学位論文要旨



No 122055
著者(漢字) 増渕,敏之
著者(英字)
著者(カナ) マスブチ,トシユキ
標題(和) 日本における音楽コンテンツ産業の集積形成と分散可能性
標題(洋)
報告番号 122055
報告番号 甲22055
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第732号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京経済大学 教授 山田,晴通
内容要旨 要旨を表示する

 日本国内の音楽コンテンツ産業は東京に集中するといった現状にある。音楽産業の中枢に位置する音楽コンテンツ産業で見ると販売額の90%強が、東京に本社を置く企業によって占められている。日本の音楽コンテンツ産業は現在、世界第2位の市場を形成している。東京への集中が音楽コンテンツ産業の成長に大きく寄与したといえる。

 アドルノがいうように音楽コンテンツ産業は利潤の最大化を追求するために、音楽の規格化を推し進め、商品として音楽を市場に送り込むことを容易にする。アメリカでは音楽産業に関する議論は1960年代から活発化する。ちょうど音楽産業が産業として確立するのがこの時代である。また技術的革新や産業組織の問題も音楽コンテンツ産業を分析していく上では、重要な視点のひとつである。

 音楽を始めとした文化産業に関しては、さまざまな学問領域からのアプローチが増えている。創造都市論では都市再生のための産業、中でも文化産業に注目しているが、理論的枠組みの中で産業集積についても議論がなされている。彼らの議論は音楽コンテンツ産業を見ていく上では有効な部分も多い。また地理学の領域でも産業集積論を始めとして、文化地理学の新展開にも注目すべきだろう。

 音楽コンテンツ産業の東京への集中の大きな要因は、メディアの東京への集中にある。しかし近年、地方においても音楽コンテンツ産業や関連産業育成を行政が支援する動きが顕著になってきている。音楽コンテンツ産業を始めとする文化産業が地域の経済的発展に寄与する可能性も少なくはない。

 音楽コンテンツ産業は様々な外的変化に応じて、その産業システムを変化させてきた。音楽コンテンツ産業はその組織システムの中に数値化できない暗黙知を介在させることが多いのが、産業的な特徴である。現在では音楽産業の経営資源がアーティストやクリエーターであるので、彼らとのコーディネーションを担うA&Rの音楽コンテンツ企業における重要性は大きい。

 音楽コンテンツ産業における経営資源には、アーティストと楽曲というふたつがある。アタリはポピュラー音楽では19世紀の路上音楽や音楽酒場やキャフェ・コンセールなどの音楽的装置においてスター化の端緒があるとし、特に都市内部の音楽的装置に注目している。

 ポピュラー音楽はクラシックなどのハイカルチャーな音楽とは違い、本来的には土着性の高いものである。ポピュラー音楽は一種のサブカルチャーである。つまり都市自体がポピュラー音楽の温床になる。そこには音楽コンテンツ企業を始めとした音楽産業が集積している点も大きい。

 国内の音楽コンテンツ産業を見ていく上で、前提として世界的なメジャー音楽コンテンツ企業のグローバル化を押さえておく必要がある。つまり戦略としての集中と統合を繰り返して、音楽コンテンツ産業という文化産業は発展してきたわけである。

 また戦術上、重要なのはメディアとの相互依存であろう。これまでの音楽コンテンツ市場はこのシステムにより拡大してきた。しかし依然としてこのメディアとの相互依存システムは当面、維持されるだろうし、メジャー音楽コンテンツ産業は益々、その傾向を強めていく傾向にある。

 国内の音楽コンテンツ産業は東京への一極集中の傾向を崩してはいない。これは音楽産業だけではなく、出版や映像などの文化産業全般にいえることである。特に音楽産業の核であるメジャー音楽コンテンツ企業も東京への集積が顕著である。

 国内での本格的な音楽産業の勃興ということになると、明治時代に遡る。またこの時代は東京以外にも音楽コンテンツ企業が次々に生まれる。そしてそれらは大手に吸収、統合されることになる。原盤制作の機能分化は戦後の1960年代に生じ、まず(1)アーティスト・マネジメント、(2)楽譜出版系音楽出版社、(3)放送局系音楽出版社へと分散する。この時点で音楽コンテンツに対する音楽コンテンツ企業の独占が崩れたということでもあり、それは新規参入企業の増加にも繋がっていく。

 また1970年代からジャズ、ロック喫茶、ライブハウスなどの音楽的装置が東京の都市空間内に増えてくるが、その重要性はそのコミュニティ機能にあり、アーティスト同士の情報交換、また新しい音楽情報の入手などに寄与していったと見られる。そして音楽だけではなく、他のジャンルの文化産業関係者も含めての人的ネットワークが音楽的装置によって構築されていった。音楽コンテンツ産業を育成するためのクリエイティブ・ミリューとしては最適の環境にあるという点では、今後も東京の優位性は揺らがないだろう。

 京阪神では江戸時代からの浄瑠璃、歌舞伎、そして花柳界の独自の音楽文化があった。音楽が地域に密着した形で産業化する条件は備わっていたといえる。京阪神における音楽産業は明治時代に萌芽する。それぞれの都市空間内に幾つもの音楽的装置が設置された。戦前には音楽コンテンツ企業が幾つも存在していた。しかし資本力の強い企業に吸収され、戦後は圧倒的に音楽コンテンツ産業とその関連産業は東京中心に発展していくのである。音楽産業を産業論的に捉えるだけではなく、文化論的に考えると音楽の産業化はそれぞれの地域に割拠すべきであるのは自明ではあるが、国内ではそういった形で推移することはなかった。

 現在でも実際、京阪神に音楽産業が存在しないわけではない。本格的な産業化に至るまでにはまだ時間がかかると思われるが、音楽コンテンツ産業を始めとした音楽に関する産業が本来的な意味を取り戻すためには、まず独自文化を持つ京阪神という地域はとても重要になっていくだろう。

 福岡は1970年代からアーティスト供給の宝庫として注目されてきたが、現在では行政の支援の基に数々の起業化の胎動が生じてきている。しかしやはりその基盤になるのは都市内部に形成された音楽的装置である。かつての「照和」を始めとしてそういった音楽的装置はアーティストのインキュベーション装置として充分に機能してきた。

 しかし多くのアーティストは福岡にとどまらずに上京という選択を行なってきた。つまり地元に彼らの創作、生活を支えるだけの産業が存在しなかったということでもある。しかし今後はこれらの音楽的装置の充実を背景にして、音楽コンテンツ産業の活動がアーティストのネットワークの中で出現し始めることになるという可能性は否定できない。

 また福岡市を中心に行政の支援も積極的であり、地場での産業化に関与し始めてもいる。今後、財政面において地域の自立が求められる中、音楽を始めとしたコンテンツ産業は注目を集めていくことになるだろう。

 札幌は福岡と対極に歴史的な土着性が薄く、東京からの情報発信を極めて素直に享受してきた都市である。それがまた札幌特有の文化を形成してきたともいえる。札幌において音楽の産業化が始まるのは1980年代後半である。1970年代に「南3条」に音楽的装置が集積し、その後の「駅裏8号倉庫」という拠点形成に繋がっていく。

 札幌では1990年代にIT関連の情報産業が台頭し、音楽産業はその関連と位置付けられている。特にICCなどのコンテンツ企業インキュベーション装置にもその傾向が色濃い。また芸術の森にある録音スタジオも現在は東京のIT企業が資本を出している。いわゆるデジタルという領域での音楽コンテンツを念頭においてのことだろう。

 しかし札幌において特筆できるのは地元メディアが音楽コンテンツの制作に意欲的で、それもメディアミックスした形での戦略構築にあるだろう。HTB「水曜どうでしょう」という一ローカル番組が全国的な成功事例を残したが、そこでもインディーズといった形で音楽コンテンツはビジネス化を見せている。札幌は都市内部での各主体間のネットワーク構築により、新たな産業化を射程に入れている。

 沖縄は東京以外ではもっとも音楽産業の集積が進んでいるといわれる。その背景には歴史的な島歌の文化があり、それを主力商品としての産業化の動きは昭和初期からあった。戦後はそこに米軍によるポピュラー音楽が混入してきたことで、沖縄の音楽は更に独自のスタイルを確立していく。

 沖縄の音楽コンテンツ産業を見ていく上で、モンゴル800の成功は重要である。全国的なインディーズブームは彼らの成功から始まったといえるし、またそれに伴い地方都市での音楽コンテンツ産業への参入も活発化してきた。また当初から起業家が音楽コンテンツの制作、販売にアプローチしたのではなく、メジャー音楽コンテンツ企業、イベンター、音楽スタジオ、ビデオ制作などの関連異業種からの独立、事業拡張としてのビジネス構築が多いことが産業としての厚みをつけている。

 音楽コンテンツ産業は現在、これまでにない周辺環境の変化と対峙している。それに伴い音楽コンテンツ産業研究の範囲も、著作権の解釈から産業政策までと急激に拡張を見せている。音楽コンテンツ産業はこれまでその流行を作っていくという産業的特性から柔軟な専門化が組織的特徴とされてきた。しかし現在、国内の音楽コンテンツ産業の戦略は配信への対応を見ている限り、後手に廻っているように見える。実際、誰もが音楽コンテンツ産業の未来図は明確には描けない。

 今後は新しいビジネスモデルを音楽というコンテンツを利用して創出しなければならないということだけは確かなようである。音楽コンテンツは消費財、情報財であるとともにれっきとした文化的財である点に改めての注目をすべきであろう。そして音楽コンテンツ産業の再生には、東京では困難である消費財、情報財から文化的財への読み替えが可能な地域への産業的な分散が不可避であろうと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 ポピュラー音楽を中心としたわが国の音楽コンテンツ産業は,東京への一極集中を特徴としてきた。しかしながら近年,インディーズと総称される独立系の音楽企業が存在感を増すとともに,地方都市においても音楽コンテンツ産業の成長がみられるようになってきた。本論文は,日本国内の主要地域を取り上げ,それぞれの地域の文化的特質や空間特性,ライブハウスやスタジオなどの「音楽的装置」の役割に注目しながら,音楽産業の発展過程や現状・問題点を分析し,音楽産業の集積形成と分散可能性を明らかにしたものである。統計資料が不十分な状況の下で,聞き取り調査を中心としたフィールドワークにもとづき,国内各地の音楽コンテンツ産業の全容をまとめあげた点に本研究の意義がある。

 本論文は,10章から成っている。第I章では,音楽産業を取り巻く環境変化が指摘され,内外の研究成果について,産業論的視点から創造都市論,産業集積論まで幅広い視野に立った整理がなされている。そこでは,アーティストと音楽コンテンツ企業と消費者との主体間関係を状況依存的に捉えるという新しい視点が提示され,文化と経済を結びつける地理学としての位置づけは重要である。

 第II章と第III章は,産業論的アプローチの成果である。第II章では,音楽コンテンツの制作現場の状況や組織運営の実態,経営資源としてのアーティストと楽曲の特殊性,都市空間と音楽的装置の役割などが紹介され,産業的特徴が興味深く論じられている。続く第III章では,国内市場の推移と現状,メジャーとインディーズとの対抗関係や両者の組織的差異,音楽配信への消費者の対応など,近年の変化が詳しく述べられている。

 第IV章以降は,国内各地域での音楽コンテンツ産業の歴史,現状,問題点などに関するモノグラフとなっている。第IV章では東京への音楽産業および関連産業の集中と地理的集積の形成過程が,続く第V章では東京集中に伴う京阪神における衰退過程と最近の再産業化の動きが,それぞれ詳細な資料をもとに明らかにされている。第VI章では福岡,第VII章では札幌,第VIII章では沖縄がそれぞれ取り上げられ,地方都市での音楽産業の形成過程が,インディーズ企業やアーティストの行動,都市空間の変容や音楽的装置の配置,自治体の政策内容といった多面的視点から明らかにされている。とりわけ沖縄においては,歴史的な島唄の文化と基地を通じたアメリカ音楽の影響,幅広いアーティストの存在,ビジネスノウハウを東京で身につけた人材の沖縄への移住といった諸点が成功要因として指摘されており,政策的な含意も重要である。最後のIX・X章では,これまでの議論の整理がなされるとともに,今後の日本の音楽コンテンツ産業の展望が示されている。

 以上のように本論文は,音楽コンテンツ産業の集積形成と分散可能性を,産業を担う主体と地域的存立基盤に関する詳細な現地調査を通じて明らかにしたもので,文化地理学と経済地理学とを結びつける意欲的な研究成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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