学位論文要旨



No 122042
著者(漢字) 鈴木,崇之
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タカユキ
標題(和) 糸状性ラン藻Anabaena sp.strain PCC 7120におけるcAMP受容体タンパク質の同定と機能解析
標題(洋) Identification and functional analysis of cAMP receptor proteins in the filamentous cyanobacterium Anabaena sp.strain PCC 7120.
報告番号 122042
報告番号 甲22042
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第719号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 渡辺,雄一郎
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 教授 陶山,明
 埼玉大学 教授 大森,正之
内容要旨 要旨を表示する

 生物は外界の環境刺激に応答し、その情報を細胞内に伝達するために細胞内シグナル伝達物質を用いる。その一つにcAMPが存在し、cAMPは微生物から哺乳類まで幅広い生物種に存在する。哺乳類では、Aキナーゼが細胞内でcAMPにより活性化され、グリコーゲン、糖、脂質などの代謝を調節することが知られている。一方、微生物ではcAMPはcAMP受容体タンパク質(cAMP Receptor Protein: CRP)と結合し、cAMP-CRP複合体が遺伝子転写調節因子としての機能を持つことが知られている。

 シアノバクテリアは酸素発生型光合成を行う生物として知られ、cAMP合成酵素の存在は認められているが、cAMPの機能については単細胞性シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803において細胞運動への関与が判明している。糸状性シアノバクテリアAnabaena sp. PCC 7120(以下Anabaena 7120と略)にもcAMP合成酵素は存在するが、運動性を持たないためcAMPの機能については不明である。本研究ではAnabaena 7120におけるcAMPの機能を解明することを目的として、CRPの解析を行った。

 Anabaena 7120は2001年に全ゲノム配列が決定され、公開された。このゲノム情報をもとに、CRPをコードすると予測される遺伝子の探索を行った。その際の判定基準として、遺伝子の翻訳産物が他の生物で確認されているCRPと相同性が高く、なおかつcAMPが結合すると予想される環状ヌクレオチド一リン酸(cNMP)結合ドメインを持つことと定めた。最終的に候補遺伝子を二つに絞り込み、それぞれancrpA、ancrpBと命名した。それぞれの翻訳産物について立体構造を予測した結果、ancrpAの翻訳産物(AnCrpA)はアミノ末端側にcNMP結合ドメインを持ち、カルボキシル末端側にDNA結合ドメインであるへリックス-ターン-へリックスドメイン(HTHドメイン)を持つと予測された(下図参照)。この構造は、他の生物に見られる一般的なCRPの構造と一致する。一方ancrpBの翻訳産物(AnCrpB)はアミノ末端側にcNMP結合ドメインを持つが、DNA結合ドメインは持たないとの構造予測結果が得られた(下図参照)。

 AnCrpA、AnCrpBそれぞれの生化学的性質を調べるために、ヒスチジンタグ融合タンパク質として発現させ、親和性クロマトグラフィーによる精製を行った。次に、平衡透析法を用いてこれら精製タンパク質のcAMP結合能を調べた。その結果、AnCrpAはcAMPに対する解離定数が約0.8 μMであり、cGMPや、cAMPの分解産物である5'-AMPには親和性を持たないことが判明した。また、AnCrpAの解離定数値はこれまでに調べられた全てのCRPの解離定数値の中で最も低い値であった。一方、AnCrpBのcAMPに対する解離定数は約60 μMであり、cGMPに対してもわずかな親和性を示した。

 一般的にcAMP-CRP複合体はDNA結合ドメインを介して特定のDNA配列(コンセンサスDNA配列: 5'-TGTGA-N6-TCACA-3')と結合する性質を持つ。そこでAnCrpAとAnCrpBのコンセンサスDNA配列に対する結合性を、ゲルシフト法を用いて解析した。その結果、AnCrpAはcAMP存在下においてコンセンサスDNA配列と特異的に結合することが示された。同様にAnCrpBのコンセンサスDNA配列に対する結合性を調べた結果、AnCrpBは一般的なDNA結合モチーフを持たないとの構造予測結果が得られたにも関わらず、比較的高濃度のcAMP存在下において、コンセンサスDNA配列との結合が確認された。この結合はAnCrpAのコンセンサスDNA配列に対する親和性と比較すると弱いものの、競合DNAの添加による影響を受けなかったため特異的な結合であることが証明された。よって、AnCrpBは既存のDNA結合モチーフとは異なる未知のDNA結合モチーフを持つと考えられる。

 次に細胞内におけるAnCrpA、AnCrpBの機能を調べるため、それぞれをコードする遺伝子の破壊株を作製した。遺伝子破壊株それぞれの表現型を調べた結果、ancrpA遺伝子破壊株では硝酸塩培地中で窒素固定細胞であるヘテロシストの形成抑制が加速することが判明した。cAMPに対する親和性や遺伝子破壊株の表現型解析により、Anabaena 7120では主にAnCrpAを介してcAMPシグナル伝達経路が形成されると仮定される。従って、AnCrpA標的遺伝子の同定を次の目的とした。標的遺伝子のスクリーニングにはAnabaenaオリゴヌクレオチドマイクロアレイを用い、ancrpA遺伝子破壊株の全mRNAレベルを野生株の全mRNAレベルと比較した。その結果、硝酸塩培地中で窒素固定関連遺伝子群のmRNAレベルがancrpA遺伝子破壊株において野生株と比較して著しく低下することが判明した。その一方で、鉄欠乏ストレスに応答して誘導される遺伝子群や乾燥ストレスに応答する糖転移酵素遺伝子群、トレハロース代謝酵素遺伝子群などのmRNAレベルがancrpA遺伝子破壊株において野生株と比較して増加していることが判明した。ancrpA遺伝子破壊によって野生株と比較してmRNAレベルが変化したこれら遺伝子群の中から幾つかの遺伝子を選別し、定量的リアルタイムRT-PCR法を用いて、それぞれのmRNAレベルをancrpA遺伝子破壊株と野生株とで比較したところ、DNAマイクロアレイと同様の結果が確認された。

 ancrpA遺伝子破壊株において、mRNAレベルが野生株と比較して顕著に低下していた遺伝子は、AnCrpAが直接的あるいは間接的に遺伝子発現を正に制御していると考えられる。そこでAnCrpAの標的遺伝子候補としてスクリーニングされた各遺伝子の5'上流領域において、コンセンサスDNA配列や、それに近いDNA配列を検索したが、相当する配列は検出されなかった。しかし、ancrpA遺伝子破壊株においてmRNAレベルが野生株と比較して低下していた窒素固定関連遺伝子群の5'上流領域とAnCrpAを用いてゲルシフト解析を行ったところ、コンセンサスDNA配列との結合親和性と比較するとそれらの親和性は低くなるものの、cAMP存在下においてAnCrpAと特異的に結合するDNA領域の存在が明らかになった。従って、これら窒素固定関連遺伝子群遺伝子はAnCrpAによって発現が調節され得ることが示唆された。

 AnCrpAの特異的結合が確認されたDNA領域にはコンセンサスDNA配列や、それに近いDNA配列は発見されなかったため、AnCrpAが認識するDNA配列を in vitro セレクション法を用いて推定した。得られたDNA配列情報をもとに隠れマルコフモデルを用いたマルチプルアラインメントプロファイルを作成し、AnCrpAが特異的に結合したDNA領域においてAnCrpA結合DNA配列を推測した。その中の一つであるnifBの5'上流領域に存在する推定AnCrpA結合DNA配列において、AnCrpA結合に重要であると推測されたヌクレオチドを別のヌクレオチドに置換したDNA配列を用いてゲルシフト解析を行った結果、変異型DNAを用いた場合にAnCrpA結合性の低下が確認された。よって推定ヌクレオチド配列の妥当性が確認された。

 Anabaena 7120は、培地にアンモニアを加えるとヘテロシスト形成が完全に抑制されるが、その培養条件下でマイクロアレイ実験を行った結果、窒素固定関連遺伝子群のmRNAレベルは野生株とancrpA遺伝子破壊株間で同程度であった。Anabaena 7120におけるヘテロシスト形成は培地から窒素源を取り除いた後に24時間で完了する。そこで、培地から窒素源を取り除き、その後3、8、24時間の時間経過でmRNAを抽出し、マイクロアレイ実験を行ったが、いずれの試料においても窒素固定関連遺伝子群のmRNAレベルは野生株とancrpA遺伝子破壊株間で同程度であった。これらの結果より、AnCrpAはヘテロシスト形成時には窒素固定に関連した機能を果たしていないと考えられる。しかし培地から窒素源を取り除き、48時間経過後の試料においては、窒素固定関連遺伝子群のmRNAレベルがancrpA遺伝子破壊株において野生株と比較して低下していた。従って、AnCrpAが窒素固定関連遺伝子発現を促進するのはヘテロシストが完成した後であると考えられる。

 一連のマイクロアレイの結果から、培養条件に関わらずmRNAレベルがancrpA遺伝子破壊株において野生株と比較して常に低下している遺伝子alr3280 (sigG)が同定された。sigGの5'上流領域には推定AnCrpA結合配列(5'-GATGATGTACATCACT-3')が存在し、この配列は、in vitro セレクションで推定されたAnCrpA結合DNA配列とほぼ一致する。従ってsigGは培養条件に依存しないAnCrpAの標的遺伝子であると考えられる。Anabaena 7120の近縁種Nostoc sp. HK-01においては、sigGは乾燥ストレス耐性を増強させる機能を持つ遺伝子であると考えられている。sigGの発現レベルが低いancrpA遺伝子破壊株を用いて細胞に乾燥ストレスを与えた結果、ancrpA遺伝子破壊株は野生株と比較して乾燥耐性が低いことが判明した。

AnCrpA

AnCrpB

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「Identification and functional analysis of cAMP receptor proteins in the filamentous cyanobacterium Anabaena sp. strain PCC 7120」(糸状性ラン藻Anabaena sp. strain PCC 7120におけるcAMP受容体タンパク質の同定と機能解析)は、2章構成に成っており、第1章ではcAMP受容体タンパク質の同定、第2章では主要なcAMP受容体タンパク質であるAnCrpAによる遺伝子発現制御の解析結果を報告している。

 本研究では、近年のシアノバクテリアのシグナル伝達経路の中で注目されているサイクリックAMP(cAMP)の役割を、その受容体タンパク質の生化学的解析と遺伝子発現における機能解析によって明らかにした。cAMPシグナル伝達経路は、動物や大腸菌などのいくつかの生物では非常に重要な二次メッセンジャーとしてさまざまな調節現象に関わっていることがよく知られているが、植物や下等生物ではその存在も含めて明らかでない場合が多い。一方、シアノバクテリアでは、大森らの研究により、おもに単細胞性のSynechocystis sp. PCC 6803における合成酵素、受容体とその標的遺伝子の研究が精力的に行われており、細胞運動などに関わっていることが示されてきた。しかし、シアノバクテリアで初めてcAMPが発見されたのは糸状性の窒素固定型シアノバクテリアAnabaena cylindricaであり、最初のcAMP合成酵素が単離されたのも糸状性のシアノバクテリアSpirulina platensisであった。これらの種におけるcAMPの調節は光による代謝調節などの可能性も指摘されており、上記のSynechocystisとは異なっている。本研究では、このような背景を元に、糸状性で遺伝子操作が容易なAnabaena sp. PCC 7120を用い、そのシグナル伝達経路を明らかにしたものである。

 第1章では、バイオインフォマティクス解析により抽出されてきた環状ヌクレオチド結合配列をもつ受容体をコードする候補遺伝子(ancrpAとancrpB)に注目し、そのコードするタンパク質を大量発現・精製した。これらを用いてcAMPとcGMPに対する親和性を求め、AnCrpAタンパク質はcAMPに対して特異的で、その解離定数は約0.8μMであった。この値は、これまでに調べられているcAMP受容体タンパク質の中で親和性がもっとも高いことを示している。一方、AnCrpBタンパク質はcAMPに対する解離定数は約60μMであり、cGMPに対してもわずかな親和性を示した。なお、AnCrpAタンパク質はヘリックスターンヘリックス型のDNA結合ドメインと思われる領域をもっていた。そのため、推定DNA結合部分のアミノ酸配列の相同性から、AnCrpAタンパク質はよく知られている大腸菌などのcAMP受容体のDNA結合配列に結合するのではないかと予測し、cAMP存在下での特異的な結合をゲルシフト法によって検証した。その結果、AnCrpAタンパク質はcAMP依存的に予想配列のオリゴDNAに結合した。一方、AnCrpBタンパク質には上記のDNA結合モチーフのような明確な特徴はなかったが、ゲルシフト法においてAnCrpBタンパク質も比較的高濃度のcAMPの存在下で同じオリゴDNAに特異的に結合した。以上の結果は、糸状性窒素固定型シアノバクテリアにおけるcAMP受容型転写因子を同定した最初の結果である。

 第2章では、細胞内におけるAnCrpA、AnCrpBタンパク質の機能を調べるために、それぞれの遺伝子破壊株を作製した。その表現型としては、ancrpA破壊株では硝酸塩培地中で窒素固定細胞ヘテロシストの形成抑制が加速することを見いだした。そのため、転写因子としてのAnCrpAタンパク質の標的遺伝子を探索するために、オリゴヌクレオチドマイクロアレイを用い、ancrpA破壊株の遺伝子発現レベルを野生株と比較した。その結果、硝酸塩培地中で窒素固定関連遺伝子群(nifBオペロン、hglE群、coxB群、hepC群など)のmRNAレベルが著しく低下することを見いだした。一方、鉄欠乏ストレス誘導遺伝子や乾燥ストレス応答性の糖転移酵素遺伝子群やトレハロース代謝酵素遺伝子群などのレベルは上昇していた。これらの結果は、定量PCRによって検証した。これらの遺伝子破壊の結果がAnCrpAタンパク質の直接の作用によるものかどうかを確かめるために、これらの遺伝子の5'上流領域に対する特異的な結合をゲルシフト法によって確認した。その結果、nifB上流配列、all5347上流配列、nifH上流配列の内部に特異的に結合する領域があり、しかもその結合はcAMP依存的であることを見いだした。しかし、これらの結合領域には、上記のAnCrpA結合予想配列は見いだされなかった。そのため、AnCrpAタンパク質が本来結合する配列をin vitroセレクション法によって推定した。得られた配列情報をもとに隠れマルコフモデルを用いたマルチプルアラインメントプロファイルを作成し、AnCrpAタンパク質が結合したDNA領域を探索した。こうして、推定した配列のひとつであるnifBの5'上流配列を標的として、AnCrpAタンパク質の結合をゲルシフト法によって確認するとともに、標的配列に変異を導入したDNAには結合しないことを示した。以上の結果は、in vitroセレクション法の妥当性とともに転写因子の認識配列の推定を拡張できることを示している。一方、ancrpB破壊株には特徴的な表現型はなく、マイクロアレイ解析でも大きな影響は認められなかった。このことはAnCrpBタンパク質が特定の条件でのみ作用する調節因子であることを示唆している。

 なお、本論文の第1章は、吉村英尚、久堀徹、大森正之との共同研究であり、第2章は、吉村英尚、得平茂樹、池内昌彦、大森正之との共同研究であるが、どちらの場合も論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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