No | 122049 | |
著者(漢字) | 村上,元 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ムラカミ,ゲン | |
標題(和) | 海馬神経におけるエストロゲン受容体の解析 | |
標題(洋) | Analysis of Estrogen Receptors in Hippocampal Neurons | |
報告番号 | 122049 | |
報告番号 | 甲22049 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第726号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | エストラジオールは代表的な女性ホルモン(エストロゲン)である。雌ではエストラジオールは卵巣・子宮で合成され血流にのって脳に到達し、雄では精巣で合成されたテストステロンが血流に乗って脳に到達し、エストラジオールに変換されると考えられていた。しかし川戸研の先行研究では雄・雌両方で、海馬が独自にエストラジオールを合成していることを明らかにした(Hojo et al.,2004,PNAS)。またエストラジオールの作用機構として、核内受容体(エストロゲン受容体:ER)とエストロゲンが結合することで核内に移動し、遺伝子の転写を制御することが知られていた。 エストラジオールは更年期障害の治療薬として臨床的に用いられ、アルツハイマー病やパーキンソン病の予防薬としても注目されていることなど、神経活動において非常に重要な物質である。特に海馬においては、エストラジオールは神経成長因子として働き、神経保護効果も認められることが知られている。またその作用を担う受容体の探索も世界中で盛んに行なわれている。特に、従来からエストラジオールの主な作用先として知られるエストロゲン受容体α(ERα)については、その存在・分布に関して多くの報告がある。しかし海馬においては、錐体神経細胞に存在するという報告と介在神経細胞に存在するという相反する報告が多数なされ、統一された見解が得られていない。川戸研究室では海馬におけるERαのmRNAの検出に成功しているが(Ishii,2006博士論文)、エストラジオールの脳での様々な重要な作用を考えると、ERαタンパク質の存在・分布を明らかにすることは非常に意義があると考えられる。 また海馬において、エストラジオールは急性的に神経可塑性を修飾することや、行動実験で空間学習能力を向上させることが多く報告されている。川戸研の先行研究においては、エストラジオールが記憶学習の素過程と考えられている長期抑圧(LTD)を1時間で強化することや、スパインを1-2時間で増加させることが明らかになっている(Mukai et al.,in press,J.Neurochem.)。しかし、従来の作用機構では遺伝子転写を伴うため数十時間以上必要とするのに対し、LTDの強化やスパインの制御作用は1時間程度である。従って、これらの作用には、従来の作用機構とは異なり、シナプスに直接作用するnon-genomicな作用機構が示唆されている。現在では従来から知られている遺伝子転写の制御を介した作用を長期作用、シナプス可塑性の制御やスパインの制御で見られる1時間程度で効果が発現するnon-genomicな作用を短期作用と呼んでいる。また短期作用を担う受容体として、膜上にERαが存在すると考えられているが、報告はほとんどされていない。そこで本研究では、成獣12週齢の雄ウィスターラットを用い、海馬内でのERαタンパク質の局在と、それによる効果を明らかにすることを目的とした。 まず、過去の研究で頻繁に使用されている代表的なERαの抗血清であるMC-20とAS-409について、海馬でのERαに対する特異性をウェスタンブロット法を用い検討した。その結果、これらの抗血清では、陽性対照の卵巣で検出されるERα(67kDa)とは異なる位置に強いバンドが検出された。またMC-20抗血清ではERαKOマウスでも正常マウスと同様に62kDaのバンドが検出された。またMC-20を用いた免疫組織染色では、ERαKOマウスでもラットと同様に神経細胞層に強い染色が検出された。従って、これらの抗血清が認識するタンパク質はERαとは異なるタンパク質であることを示している。また、AS-409やMC-20のような特異性の低い抗体を用いていることが、ERαの局在に関して世界的に統一された見解が得られない原因であると考えられる。 そこで本研究では、新規にERαのC端19残基に対する抗血清を作製した後、アフィニティークロマトグラフィーで精製したポリクローナル抗体(RC-19)を作製し、ERαに対する特異性をウェスタンブロット法を用い検討した。その結果、卵巣で検出された67kDaのバンドと同じ位置に、海馬でも高感度にバンドを検出することに成功した。また正常マウスではラットと同様に67kDaの位置にバンドが検出され、ERαKOマウスではバンドは検出できなかった。これらのことから、RC-19は海馬において特異的にERαタンパク質を認識することを見出した。 さらにRC-19のERαに対する特異性を、免疫沈降法を用いて確認した。すなわち、ERαが高密度に存在する細胞質画分に対し、RC-19を用いた免疫沈降法を行ないERαを精製した。SDS-PAGE後、銀染色により可視化した67kDaのバンドを切り出し、MALDI-TOFを用いた質量分析法によりそのバンドがERαであることを同定した。この結果はRC-19が海馬でERαを特異的に認識することを裏付けている。 次にERαの海馬内での局在を調べるために、RC-19を用いた免疫組織染色を行なった。その結果、CA1、CA3領域では錐体細胞層が、DG領域では顆粒細胞層が強い染色を示した。またERαKOマウスの海馬スライスでは全く染色が検出されないことを確認した。従って、海馬スライスでRC-19を用い検出されるタンパク質がERαであることを明らかにし、海馬でERαは神経細胞に存在していることを示した。 さらに本研究では、短期効果を担っていると考えられる、膜上に存在するERαを検出する実験を行なった。海馬ホモジネートを用い、界面活性剤であるTritonX-100による可溶化と浸透圧ショックを遠心分離法と組み合わせることでpost synaptic density(PSD)画分をはじめ、前シナプス成分が多く含まれる低密度膜画分、細胞質画分、核画分等を分離し、RC-19を用いたウェスタンブロットを行なった。その結果、細胞質画分や核画分だけでなく、PSD画分や低密度膜画分において強い染色が得られた。さらにこの結果を裏付けるためRC-19を用いた免疫電顕法により、神経細胞内のERαの局在を調べた。その結果、細胞質や核だけでなくPSD、前シナプス、スパインに染色が検出された。これらの結果は遠心分離の解析と一致しており、ERαは海馬神経細胞でPSDを含むシナプスにも高濃度に存在していることが明らかになった。 また本研究ではERαのPSDへの局在がNMDA依存的であることを発見した。ACSF中の海馬スライスを30μM NMDAで5分間刺激し、通常のACSFに戻し30分間置いた後、遠心分離法によりPSD画分を多く含むTriton不溶性画分を分離し、RC-19を用いたウェスタンブロットを行なった。その結果、NMDAで刺激した試料では刺激していない試料に比べERαが増加していた。また、NMDAとNMDA受容体のアンタゴニストであるAP-5を同時投与した試料では変動は見られなかった。以上のことから、ERαのPSDへの局在はNMDA受容体依存的であることがわかった。 最後に、シナプスERαによる効果を調べるために、ACSF中の海馬スライスをエストラジオールで2時間刺激し、スパインの形態変化を海馬CA1の網状分子層と上昇層で調べた。その結果、放射状層と同様に(Tsurugisawa,2006博士論文)、エストラジオールがCA1の全ての層でスパイン密度を増加することがわかった。またスパインはその形態により4種類に分類されるが、その中でも特にthin型のスパインが増加することがわかった。またエストロゲン受容体の阻害剤であるICI 182,780存在下でエストラジオールを加え刺激するとスパイン密度の増加が抑えられることから、この効果はエストロゲン受容体依存的であることがわかった。さらにERαのアゴニストであるPPTによる刺激ではエストラジオールと同様にスパインが増加するが、ERβ(ERのサブタイプ)のアゴニストであるDPNではスパイン密度は増加しないことから、エストラジオールによるスパイン密度の増加はERα依存的な効果であるといえる。またこれらの効果はMAPKの阻害剤であるPD98059で消失することから、その細胞内情報伝達経路にMAPKが含まれることがわかった。さらに上昇層では、AMPA受容体のアンタゴニストであるCNQXでエストラジオールによるスパイン密度の増加が有意に抑えられた。一方、網状分子層では放射状層と同様にNMDA受容体のアンタゴニストであるMK-801で増加が有意に抑えられた。 以上の結果から、海馬神経細胞でERαがシナプスへ局在することが明らかになり、エストラジオールがシナプスのERαに直接結合して、スパイン密度の増加などの短期効果を発現することがわかった。 | |
審査要旨 | 本研究の目的は海馬神経細胞におけるERαの存在・分布を明らかにすることである。従来から使われている特異性の低い抗血清を用いず、特異性の高い新規の抗体を精製し使用することでERαが核や細胞質だけでなく、post synaptic densityを含む神経シナプス後部(スパイン)や神経シナプス前部に分布することを明らかにした。またエストラジオールがシナプスのERαに直接作用することで、海馬CA1領域の上昇層、網状分子層の樹状突起スパインを2時間で増加させることを明らかにした。 雌では女性ホルモンであるエストラジオールは卵巣・子宮で合成され血流にのって脳に到達し、雄では精巣で合成されたテストステロンが血流に乗って脳に到達し、エストラジオールに変換されると考えられていた。またエストラジオールの作用機構として、細胞質にある受容体(エストロゲン受容体:ER)とエストロゲンが結合することで核内に移動し、遺伝子の転写を制御することが知られていた。 海馬においてエストラジオールは神経成長、神経保護を示すなど重要な物質であることが知られている。それらの作用を担う主な受容体であるエストロゲン受容体α(ERα)の存在・分布に関しても世界的に多く研究されている。しかし海馬においては、グルタミン酸神経細胞に存在するという報告と、少数であるGABA神経細胞に存在するという相反する報告が多数されており、その分布・存在はわかっていない。本研究では過去の研究で頻繁に使用されている代表的なERαの抗血清であるMC-20やAS-409が実は海馬ではERαとは異なるタンパク質に反応することを、ERαKOマウスを用いた入念な検証を行なう事で明らかにした。そこで、新規にERαのC端19残基に対する抗血清を作製した後、アフィニティークロマトグラフィーで精製した抗体(RC-19)を作製し、ERαに対する特異性をウェスタンブロット法を用い検討した。その結果、卵巣で検出された67kDaのバンドと同じ位置に、海馬でも特異的にバンドを検出することに成功した。また正常マウスではラットと同様に67kDaの位置にバンドが検出されるが、ERαKOマウスでは67kDaのバンドが消失することを確認した。次にERαの海馬内での局在を調べるために、RC-19を用いた免疫組織染色を行なった。その結果、CA1、CA3、DGの全ての領域でグルタミン酸神経細胞が強い染色を示し、ERαがグルタミン酸神経細胞に存在していることを示した。またERαKOマウスの海馬スライスでは全く染色が検出されないことを確認した。さらにRC-19を用いた免疫沈降法を行ないMALDI-TOF質量分析によりRC-19が海馬でERαを特異的に認識することを直接明らかにした。 一方、最近川戸研の先行研究で海馬では雄・雌両方で独自にエストラジオールを合成していることが明らかになっている。またエストラジオールの急性的な作用として、海馬において記憶学習の素過程と考えられている長期抑圧(LTD)を1時間で強化することが川戸研の先行研究で明らかになっている。従来の女性ホルモンの作用機構では遺伝子転写を伴うため1-2日以上必要とするのに対し、これらの作用は1時間程度である。従って、従来の作用機構とは異なり、シナプスに直接作用する急性的な作用機構が示唆される。本研究ではこれらの作用を担う受容体として、シナプス膜上にERαが存在すると考え、海馬神経細胞でのERαの詳細な局在を明らかにすることを目的とした。実験は、海馬ホモジネートを遠心分離法により各画分を分離し、RC-19を用いたウェスタンブロットを行なった。その結果、細胞質画分や核画分だけでなく、post synaptic density画分やシナプス前部画分において強い染色が得られた。またRC-19を用いた免疫電顕法により細胞質や核だけでなくpost synaptic densityを含むシナプス後部(スパイン)やシナプス前部に染色が検出され、遠心分離による結果と一致した。 更に、シナプスERαによる急性効果を調べるために、海馬スライスをエストラジオールで2時間処理し、スパインの形態変化を海馬で調べた。その結果、エストラジオールがCA1の網状分子層と上昇層でスパイン密度を増加することがわかった。またスパインはその形態により4種類に分類されるが、その中でも特にthin型のスパインが選択的に増加することがわかった。またERαの阻害剤であるICI、ERαのアゴニストであるPPTを用いることで、エストラジオールによるスパイン密度の増加はERα依存的な効果であるとを明らかにした。またこれらの効果はMAPKの阻害剤であるPD98059で消失することから、ERαの下流にMAPKを含む情報伝達経路があることを明らかにした。 以上の結果から、海馬神経細胞でERαがスパインに局在していることが明らかになり、エストラジオールがスパインのERαに直接作用して、スパイン密度の増加を2時間という短期間で発揮することを明らかにした。これらの結果は脳神経科学において、非常に有意義な貢献をしたものと認められる。 よって、審査員一同、論文提出者村上 元は東京大学博士(学術)の学位を受けるに十分な資格があるものと認めた。なお、本論文の内容は、2007年にBiochemical and Biophysical Research Communications誌に公表済みである。これは共著論文であるが、論文提出者は研究の主要部分に寄与したものであることを確認した。 | |
UTokyo Repositoryリンク |