリキュラム開発においても新職業主義の影響を受け、いわゆる目標アプローチが主導的になり、それに対して参加や自己決定を重視する過程アプローチの原理との葛藤が生じていることが指摘される。第IV章、第V章では、市場化のもとで継続教育機関の再編がすすむ一方で、セルフ・アドボカシーが提唱され、カリキュラム開発においても学生中心的アプローチが重視される矛盾した動向が検討される。第VI章では、このような歴史的経緯のもとで継続教育カレッジにおける障害者継続教育のスタッフの専門的な力量形成への関心が高まり、パートタイム専門職として定着してきた状況と問題点が示される。論文全体を通して、知的障害者の自立的スキル獲得のための学習とインクルーシブな継続的学習(参加原理にたつ学習)におけるカリキュラム原理の葛藤、「学生の声を聴く」専門職の力量形成のあり方などが制度形成史を通じて分析され、それらをふまえて終章で知的障害者継続教育の今後の研究課題が浮き彫りにされている。

 明確な問題意識に基づき、日本では未開拓であったイギリス知的障害者継続教育成立過程の全体像について基礎的な検討をおこない、今後の発展性を示した研究であり、博士(教育学)の学位を授与するにふさわしい論文と評価された。

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