学位論文要旨



No 122058
著者(漢字) 大槻,道夫
著者(英字)
著者(カナ) オオツキ,ミチオ
標題(和) 非線形レオロジーの微視的理論
標題(洋)
報告番号 122058
報告番号 甲22058
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第735号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 福島,孝治
 東京大学 助教授 加藤,雄介
 東京大学 教授 田中,肇
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景

 レオロジー特性とは、物質の変形と流動の関係を表す性質である。レオロジー特性は物質ごとに大きく異なり、様々な興味深い現象の原因となっている。その典型的な例は、図1に示されている、ペーストの乾燥破壊で見られる記憶効果である。この現象は、粉と水を混ぜたペーストを容器に入れて、容器を揺すってから乾燥させると、ペーストが乾燥前に加えられた揺すりを記憶して図1のように、揺すり方に応じた亀裂パターンが形成される、というものである。この現象では、降伏応力を持つという、ペーストのレオロジー特性がその原因となっている。

 従来のレオロジー研究の多くでは、物質の応力と剪断速度の関係に、現象論的な式を適用することで、現象の解析を行っている。だが、それらの研究が対象としている物質は、分子などの粒子によって構成されているのだから、それらの粒子の微視的な挙動から、その応力と剪断速度の間の関係を導くことが出来るはずである。そこで、本論文では、特に降伏応力を持つガラス状物質などに注目し、その非線形レオロジー特性の微視的モデルからの導出を目的としている。

 同様の目的を持った先行研究も、少数ではあるが存在する。それらの先行研究では、動的な量である密度の時間相関関数を計算することで、非線形レオロジー特性の計算が行われている。しかし、本来、応力は静的な量である粒子の配置から求まる量である。そこで、本論文では、2粒子間の距離の分布を表す2体分布関数を計算することで、非線形レオロジー特性を記述する式の導出を目指すことにした。

2. 内容

 本論文は7つの章から構成されている。第1章で本論文の背景と目的が述べられていて、第2章では従来の現象論的なレオロジー特性の研究の例として、図1に示されている乾燥破壊での記憶効果に関する研究が紹介されている。第3章では、本論文のメインの内容である、ガラス状物質の非線形レオロジー特性の微視的モデルからの導出が行われている。第4章と第5章では、第3章で得られた知見と成果を応用した、小さな空間に閉じこめられた流体と、粉体のレオロジー特性の解析が行われている。これらの、第3章の成果を応用した解析に成功から、第3章の成果の有用性が示されている。また、第6章では、第3章で用いた手法をさらに発展させた解析が行われている。最後に、第7章では本論文のまとめと展望が述べられている。

 以下では、そのうち、第2章から第6章までの内容を、それぞれの章ごとに述べる。

第2章

 第2章では、従来の、マクロなレオロジー特性を現象論的に仮定することで現象の解析を行う研究の例として、図1に示されている、乾燥破壊の記憶効果に関して筆者が行った研究を紹介している。乾燥破壊の記憶効果は、前に述べたように、ペーストの降伏応力と密接な関係があることが知られている。しかし、ペーストが揺すりを記憶し、揺すりに応じた亀裂が掲載される機構は、理解されていなかった。

 筆者は、降伏応力以上の力を受けると発生する塑性変形が原因となって、揺すりに応じた亀裂が形成されると推測した。この推測の妥当性を示すために、降伏応力を持ったペーストのレオロジー特性を現象論的に仮定した乾燥破壊のモデルを提案した。そして、このモデルの数値計算において、筆者の推測した機構によって、揺すり方に応じた亀裂が形成されることを示した。さらに、このモデルの解析から、筆者が推測した記憶効果の機構の検証実験を提案した。

第3章

 第3章では本論文のメインの内容である、ガラス状物質のレオロジー特性の微視的なモデルからの導出が行われている。まず、微視的なモデルから、2体分布関数の時間発展方程式を求めた。ただし、この方程式は、3つの粒子の位置の分布を表す3体分布関数を含む。そこで、2体分布関数の綴じた時間発展方程式を得るために、平均場的なカークウッド近似を用いて、3体分布関数を2体分布関数の積として表現した。この近似によって、2体分布関数の閉じた時間発展方程式が得られる。

 次いで、この2体分布関数の時間発展方程式をもとに、平衡状態での2体分布関数g(eq)(r)の線形安定性を数値計算によって調べた。ただし、この際に、計算を簡単にするために、g(eq)(r)に対する摂動の形に制限を加えている。この数値計算の結果、g(eq)(r)が低温高密度状態で不安定化することが示された。

 最後に、g(eq)(r)が不安定化する温度、密度の近傍の状態での2体分布関数の剪断速度γに対する依存性を、分岐解析により求めた。この解析により、ガラス状物質のレオロジー特性を記述する秩序変数方程式が導出される。この秩序変数方程式が表すレオロジー特性は図2に示されている。高温低密度状態でニュートン則が成立し、低温高密度状態で降伏応力が発生する。また、降伏応力の発生点の近傍で、剪断応力σ(xy)と剪断速度γの間のσ(xy)〜γ(1/3)というベキ乗則が成立する。これらのレオロジー特性は、図3に示されているガラス状物質のシミュレーションの結果を良く表している。特に、降伏応力の発生点の近傍での1/3乗則が、シミュレーションでも成立している。

第4章

 第4章では、第3章の結果を応用して、小さな空間に閉じこめられた流体のレオロジー特性の研究を行っている。通常の流体は、剪断応力と剪断速度の線形則(ニュートン則)が成立するのでη=σ(xy)/γで定義される粘性係数はγに依存せず常に一定の値を持つ。ところが、このような通常の流体でも、分子数固個程度の大きさの小さな空間に閉じ込められると、レオロジー特性が大きく変化して、γの増大に対してηの現象などの非線形レオロジー特性が見られるようになる。この現象の原因は、流体を構成する粒子の協同的な運動の相関長と、系の大きさが同程度になっていることが、小さな空間に閉じこめられた流体のレオロジー特性の変化の原因ではないかと推測される。

 そこで、この推測の妥当性を検証するために、まず小さな空間に閉じ込められた流体の分子動力学シミュレーションを行い、温度T、剪断速度γ、系の大きさLの状態での粘性係数η(T,γ,L)を計測し、レオロジー特性のサイズ依存性を確認した。次に、このシミュレーションで得られた粘性係数η(T,γ,L)が、第3章のコロイド分散系のレオロジー特性の計算から得られるスケーリング則に従うことが示した。具体的には、粘性係数η(T,γ,L)が、そのγ→0の極限での値η0(T,L)によって、η(T,γ,L)=η0(T,L)G(γη0(T,L)(3/2))とスケールされることを示している。最後にη0(T,L)が粒子の協同的な運動の相関長ξ(T)によって、η0(T,L)=ηI(T)H(ξ(T)/L)とスケールされることを示した。ここで、ηI(T)はL→∞の極限という熱力学極限での粘性係数である。これらのスケーリング則から、小さな空間に閉じ込められた流体で見られるレオロジー特性の変化の原因が、粒子の協同的な運動の相関長と系の大きさの拮抗であることが示されている。

第5章

 第5章では、第3章で得られた知見を用いて粉体系のレオロジー特性の解析を行っている。砂や粉などを含む粉体のレオロジー特性は、密度が低い状態において、剪断応力σ(xy)と圧力ρが剪断速度の2乗に比例するバグノルド則が成立することが知られている。一方、密度が高い状態で、レオロジー特性に関しては最近の波多野のシミュレーションによって、一定圧力を加えられた高密度の粉体において、剪断速度が剪断速度の1/5乗に比例すると言うことが示されている。

 この、高密度状態で観測される1/5乗則の理論的理解を目指して、一定体積条件での粉体系のシミュレーションを行った。このシミュレーションによって、体積分率υに臨界値υcが存在し、υ<υcの低密度状態ではバグノルド則が成立し、υ>υcの高密度状態では降伏応力の発生が観測されることが示される。また、υが臨界値υcに非常に近い場合は、σ〜γα、ρ〜γβというベキ乗則が成り立つことが示される。このような、低密度状態で成立する基本的なレオロジー特性が、高密度状態になると成立しなくなり、降伏応力が発生するようになるというレオロジー特性の変化は、コロイド分散系のレオロジー特性と非常に良く似ている。この類似性から、粉体でレオロジー特性を記述する。何らかの秩序変数が存在すると推測される。そこで、この観測をもとにした次元解析を行うことで、臨界点の近傍で見られるべき乗則の指数αとβの値を理論的に導出した。最後に、一定体積条件のレオロジー特性の成果をもとに、一定圧力のシミュレーションで観測される1/5乗則の解釈を行った。

第6章

 第6章では、第3章で行ったg(eq)(r)に対する摂動の関数系の制限をはずした解析を行った。基本的な解析方法は第3章と同様である。まずは、カークウッド近似を用いて得た、2体分布関数の閉じた時間発展方程式を用いて、g(eq)(r)の線形安定性を調べた。この解析で、低温高密度状態で、5つの固有モードが同時に不安定化することが示される。ついで、固有モードが不安定化する臨界点の近傍で、レオロジー特性を記述する秩序変数方程式を導出した。この秩序変数は臨界モードに対応して5つあり、それぞれが剪断応力σ(xy)、σ(yz)、σ(zx)と法線応力差σ(xx)−σ(yy)、σ(zz)−(σ(xx)+σ(yy)+σ(zz))/3に比例する。

 導出された秩序変数方程式には、これらの剪断応力と法線応力差のカップリングを表す項が存在する。このカップリング項の係数が0の場合は、第3章で導出される秩序変数方程式と同様のレオロジー特性を表す。このカップリング項の係数が有限の場合でも、剪断速度がある程度大きい領域では、そのレオロジー特性は第3章のものと変わらない。ところが、剪断速度が極端に低い領域は、このカップリング項のために、剪断速度γの上昇による粘性係数η=σ(xy)/γの増大が見られるようになる。この、極端に剪断速度が低い領域で見られる粘性係数の増大が、剪断速度が極端に低い領域で見られる、シミュレーションと第3章の結果の食い違いの原因である可能性がある。

FIG.1 ペーストの密度が高く、ゆすりを記憶した場合の乾燥破壊の亀裂パターン。乾燥前に、ペーストが入った容器を図の矢印の方向に揺すると、その方向に応じた亀裂パターンが形成される。

FIG.2 解析によって得られた秩序変数方程式が記述する、剪断応力σ(xy)と剪断速度γの関係

FIG.3 ガラス状物質のシミュレーションで得られる、剪断応力σ(xy)と剪断速度γの関係

審査要旨 要旨を表示する

 泥、泡、粉体、ペーストなどの流れは、標準的な流体方程式に従わない。それらの異常な流れに関する学問分野は、レオロジーとよばれる。異常な流れについて系統的な理解を得ることは、100年以上前から設定されてきた古典的問題である。しかし、とくに非線形性が強く効く非線形レオロジーにおいては、現象に応じた各論しかなく、その各論においても複雑に込み入ったパラメータを実験により決めないといけない。つまり、現象論としても簡潔な形にまとまっていない。

 ところで、近年、異常な流れを構成要素の動力学モデルから理解しようとする試みがなされてきた。例えば、数値実験による複雑なマクロな現象が再現され、そこから新しい法則を探索しようとする気運が、実験、理論ともに高まっている。とくに、理論においては、ランダム系やスローダイナミクス系に対する知見が提案されはじめてきた。この状況において、提出された大槻道夫氏の博士論文は、新しい理論的枠組みの拠点をつくろうとするものである。

 本論文は7章106ページからなる。第1章で、論文全体の問題意識が述べられたあと、第2章で、ペーストの異常な流れに伴う典型的な現象が提示される。それに対する現象論的な解析により、降伏応力の重要性が明らかにされる。第3章で、降伏応力の出現を微視的モデルの解析によって示される。第4章で、その考えが粉体系に適用され、さらに、第5章においてナノ流体に適用される。第6章は、第3章の解析のより定量的な議論が展開される。

 本論文の核心は、第3章にある。降伏応力の存在を構成粒子の記述にもとづいて理論的に示す課題は、従来より難問として認識されていた。最近、非線形応答理論と射影演算子の方法の組みあわせにより、非線形粘性係数が密度揺らぎの時間相関関数であらわされ、時間相関関数の振る舞いがモード結合理論によって評価された。その結果、時間相関関数が凍結する転移にともなった粘性係数の異常増大が議論され、これが降伏応力の存在の理論的証拠だと考えられた。

 ところで、第1章で議論されるように、応力は構成粒子の配置によって決まる量である。したがって、応力の計算に時間相関関数が関わる必然性はない。もっとも直接的な論旨を期待するなら、2体分布関数の統計的性質だけから、降伏応力の出現という異常性が示されるべきである。本論文の解析は、まずこの自然なアイデアにたつことからはじまる。このアプローチでは、降伏応力の存在は、2体分布関数のずりに対する異常性として記述される。そこで、2体分布関数のずりに対する線形安定性が調べられ、その安定性が失われるパラメータで分岐解析が実行される。その結果、磁性体の臨界現象に対する平均場近似と類似の結果が得られる。例えば、降伏応力の存在は、自発磁化の存在と数学的には等価になっており、降伏応力発生に関係したシェアシニング指数が具体的に計算される。

 このように求まったシェアシニング指数が第一近似として妥当なものであることは、数値実験で確かめられている。とくに、系の大きさが小さいとき、この予言はより正確になる。これは近似の平均場的な性質のためであろう。この点を積極的に利用して、小さい系におけるレオロジー性質の顕著な大きさ依存性を明らかにしたのが第5章である。この際、シェアシニング指数の値と動的相関長を用いて、有限サイズスケーリングが数値的に実行され、顕著な大きさ依存性は、系の大きさと増大する動的相関長のクロスオーバーとして理解される。計算されたシェアシニング指数が、ナノ流体に対する既知の実験事実と整合するだけでなく、その機構として新しいアイデアが提案されたことになる。

 さらに、第5章の粉体多体系の解析も、第3章の結果にもとづいた発展として位置づけられる。粉体多体系にずりを加えたときの振る舞いも典型的な非線形レオロジーの対象になる。ただし、粉体多体系の散逸機構はペーストと質的に異なるので、第3章の結果がそのまま適用されるわけではない。とくに、温度は制御パラメータとして与えられていなくて、系を駆動する条件と散逸を特徴づける定数によって有効的温度として決まる。その条件を次元解析によって実効的に考えることにより、非線形レオロジーの特異性の各指数が求められる。これらの理論的値は、数値実験によって得られた値とよく一致している。

 以上のように、大槻氏はその論文において、非線形レオロジーの性質を微視的モデルから明らかにする理論枠組みを提出した。斬新で自然なアイデアにもとづく明晰な結果であり、その有効性も具体的に示されている。ただし、計算を具体的に実行するために用いた仮定の妥当性については、十分に理解されているわけではない。これについては、第6章で議論されている計算の詳細を完遂するとともに、さらなる検討が必要であろう。このように、本論文は、非線形レオロジーに対して、新しい枠組みを明確な形で持ち込んだものであり、将来、大きく発展する可能性を秘めた研究として位置付けることができる。

 なお、本論文の内容は、第2章、第3章、第4章が3編の論文として出版されており、第5章が論文投稿中、第6章が投稿準備中である。

 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。

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