学位論文要旨



No 122026
著者(漢字) 平井,秀幸
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,ヒデユキ
標題(和) 薬物使用に対する「介入/処遇」のあり方をめぐる社会学的研究 : ポスト福祉国家期における「ネットワーク/連携」の上昇に注目して
標題(洋)
報告番号 122026
報告番号 甲22026
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 助教授 今井,康雄
 東京大学 助教授 市野川,容孝
 東京大学 教授 廣田,照幸
内容要旨 要旨を表示する

 わが国において、薬物使用に対してそれを「問題」と捉え、何らかの制度的・非制度的介入を試みようとする営みは、従来「人々が薬物を使用していない状態から使用している状態に至る過程(過程A)」に対する介入、つまり厳罰的法規による威嚇及び国民的啓発・啓蒙活動に代表される「介入/予防」中心の構造をもつものとして理解されてきた(「厳罰主義」「一次予防中心主義」「ダメ。ゼッタイ。」)。

 しかし、他方で近年においては、「薬物乱用対策五か年戦略」(1998)やそれに続く「薬物乱用対策新五か年戦略」(2003)において明確に記されているように、「介入/予防」の強化と同時に、使用者のアフターケアを目標とする「介入/処遇」(「人々が薬物を使用している状態から使用していない状態に至る過程(過程B)」に対する矯正・保護・医療・福祉等による事後的介入)が重視されつつある。さらに、現代では、実際に薬物使用に対して「介入/処遇」するに際して、関係各機関が「ネットワーク/連携」することが望ましいとする言説が優勢化しており、事実、薬物使用に対する「介入/処遇」実践に関与する各主体においても、「ネットワーク/連携」への期待が立場をこえて表明され、急速にその名を冠した実践が展開されている。現代日本における薬物使用に対する介入構造は、「介入/処遇」過程と「ネットワーク/連携」を中心に、今まさに大きな変動期を迎えているように思われるのだ。

 現在、「ネットワーク/連携」によって「人々を、薬物を使用していない状態へと引き戻」そうとする志向性が、立場をこえて称揚されているというこの情況は、一体どのようなものとして理解されるべきだろうか。そもそも、そこで言われている「ネットワーク/連携」とは、どこから来た何者なのか。「ネットワーク/連携」によって「介入/処遇」するとはいかなる事態なのか。そして、「介入/予防」と"同時的"に、「ネットワーク/連携」によって薬物使用に対する「介入/処遇」が推進されていく、という事態は、いかなる形で理解すべき「現在性」なのか。なぜ、今、「ネットワーク/連携」なのだろうか――。

 こうした問いかけに対して、薬物使用に対象化する諸学問領域は様々な理由から適切な応答を試みることができていない。社会学をはじめとする薬物使用研究は、専ら過程Aに焦点化した探求を行ってきたため、「介入/処遇」の変動を捉えるパースペクティヴを鍛え上げてこなかったし、刑事政策学・精神医学・社会福祉論といった領域は、みずからの担当領域を超えて「介入/処遇」全体を包括的にまなざすための視座を欠落させてきたといえる。我々は、「ネットワーク/連携」の上昇によって急激にその姿を変えようとしている「介入/処遇」過程を前にして、その歴史的背景、具体的内実はおろか、それを適切に説明し、批判的に考察していくための武器をほとんど有していないのだ。

 本研究は以上のような問題関心から、現代日本における薬物使用に対する「介入/処遇」のあり方を、そこにおける「ネットワーク/連携」というひとつのテクノロジーに注目することで明らかにすることを目指すものである。

 以下、本研究で得られた知見を要約的に記す。

 第一章と第二章においては、上で述べた本研究の問題関心を整理し、

(1)そもそも「ネットワーク/連携」はどのような歴史的過程の中で立ち現れてきたものなのか

(2)「ネットワーク/連携」なるものが出てきた歴史的背景は了解した。では、その「ネットワーク/連携」なるものは、現代日本における過程Bへの介入において、具体的にどのような形態をとっているのか

(3)ある歴史的背景の中で立ち現れ、ある形において、実践の相互行為過程の中で不断に意味付与されている「ネットワーク/連携」が、現代日本における過程Bへの介入形態として称揚される現在性とは、どのように理解すべきだろうか

 という三つの課題を抽出した。また、こうした課題を解題するにあたって、社会学的パースペクティヴが有する可能性を、「ラベリング・相互作用論」の系譜に立つ諸研究を批判的に検討することを通して考察した。そこでは、介入の下位過程(「介入/予防」と「介入/処遇」)を弁別したうえで、「介入/処遇」過程を学際的・包括的にとり扱いつつ、同時に「介入/処遇」過程内部の動向を歴史的・動態的に把握するための基本的視座が提出された。

 以上の準備作業をふまえて本研究では、上記の三つの課題の解題作業を、それぞれ以下の三つの部に対応させた(第一部(第三章〜第六章)・第二部(第七章〜第九章)・第三部(第十章〜第十二章))。

 第三章においては、第一部における課題(上記(1))をブレイクダウンし、第一部の各章に対応する下位課題を設定した。その後、第一部の方法に関する検討を、「歴史社会学」の一潮流と、薬物使用に対する介入の歴史的変動に焦点化する「医療化」論の批判的考察を通して行った。

 第四章においては、1940年代〜60年代に激烈な社会問題化を引き起こした覚せい剤と麻薬使用の問題に注目し、「介入/処遇」上の「概念」「制度」が、異なるプロセスを経て確定されていくのに対し、「相互作用」レベルの矯正・治療実践は、特に矯正施設における「特別処遇」、及び精神医療セクターにおける「『嗜癖』治療」に関して、複数の要因によって本格的な実現には至らなかったことが指摘された。

 第五章においては、1970年代の司法・矯正セクターにおいて、いくつかの理由により「特別処遇」の問題化が阻まれ、その実践が80年代において開始されるまで遅延されていったこと、また、精神医療セクターにおいて「嗜癖」に代わって「依存」という「概念」が上昇するのに伴い、「依存」概念を定義し、その適切な治療指針を策定する権限は強化しつつも、「依存」治療主体の座からは撤退するという動向が、結果的に福祉セクターを、「依存」治療の主体として「指名/配置」することになったこと、加えて初期の「ネットワーク/連携」論がこうした福祉セクターの「指名/配置」と密接に関係しながら提出されていたことが議論された。

 第六章においては、1990年代〜00年代にかけて、「介入/処遇」過程に関与する多くのセクターにおいて、「ネットワーク/連携」が、「依存」概念を根拠にした「相互作用」レベルの「外部化」という志向性を共有しながら称揚されていく経緯が明らかにされ、そうした動向が「概念」「制度」レベルにおける「『ネットワーク/連携』化」という事態として理解された。

 第七章においては、第一部において未決の課題として残された「ネットワーク/連携」と、「相互作用」レベルの「介入/処遇」との関係性をみるために、三つの論点を提出し、第二部の課題を設定した。続いて、上で得られた課題を解題していくうえでの方法・理論的パースペクティヴとして、Blumerによるシンボリック相互作用論(SI)の適合性が指摘された。

 第八章においては、精神保健福祉センターに注目し、そこでの「ネットワーク/連携」カテゴリをめぐるミクロな相互行為の様子が質的観察によって探求された。センターにおける「ネットワーク/連携」は、使用者本人の個々別々のニーズに沿った事後的な「介入/処遇」に不可欠なテクノロジーとして捉えられており、一般的・設計的・演繹的な「ネットワーク/連携」とは距離をおきながら、ローカルな意味構成(「多声性」)として成立するものであった。

 第九章においては、「地域」(実務家同士の顔がみえる範囲)において「介入/処遇」に携わる諸個人に焦点をあて、彼/女たちの「ネットワーク/連携」のあり方、及びそこでの意味構成のあり方が精査された。「地域」の「ネットワーク/連携」においては、「多声性」以外の様々な意味構成が発達していたが、それらの多くは「多声性」の実現に向けた「潜在的効能」を期待されるものでもあった。また、DARCを中心とした精神保健福祉領域の諸アクターからなる、パーソナルかつ濃密な関係性の中で、DARC・NAにおける「依存」の自助的回復が重視されることで、「依存」カテゴリの自己執行性が高い度合いで認められたことが重要視された。

 第十章においては、第三部の課題(上記(3))を解題するにあたって、より一般的・理論的な視座を獲得するためにFoucault,M.の「統治性」概念が導入され、「統治性」論に関する概略的説明と既存の「統治性」論的薬物研究に対する批判を踏まえて、より詳細な作業課題が設定された。また、「統治性」論的研究が有している方法論的困難性を指摘し、それにかわる行為遂行的「統治性」論の方法的基準が重視された。

 第十一章においては、西洋圏において、薬物使用に対する「介入/処遇」に対してリスク予防を重視する「ハームミニマイゼーション」的アプローチが上昇していることを指摘し、そこでの実践のあり方を精査した。そして、そうした実践に、「ネオ(アドヴァンスト)・リベラリズム」に極めて親近的な幾つかの「合理性」が見出されることが指摘された。

 第十二章においては、本研究のまとめとして、第一部と第二部の知見を要約的に提示した後、現代日本の実践における二つの「合理性」が、それぞれにハームミニマイゼーション的「合理性」とは異なるものであることを示し、「依存」カテゴリの自己執行性を護持するための「地域」における「相互作用」レベルのポリティクスを継続していく可能性と必要性が指摘された。同時に、本研究の限界と、「『使用者の自己統治』と本研究の接合」という新たなる課題が定式化された。

審査要旨 要旨を表示する

 現代日本において、薬物使用への制度的・非制度的な介入・処遇はどのように行われているのか。とりわけ、その介入的・予防的な措置において、さまざまな関係組織・機関の間の「連携」や「ネットワーク」化が求められることには、どのような現代社会の変化が関係しているのか。また、それはどのようにして実行に移されているのか。本論文は、薬物使用という社会問題を対象に、その問題への介入や予防という社会的な取り組みが連携・ネットワークという様相を纏うことに焦点を合わせ、そこから現代社会における管理、ケア、矯正、等の特徴と、そこに表出される「統治性」の問題点を解明しようとする、実証的・理論的な研究である。

 本論文は3部12章によって構成される。1章での問題設定、2章での分析枠組みの設定に続き、第1部(4〜6章)では、戦後日本社会を対象に薬物使用に対する介入や処遇の歴史社会学的な分析が行われる。ヒロポンが問題となった時代からヘロイン、覚醒剤が問題化する時代への処遇の変遷を跡づけることで、問題の構成が「嗜癖」への「治療」から、「依存」への予防や予後の処遇へと変化することをたどり、その中で諸機関の連携という対応が成立してくる様を、「概念」・「制度」の両面から明らかにする。

 第2部(8,9章)では、ネットワークの中核とされる、精神保健福祉センターと民間リハビリテーション組織を対象とした詳細なフィールドワークを通じて、実践のレベルにおいて諸機関の連携という対応が成立するメカニズムを、シンボリック相互作用論を用いて解明する。その結果、諸機関間の連携が、事後的な介入に不可欠の技術と見なされていること、そこでの連携が、それぞれの組織ごとのローカルな意味構成を特徴とする「多声性」を持つこと(裏返せば単一の意味によって結びついていないこと)が明らかにされる。

 第3部(10〜12章)では、以上の知見をふまえ、薬物使用という社会問題への日本社会の介入のあり方が、現代社会のいかなる変化と対応しているのかについて、比較分析及び理論的な探究が行われ、フーコーの統治性論の批判的検討を経て、リスク予防が自己責任化に向かわない「連携」の可能性が仮説的に提示される。

 本論文は、第一に、教育的な機能を果たしているにもかかわらず、教育学的な観点からきちんと検討されることが少ない、矯正処遇の実務や精神医学的な治療の実践的側面を、社会学的な手法や枠組み、実証分析を用いて綿密に考察した、という点で大きな意義がある。第二に、そうした問題を個人レベルの教育効果の問題に還元せず、現代社会におけるイデオロギーや権力作用のあり方の変容の中に位置づけた点で、理論的にも大きな貢献であるといえる。理論化の過程では、個別事例からの論点抽出において一般化の限界があるとの指摘もあったが、上述の点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達していると認められた。

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