学位論文要旨



No 122033
著者(漢字) 和仁,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) ワニ,ケンタロウ
標題(和) 伝統的中立制度の本質 : 戦争に巻き込まれない権利とその条件
標題(洋)
報告番号 122033
報告番号 甲22033
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第710号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 岩沢,雄司
 東京大学 教授 奥脇,直也
 東京大学 客員教授 森川,幸一
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、伝統的中立制度の成立過程を歴史的に研究することによって同制度の本質を解明し、それによって、現代の中立に関する諸論点を解決するための視点を提示しようとするものである。このような歴史研究が必要である理由は、以下の通りである。

 現代の中立に関する様々な対立(具体的には、「非交戦状態」の可否とその法的帰結の問題)にも関らず、伝統的中立制度について、今日の学説の認識は基本的に一致している。そのような認識のうちとりわけ重要なものは、(1)伝統的中立制度において中立国の戦争に巻き込まれない権利は存在しなかった(交戦国の中立国に対する戦争は自由だった)という認識と、(2)伝統的中立制度における「公平義務」の根拠が、第一次大戦以前の国際法における戦争の自由、そしてその帰結としての交戦国の平等(いわゆる「無差別戦争観」)だったという認識である。

 しかし、伝統的中立制度に関するこのような2つの認識は、再検討の余地がある。まず、(2)については、伝統的国際法において戦争の第三国が一方交戦国の側に立って参戦することが自由だったとすれば、参戦という形による一方交戦国への援助が自由でありながら、参戦に至らない援助(「公平義務」に反する行為)が違法であるというのは不合理ではないかという疑問がある。また、(1)についても、1914年の「ベルギー中立侵犯事件」に関して、ドイツ(交戦国)のベルギー(中立国)に対する開戦が中立制度上許される行為か否かが学説上争われたことからも分かるように、この点について簡単に断言することはできず、再検討が必要である。

 そして、再検討の結果、伝統的中立制度に関する上記2つの認識が正しくないことが判明した場合には、それらの認識を前提として組み立てられていた、現代の中立に関する議論も、再構成されなければならないことになる。

 そこで、本稿は、「中立」の概念が国際法上はじめて用いられた16世紀から、国際連合が成立する直前(1945年)までの時期について、中立制度の成立過程を検討した。

 第1部ではまず、国際法における中立概念の起源として、16〜18世紀に締結されていた「中立条約」の規定を分析し、次のことが明らかになった。「中立条約」とは、局外国たる締約国(A)が「中立を遵守する」(他方締約国(B)の敵を援助しない)ことを「条件」として、交戦国たる締約国(B)がA国に「中立を認める」(A国を戦争に巻き込まない)ことを約束する条約だった。当時の国家実行において、局外国の中立は、交戦国と「中立条約」を締結することによってはじめて成立するものとされており、交戦国は「中立条約」を締結していない局外国を自由に戦争に巻き込めるとされていた。

 これに対して、18世紀中期の学説(WolffやVattelなど)は、「中立条約」を締結していない戦争局外国も中立の地位に立つことができ、交戦国によって戦争に巻き込まれない権利を享受できると主張した。このような学説は、中立国が交戦国によって戦争に巻き込まれない権利を有する、つまり交戦国が中立国に対して戦争を行ってはならない根拠を、正戦論に求めた。つまり、国家が他国に開戦するためには「戦争の正当原因」(後者が前者に対して「不正」を行った事実)が必要であるが、いずれの交戦国にも援助を与えない中立国はいずれの交戦国に対しても「不正」を行っていない以上、交戦国は当該中立国に対して戦争を行えない、と理論構成したのである。

 18世紀中期の学説によって提示されたこのような中立論は、当初は単なる学説上の理論に過ぎなかったが、18世紀末以降、国家実行にも受容されるようになった。つまり、中立が、「中立条約」という個別条約の問題でも、単なる学説上の問題としてでもなく、実定一般国際法上の制度として成立していったのである。

 そこで、第2部では、中立が実定一般国際法上の制度として成立する過程を、国家実行と学説を素材として検討し、次のことが明らかになった。18世紀末以降、戦争局外国が交戦国と「中立条約」を締結することなく、一方的に「中立宣言」を行うことによって中立にとどまるという実行が広まった。このようにして中立にとどまる国は、一定の作為・不作為(代表的なものとして、私人の交戦国に対する軍事的遠征を阻止することや、国家として交戦国への軍事的援助を差し控えることなど)を行う必要があるものとされた。このような作為・不作為を行うのは、それを行わないこと、例えば一方交戦国に軍事的援助を与えることが、他方交戦国に対する「戦争行為」と見なされ、当該他方交戦国に開戦の法的根拠(「戦争原因」ないし「戦争の正当原因」)を与えてしまうからであると説明された。逆に、上記の一定の作為・不作為を行う中立国は、戦争に巻き込まれない権利を享受できるとされ、この権利は「中立にとどまる権利」と呼ばれた。なお、交戦国への軍事的援助を差し控えることをはじめとする、上記の一定の作為・不作為は、「中立義務」と呼ばれることもあるが、これはあくまでも、「中立にとどまる権利」を享受し、戦争に巻き込まれないことを望む国が行う必要のあるものに過ぎず、「中立義務」と合致しない行為を行うことが禁じられていた訳ではないから、「義務」というよりもむしろ、「中立にとどまる権利」を享受するための「条件」と呼ぶべきものだった。

 ところで、上で述べたように、中立国が「中立にとどまる権利」(戦争に巻き込まれない権利)を有するということは、18世紀の学説(Vattelなど)においては、正戦論によって根拠づけられていた。ところが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて正戦論がほとんど支持されなくなると、「中立にとどまる権利」について新しい根拠が必要になった。その根拠として提示されたのが、「戦争原因(cause of war)」を特定することによって戦争の人的範囲を限定するという理論構成である(de Visscherなど)。つまり、「戦争原因」の正・不正を区別することができない(正戦論の否定)としても、戦争が何らかの紛争・問題を「原因」として行われることに変わりはない。国家は他国との間に抱える紛争・問題を処理するために戦争に訴えることができるが、その戦争は紛争・問題を抱える他国との関係に限定すべきなのであって、当該紛争・問題(「戦争原因」)と無関係の国(=中立国)に対してまで戦争を拡大することは許されない、というのである。

 このようにして20世紀初頭の頃までに成立した伝統的中立制度は、集団安全保障システムの登場にも関らず、戦間期から第二次大戦の時期(1919〜45年)の国家実行においても継続的に妥当した。このことを論証したのが、本稿第3部である。たしかに、1920年代〜30年代前半の国家実行においては、中立制度が利用されることは少なかった。しかしこれは、当時の多くの諸国が、中立制度よりも、国際連盟の集団安全保障システムによって自国の安全を確保するという政策を採用した結果であって、中立制度が制度として消滅した訳ではなかった。実際、国際連盟の集団安全保障システムが実効的に機能しないことが判明した1930年代後半以降、多くの諸国が中立制度に依拠することによって自国の安全を確保しようとした。例えば、第二次大戦においては、40ヶ国が中立宣言を行った。そして、第二次大戦において、中立制度は第一次大戦以前と同じように機能した。つまり、第二次大戦においては、交戦国が中立国に戦争を行う場合、交戦国は中立国が中立と両立しない行為を行っていると主張して自らの行為を正当化し、逆に中立国は自らが中立を守っていると主張して交戦国を法的に非難したのであって、中立を守っている中立国に対する戦争が許されないという前提自体は、交戦国と中立国の双方によって共有されていたのである。

 なお、上で言及した、伝統的中立制度に関する今日の通説的見解((1)中立国の戦争に巻き込まれない権利が存在しなかったという認識と、(2)交戦国平等が「公平義務」の根拠だったという認識)の起源は、戦間期の学説にある。しかし、本稿で明らかにしてきたように、実際には、伝統的中立制度において中立国の戦争に巻き込まれない権利が認められており、また、いわゆる「公平義務」は、中立国が戦争に巻き込まれない権利を享受するための「条件」だったのであって、交戦国平等が「公平義務」の根拠とされていたのではなかった。つまり、戦間期の学説に起源を有し、今日の通説になっている上記2つの認識は、伝統的中立制度に関する正しい認識とは言えないのである。

 以上の歴史研究から得られる結論を一言でまとめれば、伝統的中立制度の本質は、中立国が一定の作為・不作為(いわゆる「中立義務」・「公平義務」)を行うことを「条件」として、「中立にとどまる権利」(戦争に巻き込まれない権利)を享受できるということだった、ということになる。本稿のこのような結論は、中立に関する現代的課題を解決するための指針になり得る。つまり、現代の中立については、中立国の戦争に巻き込まれない権利を保護するものとして成立した伝統的中立制度が、国連憲章2条4項によって戦争・武力行使が一般的に禁止されている(つまり、戦争に巻き込まれないことが既に憲章2条4項によって保障されている)現代においても、意義をもち得るのか、もち得るとすればそれはいかなる意義か、という観点からの検討が必要であると言える。

審査要旨 要旨を表示する

 提出論文は、現代国際法最大の難問の一つといわれる中立制度の制度趣旨を歴史的に検討し、国際的な通説、それゆえにわが国での通説に果敢に挑戦したものである。

 中立に関する現代の通説を、提出論文は、(1)伝統的な中立制度においては、中立国が戦争に巻き込まれないという権利は存在しなかった、(2)伝統的な中立制度における「公平義務」の根拠は、第1次世界大戦前に有力だった、国際法上の「戦争の自由」そして「交戦国間の平等」に求められていると要約し、それがいずれも間違いであるとの論証を試みる。現代における中立も、上記の2つの認識に基づいているために、戦争が違法化された現代において中立制度がどのようなものになったかについて議論が分かれているのが現状である。

 提出論文は、中立制度に関する伝統的な理解に対して、(1)については、1914年に、ドイツ(交戦国)が中立国ベルギーに対して開戦したことが、中立制度上許される行為か否かが当時争われたように自明ではない。また(2)については、中立国が参戦することが自由であったにもかかわらず、公平義務は参戦に至らない援助をしないことを要求するというのは、どのように考えれば説明がつくかという問題がある。

 提出論文は以上の問題意識から、「中立」概念が国際社会ではじめて用いられた16世紀から1945年までの中立制度を、(1)16世紀から18世紀、(2)18世紀末から20世紀初頭、(3)20世紀の3つに分けて、各時代の中立制度の構造を、国際法学説を参照しながら国家実行によって分析したものである。

 16世紀から18世紀までを扱った第1部では、当時結ばれていた中立条約が分析される。検討の結果、中立条約が、局外国たる締約国が「中立を遵守する」(他方締約国の敵国を援助しない)ことを「条件」として、交戦国たる締約国が局外国たる他方締約国に「中立を認める」(局外国を戦争に巻き込まない)ことを約束するものであり、当時の国家実行において、局外国の中立は、交戦国と「中立条約」を締結することによってはじめて成立するものであり、交戦国は「中立条約」を締結していない局外国を自由に戦争に巻き込めると考えられていたことが示される。当時は、中立は交戦国と中立条約を締結することによってはじめて成立するものであり、中立条約を締結しない国に対しては、自由に戦争に巻き込めると考えられていた。

 他方、当時の国際法学説(Wolff、Vattel等)では、中立条約を締結しないでも、戦争に巻き込まれないという中立の地位に立つことができると説かれたが、その立論は正戦論によって正当化された。国が戦争を行うためには「正当原因」を必要とするが、中立国はいずれの交戦国に対しても不正を行っていないために、交戦国は中立国に対して戦争を遂行することはできないと論じられた。この法理論は、当時は単なる学説でしかなかったが、18世紀以降に国家実行に取り入れられることになる。

 第2部で扱われる18世紀以降の時代において、それまでの学説が国家実行に取り入れられて、一般国際法上の制度として成立した中立制度が分析される。提出論文によると、18世紀末に、第三国が中立条約を結ばずに、一方的に中立宣言を行って中立の地位に立つという実行が定着した。中立国は、交戦国への軍事的援助を差し控える等の一定の義務(中立義務)を負い、その義務を実行すれば、戦争に巻き込まれない権利(中立にとどまる権利)を享受すると考えられた。上記の中立義務は、中立にとどまる権利の見返りとして義務であり、その意味では、中立にとどまる「条件」と表現した方が適切であると説かれる。

 中立にとどまる権利は、18世紀の学説では正戦論によって基礎づけられたが、19世紀後半から正戦論が支持を失ったために、新たな正当化に理論が必要になり、そこで用いられたのが、「戦争原因」を交戦国間に限定することによって戦争の当事国を限定するという考え方である。戦争原因の正・不正を区別できないとしても、戦争には固有の原因があり、その原因との関係で戦争の範囲は限定されるべきであり、戦争の原因と無関係な第三国に戦争を拡大することは許されないと考えられたのである。

 第3部では戦間期から第2次世界大戦期が扱われ、以上ような歴史的経緯を経て成立した伝統的な中立制度が、集団的安全保障制度が出来上がった1920年代以降にも妥当したことが論じられる。提出論文によると1920年代から30年代前半においては、中立が援用される例は少なかったが、それは諸国が集団的安全保障制度によって安全保障を図ろうとしたためであり、他方、集団的安全保障の限界が露呈した1930年代以降は、諸国は中立を援用することによって安全保障を図るようになる(第2次大戦中の40ヶ国の中立宣言等)。当時においても中立義務を守っている中立国に対して戦争行為を行うことは許されないという前提は共有されていた。ちなみに現代の中立に関する通説の起源は戦間期であることも示される。

 以上の歴史的な検討から本論文では、18世紀後半に成立した伝統的な中立制度は、中立国が一定の行為(いわゆる「中立義務」・「公平義務」)を行うことを条件として、中立にとどまる権利を得るということを本質としていたと結論する。そのうえで、このような中立制度が戦争が違法化された現代において、生き続けているかどうかの検証を今後の課題として提示して稿を閉じている。

 以上が提出論文の要旨であるが、本論文は次のような点で評価できる。第1に、多くの研究者が挑んできた中立制度の性格づけに関して、本論稿は、諸外国から、中立に関わる国家実行に関する多数の一次資料を収集し(使用言語では、英、独、仏、伊に及ぶ)、18世紀末に成立する中立制度の特殊性を見事に抽出して、新たな中立像を描ききったことは何より評価に値する。その結果、戦争原因を中核とする中立像を明確に提示できたことは大きな成果である。

 第2に、第1の点帰結として、戦争の自由との関係で捉えがちである中立を、本来は正戦論によって正当化されていたものであり、それが戦争の自由の時代にあって、むしろ理論的根拠が転換されたことを解き明かしたことである。戦争の自由と中立を結びつける通説的見解では、戦争が違法化された現代において、中立制度の基盤が失われたと説かれる。本論文は、両者の結びつきが必然的なものではなく、むしろ人為的なものであることを示すことによって、現代においても中立が妥当する基盤があることを示した点は高く評価される。

 他方、提出論文にはいくつかの弱点と思われる箇所もある。第1に、中立制度に重要な構成要素である中立義務を、中立にとどまるための「条件」と、また条件を満たすことによって中立にとどまる「権利」を獲得すると繰り返し説かれた。しかし、交戦国に中立国に戦争行為を遂行しない正当原因を与えないことを「権利」と表現できるかについては疑問の余地がないではない。もしこのような用語法が可能だとすると、通常の戦争においても、戦争に訴えられない権利をすべての国がもつことになり、戦争の自由という本論文の前提と矛盾することになる。同時に、中立義務を「条件」と表現したが、なぜ古来から多くの学説がそれを「義務」と表現してきたかについて、もう一度考え直す必要がある。

 第2の点は、第1の点に関連することであるが、国家実行や学説、とくに学説が戦争自体をどのように捉えていたかの検討が弱いように感じられる。18世紀末から第2次大戦までを、戦争の自由と特徴づけたが、戦争の自由についても学説上種々の考え方がある。中立制度を論じるためには、戦争自体の国際法上の位置づけとの関係について、もう少し深い検討が必要であると思われる。

 しかしながら、これらの点は本論文の学術的な価値をいささかも損なうものではない。とくに弱点として挙げた戦争自体の位置づけのより深い考証という点を含めて中立論を展開することは、とても博士課程の間になし得ることではない。総じて、戦間期という特殊な時代に生成された通説を、徹底的に一次資料を渉猟して当時の学説と関係付けながらより広い歴史的なパースペクティブのなかで捉え直し伝統的な中立制度の全貌を示した点では、わが国の学界のみならず、世界の学会に対して大きな貢献をしたものと認めることができる。以上の点から審査委員会は、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいと判断する。

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