学位論文要旨



No 122053
著者(漢字) 半澤,誠司
著者(英字)
著者(カナ) ハンザワ,セイジ
標題(和) 日本における映像系コンテンツ産業の分業と集積
標題(洋)
報告番号 122053
報告番号 甲22053
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第730号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 馬場,靖憲
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では,近年隆盛が指摘される文化産業の中でも,特にコンテンツ産業と称される領域の映像系産業群である,テレビ番組制作産業,アニメーション産業,家庭用ビデオゲーム産業を対象とした.そして,それらの分業形態に主たる着眼点を置き,産業集積の形成要因とその集積利益を解明した.

 第I章では,実用目的に比べて,主観的意味,より厳密には消費者にとっての記号的価値が高い財やサービスを生産する産業である文化産業の隆盛に触れた後,本稿の研究目的と概略を述べた.

 第II章では,既存研究の整理を通じて,文化産業の特性と地理的特徴を確認し,研究視角の導出を行った.文化産業では,経済的利益を追求する流通部門と創造自体を目的とする生産部門の相克が存在すると共に,前者のグローバル化と後者の集積傾向が確認される.それを踏まえ,地理学の視点からは,文化製品を生み出す生産部門の集積要因こそ分析の俎上に載せるべきとの認識を得た.文化産業の集積は,各企業や専門家間の近接による制作の利便性や,産業や市場の不確実性に対応した柔軟な専門化や,文化的商品の生産に決定的に重要な創造性の観点から,創造的人材が好む環境や,創造性を刺激する文化・制度的基盤の存在などから説明されてきた.しかしこれらの研究では,(1)文化産業の生産とは文化的価値に重きを置く研究開発である点や,(2)制作工程の重要性,(3)創造的な製品が売れるとは限らない点,を見落としている.そこで,イノベーション,創造性,知識,それらと産業集積の関係などについて既存研究を検討し,文化産業に求められる創造的イノベーション達成の条件を探った.そして,本質的に予測不可能な不確実性が存在する上に,模倣による効率性ではなく創造性こそが商品価値を高める文化産業に,「ベスト・プラクティス」の伝播を集積利益とする学習概念は不適だと指摘した.各企業に必要なのは,「製品を制作し販売する過程において,不可避的に生じる無駄」を意味する「冗長性redundancy」への耐性である.

 本稿では,企業の冗長性への耐性確保に産業集積がいかに寄与しているのかという観点から,集積利益を捉え直した.ただし,冗長性の確保が根本的に重要になるのは,不確実性の高い研究開発活動であるため,文化産業の中でも,製品が情報財であり量産過程を事実上無視できるコンテンツ産業に本稿の議論を限定した.そして,コンテンツ産業の中でも分業が発達し,部門間の分業関係と制作工程に相違がみられる,テレビ番組制作業,アニメーション産業,家庭用ビデオゲーム産業という3つの映像系コンテンツ産業を事例として取り上げた.

 第III章では,テレビ番組制作業を対象に,垂直統合した企業から生産部門が外部化し,小企業が多数成立するものの,流通部門は寡占化し強い産業支配力を保持するという,コンテンツ産業の典型例を確認した.テレビ番組制作業は,流通部門に当たるテレビ放送業の動向から極めて強い影響を受ける.近年の電波政策は,特に地方放送局の経営環境悪化を招いた.その対策として地方局は,コスト削減と制作力強化を目的に制作子会社を増強したため,制作会社数の増加が顕著である.ただし,経営状況は芳しくなく,映像以外の事業に活路を見出す企業も多い.

 一方東京都では,テレビ局の経営は基本的に堅調であるものの,将来見通しが不透明さを増しており,テレビ局は制作会社に渡す制作費を引き下げている.専門特化した制作会社による産業集積が存在するが,取引関係は比較的固定的であり,柔軟な専門化は成立していない.各制作会社は,制作・営業の利便性から,都心部に立地するテレビ局近傍への立地を志向し,集積利益が存在している.しかし,制作会社に対してテレビ局の立場は圧倒的に優位であり,必ずしも創造的な番組制作が必要とされていないことも相まって,制作会社間がダンピング競争に陥り体力を消耗するという集積不利益も発生している.なお,比較的1社への売上高依存度が高く,受注量や売上げ見通しの不確実性は低いため,特別な技能を有しない新卒労働者を教育する経営上の余裕が各制作会社にあるため,熟練地域労働市場の存在が制作会社の立地行動に影響を与えない.また,番組制作力の低下という問題も指摘した.

 第IV章では,流通部門がそもそも産業外部に存在している上に,生産部門の製造業的特色が強いコンテンツ産業として,アニメーション産業を取り上げた.その制作工程には,労働集約的な製造業としての側面が強く,上流工程で決められる設定・仕様に従い,実制作をする下流工程に大量の労働者が必要となる.

 映画が中心的市場であった折には,大手企業が全ての人材を自社内に雇用し,1箇所で制作を進めていた.ところが,作品周期が短く市場予測が難しい上に,短期間での制作が求められるテレビシリーズアニメーションの開始によって,市場の不確実性は増大した.それゆえ,各企業が人材を内部に抱えることによる硬直性を避けるため,1960年代に制作会社の垂直分割が進展し,各工程に特化した中小零細企業が多数乱立するようになった.

 この結果として,各制作会社間の物流と情報交換の利便性を図るために,産業集積が生まれた.産業集積が東京西北部で発達した理由は,産業草創期の大手企業が偶然当地に立地していたためである.受発注関係はほとんどが東京都内で完結し,その取引内容は工程間で特色の違いがみられる.すなわち,上流工程に位置する制作会社はさまざまな工程を持ち,多くの企業から受注を受け,外注比率も高いのに対し,下流工程に位置する制作会社は一部工程に専門化し,受注先が少なく,外注比率が低い.そして,取引先の能力把握と信頼性の構築が重視され,人的繋がりから仕事が生じている面が強く,東京の産業集積機能を補強している.

 テレビ局の影響力が強いのはテレビ番組制作とは変わらないが,アニメ会社間の過当競争により,自らの有利な立場を掘り崩してきた面がある.近年は,多様な戦略を採ろうとするアニメ会社や関連企業の動きが活発化している.

 第V章では,寡占企業による流通支配力が弱い家庭用ビデオゲーム産業では,どのようにして産業集積が発生するのか検討した.当該産業の企業は,ゲーム機開発・ゲームソフト開発・ゲームソフト発売・資金調達方法に関する相違から,4種類に分類できる.各種特性に相違点はあるが,労働者の離職率は全般的に高く,採用では中途者が好まれる.そして,中途者は新卒者よりも,就業先として都区部を好む傾向が強い.一方,多層的取引階層は存在しないが外注の利用は一般的である.特に一部外注に際しては,迅速な対応が必要となるため,外注先との近接性が重要となる.こうした特性から,地域労働市場の厚みと,一部外注における対面接触の利便性を要因として,産業集積が形成された.

 産業集積内への立地によって,各企業は内部資源を節約が可能になる上に,取引機会が増大するため,経営上の不確実性が減少する.しかし,柔軟な取引・幅広い情報交換のネットワークが,産業集積内に一般的ではない.すなわち,たとえ稠密なネットワークが存在せずとも,多数の専門企業と専門労働者が存在する産業集積では,経営上の不確実性が減少する.しかるに,産業集積を主導する企業が存在しない上に,企業間の取引階層は浅く,取引関係が固定的なため,集積地域内には互いに独立した取引グループが多数存在している.こうした地理的特性の多くは,ゲーム産業固有の分業形態に規定されている.

 産業集積が東京にのみ形成されている要因として,京都に存在する最大手の制作専門企業が外注の多くを請負ったといわれており,関西圏では外注請負機会が少なく企業間ネットワークが弱かったことをあげられる.それゆえ関西圏にかつて存在した産業集積では不確実性を減少させる効果が弱く,不況期を境にその産業集積が崩壊したと考えられる.

 一方,産業の成熟化やゲーム開発費の高騰によって,国内ゲーム市場の縮小が起きたといえるが,コンピュータゲーム全体は堅調に成長している.

 第VI章では,ここまでの議論に基づく考察と結論を示す.アニメーション産業とゲーム産業では,取引関係と労働市場の特性を踏まえた各企業経営の不確実性低減行動の結果,産業集積が生まれた.テレビ番組制作業では,テレビ局との関係を維持できれば経営の不確実性は低くなるため,テレビ局との取引の利便性を求めて,都市中心部に立地するテレビ局の近傍に制作会社は集積した.他2産業に比してテレビ番組制作業は,最も経営上の不確実性が低いが,流通部門の支配力が最も強く,経営戦略の自由度も最も低い.その結果,労働者の意欲と創造性の低下が問題視されている.また,集積効果によって不確実性が低減しても,コンテンツ産業の場合,必ずしも良質な創造性に繋がらない.創造性にも有効な不確実性低減手法は,製品発売後に判明した情報に基づく経営戦略の自由度と取引・労働力柔軟性の確保であり,特に柔軟性は産業集積への企業立地によって達成される.これを保証するのが,各企業の冗長性への耐性であり,それは立地と流通部門の産業支配力の強弱によって左右される.開発費の高騰という問題を抱えているゲーム産業が,3産業の中で最も冗長性が高く創造的活動を行っているとまではいえない.しかし,集積利益が冗長性への耐性に最も繋がっている産業だとはいえ,その背景に流通部門の産業支配力の弱さが指摘できる.

 創造性の源泉となる各企業の冗長性への耐性は,流通部門の産業支配力の強弱と立地に大きく左右される.創造的な場とは,各企業の冗長性への耐性を高め得るような場を意味する.流通部門企業と生産部門企業の力関係が,後者の創造性を著しくは毀損しない産業において,ある集積の利益が,企業の冗長性への耐性を高める形で説明されうるならば,その産業集積は創造的な場なのである.

審査要旨 要旨を表示する

 アニメーションやゲームソフトなどの新しい文化産業については,その重要性が増しているにもかかわらず,既成統計では捕捉しにくいこともあり,十分な実態把握がなされてこなかった。本研究は,文化産業のうちテレビ番組制作,アニメ,ゲームといった映像系コンテンツ産業を取り上げ,アンケート調査とヒアリング調査によって,産業を成り立たせている分業の特徴と地理的集積の形成要因を明らかにした貴重な成果といえる。

 本論文は,6つの章から成っている。第I章および第II章では,文化産業の定義と分類がなされ,既存研究の検討を通じて本稿の問題意識と分析視角が提示されている。そこでは,予測困難な成功に対する対応可能性いわば冗長性への耐性といった視点が提示されているが,こうした視点は文化産業の新しい切り口として評価できる。

 第III章ではまず,テレビ番組制作業が取り上げられ,テレビ放送業と番組制作業との関係,番組制作資金の調達方法,制作会社の立地や取引関係,労働市場の特性など,詳細な実態が明らかにされている。そこでは,地方都市の制作会社と比べ東京の制作会社は専門化が進んでおり,東京都心部に集まるテレビ局との人的関係性の維持が重要であり,制作・営業両面の利便性からテレビ局との近接性が重視されること,制作費の圧縮により創造性の発揮が阻害されていることなどが指摘されている。

 続く第IV章では,アニメーション産業が分析対象となっている。アニメ制作会社の大半は東京都心の西郊,西北郊に立地しているが,集積の契機として,テレビアニメ市場の拡大とともに小規模かつ各工程に特化した制作会社が多数誕生し,垂直分割が進展したとの指摘は興味深い。アニメ制作工程の特性上,短納期に応じてセル画や記録媒体などの頻繁な物流が発生すること,情報交換の必要性や取引先の能力把握や信頼性の構築の観点から近接性が重視されるとの指摘にも説得力がある。

 第V章では,家庭用ビデオゲーム産業の複雑な機能分業と企業間関係,ゲーム会社の立地,取引関係や労働市場の特徴が明らかにされている。とりわけ,ゲーム開発においては仕様の曖昧さが取引関係の特徴を規定し,ゲーム産業の企業間分業は包括外注かごく一部の外注という両極端な形態が一般的であるとの指摘は重要である。また,雇用形態が正社員中心でありながら離職率が高く,東京都区部を離れると経験者の採用が極端に難しくなるとの指摘も示唆に富む。こうした対面接触の利便性と地域労働市場の厚みが集積要因となり,ゲーム会社は東京中心部に集積する傾向を示しているのである。

 第VI章では,上記の3産業の比較検討が行われ,産業集積と創造性との関係,創造性を発揮する地理的環境としての都市のあり様が論じられ,まとめがなされている。

 以上のように本論文は,綿密な実態調査を通じて映像系コンテンツ産業の実態把握を行い,産業の特性と集積要因を明らかにするとともに,創造性の観点から新たな集積論を提起したもので,先端的な経済地理学の研究成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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