学位論文要旨



No 122048
著者(漢字) 三橋,弘明
著者(英字)
著者(カナ) ミツハシ,ヒロアキ
標題(和) 神経細胞接着分子SHPS-1の新規相互作用分子の同定と生理機能の解析
標題(洋)
報告番号 122048
報告番号 甲22048
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第725号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 松田,良一
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 神経―筋接合部は、神経と筋の間に形成されるシナプスであり、一つの神経末端が一つの筋を支配する比較的単純な構造をもつ。この神経―筋接合部に集積するシナプス関連タンパク質は、そのほとんどが支配神経切断(脱神経)によって大幅に発現量を増加することが知られている。これは、神経切断を回復するための代償反応と考えられている。

 私は、神経―筋接合部に関わる新規遺伝子を探索することを目的に、脱神経筋の遺伝子発現をDNAマイクロアレイを用いて解析し、候補遺伝子としてSHPS-1を同定した。SHPS-1は免疫グロブリンスーパーファミリーの膜一回貫通型タンパク質であり、神経―筋接合部でのシナプス形成に重要なNCAMやMuSKとよく似た構造をしていた。また、SHPS-1は、神経細胞と免疫細胞に顕著に発現しているが、特に神経系では、大脳新皮質、小脳分子層、海馬歯状回、網膜外網状層などシナプスが多い領域に発現している。これらのことから、私はSHPS-1が神経細胞どうし、および神経―筋の間のシナプス形成に関わるタンパク質ではないかと推測した。しかし、神経や筋におけるSHPS-1の役割は明らかになっていない。そこで、私はSHPS-1の細胞内シグナル伝達経路を解明することで、その生理機能にせまるアプローチをとることにした。

[方法と結果]

 SHPS-1の骨格筋での性質を理解するため、脱神経筋と尾部懸垂筋におけるSHPS-1の発現量を検討した。その結果、両方の筋で同程度の萎縮が起こるにも関わらず、尾部懸垂筋ではSHPS-1の発現量は増加しなかった。したがって、SHPS-1の発現量増加が脱神経特異的であることが明らかとなった。このことから、SHPS-1が廃用性萎縮ではなく、神経支配に関係していることが明らかとなった。そこで、神経―筋接合部マーカーであるアセチルコリン受容体(AchR)と比較して、SHPS-1と神経支配の関係を検討した。SHPS-1は、神経支配下では発現が抑制されており、タンパク質は神経―筋接合部などの一部の領域に局在し、翻訳後修飾を受けていることが明らかとなった。反対に、脱神経によって、SHPS-1の発現量は増加し、細胞膜全体に存在するようになり、翻訳後修飾が少なくなった。こうした脱神経による発現量と局在の変化は、SHPS-1とAchRの間でよく一致していた。これらの知見から、SHPS-1が骨格筋の神経支配に密接に関係しており、神経―筋接合部の形成に関係した機能をもっている可能性が考えられた。

 これまで、免疫細胞や線維芽細胞におけるSHPS-1の機能は報告されていたが、骨格筋における機能はまったくわかっていない。そこで、骨格筋におけるSHPS-1の機能を解明するため、私はSHPS-1の細胞内シグナル伝達経路を明らかにすることを目指した。SHP-2と神経支配の間には関連が見られなかったため、私はより骨格筋機能に関連した新規SHPS-1相互作用タンパク質を探索することを試みた。酵母2-ハイブリッド系を用い、ヒト胎児骨格筋cDNAライブラリーから、SHPS-1の細胞内領域と相互作用するタンパク質をスクリーニングした。その結果、新規相互作用タンパク質としてCHKを同定した。CHKは、c-Srcを抑制する機能をもつ非受容体型チロシンキナーゼであった。

 私はまず、SHPS-1とCHKの結合を確認するため、免疫沈降実験をおこなった。COS-7細胞に過剰発現させた系において、SHPS-1とCHKの結合を確認した。また、この時、SHPS-1とCHKを共発現すると、SHPS-1のリン酸化が亢進することが明らかとなった。結合領域を特定するため、CHKのN末端領域、SH3ドメイン、SH2ドメイン、キナーゼドメイン欠失変異体とキナーゼ不活性変異体(K262R)を作成し、酵母2-ハイブリッド系でアッセイしたところ、N末端領域を欠いた変異体のみが相互作用を示した。この結果からは、結合領域を特定することができなかったが、K262Rが結合しなかった点から、少なくともキナーゼ活性がSHPS-1との結合に必要であることが示唆された。私は、COS-7細胞での共発現の結果と総合して、CHKがSHPS-1をリン酸化し、リン酸化依存的に結合するという2段階の相互作用モデルを考えた。そこで、各ドメインの欠失変異体とK262RをCOS-7細胞に発現させ、細胞を過バナジン酸で処理した後に免疫沈降をおこなった。過バナジン酸処理は、SHPS-1のチロシンリン酸化を引き起こす。免疫沈降の結果、SH2ドメインを欠いた欠失変異体のみがSHPS-1との結合を失った。したがって、CHKはSH2ドメインによってSHPS-1のリン酸化チロシンを認識して結合することが明らかとなった。さらに、CHKがSHPS-1を直接リン酸化しているかを検討するため、in vitroでのキナーゼアッセイをおこなった。大腸菌にGST融合タンパク質として発現させたSHPS-1細胞内領域を基質とし、COS-7細胞に過剰発現させたCHKを免疫沈降で精製して[γ-(32)P]ATP存在下でインキュベートしたところ、CHKがSHPS-1の細胞内領域をリン酸化することがわかった。CHKのホモログであるCskをクローニングし、SHPS-1リン酸化能を比較した結果、CskはSHPS-1をリン酸化せず、CHKとCskの間に機能差があることも明らかになった。

 次に、私はリン酸化を受けたSHPS-1の下流シグナルの検討をおこなった。上皮細胞や繊維芽細胞を用いた実験では、リン酸化されたSHPS-1はSHP-2チロシンホスファターゼと相互作用してMAPキナーゼカスケードを調節することが知られている。免疫沈降の結果、CHKによるSHPS-1のリン酸化はSHPS-1とSHP-2の複合体形成を促進することが明らかとなった。しかしながら、その下流にあるMAPキナーゼErk-1/2の活性が変化することは、まだ確認できていない。

 さらに、SHPS-1、CHK相互作用の細胞内局在を知るために、EYFP、ECFP融合タンパク質を作製し、マウス神経芽細胞株Neuro2aに導入して局在を観察した。CHKは通常、細胞質に局在したが、SHPS-1を共発現させることにより、顕著に細胞膜付近へ局在を変化した。同様の実験を、CHK不活性変異体K262Rを用いておこなったが、K262RはSHPS-1を共発現させても、局在を変化しなかった。このことから、CHKはSHPS-1を足場として、細胞膜付近にアンカーすると考えられた。

[考察と展望]

 今回、新規相互作用タンパク質として同定したCHKは、SHPS-1をリン酸化するキナーゼであった。CHKは、SHPS-1細胞内領域の4つのチロシンをリン酸化し、自身もN末端側の2つのリン酸化チロシンを認識して結合するという、2段階の相互作用を示すことが明らかとなった。また、CHKによるSHPS-1のチロシンリン酸化によって、SHPS-1/SHP-2複合体の形成が促進された。これらのことから、SHPS-1とCHK、SHP-2の3者が一体となって、細胞外刺激に対するシグナル伝達を制御している可能性が示唆された。また、リン酸化されたSHPS-1によって、CHKが細胞膜付近に引き寄せられることが明らかになり、これまで謎だったCHKの膜移行のメカニズムがSHPS-1によって制御されている可能性も示唆された。これらの発見は、新規なSHPS-1キナーゼを同定した点、CHKの膜移行に関するモデルを提示した点、神経や骨格筋におけるSHPS-1シグナル伝達経路の解明への糸口を示した点で重要であると考えられる。

 SHPS-1は、タンパク質の構造上、細胞接着分子または受容体としてはたらくと推測される。神経支配に関連し、脱神経特異的に増加する遺伝子の多くは、神経―筋接合部の形成に関わることが知られている。SHPS-1はそうした遺伝子と同様に、神経切断によってリガンドが減少したことを補償するために増加している可能性がある。SHPS-1はそれ自身が酵素活性をもっていないため、チロシンキナーゼと共役する必要がある。CHKは神経終末からのリガンドに応答し、SHPS-1と共役して受容体チロシンキナーゼのようにシグナルを伝達するためのコンポーネントである可能性がある。

 神経―筋接合部で最も重要なAchRの凝集は、c-SrcによるAchRβサブユニットのチロシンリン酸化が鍵となっていることが明らかになっている。AchRβのチロシンリン酸化が過剰でも不足でも、AchR凝集は不安定化してしまう。SHPS-1が、神経―筋接合部でCHKと相互作用するならば、CHKを効率的に細胞膜に移行させ、c-Srcの活性を調節してAchRの安定化に寄与している可能性がある。この可能性を確かめるため、現在、SHPS-1とCHKによるc-Srcの活性調節の検討と、マウス骨格筋におけるCHKの解析をおこなっている。

審査要旨 要旨を表示する

 骨格筋は、神経からの刺激を受けてはじめて運動することができる。骨格筋の分化や遺伝子発現もまた、神経性の因子によって制御されている。神経から筋への情報伝達がおこなわれる重要な場として、神経―筋接合部が挙げられる。神経―筋接合部は、神経と筋の間に形成されるシナプスであり、運動神経終末端から放出されたアセチルコリンを効率的に受容するため、アセチルコリン受容体が高密度に凝集している。アセチルコリン受容体の凝集は運動機能に不可欠であり、その異常は様々な運動機能の低下を伴う筋無力症の原因になる。また、MuSKやNCAMなどのシナプス形成に関与するタンパク質群も神経―筋接合部に凝集しており、これらの遺伝子をノックアウトしたマウスは、運動失調を呈すことや、呼吸不全によって死亡することが知られている。神経―筋接合部に集積するシナプス関連タンパク質は、そのほとんどが支配神経切断(脱神経)によって大幅に発現量を増加するという特徴をもっている。

 本研究は、神経―筋接合部形成に関わる新たな遺伝子を探索することを目的とした。これまでに、SHPS-1(Src homology 2 domain containing protein tyrosine phosphatase substrate-1)が、脱神経によって顕著に発現量を増加することが明らかになっていた。SHPS-1は、神経―筋接合部でのシナプス形成に重要なNCAMやMuSKと同じ免疫グロブリンスーパーファミリーに属する膜一回貫通型タンパク質である。またSHPS-1は、神経細胞と免疫細胞に顕著に発現しているが、特に神経系では、大脳新皮質、小脳分子層、海馬歯状回、網膜外網状層などシナプスが多い領域に発現している。これらのことから、SHPS-1が神経細胞どうし、および神経―筋の間のシナプス形成に関わるタンパク質である可能性が推測された。しかし、神経や筋におけるSHPS-1の機能は明らかになっていないため、本研究では、SHPS-1と神経支配の関係と、SHPS-1の細胞内シグナル伝達経路に関わる相互作用分子の探索をおこなった。

 SHPS-1の骨格筋での性質を理解するため、脱神経筋と尾部懸垂筋におけるSHPS-1の発現量を検討した。両方の筋で同程度の萎縮が起こるにも関わらず、SHPS-1は脱神経筋でのみ発現量を増加し、尾部懸垂筋では変化しなかった。このことから、SHPS-1が廃用性萎縮ではなく、神経支配に関連して発現を促進することが明らかとなった。そこで、神経―筋接合部マーカーであるアセチルコリン受容体(AchR)と比較して、SHPS-1と神経支配の関係を検討した。SHPS-1は、神経支配下では発現が抑制されており、タンパク質は神経―筋接合部などの一部の領域に局在していることが明らかとなった。反対に、脱神経によって、SHPS-1の発現量は増加し、細胞膜全体に存在するようになった。こうした脱神経による発現量と局在の変化は、SHPS-1とAchRの間でよく一致していた。これらの知見から、SHPS-1が骨格筋の神経支配に密接に関係しており、神経―筋接合部の形成に関係した機能をもっている可能性が考えられた。

 これまで、免疫細胞や線維芽細胞におけるSHPS-1の機能は報告されていたが、骨格筋における機能はまったくわかっていない。そこで、骨格筋におけるSHPS-1の機能を解明するため、本研究では、SHPS-1の細胞内シグナル伝達経路に注目した。ヒト胎児骨格筋cDNAライブラリーを用い、酵母2-ハイブリッド系によってSHPS-1の細胞内領域と相互作用するタンパク質をスクリーニングした結果、新たな相互作用タンパク質としてCHK(Csk-homologous kinase)を同定した。CHKは、c-Srcを抑制する機能をもつ非受容体型チロシンキナーゼであった。

 SHPS-1とCHKの結合を確認するため、まず最初に免疫沈降実験をおこなった。COS-7細胞に過剰発現させた系において、SHPS-1とCHKの結合を確認した。また、この時、SHPS-1とCHKを共発現すると、SHPS-1のチロシンリン酸化が亢進することが明らかとなった。次に、結合領域を特定するため、CHKの各ドメイン(N末端、SH3ドメイン、SH2ドメイン)とGSTを融合させたタンパク質を精製し、SHPS-1との結合をGST-pull downアッセイによって検討した。その結果、SH2ドメインがSHPS-1との結合に必須であることが明らかとなった。SH2ドメインはリン酸化チロシン結合ドメインとして広く知られているため、CHKがSHPS-1のリン酸化チロシンを認識して結合している可能性が考えられた。そこで、SHPS-1細胞内領域に存在する4つのチロシン残基をそれぞれフェニルアラニンに置換した変異体を作製し、CHKとの結合を検討した結果、CHKは、SHPS-1のN末端側の第1、第2チロシン残基を認識して結合していることが明らかとなった。

 さらに、CHKがSHPS-1を直接リン酸化しているかを検討するため、in vitroでのキナーゼアッセイをおこなった。大腸菌にGST融合タンパク質として発現させたSHPS-1細胞内領域を基質とし、COS-7細胞に過剰発現させたCHKを免疫沈降で精製して[γ-(32)P]ATP存在下でインキュベートしたところ、CHKがSHPS-1の細胞内領域に存在する4つのチロシン残基をリン酸化することがわかった。CHKのホモログであるCskをクローニングし、SHPS-1リン酸化能を比較した結果、CskはSHPS-1をリン酸化せず、CHKがSHPS-1を特異的にリン酸化することが明らかになった。

 次に、リン酸化を受けたSHPS-1の下流シグナルの検討をおこなった。上皮細胞や繊維芽細胞を用いた実験では、リン酸化されたSHPS-1はSHP-2チロシンホスファターゼと相互作用してMAPキナーゼカスケードを調節することが知られている。免疫沈降の結果、CHKによるSHPS-1のリン酸化はSHPS-1とSHP-2の複合体形成を促進することが明らかとなった。しかしながら、その下流にあるMAPキナーゼErk-1/2の活性化には変化が見られなかった。

 また、SHPS-1、CHK相互作用の細胞内局在を知るために、EYFP、ECFP融合タンパク質を作製し、マウス神経芽細胞株Neuro2aに導入して局在を観察した。CHKは通常、細胞質に局在したが、SHPS-1を共発現させることにより、顕著に細胞膜付近へ局在を変化した。同様の実験を、CHK不活性変異体K262Rを用いておこなったが、K262RはSHPS-1を共発現させても、局在を変化しなかった。このことから、CHKはSHPS-1を足場として、細胞膜付近にアンカーすると考えられた。

 本研究で、新たな相互作用タンパク質として同定したCHKは、SHPS-1をリン酸化するキナーゼであった。CHKは、SHPS-1細胞内領域の4つのチロシンをリン酸化し、自身もN末端側の2つのリン酸化チロシンを認識して結合するという、2段階の相互作用を示すことが明らかとなった。また、CHKによるSHPS-1のチロシンリン酸化によって、SHPS-1とSHP-2の複合体形成が促進された。これらのことから、SHPS-1とCHK、SHP-2の3者が一体となって、細胞外刺激に対するシグナル伝達を制御している可能性が示唆された。また、リン酸化されたSHPS-1によって、CHKが細胞膜付近に引き寄せられることが明らかになり、これまで謎だったCHKの膜移行のメカニズムがSHPS-1によって制御されている可能性も示唆された。これらの発見は、新規なSHPS-1キナーゼを同定した点、CHKの膜移行に関するモデルを提示した点、神経や骨格筋におけるSHPS-1シグナル伝達経路の解明への糸口を示した点で重要であると考えられた。

 以上、本研究はSHPS-1が骨格筋の神経支配に関与することを明らかにし、さらに新規相互作用タンパク質CHKを同定して、SHPS-1の新たな細胞内情報伝達経路を明らかにしたものである。従って、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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