学位論文要旨



No 122041
著者(漢字) 佐々木,一茂
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,カズシゲ
標題(和) ヒト生体内における骨格筋の収縮特性 : 「スラックテスト法」による研究
標題(洋) Contractile properties of human skeletal muscles in vivo : a study with newly developed 'slack test'.
報告番号 122041
報告番号 甲22041
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第718号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 助教授 村越,隆之
内容要旨 要旨を表示する

【第1章:緒言】

 骨格筋は力学的あるいは生理生化学的な環境変化に柔軟に適応するという可塑性と、身体運動の源となるその収縮性によって特徴付けられる。しかし、これまでの多くの研究によって明らかにされてきた筋の収縮特性が、ヒト生体においてどのような修飾を受けて発揮されているのかについては、未だ不明な点が多く残されている。特に、ヒトの身体運動は神経系が各筋の活動レベルを巧みに調節することで遂行されるという事実を考えると、筋の活動レベルがヒト生体における筋の機能に大きな影響を及ぼしていることは明らかであるが、従来の研究手法のみからこの影響、およびそのメカニズムを調べることは困難である。そこで本研究ではスラックテスト法(Edman, 1979)というin vitroの研究手法を、ヒト骨格筋収縮特性の生体内測定(in vivo)に応用することにより、筋の活動レベルと収縮特性の関係について検討した。

【第2章:スラックテスト法によるヒト足底屈筋群無負荷短縮速度の測定】

 単一筋線維の無負荷短縮速度を測定する方法として知られているスラックテスト法をヒト足底屈筋群に適用し、筋の活動レベルと無負荷短縮速度の関係について検討するため、高速度の急速解放を可能とする特殊なダイナモメータを開発した。被検者は健康な男女10名であり、筋の活動レベルは急速解放を与える直前の等尺性トルクの値として定義し、等尺性随意最大トルク(MVC)に対して5,10,20,40,60%の5段階に設定した。急速解放を与えることにより足底屈トルクは急激にゼロまで低下し、ある時間の後に再び上昇した。この時間(Δt)と急速解放による足関節角度変位(ΔL)との関係をグラフ上にプロットし、回帰直線の傾きから無負荷短縮速度を測定した。その結果、個人差やばらつきはあるものの、筋の活動レベル増大に伴い無負荷短縮速度の有意な増大が認められた。このメカニズムとして、筋の活動レベルが低い時には遅筋線維が優先的に使われ、筋の活動レベルが増大することにより次第に速筋線維が使われるようになるというサイズの原理(Henneman et al. 1965)の関与が示唆された。

【第3章:足底屈筋群の収縮特性における腓腹筋の貢献:筋長と活動レベルの効果】

 足底屈の主働筋であると同時に膝屈曲筋でもある腓腹筋の筋長を膝関節角度変化によって変えた際の、足底屈筋群の活動レベルと収縮特性の関係について検討した。健康な男性13名を被検者とし、(1)足底屈トルクと表面筋電図の関係、(2)足底屈無負荷短縮速度、(3)足底屈最大短縮速度、(4)足底屈単収縮応答、について膝関節伸展位と屈曲位で比較を行なった。その結果、膝屈曲により腓腹筋の筋活動は低下し、足底屈随意最大トルクも30%ほど低下した。これらは先行研究の結果とよく一致していた。しかし、足底屈の短縮速度は、いずれの筋活動レベルにおいても膝関節角度による差が認められなかった。また、電気刺激法によって随意収縮前後および随意収縮中に足底屈筋群の単収縮を誘発し、随意収縮における運動単位の動員特性を推定したところ、膝関節角度による違いは認められなかった。以上のことから、腓腹筋の筋長短縮による足底屈動作への貢献度の低下は、筋の発揮張力に大きく依存することが明らかとなり、これは筋と腱の相互作用から説明できることが示唆された。また、膝関節角度を変えても腓腹筋運動単位の動員特性は本質的には変化しないことが示唆された。

【第4章:随意収縮および電気刺激下での足背屈筋群の無負荷短縮速度】

 第2章で開発したダイナモメータを改良し、足背屈筋群の無負荷短縮速度をスラックテスト法により測定した。健康な男女6名について随意収縮条件および電気刺激条件によって発揮された足背屈トルクと無負荷短縮速度の関係について検討を行なった結果、(1)スラックテスト法は、従来から広く行なわれている随意最大筋力測定と同程度の再現性があること、(2)足底屈筋群と同様に、随意収縮条件における足背屈筋群の無負荷短縮速度は筋の活動レベルとともに増大すること、(3)電気刺激条件における足背屈筋群の無負荷短縮速度は筋の活動レベルに依存せず常に高い値を示すこと、が明らかとなった。以上の結果から、ヒト生体における筋の無負荷短縮速度は単純に筋の活動レベルによって決まるわけではなく、使われている運動単位のタイプ(収縮特性)に依存することが示唆された。

【第5章:足背屈筋群の力-速度関係およびその活動レベルとの関係】

 第4章で確立した足背屈筋群用のスラックテスト法と従来から広く用いられている等速性筋力測定装置による測定を組み合わせることで、ヒト足背屈筋群における力-速度(トルク-角速度)関係およびその活動レベルとの関係について記述することを目的とした。健康な男女15名から得られた足背屈筋群のトルク-角速度関係はHill(1938)の式でよく近似されたが、等速性筋力測定装置による測定のみから足背屈筋群の最大短縮速度を推定することは困難であるということが明らかとなった。一方、スラックテスト法により得られた無負荷短縮速度は、等速性筋力測定によって得られたトルク-角速度関係とよく対応していた。得られた結果に基づき、ヒト足背屈筋におけるトルク-速度-活動レベルの関係をモデル化した(図1)。

【第6章:ヒト骨格筋の収縮特性を規定する因子】

 第5章では個人差を考慮せずに、集団から得られたデータに基づいてトルク-速度-活動レベルの関係についてモデル化を行なった。本章では、近年スポーツパフォーマンスとの関係から注目を集めているACTN3遺伝子の多型が筋の収縮特性や筋形状、さらには無負荷短縮速度の個人差にどのような影響を及ぼしているのかについて検討した。その結果、ACTN3遺伝子の多型はいずれのパラメータにも統計的に有意な影響を与えていなかった。また、重回帰分析の結果、無負荷短縮速度のばらつきの38.4%は筋の活動レベルから説明できるということが明らかとなった。その他の因子が無負荷短縮速度のばらつきを説明する割合は、筋線維組成に関係する要因が6.5%、筋形状に関する要因が5.2%、ACTN3遺伝子に関する要因が2.3%であった(図2)。

【第7章:総括論議】

 筋の活動レベルがヒト骨格筋の無負荷短縮速度に影響を及ぼすメカニズムとしては、主に二つのことが考えられてきた。ひとつは、粘性による内的負荷の影響である。粘性抵抗が無負荷短縮速度に及ぼす影響について、先行研究では一致した見解が得られていない。そこで、先行研究で見積もられている等尺性最大筋力の1%に相当する内的負荷の存在が、筋の活動レベルと無負荷短縮速度の関係にどの程度影響を及ぼすかについて、第5章で得られた足背屈筋群のトルク-角速度関係を基に考察した。その結果、粘性抵抗による内的負荷では、本研究で認められた筋の活動レベルと無負荷短縮速度の関係を十分に説明できないことが明らかとなった。

 一方、もうひとつのメカニズムとして想定されてきたのが運動単位動員順序の影響である。第2〜5章で繰り返し観察された筋の活動レベルと無負荷短縮速度の関係は、随意収縮における運動単位動員の順序性から比較的よく説明できることから、本研究の一連の結果はこのメカニズムを支持するものであると考えられる。特に、筋の活動レベルが同じであっても随意収縮条件と電気刺激条件における無負荷短縮速度が異なるという第4章の結果は、両条件における運動単位動員順序の違いが無負荷短縮速度に反映されたことを強く示唆するものである。

図1:ヒト足背屈筋群から得られたデータに基づいて構築したトルク-速度一活動レベル関係

図2:無負荷短縮速度のばらつきに対する各要因の貢献度

審査要旨 要旨を表示する

 筋収縮の動的特性は、力と速度という2つのパラメーターによって記述することができる。筋収縮の生理学的研究では、in vitro再構成運動系、単一筋線維、摘出筋、生体内(in vivo)など、さまざまなレベルで力と速度が測定され、筋収縮の分子機構に関する多くの知見が得られてきている。中でも、無負荷最大短縮速度(Vo)は、アクチンとミオシンの相互作用速度(ATPase活性)と強く相関することから、身体運動をはじめとするマクロな生体運動においても、筋線維組成、筋線維の動員様式、遺伝的な筋の特性、トレーニング効果などの観点から重要な情報を含むと考えられる。しかし、生体(身体)内でのVoは通常、最大努力下(maximal voluntary contraction)という特定の条件のもとでの力-速度関係から推定される(推定値としてのVmax)のが普通であり、精度も情報としての有用性も十分とはいえない。本研究は、単一筋線維のVoを測定するためにEdman(1978)によって考案された「スラックテスト法」(slack test)という方法を、ヒト生体内での筋収縮に応用し、日常動作やスポーツ動作にとってより重要な「最大下」(sub-maximal)での筋活動時のVoを測定することにより、筋線維の動員様式や、筋収縮のパフォーマンスに及ぼす遺伝的要因などについて調べたものである。

 本研究はまず、装置の開発から始まっている。スラックテスト法の原理は以下のようなものである:等尺性収縮中の筋線維に、きわめて高速度の急速解放(quick release)を与えると、一時的に筋線維に「たるみ」(slack)が生じ、張力レベルはゼロになる。筋線維は引き続き活動状態にあるので、このスラックは、Voに相当する速度の短縮によって解消され、張力の再上昇が起こる。さまざまな距離(ΔL)の急速解放を与え、張力の再上昇までの時間(Δt)を測って、それぞれ縦軸、横軸にプロットすると直線関係が得られ、その傾き(ΔL/Δt)がVoを与える。この方法は、単一筋線維の場合のような、慣性の小さな系では比較的容易であるが、ヒト生体内での収縮に適用するためには、大きな慣性質量を瞬時に超高速度にまで加速し、かつ急減速して止める必要が生じる。さらに、停止時には必然的に大きなアーチファクトが生じることになる。これらの問題点を克服するために、本研究では、比較的慣性モーメントの小さな足関節を対象とする、サーボモータによって予め高速回転させた軸に、クラッチを用いて関節回転軸を急接続する、2連ブレーキによってなめらかに回転を止める、伝達関数を用いたアルゴリズムによりアーチファクト成分を除去する、などの工夫を行い、解析可能なデータを取得することに成功した。

 作成したスラックテスト用ダイナモメータを用い、最初の実験では、足関節底屈筋を対象として、筋力発揮レベルがVoに及ぼす効果を調べた。これまでの電気生理学的研究から、生体内の随意筋収縮においては、筋力発揮レベルと運動単位の動員パターンには密接な関係があり、筋力の増大とともに、小さな運動単位(主に遅筋線維を支配)から大きな運動単位(主に速筋線維を支配)への順に動員が追加されてゆくと考えられてきており、これを「サイズの原理」と呼ぶ。スラックテストによるVoの測定の結果、筋力発揮レベルを10%から60%MVC(MVC、随意最大収縮)にまで段階的に上げると、Voもそれに応じて増加することが判明した。筋線維レベルでのVoでは、速筋線維と遅筋線維の間に5-10倍程度の差があることから、この結果は、筋力発揮レベルの上昇とともに、速筋線維の動員率が増大することを強く示唆している。こうした事象は、スラックテストによってのみ捉えられるものであり、筋収縮の力学的特性から「サイズの原理」を支持する世界初の研究成果といえる。また、筋力発揮レベル(=筋活動レベル)に依存してVoが変化することに基づき、筋活動レベル-力-速度関係(activation - force - velocity relations)を構築した。この関係は、日常動作やスポーツ動作など、最大下の筋活動レベルで行われる動作のバイオメカニクス的解析にきわめて有用と考えられる。

 一方、筋を外的に電気刺激した場合には、随意収縮時のような「サイズの原理」が成り立たない可能性が指摘されている。そこで、電気刺激が比較的容易な前頸骨筋(足関節背屈筋)を対象とし、筋の直接電気刺激がVoに及ぼす効果を調べた。その結果、随意収縮では筋力発揮レベルの上昇とともにVoの増加が見られたのに対し、電気刺激の場合には、Voは刺激強度(=筋力発揮レベル)に依存せず、常に最大値付近でほぼ一定であった。このことから、電気刺激による収縮では、筋線維の動員に特定の順序性がない、随意収縮とは逆に速筋線維から動員される、などの可能性が示された。

 上記のように、随意筋運動では筋力発揮レベルとVoの関係には全体として有意な正の相関が認められたが、同時に両者の関係には大きな個人差も認められた。このことは、筋力発揮レベルとVoの関係が、筋線維組成、筋収縮とその制御にかかわる遺伝子の多型などの先天的要因や、運動・トレーニング歴などの後天的要因の影響を受ける可能性を示す。本研究では、近年スポーツ競技力との関連性が着目されているα-actinin3遺伝子(ACTN3)の多型とVoの関係についてのpilot的実験がなされ、強い関連性はなかったと結論づけている。しかし、本研究の手法を用いることにより、神経・筋系の先天的特性や、トレーニング効果などに関する多くの有用な知見が得られるものと期待される。

 以上のように本研究は、新たに開発した装置を用い、ヒト生体内でのVoの実測を可能にした点できわめて独自性が高く、また将来の発展が期待されるものと認められる。こうした点から、本論文の主要部は、Journal of Physiology 誌にも高く評価され掲載されるに至っている。

 したがって,本審査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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