学位論文要旨



No 122034
著者(漢字) 槇,満信
著者(英字)
著者(カナ) マキ,ミツノブ
標題(和) 循環的・累積的因果関係論と経済政策
標題(洋)
報告番号 122034
報告番号 甲22034
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第711号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 中西,徹
 横浜国立大学 教授 植村,博恭
内容要旨 要旨を表示する

序章

 本研究は、循環的・累積的因果関係論と経済政策とのかかわりについて、N.カルドア、K.G.ミュルダールの打ち出した政策論を手掛かりに、そこにこめられていた理念まで含めて追究しようとするものである。この主題に関してはすでにP.トナーや藤田菜々子による一定の成果が出ているが、前者に対しては、カルドアやミュルダールの理論・政策だけでなく彼らの抱いていた理念まで含めて吟味している点で、また後者に対しては、ミュルダールの貨幣理論や低開発国論にまで政策論の視野を広げて検討している点で、本研究にははっきりとした独自の貢献がある。

 現代経済学の中には主流派だけでなく、さまざまな経済学がある。循環的・累積的因果関係論はそうした中の一つである。その特徴は、経済・社会体系における変化が、いっそう他から独立した、もしくはいっそうつよまりつつある変化を引き起こすという考えであり、おもに外部性や収益逓増といった概念を用いながら経済を分析してきた。この章ではこうした考えについて説き、次章以降への導入とする。

1章

 イギリスでは1960〜70年代、ヨーロッパ経済共同体(EEC)に加わるべきかどうかということが大きな問題となっていた。カルドアはこれに反対していたのであるが、その根拠はどういったものだったのかということをJ.E.ミードの場合と比較する中で探ってゆくというのがこの章の主目的である。

 カルドアの反対論においては、製造業における収益逓増法則や循環的・累積的因果関係を一つの柱にし、そして輸出需要成長論というものをもう一つの柱とした、貿易と密接なかかわりを持った成長論が大きな役割を果たしていた。そこに輸出需要による成長論を補うことで、彼は、経済成長率が低い状態で工業製品の自由貿易を採用することがいかに危険な「動的効果」をもたらすかを示したのであった。ミードもEECに入るのに反対であったものの、彼の場合は、リベラルな商業地域をつくるのにイギリスがひと役買うことができるかどうかということが切実な問題であった。

2章

 この章では、これまで彼の成長理論の単なる応用としてのみ考察されてきたカルドアの開発経済学について、真っ正面からそのものとして取り扱う。そして、彼が真に意図していたところを明らかにする。彼は製造業における動的な収益逓増と外的な需要の重要性とを踏まえた「二重の為替レート政策」により、たんに海外貿易の悪い点をあげつらうのでなく、経済の実証的な性質を規範的な政策に転換し、そこから得られる利益を最大限に利用することを狙っていた。つまり、途上国と先進国とがともに製造業品の輸出をしあうことで世界全体が成長してゆくことをカルドアは展望していたのである。

3章

 この章では、カルドアが1960年代後半以降唱えるようになった新しい成長理論――収益逓増・成長論――と整合し得る分配理論について探究する。というのも、彼の名高い分配理論はそれまでのケインズ派成長理論と一体を成しており、成長理論が変った以上分配理論もそれに合ったものとならないと辻褄が合わないからである。

 まず、カルドアが曾て同義反復的であるとして退けたM.カレツキの分配理論を取り上げ、カルドアの新しい成長理論と接合できるかどうか、またできるとすればそれはどういう条件の下でかということを探る。これについては、両者の考えていた寡占の型が違っていたこと、カレツキの市場観がカルドアのように動的なものでなかったことから、一見するほど簡単でないことが示される。

 加えてもう一つ、循環的・累積的因果関係の考えを反映させるとカレツキの分配理論はどうなるかということについても考える。

4章

 C.ロジャーズは、ミュルダールの貨幣的経済理論(不均衡累積過程論)を貨幣分析に、そしてミュルダールの先達であるJ.G.K.ウィクセルのそれを実物分析に区分けした。なぜそうしたのかについて、利子率に対する見方、相対価格と絶対価格との二分法、重力の中心のように長期均衡を決めている力の三点から考える。

 三つの中で大事なのは三点目である。ウィクセルは、貨幣利子率は強力な銀行組織によって決められると言っていたにもかかわらず、(古典派と同じく)それはいずれ自然利子率に引き寄せられていくと考えていた。これに対してミュルダールは、実物資本の収益率(自然利子率に当たるもの)が重力の中心のような役割を果たすとは考えていなかった。ミュルダールだけが貨幣分析とされた理由は、こうした特質にあったのである。

5章

 かつてミュルダールは国際経済を動的な過程として分析し、福祉国家も、低開発国も、そして世界全体も同じ原理によって動いていると言った。そしてその考えを元に、国際的協力によって齎される国際的統合を唱えた。

 この章では、次の二つのことについて追究する。第一は、かつてミュルダールが経済理論家として築いた貨幣的経済理論の成果が、のちに制度派経済学者として行った国際経済関係の分析に活かされていたのかどうかということである。これについては、低開発国のインフレ過程を研究するにあたって昔の成果が用いられていたことが明らかとなる。第二は、1980年代ごろからさかんにミュルダールの議論を援用するようになった宮崎義一の考えに照し合せたとき、ミュルダールの国際経済関係論はどれぐらい妥当なものといえるかということである。ここから導かれるのは、国民的統合が今や瀬戸際でぐらついているという宮崎の説を前提するならば、国民的統合に基づく国際的統合というミュルダールの理念の見通はかなり厳しいものとなってくるということである。

終章

 循環的・累積的因果関係論は、さまざまな経済学者によって担がれながら今日まで来た。この章では循環的・累積的因果関係論の流れを振返った上で、あらためてカルドアおよびミュルダールの政策論、理念についてくらべ、その今日的意義について考える。

 この原理の辿ってきた道については、トナーは一つの流れであったと言い、藤田は三つの流れであったと言っている。ここではこれらとは違って、A.A.ヤングから始まる流れとウィクセルから始まる流れとの二つであったという見方をあらたに打出す。

 カルドア、ミュルダール両者を比べてみて分るのは次のことである。まず理論については、それなりのモデルを築いていた点、現実との拘りをはっきり意識して作られたものであった点等において二人は共通していた。次いで国際経済政策についていえば、先進国(福祉国家)にも途上国(低開発国)にも同じ力が働いており、それによって富んだ地域と貧しい地域との差がいっそう開いてゆくと考えていた点において二人は共通していた。こうしたことから導かれる一つの命題は、貿易を含んだ国際経済関係において、(これまで主流の経済学で当り前のこととされてきがちであった)自由貿易に則っているだけでは世界経済はどんどん分極化へと向っていってしまいかねないというものである。

 循環的・累積的因果関係論はこれに止まらず、インフレーション、社会における人為的現象などといったものを説明する際にも大いに助けになる原理である。

審査要旨 要旨を表示する

 提出論文は、経済現象にかんする循環的・累積的因果関係について、N.カルドア、K.G.ミュルダールの打ち出した政策論を手掛かりに検討しようとするものである。循環的・累積的因果関係論に関してはこれまでP.トナーおよび藤田菜々子の研究が定評を得ているが、カルドアやミュルダールの議論が先駆的な形をとっていたことをとくに政策論に焦点を当てて詳細に吟味し提示した点、またミュルダールの貨幣理論と低開発国論とのかかわりを検討した点で、本研究には独自の価値がある。

 提出論文は、序章、本文五章、および終章から成っている。うち四章は査読付き論文集に掲載された論文(あと一章は投稿中)であるが、それらをたんに綴じるだけでなく、他の章を加え、表題の「循環的・累積的因果関係論と経済政策」という、より大きな課題をあぶり出すように改訂している。その構成及び要旨は、以下の通りである。

 「序章 循環的・累積的因果関係論とは何か――カルドアとミュルダールとを例に――」では、「経済・社会体系における変化が、いっそう他から独立した、もしくはいっそうつよまりつつある変化を引き起こす」という循環的・累積的因果関係論の見方を紹介し、それがおもに外部性や収益逓増といった概念として表れてきたことを指摘する。主流派経済学は「均衡」を軸に理論を構築しているために、経済システムの内部から変化を引き起こすような原因を見いだせなかった。それゆえ外部性や収穫逓増が接ぎ木をするように仮定され、それらは体系的に論じられてはこなかった。カルドアとミュルダールは、そうした欠点にいちはやく注目し、克服を図ろうとしたのである。そしてそれに続き、各章の概略を簡潔に要約している。

 第一章「カルドアの「収益逓増論」とEEC政策」では、1960〜70年代のイギリスでヨーロッパ経済共同体(EEC)に加わるべきかどうか議論され、カルドアがこれに反対したのであるが、その際に彼が用いた論理として、ひとつに製造業における循環的・累積的因果関係としての収益逓増法則があり、ふたつに外生的な需要によって成長が制約を受けるという輸出需要成長論があることを紹介する。カルドアは、低成長状態では輸出需要が成長の主要因となり、しかし工業においては収穫逓増が起きるため、経済成長率が低い当時のイギリスで工業製品の自由貿易を採用することは、需要不足という危険な動的効果をもたらすことに警鐘を鳴らした。ただし、J.E.ミードもイギリスがEECに入るのに反対したが、その理由はカルドアのようにイギリス経済だけの利益を注目するのではなく、リベラルな商業地域の創設にイギリスが貢献すべきであるという彼の理想からすれば、EECは制度として欠ける点が多かった、というものであった。つまり両者は、国益と理想のいずれを追求するのかで立場を異にしたのである。

 第二章「カルドアの「収益逓増論」と開発政策」では、これまで彼の成長理論の応用問題としてのみ理解されてきたカルドアの開発経済学について、収穫逓増論の観点からその隠された意図を明らかにする。カルドアは、製造業は不完全雇用・数量調整・動的な収益逓増・寡占を特徴とし、国外に需要を求めざるをえないと考えたが、一方農業については完全雇用・価格調整・収穫逓減・競争という市場の働きが認められるとした。その結果、製造業には輸出促進、農業には貿易自由化という「二重の為替レート政策」を推奨したのである。

 第三章「カルドアの「収益逓増論」と所得分配政策」では、カルドアが1960年代後半以降唱えるようになった新しい成長理論――収益逓増・成長論――と整合し得る分配理論について探究する。彼の名高い分配理論はそれまでのケインズ派成長理論にもとづいているが、収穫逓増の視点を導入して成長理論を刷新したとき、整合的な分配理論もまた追求されるべきであった。カルドアはそれを実行しなかったが、それを検討するために、手がかりとして、カルドアが曾ては同義反復的であるとして退けたM.カレツキの分配理論を取り上げる。それは、カルドアの新しい成長理論すなわち循環的・累積的因果関係論とならば接合できるのか、またできるとすればどういう条件の下でなのかを論じる。しかし残念ながら、その結論は芳しいものではない。両者の考えていた寡占の型が違っており、カレツキの製品差別型寡占の市場観が、カルドアの集中型寡占のようには動的なものでなかったためである。

 第四章「ミュルダールの累積過程論と金融政策」は、C.ロジャーズの所説を手がかりに、ミュルダールの貨幣的経済理論と金融政策論が不均衡累積過程論によって結びつけられ、それがJ.G.K.ウィクセルの実物分析とは異なる貨幣分析であることを示す。ウィクセルは、貨幣利子率は強力な銀行組織によって決められると言っていたにもかかわらず、(古典派と同じく)それはいずれ実物的な自然利子率に引き寄せられていくと考えた。長期均衡は重力の作用する中心のようなものだととらえたからである。これに対してミュルダールは、実物資本の収益率(自然利子率)は、重力の中心たりえないと考えた。そこで、予想の好転→資本価値の上昇→予想される利鞘の上昇→生産財価格の上昇→生産額の増大→資本価値の上昇、という累積的な好循環が存在すると唱えたのである。

 第五章「ミュルダールの累積過程論と国際経済政策」では、かつてミュルダールが経済理論家として築いた貨幣的経済理論の成果が、のちに制度派経済学者として行った国際経済関係の分析に活かされていたのかどうかを検討し、併せてその国際経済関係論の妥当性を、1980年代ごろからさかんにミュルダールの議論を援用するようになった宮崎義一の考えに照しつつ検討する。

 ミュルダールは低開発国のインフレ過程を研究するにあたり、累積過程論を用いている。そこから、国際経済を動的な過程としてとらえ、福祉国家も、低開発国も、そして世界全体も同じ原理によって動いていると考えるようになって、国際的協力が国際的統合をもたらすと唱えた。だが宮崎も言うように、多国籍企業と情報社会化が引き起こすグローバリゼーションゆえに、国民的統合そのものが今や瀬戸際でぐらついている。国民的統合に基づく国際的統合というミュルダールの理念の実現は、かなり厳しいと言わねばならない。

 「終章 カルドア、ミュルダールから現代へ――循環的・累積的因果関係論と経済政策――」では、カルドアとミュルダールの比較から循環的・累積的因果関係論の意義を見いだし、その上でさまざまな経済学者が援用した循環的・累積的因果関係論の流れを振返り、あらためてカルドアおよびミュルダールの政策論や理念と比較して、その今日的意義について考える。

 国際経済政策にかんし、両者はともに先進国(福祉国家)にも途上国(低開発国)にも同じ力が働いており、それによって富んだ地域と貧しい地域との差がいっそう開いてゆくと考えていた。そこで貿易を含んだ国際経済関係において、(これまで主流の経済学で当り前のこととされてきた)自由貿易の原則によるだけでは世界経済は分極化へと向っていってしまいかねないと理解された。また、循環的・累積的因果関係論は、インフレーション、社会における人為的現象などについても考察の糸口を与える。

 この原理の辿ってきた道については、トナーは一つの流れであったと言い、藤田はヴェブレンのものも含む三つの流れであったと言っている。本論文は、社会領域に及ぶにせよ経済に回帰するような因果関係を見るという点でヴェブレンを傍流とみなし、その上でA.A.ヤングから始まる収穫逓増論的な流れとウィクセルから始まる累積的な循環論の流れの相違を指摘し、これら二つを主要なものとする見方を結論としている。これにより、循環的・累積的因果関係の経済学説史が明快に整理できることを示した。

 以上が提出論文の要旨であるが、本論文は次のような点で評価することができる。第一に本論文は、収穫逓増や外部性といった概念によって経済学に断片的に導入されてきた循環的・累積的因果関係論を正面から取り上げ、さらにその学説史上の流れを二つにまとめ上げている。それにより、この概念が、近年急速に開発されている、均衡ではなく進化や過程という動態において経済をとらえる進化経済学的な見方の端緒を与えるものであったことが明らかになった。

 第二に本論文は、最近では参照されることの少なくなったカルドアおよびミュルダール経の済政策論を、一時文献に当たりつつ詳細に読み解いて紹介し、その意図を綿密に解明している。

 第三に、カルドアについては従来、成長論と分配論だけが評価されてきたが、後期には循環的・累積的因果関係論を取り入れたために成長論は刷新され、それは彼の分配論とは不整合になってしまうことを示した。ミュルダールについては、累積過程論は貨幣経済の原理論においては有効であるものの、国際経済関係論については理想主義に止まったことを示した。経済学説史において、これまでカルドアは初期の成長論と分配論により、ミュルダールは後期の国際経済関係論によって注目されてきたが、これらの着実な指摘によって本論文は学説史における彼らの位置づけの変更を迫っている。

 しかしながら、本論文にはいくつかの弱点も存在する。第一に、本論文は、タイトルでは循環的・累積的因果関係論が経済政策論と結びつけて検討されることを予告するかのごとくであるが、経済政策は一般論としては論じられず、個別のエピソードとして引用されるに止まっている。第二に本論文では、カルドアがどのような分配論を展開すべきだったのか、国際統合論はどのような筋道を与えられるべきだったのかについて、事例を通じて考察するものの否定的に評価され、疑問には積極的な解答を与えていない。これらの消極性は惜しまれる。

 とはいえ、これらの要望は本論文の課題を超えるともいえ、学術的価値を損なうものではない。総じて、本論文は、従来の経済学・経済政策論および経済学説史においては必ずしも自覚的には論じられてはいなかった問題を主題化し、日の当たらない文献を渉猟し、解決の糸口を示唆しており、それらの点で学界に対して貢献をしたものと認めることができる。以上の点から審査委員会は、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるのにふさわしいと判断する。

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